2008年05月06日
猛反撃…急転巨人入り
【王貞治 すべてがアン・ビリーバブル(2)】
早実の王、阪神入り-。日刊スポーツのスクープ報道に対し、巨人軍の動きは迅速だった。読売系列の報知新聞、田中茂光記者がすぐさま動いた。王を取り巻く状況は、即座に巨人球団社長の品川主計にも伝えられた。阪神に機先を制された巨人が、猛然と反撃に転じた。
当時は、ドラフト制度が存在しない自由競争の時代だった。王がプロ入りする1年前の58年(昭33)には、長嶋茂雄が立教大から巨人に入団。南海ホークス(現ソフトバンク)の監督で、「グラウンドに銭が落ちている」との名言を残した「親分」こと、鶴岡一人が長嶋と杉浦忠を熱心にホークスに勧誘したのは有名な話だ。
坂井保之氏(野球経営評論家)「今でこそ裏金問題と騒がれるが、かつては野球界の先輩が後輩を連れて食事にいくなどという行為は、美風というか、先輩の貫録で行われた時代だったと思う」。
阪神球団のスカウトだった佐川直行は、王獲得に契約金1500万円を提示した。巨人も同額を用意した。10球団が参戦した王争奪戦の最後はGT決戦となった。この時代のスカウトは、革製のカバンに札束を詰め込んで動いたという。阪神の条件は2000万円まで吊り上がった。
王は金額に左右されて、阪神から巨人へ翻意したわけではなかった。父親の仕福は大学卒業後、息子を電気技師にして、一緒に中国に帰るのが夢だった。王はその家族の意向もじっくり聞いた上で決断を下した。逆転巨人入り…。仕福も「貞治が決めたことなら」と、母国への帰郷を断念する。日刊スポーツの巨人担当だった小村多一は初めて王と会ったときの印象をこう語った。
小村「監督の水原さんに紹介されて、きれいな挨拶で礼儀正しい青年だなと感じた。前の年、川上(哲治)さんから、1人遠征先の広島の宿舎に呼ばれて、座敷のハンガーに掛かった背番号『16』を指差しながら『このユニホームとお別れしようと思っている』と打ち明けられた。眼光鋭い王と初めて会ったとき、この男が打撃の神様に代わって巨人を背負うのかもしれないという直感めいたものがあった」。
今、ソフトバンクの指揮をとる王貞治は、阪神入りを撤回し、急転巨人入りを決断した真相を語った。
王「大学に行くと決めた後は、巨人からのアプローチはなかったんだ。そこで阪神からの攻勢にあって、気持ちの変化が生じたんだろうね。甲子園でプレーできるというのもあったし…。両親からは阪神入りを勧められていた。自分の気持ちが傾きかけたとき、新聞(日刊スポーツ)に『王が阪神に入る』と掲載され、急に巨人が来たんだよ。いろいろあって、最後は兄貴(鉄城氏)に『お前はどうなんだ?』と聞かれた。もともとぼくは巨人ファンだったし、あこがれを持っていた。それで巨人に入ることを決めた。日刊スポーツのお陰で巨人に入れたようなものだね(笑い)」。
とはいえ、プロ入りしてから『世界の王』に上り詰めるまでの道のりは、決して平たんではなかった。川上が現役を引退したため、投手から打者に転向した王が一塁に起用された。ただ、ルーキーは苦悩していた。(つづく=敬称略)【寺尾博和編集委員】
◆川上哲治(かわかみ・てつはる) 1920年(大9)3月23日、熊本県生まれ。88歳。左投げ左打ち。熊本工では甲子園春1回、夏2回出場。37年夏に準優勝。38年(昭13)に巨人入り。投手から打者に転向し39年、打率3割3分8厘、75打点で2冠王を獲得。「弾丸ライナー」の強打者として知られた。大下の青バットに対抗し、川上の赤バットは有名。51年3月31日の多摩川での練習中に「ボールが止まって見える」と名言を残した。61年巨人監督に就任し、不滅のV9を達成。背番号「16」は永久欠番。65年野球殿堂入り。最優秀選手3回、首位打者5回、本塁打王2回、打点王3回、日本シリーズMVP1回。監督として14年間でリーグ優勝11回、日本シリーズは無敗。
May 6, 2008 12:00 AM
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