Hangin' Around The NBA Wit Kaoru

プロフィル

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★真田薫(さなだ・かおる)
 埼玉県出身、NY在住。故障のため、バスケットボールを断念。R&Bシンガー「Cheyenne」として97年デビュー。アルバムリリースやライブ活動のかたわら、ラジオ番組のMCも手がける。00年からNBAを精力的に取材。

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2005年09月28日

Fresh Prince Of NBA Vol.6

アレン王子の来日は、そこまで大規模に宣伝されなかったようだね。「知らなかったよー(泣)」というコメントなどもいただき…残念な思いをしたファンの方々もいたようだ。私も、チェックしたかったけれど忙しくて帰れず、同じく残念だったよ。特に、Tatou Tokyoでセレブレイト・イベントがあったとのこと。あそこのメーンシェフはフレンチの素晴らしい方でしょ。「料理の鉄人(アメリカでも大人気! の番組。私も時々、こっちで見てる。ちなみに英語タイトルは、<アイアン・シェフ>っていうんだよ(笑))」にも出てた…と、お前が残念なのはアレンちゃんじゃなくて食いモンかい!! とファンの方々に怒られないうちに、本題にまいりましょうか。日本での感想など、後日チャンスがあるときに、アレンに聞いておくね。

さて、いよいよ本格的にラリーさんを怒らせ、クリッパーズにトレードか!? という危機を迎えたアレン。彼はこの事実を、まずはクローチから電話で聞いた。「俺をトレードしたいのかよ、Cat Daddy!? Yo,聞いてくれ。俺をトレードするなら、グラント・ヒルとにしてくれ。そこら辺の、クリッパーズのくずボーラーとトレードすんのは、やめてくれよ! チームバスを待たせたからって、朝メシにまたタコスを食ったからって、ウエートトレーニングの間にトイレにこもってたからって、練習に片っぽだけシューズを履いて出てきたからってよう、トレードしないでくれ…そんなBull Shitな理由で、俺をトレードしないでくれったら!! だってそんなことなら、いつでも直せるんだ、俺は。Yo,聞いてるかい!?」

アレンの<主張><嘆願>、もしくは<言い訳>は、まだまだ続く。

「俺は25歳だぜ、man。こないだ25に、なったばっかりだ。25ってことは、俺はもう、完ぺきに大人だ、ってことだ。もうすぐ結婚もするんだぜ、man、聞いてんのかい? フィリーに、もっとデカい家も買う予定なんだ。そしてマイボーイ、俺の息子デュース、ヤツに俺のことを誇りに思ってもらいたい、てめえのオヤジは、言われたことをきちんと遂行していく男だと、そんな風にプロフェッショナルな男だ、ってことを、このチームのキャプテンだ、ってことを。俺が育ってきたところ、その辺のヤツらで、25歳で、たくさんのことを成し遂げてきたヤツはそう多くはいない。でも、俺は、成し遂げてきたろう、いろんな、ことをよぉ。でも、それを祝うバカ騒ぎパーティーすらも、やらなかったんだぜ!? 何でだ、っていったら、俺はリングが欲しい、コーチにシャンパンをかけてえからだ。そんで、もしかしたらあんたも、俺のことを<Thug>(ワル、不良)なろくでなしだと、思ってるんだろ、でも俺は、違うんだ。だからよぉ、俺をトレードするんなら、<バスケットボール>の理由で、にしてくれよ。ああ、俺をトレードしたっていい、それでチームが、その見返りにすげえスーパースターをゲットする、っていうんならな。でも、俺がドゥーラグを巻いてるからって、トレードすんのは、なしだぜ、ねえ…コーチに、それを、言ってくれ。ねえ、言ってくれよ、プリーズ…」。

アレンのスピーチの才能は、持って生まれたものかもしれなかった。とうとうと語り、最後には哀願口調になっていくアレンの説得力に、クローチもほだされそうになる。

「ヘイ、それじゃあBubba,何しろそれを、実行しろ。今言った事柄を、まさに、<実行>してみせろ。キミがやらなきゃいけないことは、何しろそれだけだぞ。そしたら、トレードには出さない。今、口にしたことを、実現することだ」。

それからさらに長時間、アレンはクローチに訴え続け-そして電話を切るときに、再び同じフレーズを叫んだ。「コーチのとこへ行って、今俺が言った事を伝えてくれ、プリーズ!」

