2006年08月10日
3年生の新人サッカー担当/駒大
多くの1年生が駒大スポーツへと加入した中、駒大へと編入してきた3年生がいる。短大通学時には就職も考えていたというが、「希望をしていない企業で一生を過ごすはもったいない」と考え駒大への入学、駒大スポーツへの加入を決意し、サッカー担当として半年間を過ごした。
大阪で行われた「総理大臣杯」を取材するためにサッカー部の関西遠征を追いかけた。記者としての経験がまだ少ない自身に対し最初は「(大阪まで)行っていいのか」と不安だったという。大阪に行く前にも取材は経験していたが、会場のプレス受付でプレスカードを受け取ったときは「(カードに)感動していたが、同時に取材をするのに責任を感じた」と振り返った。
大会は立命大に対しPK戦の末に準々決勝で敗退。試合後、もちろん選手たちにインタビューを行なった。日韓W杯でサッカーに興味を持ち、たまたま手に取った雑誌の記事で感動し、「選手がどんなことを考えてプレーしているのか」を記事にしたいと考えたが、実際にインタビューを行うと「何が聞きたいのかがわからない」という質問になってしまうという。普段では選手と1対1で行えるインタビューも、この日は複数の記者と行うことに。他の記者が次々としていく質問に対し、「自分はどうでもいいことを聞いている気がした」と経験の少なさを改めて実感した。
宿泊しているホテルに戻ると「FORZA駒澤」の製作へ。この日は記事担当となった。初めて記事を書いたときは「どうしたら試合を見ていない人に伝わるよう書けるのかが分からず泣いた」という。今回も「初めての負けた試合の記事を書くのに何をかいたら良いのかわからなかった」と振り返った。必死に書き上げるも、この時に書いた記事も「納得はしていない」。
大阪から帰京し、取材と並行して行われていた新聞製作へと加わる。そこでもメーンとなる記事を任される。書く中身は違うが、ネタは同じ。初の新聞製作となることも重なり「(記事を)書くのが嫌だった」と語った。「サッカーを取材したい」と加入したため「新聞製作への興味は薄かった」と後に話すが、今では「何もできなかったかもしれないが、やってみてよかった。半年間があっという間に過ぎた」と話す。
半年間、記者としての活動は「最初から駒大に入学してやっていたら、見切りをつけて辞めていたかも」と振り返る。駒大スポーツは3年生の夏で引退となるが、今後も「活動は続けていく」。その理由は「自分が思ったよりもサッカーに詳しくないのが分かった」からだという。
August 10, 2006 01:12 PM
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