大河連載「伝説」

2008年04月02日

誰にも真似できない技

【世界で認められたただ1人の日本人ラガーマン 坂田好弘(3)】

 勤務先の近鉄不動産から休みをもらい、ニュージーランド(NZ)へ渡ったのは1969年3月29日のことだった。坂田好弘(64=大体大監督)27歳の春。クライストチャーチのカンタベリー大クラブへ入り、本場のラグビーを全身で感じることとなった。チームはレベル別で約20チームあり、週末には全チームが試合をする。

 今も交流が続くキャンベル家にホームステイし、火・木曜が練習、土曜が試合。いきなりAチームに入った坂田は4月5日には初試合で5トライを挙げた。活躍は続く。カンタベリー州代表を選ぶ選考試合でも、途中出場して3トライ。渡航後1カ月もたっていない4月25日には、早くも州代表としてウエスト・コースト州代表との試合を経験している。カンタベリー州代表はオールブラックス5人を含む強豪だった。

 いったい坂田というウイングはどんな特質があったのだろうか? 走れば誰も追いつけない速さがあったのか、どんな相手でも吹っ飛ばせる馬力があったのか…。多分、速さも馬力もあっただろうが、それらに頼りきってトライを量産したわけではなかった。

 坂田「私はボールを受けた瞬間、止まれたのです。体の大きい外国人選手は重心が高いから、それができない。カーワン(現日本代表監督、現役時代はオールブラックスの190センチを超える超大型ウイングだった)もできなかったでしょう。背の低い私は、それができた。止まってかわして抜く。イン・アンド・アウトという技術です」。

 理想とするトライは、相手に指1本触れさせないでインゴールへ持ち込むこと。「もし真剣勝負だったら、相手に触れられるということは切られること。だから一切触れられずにトライすることが理想なのです」という。実は66年、オールブラックス・ジュニアに勝った試合で、坂田は生涯最高のトライを決めている。前半35分、パスを受けた坂田は一瞬右をつくと見せて、左にステップを切った。タックラーは翻弄(ほんろう)され、坂田の体に指1本触れることが出来なかった。

 いったいなぜ、こんな技術が体得出来たのか。中学の時、彼は柔道選手だった。2年の時には京都府大会の決勝に進出。背丈で25センチ高く、体重で40キロ重い相手に押さえ込みで敗れて準優勝に終わったが、初段の腕前である。

 坂田「柔道をしていたことが役立った。足首、膝、腰の強さですね。走っていてパスを受ける。足をぺタッとついて、ひざに余裕を持たせながら止まれる。柔道のおかげだと思います」。
 昨年は大体大を率いてNZ遠征を行い、関西大学リーグ優勝につなげたのをはじめ、坂田はしばしばNZを訪れている。いつだったか、カンタベリーのサポーターズクラブで年配のファンにこう言われたことがある。「いまのカンタベリー州代表のウイングはサモア出身の選手なんだが、デミ(坂田)とよく似た技が使えるんだよ」。

 伝説のイン・アンド・アウトは、今もラグビーの本場で語り継がれているのだ。(つづく=敬称略)【編集委員=井関 真】

April 2, 2008 12:00 AM

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