大河連載「伝説」

2008年02月15日

今も未来の「魔女」育成

【258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部(10)】

 「魔女」の伝統を引き継ぐ「ユニチカ貝塚」は、69年から日本リーグを3連覇。「東の日立、西のユニチカ」として女子バレー界を引っ張っていった。監督の小島孝治の熱心な指導の下、伝統の守備は健在だった。85年にユニチカ入りし、96年アトランタ五輪では日本代表の主将を務めた中西千枝子(41)は、その重みをかみしめたという。

 中西「東京五輪の時は生まれていないし、正直、ユニチカに入るまでは伝統を知らなかった。でも旧体育館で練習して、そこにあった資料館を見て『すごいところに入ったんだ』と思った。回転レシーブの話を聞いて『レシーブだけはどこにも負けてはいけない』と必死に練習しました」。

 しかし、不況のあおりが企業スポーツを襲う。97年、ユニチカは貝塚工場を閉鎖。00年7月には、ついにバレーボール部の活動停止を発表し、チームは滋賀県に本拠を置く東レに譲渡された。貝塚での46年間のバレー部の歴史の幕を閉じたのだった。

 ニチボー、ユニチカは貝塚市民にとって「おらが町の誇り」だった。貝塚市バレーボール連盟会長の塔筋覚(73)は、チームが消えた7年前を「宝物を失った感じだった」と振り返る。ユニチカ関係者と市民とのお別れ会では参加者の多くが涙を流し、別れを惜しんだという。

 そのころ、日本バレーボール協会ではナショナルトレーニングセンター(NTC)構想が浮上していた。金メダル戦士を生み出した施設で、若年層を養成プログラムのもとに鍛え上げる。専用体育館と宿泊施設を整備した貝塚工場跡地で、毎年10人ほどの未来の「魔女」を育てることになった。

 NTCは05年に正式にスタート。同時に日本代表女子チームも、この施設で合宿するようになった。現在開かれているW杯を前に先月も、1カ月に及ぶ合宿が行われたばかりだ。地元も塔筋が中心になって「サポーターズクラブ」をつくり、代表をもり立てている。

 バレーで町の活性化を図る貝塚市も、04年に「バレーボールのまち貝塚」を宣言した。ロゴや標語も決め、地元菓子店では「バレーボールもなか」も販売されている。05年には、元の貝塚工場事務所を「貝塚市歴史展示館」(貝塚市半田138-1。電話072・431・0500)として開館。34年の建築で「国登録有形文化財」登録の建物の中には「魔女」の汗と涙が染み込んだ旧体育館の床など、ニチボー貝塚関連の資料が展示されている。

 そして「魔女」は、今でもバレーボールの普及に努めている。現在、全国各地に散らばっているメンバーだが、年に数度は必ず集まる。金メダルをつかんだ東京五輪で主将だった河西昌枝を中心にバレーボール教室に積極的に参加し、小学生からママさんまで熱心に指導。そんな河西が現在と比較し、あらためて当時を振り返った。

 河西「最近も相撲の時津風部屋など、行き過ぎた練習が問題になった。私たちも、はた目にはイジメのように見られていたと思うけれど、全くそういう気持ちはなかった。厳しさばかり指摘されるけれど、13年の選手生活は『バレーの面白さ、楽しさを教えてもらった』という印象の方がはるかに強い。先生(監督の大松博文)との『絶対の信頼』こそが財産でした」。

 戦後の貧しさから必死に脱却した高度成長時代。金メダル、258連勝の金字塔…。何よりも師弟愛で結ばれ必死にボールを追う姿が、日本中を熱狂させたのだった。(この章おわり=敬称略)【近間康隆】

February 15, 2008 12:00 AM

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nikkansports.com/mt/mt-tb.cgi/15294


コメントしてください



保存しますか?