02年4月号掲載

4月号恒例!スポ法OBインタビュー
埼玉で育ち、横浜を愛す!水沼貴史W杯を語る!


 水沼貴史―ワールドカップを語る。
日韓ワールドカップ開催の記念すべき年にスポホウOBインタビュー初登場!埼玉で育ち、横浜でプロ生活を送った水沼さん。奇しくも、埼玉は日本第一試合目のベルギー戦、横浜は夢の決勝戦の舞台となった。
 サッカーどころを渡り歩いた男が、ワールドカップヘの想いを今、語り尽くす。


浦和

―――サッカーを始めたきっかけは?
 僕は出身が浦和なのね。浦和は今レッズがあるけど元々サッカーがさかんな町だったのね。小学校の練習で、今でいうポールボーイのようにボール拾いしてたのが僕らの遊ぴだった。練習終わったら、一緒に入れてもらってたよ。
―――高校は名門の浦和南ですよね?
 今年選手権に出れたから名前を知ってくれた人もいるだろうけど。それまでは昔強かったけど「浦和南ってどこ?って感じだったよ。
 初めて国立競技場で試合した時は感覚が違った。スタンドがせり上がってたり、ゴール裏がすごく広かったりして慣れるのには苦労したよ。
 卒業してから、自分の学校を応援しに行くのが夢で、大学生の時に一回あったんだけど、それ以来だからすっごく嬉しかった。やっぱり気持ちは入っちゃうね。
―――法大を選んだ理由は?
 大学でやりたいサッカーがあって、例えば個人技を生かしたやつとか。高校の時に、大学の遠征にも一緒に行ってて、その時法政の人が多かったってのもあるね。今神戸で監督やってる川勝さんとかもいたよ。
―――サッカー部での思い出は?
 何と言っても寮生活!ひどい寮で、初めて入った時はホームシックになるぐらいだった。夏は暑いし、冬は寒い。カプセルホテルみたいで大変だったよ。

横浜

―――日本リーグ時代の思い出は?
 日本リーグはプロではなかったけど、その当時では日本最高のリーグで、そこでやりたい、それが日本代表につながるなってずっと思ってたよ。
 大学生の時に、どこの企業に入ろうかってすごく悩んだのね。その時は会社に入るわけだから就職なわけだよ。サッカーは限られた時間しかできないし、会社に残ってどういう仕事をしていこうかなってことまで考えたね。ただ、会社に残るにせよ、やりたいサッカーをやらなかったら会社に残ってもたぶんおもしろくたいだろうなって。いろいス考えて日産に入ったけど、僕は二年経って契約選手になったから、会社には二年で行かなくなったんだ。
―――93年にはJリーグが開幕しましたね。
 タイミング的には非常に良かったね。もっと前に始まればって言ってくれる人もいたけど。自分の中では30歳まではやるっていうのがあった時に開幕が決まったから、もう3年がんばろうっていうモチベーションを与えてくれたよ。
―――開幕のヴェルディ戦の雰囲気は?
 全然違うよね。自分たちが所属しているチームが満員の中で試合できるっていうのは、涙が出たし、そこに自分が立てる喜ぴと自分たちがやってきたことが認められたっていう思いで一杯だった。  自分たちのプレーを見て感動して、勇気をもらってくれる人がたくさんいるっていう幸せを感じられる舞台だったね。
―――引退を迎えた時は?
 3年目の時に、半年の契約にしたんだ。半年で自分が結果を出せなければやめるっていう覚悟でいて。開幕戦に出場した後は、監督の交代や若手も伸ぴてきたりして出れなかった。でもその年はチャンピオンになれた。自分が1試合でも貢献できたし、優勝して良かったという思いもあり、一方、今の仕事の話も頂くようになってたから、やめようとも思ったんだ。

