ノーサイド 02'12月号

 「子供の頃の夢は何でしたか。まだ、その夢を持ち続けていますか」。ある企業から届いた就職案内にそのキャッチコピーは書かれていた▼流行りの「ズッコケ三人組」シリーズに触発され、友達と探偵団を作って遊んでいた少年時代。幼心に夢見た新聞記者、控えめな性格ながらも好奇心はあったのかもしれない▼このスポーツ法政新聞会に入部したのも何かの縁か。入学して初めて新聞を手にした時、カラー紙面がビビットに私の心をとらえて離さなかった。以来、どっぷり3年間つかってしまったものだ。取材場所がどこであろうと飛んで行った。自分の目で見なければ気が済まない、そんな好奇心が原動力だ。夢を追い、戦う熱き選手達の傍らで私も夢を見ていた。一サークルに過ぎないかもしれないが、私はまぎれもない新聞記者だった▼今思えば、自分が輝ける場所だった、ここは。もちろん楽しいことばかりではない。営業回りで突きつけられる現実に辛い思いもした。しかし、そんな時、腹をわってぶつかって来てくれる友の存在が私を支えてくれた。時間を割き、一緒に考えてくれた。お互いが良い刺激となり、切磋琢磨できた。掛け替えのない友に感謝する▼このペンを置けば私の夢も終わりなのか。カウントダウンの足音に、満足と寂しさの多少入り交じる思い。胸を張って卒業しよう。夢の目覚めは良いようだ▼ここには夢がある。「あなたは夢を持ち続けていますか」。
(鈴木 優介)

ノーサイド 02'11月号

 「一流」と呼ばれる人々がいる。その言葉は与えうる最高の賛辞であろう。だが、その誇るべき勲章を得るまでに、凄まじい努力があったことは想像に難くない▼以前スピードスピードの清水宏保選手に関する本を読んだことがある。そこには、自らの体を極限まで鍛え上げて「人間の身体の限界」に挑む姿が描かれていた。その中でも特に印象的だったのが、トレーニングは筋肉だけでなく、脳も変容させなければ意味がないという記述だった。彼は肉体だけでなく、脳も鍛えることができるという▼「一流」のアスリートのいうことはやはり違うな、と思う。ただ私は、彼の言葉を頭で理解できても、感覚として理解することはできないだろう。それは彼の感じている世界と私の感じている世界が違うからかもしれない。彼の世界を表現するためには、言葉は不自由すぎる▼だが言葉は不自由だからこそ、尊いものだ。この「感覚を言語化する」という行為の難しさを、私は今までの取材を通して実感してきた。それと共に、選手が自らの内にある感覚を表すために考え出す、独特の表現にいつも感銘を受ける▼私はその言葉を大切にしたい。記事を書くときはいつも、選手の言葉を最大限に活かしたいと考えている。しかしそれがなかなか難しい。言葉の奥に隠されたその感覚を伝えられるような「一流」の記者に私はいつかなりたい。 
(外山 功)

ノーサイド 02'10月号

 「変人」。これは小泉首相ではなく、今や日本で一番有名なサラリーマンで、ノーベル化学賞に輝いた田中耕一氏(43=島津製作所)の代名詞である▼田中氏が一躍「時の人」となったのは、ごく普通のサラリーマンがノーベル賞を受賞し、しかも自分を飾らずありのままの姿を日本中にさらけ出したからだろう。彼は管理職への昇進試験を拒み、自分のやりたい研究の道を選んだ、いわゆる「変わり者」である。管理職になれば高収入が約束されていたにも関わらず、安月給の主任として自分のやりたいことを貫いた▼自分の好きなことなら、誰しも没頭し、努力を重ねる。そして時にはその道を極めることだってできる。「好きこそ物の上手なれ」という言葉そのものだ▼とは言うものの、苦しいがやりたいことと、簡単で楽なことがあるとすると、人は楽な道を選択しがちである。その場の流れに身を任せ、安易に物事を決めて後悔したことはないだろうか。私の場合「楽」の向こうには空虚な時間と後悔があった。逆に「苦労」の向こうには楽しさや喜びがあった▼たまには迷い、悩むことも必要だ。空虚な「楽」を選ぶより、苦労の詰まった「楽しい」を選んだ方が、未来の自分は輝くはずである▼もちろん全てに於いて困難に立ち向う必要はない。また、田中氏のように自分の選んだ道で大成することは、稀なことかもしれない。しかし、たとえ報われなくても、自分の中にやり遂げたという達成感と自信が必ず生まれるはずである▼だから私は、譲れないこだわりの中では妥協したくないし、がむしゃらに頑張りたい。今の自分に後悔しないために。
(小田桐 由紀)