クローチはその後、当時GMであったビリー・キングに電話をし、自分は良い感触でアレンと話をしたと、伝えた。しかし、彼らはそう簡単には、ほだされるわけにいかなかった。

アレンは随分前にも同じ約束を、<守られなかった>約束を、しているのである。トレーニングキャンプに、彼のベスト体重を15ポンド(約7キロ)も割って現れたこともあった。そしてこの年は、ひざ、ひじ、肩、ヒップと、全身のありとあらゆるところを故障した。ラリーからすればこれは、「ごらん、だから、言ったろう、ウエートや食生活の大事さを!」ということなのだったが、それでもキャリアハイの54得点をしてみせたり、毎晩40得点を重ね続けたりするアレンにすれば、未だその<必要性>が心底からは、理解できずにいたのだった。

何度も練習に遅れてくるアレンをかばい、「コーチ、俺たちが何とかするから。俺たちが、ヤツを連れてくるよ。だから、俺たちに任せてくれ」と提案したスノウとマッキー。しかし、アレンだけはみんなの前では怒らないなど、既に彼に対してスペシャルな方法を用いているラリーにとって、これ以上アレンを<特別扱い>することは正しくないと思えた。でも、そうでもしない限り、彼を生かしてやることはできないのか? 悩んだラリーがふと口にしたのが、「ふん…なにしろあのガキは、ちょっと特別な育ち方をしたからね」。

それを聞いたマッキーは、こう答えたという。「コーチ、ロッカールームの12人全員、同じことを感じてるんです」。

ゲットー育ちの多いNBAプレーヤーの中でも、「彼のバックグラウンドは並外れてハードだ」という感想を抱かれていたアレン。そんな境遇の者に特有な<ハイ・プライド><なかなか他人を信用しない><被害妄想>、この3つの要素が目立っていた。みんなの前で注意を受けることを<恥>とするだけでなく、プレータイムがもらえないことも、彼にとっては<恥>であった。たとえそれが、彼が故障しているからというラリーの配慮で、いつもの48分間が40分間になっただけでも、アレンは文句を言い続けた。「今日はベンチに座らされる、ってことが分かってたら、ゲームに来なかったのに!!」。

また、仲のいいチームメートが次々とトレードに出されると言っては、怒った。ホームボーイズたちが遠ざけられようとしているのと同じように、自分の仲良しばかりがどんどん放出されると、勝手に思い込んでいたのである。ラリーはそのたびに「彼らが放出されるのは、<キミと仲がいい>からではない」と、繰り返し説かなければならなかった。

そんなアレンが、ここへ来て、<狼少年の何度目かの約束>を信じてもらいたがっている-Yes,I will or No、I will give up? 今一度許すのか、それとも見限るのか。ラリー・ブラウンの<忍耐力><包容力>も、試されていたのだった。

September 28, 2005 10:49 AM | コメント (1) | トラックバック (0)

2005年09月21日

Fresh Prince Of NBA Vol.5

我らがアレン・ザ・プリンス、今日21日から23日までTokyoをヒットすることになっているけど、アレン・ファンの方々は楽しみにしてることだろうね! リーボックのツアーで、日本は東京、このあと中国は上海を、ヤオ・ミンらと一緒に回ることになっている。11月に<アンサーIX>出るしね。バスケ・クリニックや、店舗でのイベント等を予定してるらしいけれど、「実物アレンちゃん in ジャペン!を見てきたよ!」なんて、興奮のコメントもお待ちしておりますよ。

田臥勇太くんも、まだ契約の詳細は発表されてないものの、クリッパーズとひとまずサインしたということだし、日本はちょっとうれしいこと続き!?

