大河連載「伝説」

2008年04月04日

心がつないだNZとの絆

【世界で認められたただ1人の日本人ラガーマン 坂田好弘(5)】

 京都の坂田好弘(64=大体大監督)の実家にお邪魔して取材をさせてもらっていた時だ。大きなニュージーランド(NZ)人と2階で鉢合わせした。カンタベリー大クラブで監督だったディック・ホクリー(78)だった。40年前、オールブラックスのすぐ手前までこぎ着けた坂田とNZとの絆は、今も熱く固い。

 ホクリー「サカタは素晴らしいプレーヤーだったよ。足が速い伝説のウイングだ。私は彼が激しいプレーをするのに、全然ケガをしないのが不思議だった」。

 オールブラックスには届かなかったが、カンタベリー州代表で70試合に出場したかつての名FWは、遠い日を懐かしむようなまなざしをした。1964年、選手として日本へやって来た彼は、その後同大を指導したり、坂田の面倒をみたりして、すっかり親日家になっている。京都の坂田家にホームステイして、そこから出かけては旧交を温める日本の旅をしていたのだ。

 69年のシーズン、NZでトライを重ね「もっとも有名な日本人」となった名誉は得難い。だが、本当に値打ちがあるのは「空飛ぶウイング」が日本とNZとの間にパスを巡らせる「名ハーフ」になったことかもしれない。シーズン18トライ、そしてひた向きなプレーを認められたから、きっとそうなり得たのだろう。

 そういえばあの年、トライを取り続けているうちにパスが回ってこなくなった。

 坂田「5~6年前に、尋ねたんですよ。ボクにはパスを回さなかったのか? と。そういうこと(テスト)はする、と言われました。日本人がトライ数のトップというのは気分が良くなかったんでしょう。だけど平気でしたよ。パスが来なければタックルしよう、と。血を流しながらタックルに行った。大事なのは試されている時にいかにして認めさせるか。同じ人間ですからね。最後はハートです」。

 ひたむきにタックルを繰り返す。ある時、倒した相手がつかみかかってきた。チームメートがアッという間に集まってかばってくれた。以来、ウイング坂田はカンタベリー大クラブで本当の切り札となった。

 昨年、大体大を率いてNZ遠征を行った。松岡勇、中村勇輔、山本奏多の3人がお世話になったホームステイ先の主人は、体調が悪いのに彼らを泊め送り迎えもしてくれた。帰国して間もなく、訃報(ふほう)が届いた。NZで受けた温かさに報いるための彼らの奮闘が、関西大学リーグ優勝につながった。遠征の最大の成果は新しい戦術やスキルアップでなく、人のつながりだったのかもしれない。

 異邦人を和やかに受け入れてくれるNZという国と人々が、坂田は本当に好きだ。遠征ばかりではない。結婚式(77年4月30日)もクライストチャーチの教会だった。息子の博史(29)の留学先も、当然NZであった。

 ところで、電通でW杯の日本招致に身を粉にして働いていた博史は、今は東京五輪招致活動に従事しているそうだ。日本とNZをつないだ父親の跡を受け継ぎ、その子は日本と世界の架け橋になろうとしている。(おわり=敬称略)【編集委員=井関 真】

April 4, 2008 12:00 AM

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