2005年05月31日
1年限定、条件付きカートが出発点:山本左近
ど~も~! みなさん、はじめまして。山本左近です。
僕は今年、フォーミュラ・ニッポンというF-1と同じような形をしたタイヤがむき出しの車のレースと、スーパーGT選手権という市販車をベースにした車のレースと2つの種類のレーシングカーに乗って、レースを闘っています。フォーミュラ・ニッポンのほうは、あの近藤真彦監督のチーム「コンドーレーシング」から。またスーパーGTのほうは、このブログでお馴染みの中里さんがいる「トヨタ チーム トムス」というところから出場しています。

今回は初回ということで、月並みですが、まずは、何故僕がレースを知り、レースを始めたか?という事について書いてみようと思います。
僕が小学校に入るか入らないかぐらいの年齢の時に、当時からレースが大好きであった母親と姉らに、鈴鹿サーキットまでのF-1観戦に連れて行かれたのが、レースを知るきっかけとなりました。その時、受けた衝撃ってのは、本当に大きかったですね。まず、F-1カーが目の前を一瞬にして走り抜けていくあの強烈なスピード、さらにそのスピードと共にやってきて耳だけでなく、体をゾクゾクッと刺激する甲高いエンジン音、またエンジン音だけでなく、車が空気を切っているために起こる風圧など、僕にはその刺激が強すぎて、指定された座席なんかに座っていることができず、最前列へ行き、金網にへばりつきながら、あっという間に駆け抜けていくF-1の、レーシングカーの魅力に引き込まれていました。
それがきっかけでレースという存在を知り、好きになって、すぐレーシングカートを始めたかと言えば、そうではありませんでした。まず、家族に誰一人としてレース関係者がいず、僕がレースをしたいっと言っても、そんな危ないものはさせれない、お金のかかることだからダメ、そんなこと言ってる暇があったら勉強をしろ! っと、いとも簡単に却下されていた環境でした。母親はレースが好きだったのは間違いないですが、それはあくまで観戦しているのが良かったのであって、自分の息子にはさせないっと考えていたようです。だから遊園地などに行ったとき、僕が真っ先に飛んで行ったのは、ゴーカート乗り場でした。そこにしか、僕が乗ることを許された車はありませんでした。例え、そこにレールがあったとしても、乗れることが嬉しかったのです。
それから何年して、レースってカッコイイなー、いつか俺もF-1に乗ってみたいなーっと考えていたある日。レースを専門的に扱っている雑誌「オートスポーツ」にあった一つの記事にこんな統計が載っていました。「92、3年当時の現役F-1ドライバーの中でレーシングカート経験者7割、さらにその中でも12歳までにそれを始めたドライバーは8割」。つまり、当時F-1ドライバーになるような人たちは、12歳までにレーシングカートを乗っていたのです。僕は、その時10、11歳だったので、12歳までに始めなければっと真剣に思い、両親に真剣に頼み続けました。1年がかりでようやくカートを乗らせてもらうことができました。ただし、条件付で。
条件とは、「1年間のみさせてあげるという事」と、それと「学校の成績を落とさない事」でした。憧れだったカートに1年間でも乗れるという事実は、当時の僕にとって本当に大きな喜びでした。もうホントにカートに乗れる日が近づいてくると、もうワクワクしっぱなしでした。まるで遠足にでも行くかのように。1994年の4月が、僕の人生にとって、ターニングポイントであったと言っても過言ではありません。
それからちょうど10年経ちました。その後レーシングカートを続けた僕は、地方選手権、全日本選手権を制覇し、高校を出て、大学に入学すると同時に、「チーム トムス」から全日本F-3選手権に出場。その翌年には、ヨーロッパへ渡り2年間ヨーロッパのF-3でレースをしてきて、去年また古巣の「チーム トムス」へ戻り、F-3を闘って、最終戦で優勝。今年は、冒頭にも書いたとおり、2つの種類のレースでそれぞれ国内最高峰のレース、フォーミュラ・ニッポンとスーパーGTに出場できるチャンスをつかむ事ができました。
