大河連載「伝説」

2008年05月09日

下着一枚、鬼気迫る真剣振り

【王貞治 すべてがアン・ビリーバブル(5)】

 プロ4年目の62年(昭37)、王は早実の先輩で師匠の荒川博とマンツーマンで一本足打法に取り組んだ。今のように報道規制などなかった時代だ。番記者たちは、遠征先のチーム宿舎となった和風旅館の座敷や、コーチだった荒川の自宅にも上がり込んで取材することができた。

 日刊スポーツで17年間、巨人の担当の番記者を勤めた三浦勝男(68)は、王が一本足打法を完成させる過程を現場で取材した1人だ。バットに見立てた二尺八寸、三百匁の真剣を振る姿は鬼気迫り、まさに伝説だった。連日の素振りによって、旅館の座敷の畳はみるみるうちに擦り切れていった。

 三浦「まず電球から短冊に切った新聞をたらし、それを日本刀で切るんです。王がパンツ一丁だったのは、裸のほうが筋肉の動きが一目瞭然だったからです。バットの芯でボールをとらえることをイメージした特訓にもコツがあって、日本刀の刃筋をちゃんと立てないと新聞は切れなかった。新聞が藁(わら)になったこともありましたね。わたしたち新聞記者は、正座まではしなかったけど厳粛な道場の雰囲気で、いつも邪魔しないようにながめていた。ぼたぼたと汗を落としながらの練習が365日続くんですから、まるで奇人だと思いました」。

 初めて一本足で本塁打を放ったのは、62年7月1日の大洋戦で稲川誠のカーブをとらえた。開幕から6月まで9本塁打と不振だった王は、ここから上昇気流に乗る。

 三浦「父親の仕福さんが営む中華そば屋「五十番」の奥に三畳ほどの小部屋があった。試合前に取材に寄るとそこでいつも王が食事をしていた。印象的だったのは毎朝、どんぶり鉢にいっぱい入った朝鮮人参のスープを一気に飲む姿でした。少しでもスタミナをつけようとする執念だったと思う。一本足で立って打つから、タイミングを崩しやすいのではと思って荒川さんに聞いたら『そんなやわな打法じゃない』という。実際、一本足で立った王の体を前後左右どこから押しても動かなかった。常に完璧を追求していた。一緒にステーキを食べたとき、王はフォークとナイフで肉をミリ単位も違わずそろえるように切る。そんな几帳面な性格と同じで、一本足打法には寸分の狂いもなかったかもしれないですね」。

 7月からの量産で、62年は38本で本塁打王に輝いた。そして、その座を13年連続で守り続けた。75年は田淵幸一(阪神)に奪われたが、翌76年から2年連続でタイトルを奪取。64年は55本塁打の日本記録を樹立するなど、通算15回もホームランキングを獲得した。

 巨人の黄金期に担当記者だった三浦は「そういえば14連チャンで王のヒーロー原稿を書かされた。最後はネタがなくて困った」と言って笑った。もう一人のトップスター、長嶋茂雄とのONコンビは、まさに王者巨人の象徴だった。(つづく=敬称略)【寺尾博和編集委員】

May 9, 2008 12:00 AM

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