大河連載「伝説」

2008年03月14日

今も日本サッカーの父:メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち

【メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち(10)】

 1968年メキシコ五輪銅メダルの快挙で、日本サッカー界は活気に満ちた。釜本邦茂、杉山隆一の2大スターを見るために、日本リーグの観客動員は大幅に増えた。同五輪後の11月17日、杉山の三菱重工と釜本のヤンマーの一戦には、東京・国立競技場に4万人が詰め掛けた。日本リーグ史上3位タイの大観衆は、当時のスポーツ界では記録的な動員で、テレビもNHK教育など3局が中継した。

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March 14, 2008 12:00 AM

2008年03月13日

釜本、杉山 最強の「呼吸」:メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち

【メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち(9)】

 日本が銅メダルを獲得した1968年メキシコ五輪は、史上最強コンビの存在抜きには語れない。FW釜本邦茂が、東京からメキシコまでの4年間で、最も長く練習を積んだ相手がFW杉山隆一だった。監督長沼健とコーチ岡野俊一郎は、クラマーの助言もあり、2人のホットラインを熟成させ、守備的な布陣から得点する戦術を固めた。

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March 13, 2008 12:00 AM

2008年03月12日

「頭」の訓練 驚異の変貌:メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち

【メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち(8)】

 1968年メキシコ五輪の9カ月前。同年1月17日、東京・国立競技場で西ドイツ五輪代表との親善試合に出場した釜本邦茂は翌日、相手チームの帰国便に同乗していた。日本リーグのオフを利用して、ブンデスリーガのザールブリュッケンへ2カ月間、単身留学したのだ。

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March 12, 2008 12:00 AM

2008年03月11日

世界視野 シュート!シュート!:メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち

【メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち(7)】

 早大2年で東京五輪に出場したFW釜本邦茂は、1得点に終わった悔しさを練習にぶつけた。

 釜本「うまくなるためには練習しかない。狙ったところに正確に蹴る。例えば、30メートル離れた先の相手に高さ1メートルぐらいを目掛けて蹴る。そこにゴールがあると思ってやった。できるまで毎日ね」。

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March 11, 2008 12:00 AM

2008年03月10日

奇跡と屈辱…東京が原点:メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち

【メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち(6)】

 1964年(昭和39年)10月10日、秋晴れのもと東京五輪が開幕した。大会前から日本中が注目したのは「東洋の魔女」女子バレーボールや柔道など。サッカー代表のコーチ岡野俊一郎は選手村で、男子バレーボール監督の松平康隆と笑えない話をした。「我々は刺し身のつまですね」。前売り券の売れ行きも芳しくなく、サッカーは不人気種目の1つだった。

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March 10, 2008 12:00 AM

2008年03月07日

長沼-岡野抜てきの先見:メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち

【メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち(5)】

 東京五輪まで2年を切った62年12月、日本サッカー界に激震が走った。日本協会は高橋英辰(ひでとき)監督の退任を決定。実業団の古河電工で選手兼監督だった長沼健を代表監督に抜てきした。コーチには、クラマーの通訳兼アシスタントの岡野俊一郎を昇格させた。

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March 7, 2008 12:00 AM

2008年03月06日

50年前試みた“日本化”:メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち

【メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち(4)】

 ドイツから来たプロコーチが、どんなことを教えてくれるのか。代表選手やマスコミも、クラマーの指導に注目した。だが、最初に始めたことは戦術でも連係プレーでもない。サッカーのイロハ。正確にボールを蹴ること、止めることからだった。メキシコ五輪で監督を務めた長沼健が述懐する。

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March 6, 2008 12:00 AM

2008年03月05日

心つかむため共に寝食:メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち

【メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち(3)】

 60年10月29日に初来日したクラマーは、就任会見の冒頭でいきなり衝撃を与えた。ベテランサッカー記者の賀川浩は、今でもその光景を覚えている。

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March 5, 2008 12:00 AM

2008年03月04日

なぜ外国人コーチなんだ:メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち

【メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち(2)】

 日本サッカーの父と呼ばれるデットマール・クラマーの招へいは、日本蹴球協会(現日本サッカー協会)がすがった最後の手段だった。64年の東京五輪開催を前に、日本のサッカーはどん底の不振にあえいでいた。

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March 4, 2008 12:00 AM

2008年03月03日

「大和魂」にクラさん涙:メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち

【メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち(1)】

 アステカの青空に大合唱が響いた。「ハポン!」「ハポン!」。68年10月24日、メキシコ五輪のサッカー3位決定戦。日本は、地元メキシコ相手にFW釜本邦茂が決めた前半の2点を守ったまま終盤を迎えていた。12万人収容のアステカ・スタジアムを埋めた観衆から、信じられない声援がわき起こった。ふがいない地元チームより、必死に守る日本側に声援を送っていた。

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March 3, 2008 12:00 AM