大河連載「伝説」

2008年05月27日

「プロレス転向」大騒動

【国技に黒船 高見山(7)】

 1975年(昭50)5月1日、相撲界をにぎわす大騒動が起こった。高見山がプロレスに転向する-。30歳を超え、引退もささやかれていた人気者の格闘技転向は、その数年前からうわさされていた。日刊スポーツは、ハワイの有力プロモーターと契約していた事実をキャッチ。「ホノルルに高見山レスリングジムを開設」と報じた。

 当時から、角界からプロレスへの転身は決して珍しいことではなかった。戦前には駿河海、昭和30年代には元横綱東富士、元大関の力道山らがマットで活躍。全日本プロレスのジャイアント馬場も「ぜひ来てほしい」とエールを送った。だが、高見山は一貫してプロレスラー転向を否定し続けた。

 東関親方「私はプロレスに行くつもりはなかったですね。でも実はね、サインはしました。引退した後、もしプロレスに行くならマネジメントさせてほしいという契約。その人たちが、あんまりしつこかったから」。

 騒動ぼっ発前年の九州場所でのことだった。「Go For Broke(当たって砕けろ)」と刺しゅうされた化粧まわしを贈るなどハワイで高見山の後援会的な存在だった442除隊クラブのラルフ円福が米国の弁護士を連れ、高見山に話を持ちかけたという。ハワイにプロレスのジムを構え、日本だけでなく米国マットにも進出する具体的なプランまで考えていた。

 東関親方「その人たちは、私が相撲に行くことを勧めたのに、なぜプロレスに誘うのか分からなかったね。でも、女房も反対した。私もまだ相撲をやめる気持ちはなかったですね」。

 本人の考えとは裏腹に、なぜ周囲はその気になり、話題が独り歩きしたのか。それは持ち前のサービス精神が発端だった。地方巡業に出ると、高見山は余興で“プロレスごっこ”をやっていた。

 東関親方「巡業のとき、けいこの最後に、私は『いいとこ(冗談などで話を面白くする)』ばっかりしていた。エルボーとか空手チョップとか、マネをしていた。大げさなアクションでよろめくとかね。そうやるとお客さんが喜んだから」。

 ひょんなことから大騒動に発展していった。揚げ句の果てには、断り切れずマネジメント契約まで交わしてしまうとは…。もっとも、プロレス転向に興味がなかったからこそ、サインをしても構わなかった。引退などまだ考えてはいなかったのだ。

 東関親方「よく聞かれるのは、なぜ曙や小錦が今、親方やってないのかということ。彼らは30歳ぐらいでしょ、引退したのは。30歳ならまだほかのことをやりたいエネルギーがいっぱいあるね。私も、もし30歳で引退していたら、何をやったかは分からなかったけどね」。

 高見山はプロレスより、むしろ親方業に興味を持ち始めていた。(つづく=敬称略)【西尾雅治】

 ◆力士とプロレス 大柄な体を生かしてプロレスラーに転身する例は多い。「日本プロレス界の父」と呼ばれる力道山は、48年夏場所に殊勲賞を獲得した元関脇。元横綱輪島は86年に全日本プロレスに入門し、元前頭筆頭だった天龍との戦いでマットを盛り上げた。現役では曙(元横綱)維新力(元十両)田上明(元十両玉麒麟)力皇猛(元前頭力桜)安田忠夫(元小結孝乃富士)らが活躍している。

May 27, 2008 12:00 AM

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