さて、今回のアレン王子。Rbkが提唱している<i am what i am>、このキャッチフレーズをそのまま冠した、アジア・ツアーということ。ちなみにこのフレーズって、<俺は、俺自身である>っていうような意味なんだけど、このシリーズのモデルに起用されている人々は、アレンといい50といいJay-Zといい、ホントにみな<i am what i am>な方たちばかり。彼らだって人間、今までの人生、ときには<自分に自信が持てない>瞬間もあっただろうが、それでも<己>を信じ、<俺は俺である>という信念を頑固に貫いてきた人々だ。

「I don’t respect no one」-俺は、誰のこともリスペクトしちゃいない-<神様>マイケル・ジョーダンに、そう言ってのけた10年前のアレン。「他人に弱みを見せてはいけない、少しでも<ソフト>な印象を与えたが最後、ナメられる」-アレンが育ってきたHood-ゲットー地域-の常識だ。そんな彼にとってこのときは、たとえハッタリであっても、こういった強い言葉を吐く必要があると思えたのだろう。

彼がリスペクトしているのは、<自分自身>と<家族>と<ホームボーイズ>、いずれも長くつきあってきて、<自分に対しての真心>が確認できている対象のみだった。
出会ってまだ半年にもならないリーグの連中はみな、アレンにとって<先輩>でも<友達>でもなく、<自分の強さをまず認めさせなければならない他人>だったのである。

そんなアレンは、「キミのここをこうしなさい、スラングばかりのそういう話し方はダメ、その髪型は良くない、イレズミはダメ、練習をサボらない、ウエートをやれ、タコスばっかり食べるな・・・」などと、<自分を変えよう>としてくる人々、組織を激しく拒否した。

「俺は、Rbkが好きだ。だって彼らは、最初から俺を、<i am what i am>でいさせてくれるんだ。だからずっと、ディールしてるんだよ」。最近になって、アレンはまた、こう語った。

「しかしキミは、日々<ベター>に成長しなければならないんだ。<成長>とは、キミの嫌いな<改造>では、決して、ない」。お前の信念や個性自体は変えなくてもいいが、しかし、やはり悪い面は努力してなくしていかねばならない、ということを教え込むのに、ラリー・ブラウンはさまざまな苦労を重ねた。彼がまず最初に着手したのは、膨大なシュート試投数を誇るアレンを、PGからSGに変えること。アレン自身にとっては、悪いチェンジではなかった。アレンが同意したので、ブラウンとチームは、アレンSGを中心としたチーム作りをするためにスタックハウスを放出し、ペイトンに鍛えられた粘り強いディフェンスをも持ち合わせるピュアPGのスノウ、職人肌のマッキーらを獲得。後にこの2人が、アレンの無二のチームメートになっていく。

しかし、ブラウンはアレンに、日々波乱万丈、といった感情を味合わされた。あるときはとても素直にブラウンのいうことを聞き、初々しく頑張るかと思えば、あるときはふてくされてしまい、反抗しようとする。練習はサボる。アレンは、「練習に出なくたって、ウエートをやらなくたって、幼稚園児じゃあるまいし、それでもゲームそのものに命をかけて、勝利に貢献すればいいんだろう?」くらいに思っていたのである。実際に、前の晩、クラブに出かけて朝方まで大騒ぎをし、大酒を飲み遊んで帰って、昼間の練習は寝ていてサボり、それでもその夜のゲームでは40得点、といったことを繰り返していた彼なのだった。

喜怒哀楽、すべての感性に、ドラマティックに刺激を与えてくるアレンに、ブラウンは堪忍袋の緒が切れてはトレードを考えたり、メディアに怒りをぶつけたりしていた。そんな中、打ち解けてみればこんなに楽しく、情に厚いヤツはいない、と分かりかけていたスノウとマッキーは、「コーチ、俺たちがヤツを起こして、練習に連れてくるから。これからは、サボらせない。俺たちにまかせてくれ」と、何度もアレンをかばった。

一方で、ブラウンも少しずつ、<アレンにとって有効な方法>というのを体得し始めてはいた。まず彼が感じたのは、
「このガキは、おそろしく誇り高い。プレーで何か注意するときにも、チームメートみんなの前で言ってはダメなのだ。そうすると、彼は、自分のメンツを傷つけられたと恥に思い、本当は何を怒られたのか理解していても、ムクれて反抗してしまう。怒るときには1on1で、他の誰も見ていないところでなくては」。

実際にアレンのメンタリティーというのは、本当に王族のように<誇り高い>ものだったのである。

「俺に何か不満があるんだったら、TVに、新聞に、ラジオに、キミたちメディアにそれをぶちまけるのではなく、俺本人に言って欲しい。俺は今まで一度も、コーチ・ブラウンの悪口を、メディアに向って言った事はない!」

