2008年05月26日
ハスキーCMの陰に悲話
【国技に黒船 高見山(6)】
ボルサリーノをかぶり、ピンストライプのスーツできめた高見山が、軽快にタップダンスを踊る。200キロ近い巨漢からは想像もできない軽い身のこなし。「トランザム!」。独特のしゃがれ声で叫ぶ。CM大賞まで受賞した松下電器の新小型テレビのCMは、茶の間の話題をさらった。
1977年(昭52)2月、このCMでデビューした関取は、愛嬌(あいきょう)のあるコミカルなキャラクターと、いかにも相撲とりというようなつぶれた声が受け、次々とCMに登場した。同年には「ニバイ、ニバーイ」のフレーズで一世を風靡(ふうび)した寝具メーカー丸八真綿、富士通ワープロ、P&Gの洗濯洗剤など13社・団体で起用され、力士のイメージを変えた。「ニコニコっとした笑顔。あれは人徳だね。うらやましいぐらいだった」と同期入門の武隈親方(元関脇黒姫山)は振り返る。
東関親方「CMはよかったね。アルバイト。当時は十両で(給料は)5万円程度、幕内でも10万円ぐらいと場所手当だけ。CMが(1本)いくらだったか、もう忘れたけど、家を建てたね。私は恵まれてました」。
CMでの年収は4000万円近くになった。74年2月に渡辺加寿江と結婚した高見山は、CMのギャラを資金の一部にして東京都内の高級住宅地に当時で1億3000万円と言われた7LDKの白亜の豪邸を建てた。現在では、テレビドラマのロケにも使われているという。
相撲での最高位は関脇だったが、CM出演効果もあって人気は横綱だった。7代目となる現高砂親方(元大関朝潮)は「あんなに大柄なのにリズム感がいい。1度、小鼓をたたいていたのを見たことがあるが、うまくて驚いた」という。だが、一般人にもモノマネされた独特のハスキーボイスは後天的なもので、実は悲話から生まれたものだった。
来日3年目の66年春場所前。東幕下17枚目だった初場所中に風邪をひき、扁桃(へんとう)炎を患った。1勝6敗と初めて大きく負け越し、場所後に手術を受けた。2週間ほど休み、春場所に向けてけいこを再開。ある日、ぶつかりげいこで相手ののど輪が入った。
東関親方「親指がのどの骨の部分にグイッと入った。すごく痛かった。1週間ぐらい固いものは食べられなかった。手術すれば治ると医者に言われたが、けいこを休むわけにはいかない。休んだら親方も怒る。関取になった後も米軍の病院に行ったけど、2度と相撲が取れなくなるかもしれないと言われた」。
もともとは、今では想像できない美声だったという。十両に上がるために必死だった高見山は、声をつぶしたままけいこを続けた。声を代償に、1年後に悲願の十両昇進を果たした。後にそのハスキーボイスで親しまれ、CM横綱の個性になるとは思いもしなかっただろう。(つづく=敬称略)【西尾雅治】
◆力士とCM 昭和50年代が花盛りで、中でも高見山は「CM横綱」と呼ばれた。千代の富士は81年初場所の初優勝を機に鉛筆や湿布、日本酒などのCMに出演。2代目横綱若乃花も美男で人気だった。輪島と貴ノ花は引退直後に男性化粧品CMで共演。旭国や麒麟児、魁傑、朝潮、琴風らも土俵とは一味違ったユニークなキャラクターを出していた。当時の契約金は推定500万~2000万円。最近では朝青龍や白鵬、琴欧州、高見盛などが出演している。
May 26, 2008 12:00 AM
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