大河連載「伝説」

2008年05月08日

一本足原型は“物干し竿”藤村

【王貞治 すべてがアン・ビリーバブル(4)】

 王が尊敬する川上哲治の自宅は、都内の閑静な住宅街にある。居間で雨に濡れる庭を見ながら、川上は「野球」を語った。監督として常勝巨人軍を率い、不滅の9連覇を成し遂げた名将。「わたしの野球は“野球道”なんです」。その後、川上は一本足打法を発案した経緯について話し始めた。

 川上「ボールを待ち切れないんですな。すぐに迎えにいって、体重移動が悪かった。それが王の最大の欠点だったんです。荒川君(巨人コーチ)と話をして、もう少し引きつけて打つように教えてほしいと頼んだんです。もっと後ろ足に体重を乗せるように、と…。すると、わたしの頭の中に、あるバッターのフォームがイメージとして浮かび上がったのです」。

 川上が王の打撃フォームを徹底的に改造するため、ヒントを得たのは、ライバル阪神で「ミスタータイガース」といわれた藤村富美男のフォームだった。藤村は1936年(昭11)の阪神創立と同時に入団。38インチ(約96・5センチ)の物干し竿のようなバットで終身打率3割を記録し、監督も務めた。背番号「10」は永久欠番になっている。

 川上「右打者だった藤村さんの打ち方は前の左足を引きつけて出す、一本足の変形のようなフォームでした。王にはああいう感じで、もっと球を呼び込んで打つように教えた。前足を引きつけ、重心を後ろに乗せ、そして踏み出す…。それを繰り返しているうちに、だんだん一本足になってきた。そうやって王の打撃フォームは変わっていったのです」。

 マンツーマン指導に当たった巨人コーチの荒川博は、王に向かって「これからは地獄のような特訓になる。酒も、タバコも、女もやめろ」といった。王は「耐えますからやらせてください」と、答えたという。一本足打法を完全習得するために、師匠と弟子の血のにじむような日々が続いた。

 川上「まず王は球場入りする前に荒川の自宅に立ち寄ってバットを振りました。時には早めに後楽園球場に入って特打をし、そのままゲームに出て、それが終わると再び荒川の家でその日の反省とフォームの矯正をするわけです。これを3年も続けたのは、驚くべき鍛錬でした。わたしは現役時代にアッパースイングで打っていました。でも現役を退いて巨人の指導者になってからは、アメリカの野球理論の裏付けもあって『バットがボールの下から入ってはいけない』『上から叩きつけないとホームランは打てない』と教えるようになった。いわゆるダウンスイングです。わたしが王を怒ったことはなかったですね。よく練習しましたから。あれだけ努力をすれば何かをつかみましょうな。わたしはつくづく思うんですよ。人間とは死ぬまで学ぶものだと…」。(つづく=敬称略)【寺尾博和編集委員】

 ◆藤村富美男(ふじむら・ふみお) 1916年(大正5)8月14日生まれ、広島県呉市出身。36年阪神創立と同時に入団。エースで6番を打つが、肩を壊して打者に転向。ゴルフクラブにヒントを得た“物干し竿”といわれた38インチの長いバットで4番として活躍。応召を経て戦後再び阪神に復帰。49年には打率3割3分2厘、46本塁打、142打点の当時としては驚異的な成績で本塁打、打点の2冠に輝いた。初代のミスタータイガースと呼ばれた。46年、55年~57年阪神監督。国鉄、東映でコーチを務めた。74年殿堂入り。投手として76試合登板で34勝11敗。打者では1558試合出場、3割、224本塁打、1126打点。監督としては通算4年で266勝190敗6分け。92年逝去。

May 8, 2008 12:00 AM

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