大河連載「伝説」

2008年05月19日

大相撲300年 衝撃の一日

 ハワイからやってきた大男が、大相撲の新時代を切り開いた。ジェシー・ジェームス・ワラニ・クハウルア。厳しいけいこに耐え、文化・風習の違いを乗り越え、高見山として外国人力士初の幕内優勝を果たした。横綱朝青龍、白鵬らモンゴル勢が勢力を拡大するなど、今や相撲界は外国人力士花盛り。そのパイオニアが、元関脇高見山の東関親方(63)。異国の国技に挑戦した苦闘、葛藤(かっとう)、奮闘に迫る。

 大相撲の長い歴史を変えた瞬間だった。1972年(昭47)7月16日、名古屋場所の千秋楽。東前頭4枚目の高見山が初優勝した。史上初めて外国人力士が賜杯を手にした。表彰式ではニクソン米大統領(当時)の祝電が読み上げられ、192センチ、160キロの大男が肩を震わせた。表彰式で英語のスピーチが流れたのは、このときが初めてだった。

 東関親方「うれしかったね。外国人で初めてとかじゃなく、お相撲さんとして優勝できたことがよかった。一生懸命、けいこしてきたおかげだと思った」。

 最後まで優勝を争った「角界のプリンス」大関貴ノ花が目の前で敗れていた。もし高見山が負ければ、優勝決定戦にもつれ込む。館内のファンの大半は、対戦相手の旭国(現大島親方)に声援を送った。「高見山はやりやすい相手。負ける気はしなかった」と自信たっぷりの旭国だったが、右上手を引かれて寄り切られた。

 13勝2敗で日本の国技を制した外国人の偉業は称賛される一方で波紋も呼んだ。翌日の日刊スポーツは「国技大相撲敗れる」「大相撲300年 衝撃の一日」と報じた。柔道界では、61年の世界選手権、64年の東京五輪でアントン・ヘーシンク(オランダ)が優勝。外国勢力が日本のお家芸に脅威を与えていた。同じように高見山を“黒船”と見る向きも少なくなった。

 東関親方「私は、19歳のときに日本に来て、みんなと同じようにけいこしてきた。ずっと頑張ってきた。自分は運もよかった。その場所は、珍しいことがたくさん重なったからね」。

 場所前、高砂部屋に一門を超えて力士が出げいこにやってきた。二子山部屋、出羽海部屋勢を迎え、けいこ場は活気づいた。「当時では珍しいこと。なぜかは分からないけどね。私は最高のけいこができた」。もう1つは気候。7月の名古屋場所は、蒸し暑さが力士泣かせでもある。だがその年は、後に「昭和47年7月豪雨」と名づけられたほどの大雨が続き、ハワイアンの味方になった。

 場所が始まってからも幸運が続く。横綱北の富士が前代未聞の「不眠症」を理由に途中休場。大関大麒麟は右腕骨折、関脇三重ノ海も急性肝炎に倒れ、次々と上位陣が休場する異例の事態となった。千載一遇のチャンスだった。

 東関親方「千秋楽の前の晩、先代(4代目高砂親方=元横綱前田山)のおかみさんから『優勝してよ』と電話があった。優勝したいというプレッシャーで寝られなった。硬くなったけど、本当に勝ててよかった。先代は1年前(71年8月17日)に亡くなっていた。私を相撲にスカウトしてくれた人。先代がいなければ、今の私はなかったと思いますね」。

 ハワイ・マウイ島で体力トレーニングのために始めた相撲が、人生を大きく変えることになった。(つづく=敬称略)【西尾雅治】

May 19, 2008 12:00 AM

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