ノーサイド 01’12月号

日韓で共催されるサッカーのW杯開幕まで半年をきった。多くのサッカーファンがわくわくしていることだろう▼W杯のように、国と国が戦う試合を見るのはとても面白い。戦い方に、その国のメンタリティがよく表れてくるからだ。例えぱイタリア。国民の目が厳しく、常に結果を求めるので、負けないサッカーをしてくる。「カテナチオ」といわれる鉄壁な守備陣はその象徴だ▼これに対しスペイン。サッカーはエンターテイメントだという考えを持っている。従って、細かくパスをつないだスペクタクルなサッカーを見せてくれる。これ以外にも様々な国のメンタリティを垣聞見ることができ、楽しみがつきない▼一方、プレーする選手達は大変だ。国民の期待を一身に背負って夢の舞台に立つのである。相当なプレッシャーを感じるに違いない。特に開催国の日本と韓国の選手はなおさらだろう。アジアでの開催はW杯史上初めてであり、開催国が予選落ちしたケースは一度もない。こうした見えない敵とも戦わなければならないのだ▼国際サッカー連盟FIFAに加盟する国は204に及ぷ。これは国連加盟国をも上回る。ポールーつさえあれば誰でもできるのがサッカー。それゆえに多くの国の人々がサッカーに熱狂するのだろう。各国の意地がぶつかり含うW杯。今から開幕が待ち遠しい。
(斉藤 修一)


ノーサイド 01’11月号

「指導」から「援助」へ。最近、文部科学省ではこのような指摘が盛んに行われている。子どもに対して決まったことを導いていくのではなく、子どもを自由に考えさせ、興味を持ったことに対してアドバイスをして支えていくような教育に、というものだ。この議論の是非に対して様々な意見が飛び交っている。しかし、実際にこの教育方法を確立させ、成功を収めた人物がスポーツ界に存在した▼今年の日本シリーズを4勝1敗で制したヤクルトスワローズ。監督の若松勉は選手を束縛することなく自由に育て上げた。不振でも使い続け、困った時だけ声を掛けた。選手に責任感を与え、「考える事」を習慣付けさせたのだ。そして日本一を手にした▼誰かを成長させるためには、いかにしてその人物に考えさせるか、が重要だと思う。他人から結論を導いてもらってもインパクトが足りない。だから課題を与え、どうすれば良いかを考えさせる。そこから自力で何かを見つけ出した時の衝撃は一生消えない知識となり得るだろう▼そのためには与える課題がその人物にとって興味のあるものであり、面白いと感じるものでなくてはならない。すなわち教育者は様々なベクトルの考え方を示せる指揮者であることが望まれる。そうすればより一層、「援助」式の教育方法は実を結ぶはずである。 
(蔵方 佑介)


ノーサイド 01’10月号

近頃、日を追うごとに涼しくなってきた。いよいよ秋本番といった感じである。私たち日本人は、古くからこの秋という季節を最も好んでいる。歌人たちはこの美しい季節を歌に詠み、それぞれの思いをつづってきた。▼その中に、古今和歌集の歌人のひとり、紀貫之が詠んだ「見る人も なくて散りぬる 奥山の 紅葉は夜の錦なりけり」という歌がある。真っ暗な山中で散っていく紅葉の様を、一人で見ていることが寂しくて人恋しいと詠んでいるが、秋はまた美しいと同時に、悲しい季節でもあるのだ。また、貫之はその古今和歌集の序文で、人間の感情はすべての詩歌の源であると述べている。▼そう思えば渡した手が普段発している言葉も、人間の感情が源と言える。自分で考え、自分の口で喋っているのだから当然といえば当然なのだが、最近このことを皆が忘れているような気がする。▼私も、思わず発した言葉で人を傷つけたことが多々ある。言霊思想という考えがある通り、言葉には魔力がある。「口は災いの元」という諺もしかり。▼だが、言葉とは悪い面ばかりでは無い。時に人を救ったり、幸せにしたりもするのだ。周りから温かい言葉をかけられ、励まされた人も多いだろう。私も、誰かに温かい言葉をかけられるようになりたい。
(西岡 良修)


