05年4月号掲載
「とくダネ!」でおなじみ 大村正樹リポーター 法大生は泥臭く
フジテレビの朝の情報番組「とくダネ!」で様々な事件やニュースを独自の切り口で視聴者に伝える大村正樹リポーター。 生き生きとした姿が印象的だが、その源は一体どこにあるのか。大学生活や仕事、大村リポーターの内面に迫る!
―――法大の社会学部を選んだ理由は?
僕は付属校でね、一高だったの。中学の時成績が悪くて内申書を重視する高校は難しかった。だけど数学と国語だけはよく出来たんだ。そこで受験案内を見ていたら「法政一高」がパッと目に飛び込んできたわけ。一高は3科目試験の一発勝負だけで結果がでる学校だったの。大学受験をするのが嫌だったから、僕が行けるレベルの高い高校で受験しなくていい学校は一高しかなかった。それで無事受かって実際一高に入ったら、やれば出来るんだけどあまり勉強しなかったから僕実は二部も行けなくて。3年の最後のテストで全部95点以上とって文学部と社会学部の選択肢ができた。社会学部は当時多摩キャンにできたばかりであまり人気がなかったわけ。僕多摩の三期生だからね。それでギリギリ入れるところが社学だって・・・っていう理由。あと一人暮らしがしたかったの。
―――法大に入学、大学の印象は?
こんなおもしろいやつ等ばっかりなのかって思ったわけ。だってさ本当にさ馬鹿野郎と真面目な奴のギャップが激しいんだ。あとは大学はゆるいな―って思ったわけ。恥ずかしい話なんだけどさ、僕授業とか全然出てなくて。ゼミだけは一所懸命やってた。でもちゃんと単位だけは取れちゃうんだよね(笑)。ところがたまーに出る講義の内容はしっかり覚えているんだ。今にして思うとたまに授業に出たのがインパクトとしてはね返ってきて社会に出てからも役に立ってる。それ以外にも大学で学んだ事はね、生きる知恵を学んだかなって思うんだ。すごく素敵な先生達との出会いとか。それを生かすも殺すも自分だよね。媚を売る必要は無いけど教授とか学校関係者とか友達にいかに印象に残る4年間を送るかによってその後の人生の絶対プラスになるわけだよ。
―――学生時代に一番印象に残る思い出は?
稲増ゼミかな。やっぱりあの先生との出会いはすごく大きくて。自分の中では今目上の人で目標である人がいてさ、小倉(智昭)さんであり、稲増先生であり、笠井(信輔)さんなんだけどね。稲増先生は当時からすごい先生で今の自分を比べるとその当時の稲増先生をまだ抜いてないわけ。ものの見方とかニュースの切り口。やっぱり先生みたいな人は目標でもある。
―――稲増ゼミを選んだ理由って?
僕も知らなかったんだよ、稲増ゼミを。そしたら友達に稲増ゼミはみんなが狙ってて入れればエリートって言われるって聞いて受けたの。当時は3倍位だったかな。
―――サークルは入ってたんですか?
スキーとテニスのサークルに入ってたんだけど一年で辞めた。意味がないなと思って。その代わり、若い時に何かやってたのを残したくてオートバイで日本一周したけどそれは就活にも役に立ったね。
―――もし大学生をもう一度やるなら何をしたいですか?
あまりにも僕の学生時代は良かったから、もうそれ一回で良かったと思うよ。振り返ってあーしたいとか考えてたらその人の学生時代が失敗だと僕は思う。
―――じゃあ、学生時代後悔してることはないのですか?
1点だけ言うとね、もう少しゆとりというか留学すれば良かったかなって思う。その時は早く社会に出なきゃって自分の中で決まってて、そこは少し反省点かなって。まあけど卒業してからも留学できるからね、法政大学で後悔はやっぱりないな。
―――大学生活の中で「今」の自分の為になっていると思うことはありますか?
好奇心を培ったっていうのがすごく大きかった。オートバイ乗って八王子の大垂水峠を攻めに行ったり奥多摩に行ったり綺麗な景色を観るために長野に行ったり。ふと心を洗いに行く時間だったり、あるいはニュースで事件現場を見て、すぐ何時間後にその現場に行く好奇心を僕は持っていた。その好奇心は八王子で培ったんだと思うよ(笑)。
―――大学時代の目標は「今」達成できましたか?
大学時代はリポーターが目標ではなかったからね。ただひとつ驚いたのは大学時代イメージしていた30代後半と、今自分が実際なってみると驚く程充実してて歳はとってないかな。まだまだ伸びる可能性があるかなって思う。人間さ、どっかで自分ができあがっちゃったとか勘違いしちゃう人がいるんだけど、そうすると歩みが止まっちゃうんだ。絶対どっかに余地を残すのが大事で。その余地を埋める為に毎日ハツラツとね、頑張ろうと思ってる。
―――アナウンサーになろうとしたきっかけは?