ずいぶん長くなってしまいました。
本当はもうちょっとくだけたキャラなんですが(笑)、初めて公のブログに書くということで、変に滑ったら寒いなと思い、ウケをねらえず、真面目な文章となってしまいました。このブログでは、交代制ですが、僕のHPのFrom Sakonというところでは、毎週月曜日にコラムを書き込んでいるので、良かったらそちらのほうにも遊びに来て下さい。それでは、また。
May 31, 2005 09:28 AM | コメント (6) | トラックバック (3)
2005年05月27日
中村です。技術系監督です。:中村卓哉
こんにちは、スーパーGTに参戦中のTeam Honda Racing監督の中村です。
持ち回りでスーパーGTに参戦中のドライバー、監督のショートコラムということで今回担当させていただくこととなりました。
スーパーGTの中でもGT500クラスの監督というと日本のモータースポーツ界を代表する元名ドライバーの方やチームオーナーの方が多いのですが、そういう意味では私はかなり稀有な存在かもしれません。
というのも私はもともと設計者として97年よりNSX GTに係わる様になり設計開発作業およびトラックエンジニアを務め、99年より童夢レーシングチーム チーフエンジニア、03年より童夢レーシングチーム監督、今年はTeam Honda Racing監督という経歴ですからタイプ的に分けるとすれば “技術系監督”ということでしょうか。この自称技術系ならではのお話で次回以降スーパーGT NSXを身近に感じていただければと思っています。よろしくお願いします。
1960年12月25日 生まれ
1990年 株式会社 童夢 入社 開発部 所属
1990年~1994年 市販プロトタイプ車開発、F3000車両開発
1995年 童夢F1プロトタイプ車開発
1996年 全日本GT選手権NSX開発スタート
⇒ 一貫してNSX GT車両の開発に従事
現在 株式会社 童夢 開発部 シニアマネージャー S-GT Team Honda Racing 監督
May 27, 2005 03:47 PM | コメント (3) | トラックバック (7)
2005年05月24日
人生の半分はステアリングを握ってます:柳田真孝
皆さんはじめまして、レーシングドライバーの柳田真孝です。これから皆さんに、このブログ通じて少しでもモータースポーツの魅力やレーシングドライバーのことを知ってもらえるように頑張っていこうと思います!

今回は、初回という事で簡単な僕の自己紹介をします。
東京生まれ東京育ちの僕は、父が同じレーシングドライバーという職業でありながら、小学生の時は全く車やレースに興味がなく、クラスのみんなと同じサッカーや野球をやっていました。ところが、中学1年生の時に初めてF1観戦で鈴鹿に行き、マシンのスピードや音がとにかく衝撃を受けました。家に帰ってすぐに父に「カートをやりたい!」と頼み、レーシングカートを始めたのが僕のレース人生のスタートです。最初は趣味の感覚でカートをやっていましたが、高校2年の時にフランスの4輪レースに無償で参戦できるカートのオーディションに合格し、フランスへ行ったのが、これからプロでやって行く! と決めた時でした。
2年間フランスでレースをして、その後日本へ帰国してもレースを続けていました。
そして今年、「SUPER GT」(スーパーGT)という普通に街で走っている車をレース仕様に改造したマシンで競う、いま日本で1番人気のあるレースに出場しています。そのレースに僕は、NISMO(ニスモ)というチームからニッサン・フェアレディZで参戦しています。 と言う訳で柳田真孝は人生の半分はステアリング(ハンドル)を握っていて、レースが大好きな男です。本当に簡単でしたが(もっと詳しく書きたかった!)僕の自己紹介はこの辺で。次回は、「SUPER GT」と僕が所属している「NISMO」について書こうと思います。
では、また次回!