ノーサイド 01’6月号

名画座の未来▼映画館、特に名画座の行く末が険しいと言われて久しい。日本を代表する名画座である銀座の並木座、池袋の文芸坐が消えたのは記憶に新しいところ。その文芸坐が昨年12月に新文芸坐として復活した。良質な日本映画に飢えていた私はこの復活劇に胸躍らせた。オープニング記念として催された企画が「戦後日本映画〜時代が選んだ86本〜」▼そこで初めて観たのが黒澤明の「生きる」。一人でビデオを観たとき感動したが決して笑える映画だとは思わなかった。しかしここで観たときまわりの客が声をあげて笑っている。よくよく観てみると実におかしい映画。劇場で観たことによってこの映画をより深く味わうことができた▼「Love Letter」では切ない気持ちになり、「男はつらいよ」で寅次郎に憧れた。この特集の最終日に「ゆきゆきて、神軍」を観て絶句。5月の大島渚特集で観た「絞死刑」には難解な問いを突きつけられた▼洋画も観る。「ザ・カップ」「アンジェラの灰」で異国を知り「マルコヴィッチの穴」で頭が痛くなり「ダンサーインザダーク」で悲しい気分になった▼映画が娯楽の王様でない今、一度消えた映画館が復活したことは喜びと同時に驚きでもある。これを機に映画館に希望の光が差せばよい▼映画はやはりスクリーンで観るもの。大画面、大音響で名画を浴びる。ビデオでは感じることのできないこの感覚。これこそが映画館で観る映画の醍醐味なのだ。   
(庄司 岳史)


ノーサイド 01’4月号

 ずっと応援してきたチームに廃部の噂が飛び交った▼ここ2年で20チーム。大手企業運動部の休部・廃部が後を絶たない。日本スポーツ界の中心を担う企業スポーツ。だが、会社の業績一つでチームの命運が左右される現状。「名門」と称されるチームでさえもリストラの格好の餌食となってしまう。学校やOBが支えるスポーツとは別世界。莫大な運営費を用する運動部の存在が曖昧なものとなりつつある▼しかし、株式会社ブレイザーズサポーターズクラブ(以下BSC)小田事業部長は語ってくれた。「たしかに潰すのは簡単。でもそれでは何も始まらない」▼BSCは名門新日鉄バレー部が昨年12月、生き残りを賭けて地域密着型のクラブチームとして生まれ変わった。これまでのバレー部の活動に加え、新日鉄堺既存の体育施設の解放や選手によるバレー教室の開催、さらにはジュニアチームの設立を通して地域のスポーツ振興とバレーボールの底辺拡大を図る▼歴史、そして未来あるチームを簡単に潰して欲しくない。・・・そんな多くのファンの熱い想い、選手の尊厳、さらには日本のバレー界・スポーツ界といったあらゆることを視野に入れ、熟慮されて誕生したのがBSCであった。今まさに、転換期と呼ばれる企業スポーツにBSCは一石を投じた▼手前味噌かもしれないが最高の構図だと思った。いちブレイザーズファンとして、そしてスポーツファンとしてBSCの今後の飛躍を期待せずにはいられない。
(奈良輪 織恵)


ノーサイド 01’2月号

 「HERO」というドラマが流行っている。木村拓哉演じる型破りな検事が次々と事件を解決していくというタイトル通りヒーローもののストーリーだ▼ドラマは虚構の世界のものであり、いくらでも誇張が可能である。しかし、片や一方現実の世界にもヒーローは存在するのだと実感させられた出来事が起きた▼1月26日、JR山手線・新大久保駅で線路に転落した男性を助けようと、ホームから男性二人が飛び降りたが、三人とも電車にはねられ死亡するといういたたまれない事故が発生してしまった▼助けに入った二人と転落した男性は面識がなかった。彼らのとっさの判断を勇気、正義と呼ばずに何と呼ぼうか。簡単にできることではない。自分の命も顧みずに、勇敢に救出に向かった態度に脱帽させられた。お二人には心から敬意を表し、ご冥福をお祈りすると共に、ご家族にはお悔やみ申し上げたい▼私は東京に出てきてもうすぐ一年になるが、当初東京は冷たい都会(まち)だと感じていた。あふれるような人の波が足速に行き交う光景からは何かギスギスした圧迫感を受けた。こんな密集した中で、誰かが倒れようとも誰も気づかず、助けてくれないのではと▼だが私の考えは所詮、先入観に過ぎなかった。この東京には、強い勇気を持った優しい英雄(ヒーロー)がいた。そして他にもまだたくさんいるはずだ。そのことを教えてくれた彼らのことを私は絶対に忘れない。                     
(鈴木 優介)


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