僕ね、アナウンサーになろうとは思ってなかったの。明石家さんまさんの「男女七人物語」っていうドラマを観て旅行会社に憧れてツアコン(ツアーコンダクター)をしたかった。ところが稲増先生に自主マスコミ講座のアナウンサーコースを勧められて。僕は自主マスの一期生にあたるんだ。それで実際、鹿児島放送のアナウンス部に就職が決まって、高校野球大会の実況をしたり、台風が来た時などの中継リポートしてた。けど段々と自分の仕事に疑問を感じてきていたんだ。台風のリポートなのに前もって準備された原稿を読むのはおかしいとか。中継しているその瞬間の状況を伝えなければいけないのに。僕は元々決められた原稿を読むのは好きではないんだ。そこでフリーアナウンサーになろうと思い始めた。三年やって僕は鹿児島放送を辞めるんだけど、丁度その時期にフジテレビの番組がリポーターを募集してて。経験者しか応募資格がなかったから人数は限られる。これは受けるしかないと思って受けたんだ。もう仕事は辞めていたから、それに合格していなかったら今頃どうしていたんだろうね。崖っぷちの思いで試験を受けたよ(笑)。
―――アナウンサーをやっていて大変だった・良かったと思う出来事はありますか?
大変というかね、最近の出来事で言うとスマトラ島沖地震。取材で現地に行ったんだけど、死体がそこら中に転がってるんだよね。あの地震で30万人程度の人達が亡くなったと言われているけど、必ず亡くなった人がいればその人を生んだ親がいて、おじいちゃんおばあちゃんがいてあるいは子供がいて孫がいるわけでしょ。そう考えれば30万×10位の人に影響があった位の地震だったと思うのね。で、その時に一番思ったのは人間の命は儚いわけだから最後の瞬間に自分の人生を振り返って後悔はしたくないし、いい形で最後を迎えられたらいいなって思ったんだ。どこで何があるかわからないから一所懸命毎日生きようって。価値観が変わった。この出来事が嫌な事でもあり、自分の教訓というか今後日々の年齢を刻む毎に構築しようと思ったのが最近の出来事。やって良かったと思うことは、色々な意味で人を傷つけているんだよ、僕らは。やっぱりマイク向けられて喜ぶ人は多分十人に一人位かな。基本的に嫌な取材に行く事が多いから、その時にこの人にマイクを向けて次の日自分が喋った事がテレビでどう放送されるかこの人は不安だと思うんだ絶対。それで終わった後で大村さんの取材を受けて良かったという感想を持ってくれる人がこれまでで何人かいたんだ。僕が取材に行って持ち帰ったその材料をスタンドでディレクターが編集して…僕が出る事によって何十人の人達が関わっている。僕は橋渡し的にスタジオにそれを渡す代表なわけだ。その時に結果的にどんな悲惨な事件や事故でも放送されてその当事者が救われればね、それがまあレスポンスとして手紙とか電話とか頂くとすごく嬉しい。でもそれは100回行って1回あるかないかだね。
―――マスコミという大きな世界に自分はいるんだと感じる瞬間はどんなときですか?
一流の人に会った時かな。僕の中では中田英寿とイチローに会った時は感動した!
―――「とくダネ!」では様々な事をリポートしていますが今までで一番印象に残ってるのはどのリポートですか?
イラクと北朝鮮の現地取材だね。イラクでの出来事は本にも書いてあるけど、どちらも命の危険を感じた。パスポート取られた時もあったしね。生きて帰れないかもと本気で思ったよ。
―――今後の具体的な目標はありますか?
"情報プレゼンター"っていうのはフジテレビが与えてくれたひとつのポジション。僕の職業はリポーターだけど「情報プレゼンターの大村です」って風にそれ程この仕事を確立したい。その第一任者になりたい。最終的には、自分の立場が変わっても経験を生かして別の形で司会者になっていきたいな。
―――今の大学生に必要なものは何だと思いますか?
みんな粘り強い?わかんないけど執着心がないような気がするんだよね、今の子って。一回きっかけを掴んだら心でも離さないぞっていう風な気持ちは大切だと思うの。僕は出会った人とかチャンスは絶対に神様が与えてくれたものなんだって日々思ってるんだけど、それをやっぱりものにするエネルギーというかバイタリティー・・・今の子には少ないと思う。一期一会だからさ、自分が生きていく中で支えてくれる人たちがいっぱいいるわけで、その人達と何年かして笑って思い出に浸るのも大事だと思うし、君たちの人生の中で誰か第三者が関わってきたらそれは生かしながら最後は笑うって決着を常に大事にしてほしいな。
―――では最後に新入生へ向けてひと言お願いします。
入学おめでとう。大学四年間の中の自分の時間でふりーな時間は人生の中で大学時代が一番多いと思うんだ。それを好奇心の育成に当てる時間してほしい。色々選択して目を養うことに積極的になってほしい。自分の時間を大事にして、法政らしく泥臭く生きたらいい。そんな風に大学生活を過ごせば、きっとうまくいくよ。僕のよにね。(笑)
楽屋に入った瞬間、そこには毎朝テレビで観る爽やかな大村スマイルがあり、大村さんの話は冗談も交えながら聞き手を全く飽きさせることがない。その魅力に私達もすっかり引き込まれていたのだった。
後日、大村さん本人から私達の元に本が届いた。大村さんが書いた本だ。イラクの事が判りやすく記されていてとても読みやすかった。
お忙しい中、取材にご協力頂きました大村さん、並びにお世話になったマネージャーの大橋さん、潟rー・ブレーブの方々へこの場をお借りして感謝致します。誠にありがとうございました。私達4人は大村さんと出会い、とてもいい刺激を受けました!スポーツ法政新聞会一同、更なるご活躍を期待しております。
【特別取材班】聞き手 坂本洋子 鎌田真一郎 大前悠太郎 カメラ 川田智子
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