2008年05月12日
ONは「競っても争わず」
【王貞治 すべてがアン・ビリーバブル(6)】
王と長嶋。2人の頭文字をとった『ON砲』は、米大ヤンキースの大打者ミッキー・マントルとロジャー・マリスの『MM砲』になぞらえた愛称といわれている。長嶋は引退した川上に代わる「4番」で、王が「3番」に起用された。王の一本足打法が完成したとき、長嶋は「美しいね」ともらしたという。
常勝巨人の両輪を取材した日刊スポーツ記者の三浦勝男(68)は、長嶋に王の存在について聞いたことがあった。
三浦「両雄並び立たずといわれるが、長嶋さんが王について『競っても争わず』と話したのが印象的でした。2人に相手をおとしめるとか、感情的な対立はなかったと思います。いつか新聞でONそろっての企画を組んだ。取材現場は長嶋家だったが、王はいやがることなく、それも夫婦そろって訪問したほどだから。長嶋さんのファンは多かったが、王さんのことはみんな好きというより立派だという目で見ていた」。
王が本塁打と打点のタイトルを獲得した62年(昭37)から、長嶋が最後に首位打者になった71年までの10シーズンで、2人で獲得した打撃3部門(打率、本塁打、打点)のタイトルは計26個。名将の川上哲治は、ONが引っ張った巨人不滅の9連覇を振り返った。
川上「みなさんはONのことばかりとり上げるが、2人だけで強い巨人は築けなかった。柴田がいて、黒江、高田、土井もいてお膳立てができた。投手でも別所、杉下、宮田、中村、城之内らを、相手の欠点を調べ尽くした森がうまくリードしたのです。長嶋も王も、自分がいなければ勝てなかったなんて絶対に思っていませんよ。野球は組織と一緒でチームプレーなんです。2人は性格も違いましたし、ミーティングでは全員を前に、わざと長嶋を名指しで叱ってチームを引き締めたこともありました。彼は根に持たない明るい性格でしたからね。でも王は性格も違ったし、なにかあれば彼1人を呼びつけていました。長嶋は『天才型』で、王は『努力型』でした」。
その後、王と長嶋の打順はしばしば入れ替わるようになった。70年の王はセ・リーグタイ記録の5試合連続本塁打を放ち、72年には通算500号、73、74年は2年連続三冠王になった。70年代になって、長嶋との立場は逆転する。
他球団も必死に王封じを画策した。64年、広島監督で、のちに巨人ヘッドコーチに就いた白石勝巳が、内野手を極端に右に寄せた「王シフト」を実戦した。流し打てばすべてがヒットになる。それでも王はライトスタンドへのアーチにこだわった。
そんな王が初めて大スランプに陥ったのは71年だった。9年ぶりに40本塁打を割る39発で止まりで、8年続けてきた打率3割が2割7分6厘に低下。監督の川上は「2本足に戻してはどうか」と助言したが、頑として譲らなかった。
この年、7連覇のかかった日本シリーズで劇的なアーチを放ち、一本足打法の継続を無言で宣言した。それが、史上最強のサブマリン山田久志に浴びせた、あの一撃だ。(つづく=敬称略)【寺尾博和編集委員】
May 12, 2008 12:00 AM
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