大河連載「伝説」

2008年05月29日

エリート相手に燃えた雑草魂

【国技に黒船 高見山(9)】

 昭和40年代から50年代前半、高見山は相撲人気を支えた数々の名勝負を演じた。中でも、横綱初代若乃花の実弟の大関貴ノ花、学生横綱から角界でも綱を張った輪島らエリートにはライバル心を燃やした。

 「まげがなかったら相撲は取れない」。貴ノ花が残した名セリフは、高見山との一番で生まれた。

 1980年(昭55)秋場所7日目。高見山の突っ張りをかいくぐった貴ノ花はもろ差しから左を抜いて右下手投げ。高見山も左から小手投げを打ち返した。2人はほぼ同時に倒れた。行司軍配は貴ノ花。だが、物言い。貴ノ花のまげが先に土俵についたとして高見山の勝ちになった。

 東関親方「あれはよく覚えている。私も投げを打った。倒れたとき、貴ノ花の方は見えなかった。負けたかなと思った。でも、私の勝ちになってビックリしたね。まげの差だったけど貴ノ花に勝ててうれしかったですね」。

 これが実に45度目の対戦だった。巨漢の“ガイジン力士”と小兵のプリンス。ハワイから日本の国技に挑戦したハングリーな雑草と入門時から注目されたエリート。弁慶と牛若丸の対決にも例えられた対照的な2人が、相撲ファンを熱くした。昭和を代表するライバルストーリーの象徴的な名勝負が「まげ差勝ち」。それが最後の対戦でもあった。

 東関親方「けいこで貴ノ花と初めて対戦したのは、札幌巡業だったと思う。向こうは昭和40年5月が初土俵でしょ。私は2年目。けいこで10番やって全く勝てなかった。貴ノ花は体は小さかったが、とにかく腰が重かった。本当に強かったですね」。

 幕内での初めて顔を合わせたのは、69年初場所の12日目。西前頭6枚目の高見山と同11枚目の貴ノ花の対戦は、この場所で29度目の優勝を果たした大横綱大鵬の取組以上に注目された。結果は、押した高見山が引かれてバッタリ前のめりに倒れた。ここから4連敗したが通算では16勝29敗と健闘した。

 もう1人が、学生横綱として鳴り物入りで角界入りした輪島だ。史上2位の獲得金星12個のうち、7個が輪島から。下半身の弱さから、あっけなく転がることもあった高見山だが、初土俵から1年足らずの5場所で入幕した超大物にはキラーぶりを発揮した。

 学生相撲には当時、大型力士が少なかった。正攻法の四つ相撲が主流だっただけに、押し相撲の高見山は天敵だった。「大きい相手は好きじゃなかった。高見山は立ち合いでガツンと当たる。(突っ張られて)手の跡が3日ぐらい(胸に)残ったこともあった」と輪島は振り返る。

 東関親方「私は、ただぶつかっただけ。合口がよかっただけですね。私は欠点もある。つかまったらダメだからね」。

 通算対戦成績は43戦して高見山の19勝(不戦勝1含む)24敗。輪島にも貴ノ花にも数字の上では負け越しているが、ファンのまぶたには高見山の「強さ」を焼きつけた。(つづく=敬称略)【西尾雅治】

 ◆高見山のライバル 最も対戦が多かったのは貴ノ花との45回。「弁慶と牛若丸の対決」と例えられた人気者同士の一番は、通算16勝29敗だった。次いで多いのが北の湖(8勝35敗)輪島(19勝24敗)との43回。輪島にとっては21敗(23勝)した北の湖の次に多くの黒星を喫した相手だ。輪島が横綱に昇進した後も13勝17敗と互角に近い成績を残した。そのほか三重ノ海と39回(16勝23敗)魁傑とは38回(18勝20敗)対戦している。

May 29, 2008 12:00 AM

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