May 24, 2005 09:14 AM | コメント (25) | トラックバック (7)
2005年05月20日
ドラマ「エンジン」見てますか!:中里治

はじめまして。レーシングチームTOM’Sの中里です。
きっと、ドラマ「エンジン」をご覧の方は、マシンのミラーやエンジンカウルにTOM’Sのステッカーが貼ってあるので、見覚えのある方もいらっしゃると思いますが、今回、ドラマ撮影のお手伝いをさせていただいています。
TOM’Sは、ドラマ上の設定では、チームではありませんが、実際には、自チームでレースに参戦するとともに、自社で開発したF3エンジンをチームに供給しています。今シーズンもTOM’Sは、“スーパーGTシリーズ”と“全日本F3選手権シリーズ”に参戦しています。
今年、“全日本GT選手権”から名称を変え、FIA公認の国際シリーズとして生まれ変わった“スーパーGT”には、V型8気筒4.5リッターエンジンを搭載するダイナシティトムススープラの2台体制で参戦。ドライバーは、ゼッケン36が、トムスのエース土屋武士(32)とジャガーのF1テストドライバーを務めたこともあるジェームス・コートニー(24)のコンビ、ゼッケン37には、成長著しい片岡龍也(26)と、昨年、トムスから全日本F3に参戦していた山本左近(22)の若手コンビで戦っています。
そして、国内レース活動の2本柱のひとつである“全日本F3選手権シリーズ”は、ドラマの設定上、「チームイチノセ」が参戦しているカテゴリーです。ドライバーは、昨年、シリーズランキング2位になったジョアオ・パウロ・デ・オリベイラ(ブラジル)と、昨シーズン、ルーキーながら開幕2連勝を成し遂げ、“マカオGP”と“バーレーンSP”での初海外F3レースで脚光を浴びた中嶋一貴(20)、元F1ドライバーの中嶋悟さんの長男です。そして、F3参戦2年目の池田大祐(22)の3人がステアリングを握っています。
実は、ゼッケン37中嶋一貴とゼッケン38池田大祐のマシンは、あの「チームイチノセ」とまったく同じカラーリングデザインでレースに参戦しているのをご存知でしたか? そう、あの赤と白のマシンが、オンエアに先駆けて4月の開幕戦から本当にレースを戦っているんですョ。
撮影用のマシンは、昨年、レースに出場していたマシンです。今年の新型マシンとは、細部が異なりますが、ほとんど見分けがつかないと思います。もちろん、TEAMICHINOSEや架空のスポンサーJetusのステッカーも貼ってあります(笑)。ドラマと同じ風景が現実になっている・・・という演出をすることができました。今後、展開によっては、実際のレース映像がドラマに使用されるかもしれませんネ…。
ドラマの放送終了後、一部のスポンサーステッカーが貼り換えになるかもしれませんが、基本的にこの2台のマシンは、このカラーリングデザインで戦い続けます。皆さんがお住まいの近くのサーキットを走りますので、機会があれば、是非、サーキットに遊びに来てださい。
これからもブログを通じて、TOM’Sの活動を中心にお伝えしていきますので、ドラマ同様、TOM’Sチームを応援してくださいネ。
F3って、どんなレース?
日本のレース史は欧米に比べ、はるかに短いものです。本格的な幕開けは1963年、鈴鹿サーキットを舞台とした第1回日本GPであり、ようやく40年を越えたに過ぎないんです。その間、日本のレースを取り巻く環境は、劇的な変化を遂げ、さまざまなレースが生まれました。実はその歴史の中で最も長い期間、名称だけでなくレギュレーション的にもほとんど変わることなく開催され続けているのがF3レースです。
F3ことフォーミュラ3とは、その名称が示すとおりFIA(世界自動車連盟)が統括する国際統一規格のカテゴリーです。その歴史は古く、イギリスやドイツ、フランスなど、各国で選手権シリーズが行われてきました。2年前からフランスとイタリア、そしてドイツの選手権が統合され、ユーロ選手権がはじまり、激戦に拍車がかかっています。日本では、1979年からスタート。全日本選手権のタイトルがかけられ、今年で27年間継続しています。
過去にも、イギリス選手権チャンピオンのアイルトン・セナ、ミカ・ハッキネンや佐藤琢磨、ドイツ選手権からは、ミハエル・シューマッハーらがF1へとステップアップ。日本からは、鈴木亜久里や片山右京、高木虎之介、ビルヌーブ、デ・ラ・ロサなど、多くのF1ドライバーを輩出し、F1への登竜門として注目を浴びています。
今シーズンの全日本F3選手権シリーズは、も10大会20戦が行われます。将来、F1のステアリングを握るであろう若手ドライバー達が、毎戦、夢をつかむために激戦を繰り広げています。
| 日時 | サーキット |
|---|---|
| 4月2日〜4日 | 第1、2戦=ツインリンクもてぎ(栃木県) |
| 4月15日〜17日 | 第3、4戦=鈴鹿サーキット(三重県) |
| 5月13日〜15日 | 第5、6戦=スポーツランドSUGO(宮城県) |
| 6月3日〜5日 | 第7、8戦=富士スピードウェイ(静岡県) |
| 6月17日〜19日 | 第9、10戦=岡山国際サーキット(岡山県) |
| 7月1日〜3日 | 第11、12戦=鈴鹿サーキット(三重県) |
| 7月29日〜31日 | 第13、14戦=CP MINEサーキット(山口県) |
| 8月26日〜28日 | 第15、16戦=富士スピードウェイ(静岡県) |
| 9月9日〜11日 | 第17、18戦=CP MINEサーキット(山口県) |
| 10月21日〜23日 | 第19、20戦=ツインリンクもてぎ(栃木県) |
詳しいトムスのレース活動は・・・
http://www.toyota-team-toms.com
May 20, 2005 05:04 PM | コメント (6) | トラックバック (6)
