2008年05月15日
被弾投手への思いやり
【王貞治 すべてがアン・ビリーバブル(9)】
王に世界記録756号を打たれた元ヤクルト投手の鈴木康二朗は現在、福島県内でサラリーマン生活を送っている。
「もう30年も前のことですからね。すっかり忘れました。だから申し訳ありませんが、取材はお断りしてるんです…」
歴史に残る1球を配した瞬間から“打たれた男”の代名詞が付きまとった。しかし鈴木は王の言葉に救われたことを覚えていた。アーチを放った翌朝の新聞を読んだ鈴木の心は震えた。
鈴木「そんなこともありましたね…。王さんが『巡り合わせなんだろうが、鈴木はしんどい思いをしたことだろう。申し訳ない気持ちだ』と語っていた。あれでこのまま終わっちゃダメだ、王さんに失礼になると思った」。
王「あの雰囲気の中でピッチャーは投げにくかったと思います。フォアボールを出すとスタンドからブーイングがおこったしね。鈴木は運が悪かった」。
いかなる時にも相手を思いやる王の人柄を表すエピソードは、兄の鉄城とのやりとりが原点にある。
早実に入学した56年(昭31)春、日大三高戦に「5番投手」で出場し、4-0の完封劇を演じた。喜びを体で表現する弟に対し、東大球場にきていた兄の鉄城は「そんなに楽しいのか。相手の気持ちを考えろ」と説教した。以来、王が派手なパフォーマンスをみせることはなくなった。それは鉄城をして、「うれしいときは素直に喜び、悔しいときは耐えればいいのに、あれほどとは…。自然な生き方をさせてやれなかった」と、後に後悔させるほどだった。もちろん、父仕福の生きざまも他人を思いやる王の人生哲学に有形無形の影響を与えた。
王「うちの父親は中国人だったし、日本に受け入れてもらったという気持ちが強かったんです。戦時中には第三国人として収容所に入れられたらしいし…。でも中国で生活するのが苦しく、日本で商売させてもらって曲がりなりにも店を出せるようにまでなった。兄も間違っていない。僕も生き方を悔いたことはありません。周りの人間への感謝の気持ちというものは、自分の心の中に知らず知らずのうちに入ってきたように思いますね」。
頂点に上り詰めても、王は変わらなかった。80年10月12日の対ヤクルト戦(後楽園)で、現役最後の868号を打たれた神部年男(65=前オリックス投手コーチ)もその人柄を認める1人だ。
神部「ユニホームを脱いだ後、近鉄のコーチ時代にキャンプ地の日向の宿舎でばったりお会いしましてね。向こうから言葉を掛けてもらった。ぼくは相手打者に感情を読まれるのを避けるのに帽子を目深にかぶるほうでね。(南海ホークスのエース)杉浦さんに『バッターとは視線を合わせないほうがいい』と教えられたんです。それでも王さんのにらみつけるような鋭い目つきは怖かったですよ。まさかあれが最後のホームランになるとは思いませんでした」。
王の頭に「引退」の2文字が浮かんだのは、80年夏のことだ。868号はこの年30本目のアーチ。19年連続で30発の大台に乗せながら現役を退くのも、完璧主義の王らしい。
「王貞治のバッティングができなくなった」
11月4日、引退会見の席上、その名言を残して、王は静かにバットを置いた。
選手、助監督、監督時代を通して30年間、巨人のユニホームを着続けた。充電期間を経て95年ダイエー(現ソフトバンク)監督に就任し、今季が14年目のシーズンとなる。果たして待望論が絶えない巨人復帰はあるのだろうか。王は静かに語り始めた…。(つづく=敬称略)【寺尾博和編集委員】
May 15, 2008 12:00 AM
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nikkansports.com/mt/mt-tb.cgi/17017