ノーサイド 02’6月号

「汝の敵を愛せよ」との教えがある。かつてのライバルを称えることは勇気がいる。しかし素晴らしいことだ。敵から友へ。喜びを分け合う関係になれる▼5月31日、日本・韓国共催によるサッカーW杯が開幕した。この大会は、2カ国共同開催という新たな試みが注目されていた。そして、開催国に選ばれた日本。我々日本人は喜びに沸いた。と共に「韓国と日本の協力」という事実が驚きを与えたに違いない▼地理的には3時間もあれば渡って行ける国、韓国。毎年多くの日本人観光客が訪れている。しかし韓国には、日本に対する複雑な感情がいまだ渦巻いている。そのため日本のメディアは韓国をこう呼ぶ。「近くて遠い国」と▼日本と韓国の間には、戦争という暗い過去がある。韓国には侵略された記憶が根強い。歴史教科書、靖国神社参拝など日本と折衝する問題もある。しかし両国はW杯の協力を約束した。日本の青と韓国の赤。2色は対照ではあるが、互いに鮮やかに引き立つ▼韓国と日本が本当の意味での「近い国」になる日はいつか。それは遠い未来ではないと信じたい。新たな歴史は、友好を土台としたものであって欲しい。▼日本と韓国の活躍に両国が熱狂したW杯。このW杯が力強い後押しとなることを願う。更なる喜びを分かち合うため。
(市川 希美)


ノーサイド 02’4月号

都会を彩った桜が春風を強請る。一時の美を誇り散る桜に、人の心は躍る。その魔法に女は希望に胸が膨らみ、男は違う所が膨らむ▼今年もこの季節がやってきた。今回スポ法は新入生歓迎号。「おら東京で一旗挙げてやるだよ。東京タワーば100万ルピーで買い上げるばい」なんて考えているアバンギャルドな一年生が今年も大勢入ってきたことだろう。かく言う私もいなかっぺ。国後島から東京に来た時はオヤジの尿切れの悪さには大変驚かされた▼春は人々に魔法をかける。殊に新入生は簡単にこの魔法に掛かるだろう。新しい環境で後から考えると死にたくなるほど恥ずかしいことをしてしまう。春の魔法は人々を一時の変身願望に駆り立てる▼桜の季節は本当に美しい。日々のリアリティーから我々を遠ざけ、日常に心地よい風を吹きこむ。私の四半世紀にも及ばない短い人生を振り返っても、この季節の記憶は美しい。少しの恥じらいと、香りまで鮮明に思い出すことが出来る。それは春の美しさに魅せられた、桜のように儚い、一時の美しい思い出であったからなのだろう。▼この季節を無理して楽しむ必要なんてない。自分なりに一歩一歩進めばよい。きっとそれが美しい記憶になるはずだから。
(武田 教秀)


ノーサイド 02’2月号

人は誰でもコンプレックスというものを持っていると思う。特に気にしているところを他人から言われたりすると、深く傷ついてしまう人もいる▼「ビューティー・コロシアム」という番組がある。容姿に悩みを持った女性がきれいになることによってコンプレックスを克服し、自信を取り戻すというものである▼テレビで見ている限りでは、そこまで深刻に悩むほどのものかと思うくらい普通の女性が登場している▼私にもその女性たちの気持ちはとても理解できる。女性には周りの人からきれいに見られたいという気持ちは少なからずあると思うからだ。何がきっかけでコンプレックスが生まれるかわからない。そしてそのことが、今まで明るかった表情を急に暗いものへと変えていくことさえありうるのだ▼内面は人の顔を映し出す鏡である。しかしその逆もある。ただ美しくなるのではなく、容姿を美しくすることによって、内面を変えることができるのだ。人は外見ではなく、中身が大事だとよく言われる。しかし心が顔に表れるというのならば、やはり外見で判断するのは正しいのではないかと思う。それでだまされている人が大勢いるのは事実だけれど。
(中山 明子)


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