大河連載「伝説」

2008年02月15日

今も未来の「魔女」育成:258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部

【258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部(10)】

 「魔女」の伝統を引き継ぐ「ユニチカ貝塚」は、69年から日本リーグを3連覇。「東の日立、西のユニチカ」として女子バレー界を引っ張っていった。監督の小島孝治の熱心な指導の下、伝統の守備は健在だった。85年にユニチカ入りし、96年アトランタ五輪では日本代表の主将を務めた中西千枝子(41)は、その重みをかみしめたという。

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February 15, 2008 12:00 AM

2008年02月14日

長嶋が王が野村が鶴岡が:258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部

【258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部(9)】

 ニチボー貝塚の大フィーバーには、多くの逸話が残っている。その1つが「魔女が消えた!」だ。東京五輪開幕直前、金メダル確実といわれた女子日本代表をマークしていた報道陣は大パニックに陥った。東京・代々木の選手村に選手の姿がない。そして「消えた!」となったのだ。産経新聞記者として取材していた八木嬉子(70)が内幕を明かす。

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February 14, 2008 12:00 AM

2008年02月13日

「王者は敗れるためにある」:258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部

【258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部(8)】

 来るべき日がやってきた。1966年8月6日、世界選手権兼アジア大会代表選考会の対ヤシカ戦。第1セットを15-2で先取したニチボー貝塚だったが、第2、第3セットを落とした。第4セットこそ取り返したが、粘りは届かなかった。最終第5セットは、10-15。連勝開始から2458日目、積み重ねてきた大記録がついに止まった。場所は皮肉にも、東京五輪で歓喜の金メダルを獲得した駒沢屋内球技場だった。

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February 13, 2008 12:00 AM

2008年02月12日

日本選抜と「巌流島の決戦」:258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部

【258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部(7)】

 辞意を撤回した監督の大松博文に、次なる問題が持ち上がった。翌64年の東京五輪で「金メダル」を至上命題にする日本協会で、新たな議論が起こったのだ。五輪強化本部本部長の前田豊が「今の日紡は飛び抜けて強いが、金メダルを絶対的なものにするには日紡を追い越すようなチームが欲しい」とコメント。この発言は新聞各紙に「協会が打倒日紡のチームを編成」と報じられた。

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February 12, 2008 12:00 AM

2008年02月11日

激震!大松監督突然の辞意:258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部

【258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部(6)】

 1962年6月、日本が開催国として主張した東京五輪の女子バレーボールの採用が正式に決まる。「地元で金メダル確実」という思いがあったのだが、五輪まで2年の道は平坦ではなかった。世界選手権優勝から凱旋(がいせん)帰国した同年11月10日、思わぬ騒動が持ち上がった。祝勝会の席で突然、監督の大松博文が辞意を表明したのだ。

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February 11, 2008 12:00 AM

2008年02月08日

壮絶!「回転レシーブ」誕生:258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部

【258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部(5)】

 世界での実績を積み上げる一方で、監督の大松博文の不安はどんどん大きくなるばかりだった。挑戦者から追われる立場となり、各国は当然のように対策を練ってきた。特に世界王者ソ連は国を挙げてマーク。日紡貝塚の試合を4~5人のグループで密着して8ミリカメラで撮影するなど、あらゆる角度から分析されるようになった。

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February 8, 2008 12:00 AM

2008年02月07日

厳しさの分だけ深まる絆:258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部

【258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部(4)】

 常に15人を超える部員がいた日紡貝塚だが、監督の大松博文はメンバーの固定にこだわった。「1人1人の力量では勝てなくても、バレーはチームで戦うもの。6人の力で勝てばいい」。これ、と決めた選手は徹底的に鍛え抜いた。長時間の練習は、基本の反復とコンビネーションの精度を上げることに費やされた。レギュラー6人は常に一緒に行動させ「目と目で通じ合う」関係を築かせた。

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February 7, 2008 12:00 AM

2008年02月06日

魔女が生まれた海外遠征:258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部

【258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部(3)】

 チーム結成から5年が過ぎ、日紡貝塚の強さは際立っていた。58年には都市対抗、実業団、国体などを制し国内5冠を達成。だが同時に、1つの転換期を迎えていた。

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February 6, 2008 12:00 AM

2008年02月05日

大松の「日本一苦しい練習」:258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部

【258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部(2)】

 大日本紡績(以下日紡)の「バレー部オールスター」が大阪・貝塚にできたのは東京五輪の10年前、54年(昭29)だった。「ニチボー75年史」(65年編集)によると、日紡にバレー部ができたのは23年。「女子スポーツで上を向いて動くのはバレーボールだけ。青空を見て心地よく、狭い日本でもできる最適のスポーツ」(同史)というのが理由だった。戦前に全日本3連覇を果たした兵庫・尼崎や栃木・足利、岐阜・関ケ原などにチームがあった。

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February 5, 2008 12:00 AM

2008年02月04日

6年8カ月続いた大記録:258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部

【258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部(1)】

 日本中が歓喜で沸き返ってから、43年が過ぎた。1964年(昭39)、アジアで初めてオリンピックが東京で開催された。日本にとって、敗戦から復興した象徴となる一大イベント。東海道新幹線建設など、1兆800億円がかけられた「国家事業」だった。世界の舞台で日の丸戦士が勝つ-。一喜一憂する国民から最も熱い声援を送られたのは、「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボールチームだった。

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February 4, 2008 12:00 AM