2008年04月09日
3連発の陰で新守護神が生まれた
【1985年阪神 かくて猛虎になりき(3)】
◆85年4月17日(甲子園)
[2]阪神2勝
巨人 200000102-5
阪神 10000050X-6
【巨】●槙原、鹿取、斎藤-佐野、笹本【神】○工藤、福間、S中西-木戸
[本]クロマティ1号(2ラン=工藤)バース1号(3ラン=槙原)掛布2号(槙原)岡田1号(槙原)クロマティ2号(福間)原2号(福間)
伝説として語り継がれる「バックスクリーン3連発」。今も、記者席にいた筆者の目に焼き付いている。4月17日の巨人戦。2点ビハインドの7回。2死からバースが槙原から逆転3ラン。掛布も続き、岡田が仕上げた。4万5000の観衆を魅了した史上初の快挙。だが、このゲーム、すんなりと快勝したわけではなかった。
9回、2番手・福間がクロマティ、原に連続被弾、1点差に迫られた。ここで吉田監督は2年目の中西を投入した。抑えのエース・山本和が開幕の広島2連戦で不調だったため吉田は、新鋭に勝負を賭けた。結果は吉と出た。3人を打ち取り、快挙に花を添えた。
中西「行けと言われてよし! という気持ちになったね。プレッシャーなど全くなかった。調子も良かったし絶対、抑えてやると燃えてマウンドに登った」。
持ち前の強心臓でプロ入り初セーブ。しかし、キャンプ、オープン戦で首脳陣の評価は決して高くなかった。投手陣では15、16番目ぐらい。3月下旬あたりからエンジンがかかり、米田投手コーチ(当時)が、救援役として推薦、吉田が抜擢した。
中西の主武器は鋭く縦に曲がるカーブ。カウントを取るのにも、決め球にも使えた。ドラフト1位で入団したルーキーの前年は1勝6敗と低迷したが、カーブのキレが増し、速球とのコンビネーションも巧み、制球力も成長。翌18日にも2セーブ目を挙げ、吉田の期待に応えた。
吉田「3連発も印象的だったが、むしろ私は中西にメドが立ったことに手ごたえを感じた。これでWストッパーが確立できたと」。
結局、巨人に3連勝して開幕ダッシュに成功。だがシーズンは山あり谷あり。9月4日、山本和が左足アキレス腱を断裂。もう中西一人で押していくしかなくなった。皮肉なことにこの日から6連勝。中西は4セーブを挙げた。この貯金でVへ大きく前進した。
中西「私はスタミナに自信があったので、4イニングぐらい行かされたこともあった。正直言って、最後の頃はバテバテだった」。
130試合制で107回3分の2登板は確かに抑えとしては多い。だが、それで最優秀救援投手(30SP)に輝き、日本一まで手にすることができた。
今、ブルペンを預かる投手コーチ。年の経験は生きている。「特に心理面の助言を大事にしている。それと人、ケースにより掛ける言葉を変えている」と言う。(つづく=敬称略)【浅岡真一】
April 9, 2008 12:00 AM
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