大河連載「伝説」

2008年05月16日

激動の人生…孤独が親友

【王貞治 すべてがアン・ビリーバブル(10)】

 王の野球に対する執念は凄まじい。06年7月、胃を全摘した際も、内視鏡での手術を選択したのは、開腹より早期復帰できるからだという。あれから1年もたたないうちにベンチに立ち尽くして指揮をとる姿は、痛々しく感じるときもあった。

 王「それが不思議なんです。ぼくはつくづく野球と出会って幸せだと思っています。20歳、30歳、40歳…、その都度取り組み方が違うし、野球ってマージャンと一緒で同じ手はないわけです。でも、バットを持たなくなっても、巨人からホークスに環境が変わっても、野球にだけは新鮮な気持ちになれるんです」。

 プロ入り後、新人時代に人種差別的な野次を飛ばされたこともある青年は、本塁打世界一に輝いた。そして巨人の王からホークス監督に就いた後も、生卵をぶつけられ、脱税事件、スパイ疑惑にも巻き込まれた。挙げ句にダイエーからソフトバンクへの球団売却を体験するなど波乱の連続だった。それでも王はグラウンドに立つことにこだわった。そして、20年連続Bクラスに低迷していたホークスを、常勝軍団に変えてみせたのだ。

 セ・パ両リーグで優勝した監督は、三原脩、水原茂、広岡達朗、野村克也に次ぐ史上5人目。今後は再度、巨人監督にという待望論もある。だが、王はその可能性をきっぱりと否定する。

 王「この年でジャイアンツに入ると死んじゃうよ。川上(哲治)さんも54歳で(巨人監督を)辞めたんですからね。巨人の監督は年寄りがやるべきじゃない。若い人がやらないとダメだと思います。コミッショナー? それも立ち消えたと思っています。確かに野球を通しての人生観、人には負けない経験もしてきました。でも、コミッショナーとなれば他の人以上にわからないこともあります。球界のリーダーとして引っ張っていかなくてはならない責任感もあるし、簡単な役職ではないです」。

 求道者、人格者…。世界の頂点に立ってから王の存在は常に特別視されてきた。胃に腫瘍があることが判明し、休養が記者会見で正式発表される3日前のことだ。ある人物から記者のもとに電話が入った。「王さんの体調が相当悪い。食事会も取りやめになりました。でも(新聞には)書かないでくれますか。本人も望んでいないし、自分から話すはずです…」。王は胃摘出手術のためグラウンドを離れる直前、律儀に身近な関係者に根回ししていた。巨人V9監督で、恩師の川上哲治は王に宛てて「人間は病気では死なない。人間は寿命で死ぬものだから、必ず治るから」と手紙をしたためた。

 手術後は、生活面での制限がある。しかし、これまでも、食事のときも、酒席でも、カラオケに興じるときも取り乱すことなく、どんなときも王貞治は“世界の王”の姿勢を崩さなかった。背筋をシャンと伸ばした生き方はこれからも変わらないのだろう。これから王はどこに向かうのだろうか。

 王「最終的にはこのままグラウンドで死にたいと思っていたんだけど…。それも無理みたいだ。本当はユニホームを着たままコトッと死ねればと思っているんですけどね。それは神のみぞ知るかな…」。

 最後に王に「王さんにとって孤独とはなんですか?」と聞いてみた。王は「僕にとって孤独? 親友みたいなものですかね」と言い残して、再びグラウンドに向かった(この章終わり=敬称略)【寺尾博和編集委員】

 ◆王貞治(おう・さだはる) 1940年(昭15)5月20日、東京都生まれ。57年、早実のエースとしてセンバツ優勝。59年、巨人に入団。77年にハンク・アーロンの持つ755号本塁打の大リーグ記録を抜き、初の国民栄誉賞を受賞。13年連続を含む本塁打王15回、打点王13回、首位打者5回、73、74年には2年連続三冠王に輝く。80年に現役引退。通算成績は2831試合、868本塁打、2170打点、打率3割1厘。助監督を経て84年、巨人監督に就任。5年間でリーグ優勝1回(87年)。94年野球殿堂入り。95年からダイエー(現ソフトバンク)監督に就任し、99、00、03年と3度リーグ優勝、99、03年は日本一に。06年春のWBCで日本代表監督として世界一に導いた。

May 16, 2008 12:00 AM

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