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195号4面より(2007/4/3発行) 連載
加茂周インタビュー
監督人生の始まり
―在学中のサッカー部はどうでしたか?
今、高等部の校舎が建っている場所にグラウンドが3面あった。そこで練習していたんだけど、ポプラの木に囲まれていていい環境だったよ。レベルも高くて、関西リーグでは常に優勝していたね。
―卒業後はどのような道を歩まれたのですか?
もう少しボールを蹴りたかったし、先輩からの誘いもあってヤンマー(現セレッソ大阪)に選手として入社した。当時は今と違って仕事優先で、大会前に少し練習するだけだったね。でも、数年後に会社がサッカー部を強化しようということで、釜本くん(元日本代表FW)や湯口くん(元日本代表MF)が入社してきて、徐々に強くなっていったよ。
―その後は?
ヤンマーのコーチをして、その後、日産自動車(現横浜F・マリノス)の監督になった。その時に、「よし、サッカーを命懸けでやってやろう」と思ったね。その当時は、プロの監督なんていなかったんだけども、日産とプロ契約を交わして専任の監督になった。日産自動車は、当時神奈川の県リーグに所属していて、特に優秀な選手もいなかった。でも、コツコツとチームを育てていって、最終的には日本リーグ1部まで昇格させましたね。
―95年から2年半の間、日本代表監督を務められましたが、代表監督の難しさを 教えてください。
年間90日前後しか集まれず、試合も20試合程度なので、コンディション調整が難しいね。みんな各クラブの練習などで体調も万全ではないから、強い練習ができない。その中で強くしていかなければいけないから大変だった。そして何より、代表監督は責任が重かったね。ただ、クラブと違って「いつでも選手を入れ替 えることができる」という点はありがたかった。
―代表監督をされていた中で一番印象に残っていることは?
W杯予選の大事な試合で、宿敵の韓国に逆転負け(1―2)したことだね。ホーム国立での試合だったし、あの負けは印象に残ってるね。
母校で最後の仕事
―今回の監督就任の経緯,気持ちを聞かせて下さい。
昨年、大院大の総監督を辞めて、のんびりしようとしていたところに、就任要請があった。フルタイム見られないので、監督は勘弁してくださいと言ったんだが、結局は引き受けることにした。私も現場が好きなので、体が動く限りは現場に携わって、現場で自分のサッカー人生を終わらせたいという気持ちなので、今は母校の監督に就任できて感激してるよ。
―母校の監督ということで、特別な思い入れはありますか?
もちろんありますよ。関学サッカー部を出たから、今日の加茂があると思ってます。たぶん、最後の現場になると思うので、自分の育った母校のために働けるのは、とても嬉しい気持ちでいっぱいですね。
―ご自身から見て、監督・「加茂周」とはどのような人間だと思いますか?
普通の人間ですよ。ただ、私は二流選手だったので、一流のコーチ、監督になるために人よりも努力はしたと思います。
―初めてチームを見た時の印象は?
飛び抜けた選手はいないけど、みんな非常に礼儀正しくて、まじめにサッカーに取り組んでいるという印象でしたね。
―一ヶ月間チームを見てきてどうですか?
特に変わってないと思うけど、1日に2回練習(2部練習)したりして徐々に良くなってきていると思う。いい方向に変わりつつありますね。
―今日の練習試合
(3月2日VS近畿大)を見ての感想は?
一軍は45分だけの出場だったけど、要求することをやろうとしているので、進歩につながると思う。でも、一生懸命やったからといって、必ずしも結果に表れないのがスポーツの世界。根気よくチームのために頑張って欲しいね。常に「前進してやろう」という上昇志向がないと、強くはならないから。
―メンバーなどは固まってきましたか?
ある程度は固まってきたけど、これから色々なテストをして決めていきたいと思う。100人前後いるメンバーの中から戦える選手をピックアップしていきたい。今のところ、気迫十分で練習してくれているので、戦えるチームに出来るという印象は持っているよ。
―これからどのような指導をされていきますか?
普通に当たり前のことを当たり前にするだけ。私は、フィールドに入れば“自分が一番気合いが入っているんだ”といつも自分に言い聞かせてやっている。チームに入ってきた選手が進歩する手助けをするのが、自分の役割だと思ってます。
―最後にサッカー部の目標を聞かせてください。
最終的な目標は、大学の中でナンバー1になることだね。まず今年は、春季リーグ戦では昨年2度経験した入れ替え戦を免れること。そして、秋季リーグ戦では3位以内に入って、大学選手権に出場させることを目標にやっていきます。
◆プロフィル◆
加茂周(かも・しゅう)1939年10月29日、兵庫県尼崎市生まれの67歳。兵庫県立芦屋高校卒業後、60年に関西学院大学文学部英文学科入学。在学中よりサッカー部に所属。 ポジションはFW。卒業後、ヤンマーディーゼル(現セレッソ大阪)に入社。選 手、コーチとして活躍した。その後、74年に日本初のプロ契約監督として、日 産自動車(現横浜F・マリノス)の監督に就任。当時神奈川県リーグに所属して いたチームを、6年で日本リーグ1部(現在のJリーグ)に昇格させる。91年 に全日空(横浜フリューゲルス)の監督に就任。95年~97年には日本代表の 監督を務め、98年W杯出場の礎を築く。99年京都サンガの監督に就任。その 後、尚美大や、大院大の総監督を歴任し、2007年より母校、関西学院大学の 監督を務める。
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