W杯

―――いよいよ今年はワールドカップですね。
 埼玉と横浜、決勝をどっちでやるかってのはすごい複雑だったのね。自分の生まれた町で決勝やるのと、自分が今住んでる町ですぐそこで決勝やるっていうので。これは悩んだよね。俺が悩んでも仕方ないんだけどね(笑)
―――日本戦の予想をして頂けますか?
ベルギー
 初戦はカギだね。日本は最初から120%のコンディションでいっていいと思う。120ぐらいじゃないと勝てない相手なのよ、W杯の舞台だと。絶対に力を抜いて勝てる相手なんていない。でもベルギーには勝つ!大きな選手ばかりだけど。
ロシア
 ベルギーよりテクニックが高い。中盤もそろっているし、国際経験も豊富だからね。チームとしてまとまりはあるけどキレやすいね。だから、いらだたせていくようなDFをしていくことかな。
チュニジア
 ここに勝負がかかる可能性が大だね。DFは甘いと思う。高いけど遅いね。でもジャマイカの二の舞もあるから注意しないと。
―――決勝トーナメントに行く可能性は?
 普通に考えて日本は前回のW杯で勝ち点O、得点1、1勝もできてない。まず2点とろうよとか、1勝しようよとか、そういう目標になってくるかもしれない。よく言われるのは、開催国は予選敗退がない。それはそれ、そういうことじゃなくて、日本の今のチームカ、サポーターの応援、相手がベルギー、ロシア、チュニジア、総合的に考えて、決勝ラウンドに行く可能性は51%。でも、この1%は、とてつてもなく大きな1%なんだよ。
―――今回は韓国との共催ですね。
 僕らの中で韓国ってのは永遠のライバルで、いつも僕らの上には韓国がいた。でも、歴史的背景とかを勉強してみると、まだわだかまりとかもあるだろうけど、今回のW杯を手を組んで一緒にやるってことで、一つきっかけ作りができると思う。お互いがアジアのリーダーとなって、アジアを強くしていこうってね。今回W杯をやったから良かったねじゃなくて、これからが大事なんだ。
―――解説業は難しいですか?
 難しいね。僕は嫌いじゃないけど。テレビを見る人にはいろんな人がいるから、どうやったらわかりやすく解説できるかいつも考えてる。
―――『スーパーサッカー』等のTV出演も多いですね。
 雰囲気はとっても良いね。加藤浩次は、わからないことはわからないって言うし。自分がサッカーやってたって前面に出さないしね。(白石)美帆ちゃんが何言ってんのって時にも二人でつっこめるっていう役割がはっきりしてきたね。
―――休日は何してますか?
 子供たちとサッカーはするよ。仕事で家をあけることが多いから、家にいる時は良きパパでいたいね。もちろん子供たちだけじゃなく家内にも。家をあける時は家内一人で頑張らなきゃいけない時問が多いから。デートとかするからね俺。港北とかでショッピングとか。俺もそういうの好きなんだよね。(笑)

メッセージ

―――法大生へ最後にメッセージをお願いします。
 大学生活は、僕は学生として楽しんだってのがなかったから、大学生である以上、勉強もバイトもそうだし、社会勉強はしてほしいね。時間はあるだろうから、社会に役立つ何かを見つけてほしい。僕もサッカーやっていて四年問努力したことは無駄じゃなかったし、ましてや4年で2部に落ちて、最後の一年を2部で過ごすことになったのは、結構大きい影響あったんだよね。何とかしなきゃと思って、総理大臣杯も優勝できたし、1部にも昇格できた。自分にとっては大きな一年だったよ。そういう時を四年問の中で見つけてほしい。


編集後記

 一期一会―取材を通して出会う人たちが発する言葉はいつも印象的だ。
 水沼さんはJリーグ開幕のピッチ上で、人から必要とされる幸せを感じたと言う。
 「自分がやってきたことが認められるって幸せだよね」。
 経験に裏打ちされた先輩の言葉を自分への糧としていきたい。
 お忙しい中取材にこ協力頂きました水沼さん、誠にありがとうこざいました。さらなるこ活躍を期待しております。

(取材班 鈴木 優介・斉藤 修一・稲葉 聡)

◇水沼貴史(みずぬま・たかし)1960年5月28日・埼玉県生まれ。浦和南高を卒業後、法政大学法学部へ。大学時代は、4年時に主将を務め、総理大臣杯優勝、一部昇格へとチームを導いた。  83年卒業後、日産に進み、日本リーグでは161試合33得点。86年〜87年シーズンでは17アシストでアシスト王を獲得。この記録は日本リーグにおいて歴代1位。  Jリーグ開幕年から横浜マリノスでレギュラーとして活躍。通算42試合5得点。  引退後は、解説者として、お茶の間の人気者に。TBS「スーパーサッカー」、「ジャスト」、TVK「キックオフF・マリノス」等に出演。  家族は妻に一男一女。


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