大河連載「伝説」

2008年04月07日

逆手にとったデータ野球

【1985年阪神 かくて猛虎になりき(1)】

◆85年日本シリーズ第6戦(11月2日・西武)
 阪神 410010102-9
 西武 100100001-3
【神】○ゲイル-木戸【西】●高橋、工藤、松沼雅、永射、渡辺-伊東
[本] 長崎2号(満塁=高橋)石毛3号(ゲイル)真弓2号(高橋)掛布2号(2ラン=渡辺)

 7回、バースのタイムリーが出ると、吉田義男監督はそっと広報部長だった室山を呼んだ。5点差。もう逃げ切りできると踏んで、記者会見の内容の最終打ち合わせだった。それから30分後、所沢の夕空に吉田の体が宙に舞った。

 85年11月2日、午後4時12分。それは阪神にとって歴史に残るメモリアルタイムになった。2リーグ分立後、3度目の日本シリーズで遂に初の日本一。敵地・西武球場で2連勝したが、甲子園に戻って2連敗。勝負の分かれ目となる5戦目でファンの後押しを受けて快勝。再び、西武に乗り込んで、6戦目で悲願を果たした。

 吉田「選手には胸を借りるつもりで自分の力を出し切れ! と言って臨んだ。3勝目で勝てそうな手ごたえをつかんだ」。

 戦前、多くの評論家は西武有利と予想していた。それまで広岡監督が率いる軍団は前3年間で日本一に2度輝いていた。一方、阪神は永年の低迷から抜け出し第2次吉田政権の1年目で21年ぶりのリーグ制覇。監督の、チームの熟練度からすれば止むを得なかった。

 阪神勢はその世評に立ち向かい、各自の力を出し切った。勝因は複数ある。その年、6月の日本ハム戦でノーヒットノーランを達成した郭泰源が肩痛で離脱、エース東尾が抑え役に回ったのも幸いだった。だが、3割6分を残し、殊勲賞も受賞した核弾頭・真弓明信は相手の偵察が行き届き過ぎたことを強調した。

 真弓「初戦でしめたと思った。(西武のバッテリーは)セの他球団と同じ配球をしてきた。だから、シーズンの延長のような気持ちで打てた。私の場合はかつて所属した球団でもあり速球系に強いのを知っていた。東尾さんに対してはスライダーしか狙わなかった。まともにまっすぐで勝負してこないと分かった」。

 西武は10月9日にVを決めたが、独走しておりトラの分析は1カ月近く前から行っていた。そういえば、一枝コーチが「私は守備担当だったが、ミーティングで細かい指示はしていなかった」と記憶を辿る。

 真弓「データ、情報というのは参考にはなるけど、使い方次第によっては、相手に有利になると実感したよ。他の打者も同じだったはずだ。

 今やデータ全盛時代といっても過言ではない。しかし、真弓が大舞台で体験したように、それだけに頼っていれば、裏目に出ることはある。

 セ優勝5度の阪神だが、日本一は「猛虎打線」を看板にしたこの年だけしかない。ただ、頂点を極めるまでのシーズンは決して平坦なものではなかった。(つづく=敬称略)【浅岡真一】

April 7, 2008 12:00 AM

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