-あるとき、こうメディアに吐き出したアレンだったが、これは本当だった。気をつけてはいても、ブラウンは割にメディアに打ち解けるタイプのコーチで、やはりときにアレンへの不満を正直にぶちまけてしまうのだった。<Fresh Prince>は、そうされることに一番、反発した。

そんな中、アレンは、ラッパーとしても活動しようとし、これがまた大きな話題をよんでしまう。ホームボーイズたちのヒップホップ・クルー、<Newport News>とともに、<Jewelz>という名前で<40Bars>という曲を完成、まずはラジオでプレーされ始めたのだが、この歌詞が、<女性や同性愛者を侮蔑している>というので問題になったのである。

偶然にもこのころ、私はNBAの取材を始めた。その年の夏に、いよいよこの40Barsをも含めたアルバム<Misunderstood>がユニバーサルから発売予定だったアレンに、それについて聞いたこともある。

「ふん、クールな曲ばっかに決まってんだろ。ジャパン・ツアー?ああ、行けたらそりゃ、行きたいね」。なんてぶっきらぼうに答えるアレンを思い出しながら、この曲を何度も聴いてみたものだ。

「俺のことをファゲット(おかま)と呼びやがったら/お前は土の下で蛆虫と一緒に寝ることになるぜ・・・」<俺は、タフでハードコアな人間。その俺を<軟弱だ>とバカにしやがったら、ぶっ殺すぞ>という意味である。

このフレーズが特に問題の個所として扱われたのだったが、私にはどうしてこれがそんなに<問題>なのか、ちっとも理解できなかった。確かに、<ビOチ>や<ファゲット>は、侮蔑用語かもしれない。しかし、これらの単語は、<マッチョ性>が基本のラップ曲には死ぬほど登場してくる言葉で、アレンの曲だけに限ったことではないし、ヒップホップではこういった言葉が、ある意味その<芸術性>の一部なのである。「子供たちのお手本であるべきプロ・アスリートが、そんな暴力的なラップを出した」というわけで問題にされたのだったが、ブラック・コミュニティ&カルチャーの渦中にいる人々、はたまたそれをよく知っている人々にとっては、「はぁ~?」という、開いた口ふさがらない状態の、ピントのボケた騒動であった。

「これはね、<ラップ>っていうんです、知ってる!?ただの、<一アート>なんだ。俺の本来の人間性とは、別物なんだよ。あのね、それで特に俺のは、<ギャングスタ・ラップ>って呼べるかもなの。知ってんのかよ、ねえ!?ただの、アートなんだぜ!?」
-ピンぼけの質問を投げつける記者たちに向って、アレンは叫び続けたものである。

そんなアレンも一昨年、私がそれを振り返り、「ギャングスタ・ラップのラの字も知らないメディアに、苦労していたよね」と聞いたとき、「なーに言ってんの、girl!?俺のは、ギャングスタじゃないよ、とてもお上品だったじゃないか(笑)」なんて、笑ってジョークをかませるほどに、大人になっていたのだけど。

結局、アルバムもシングルも、オクラ入りとなってしまった。

ちなみに私は、プロモ盤(アナログ)を持っている。いいでしょー!?お世辞ではなく、このアレンの曲、40Barsは、なかなか気に入っていた。ビートはチリング系で私の好きなユルいテンポ、アレンのうだーっ、としたフロウにもよくハマってるし、ライムのスキルはまだまだ荒削りかもしれないが、なによりアレンの声がいい。個性があって、低音が適度にきき、ハスキー。ちなみに、この当時いくつもの音楽雑誌に批評が出たが、「アレンがNBAプレーヤーではなくラッパー一筋で、ラップにかける時間がもっとあったとしたら、彼は素晴らしいアーティストになれるだろう資質がある」という意見も、いくつかあった。私も同感だ。「もう2度と、ラップはやんねー。No Mo Artist」って言ってたなー、アレンちゃん。気が変わってくれないかな(笑)。

ラップ騒動も収まってきた2000年夏、再び堪忍袋の緒が切れたブラウンが、ついにアレンをクリッパーズにトレードか!?といううわさが流れた。アレンは25歳になったばかり。「Yo、Cat Daddy,聞いてくれ!!」アレンは必死で、クローチにも訴えることになる-

September 21, 2005 08:49 AM | コメント (5) | トラックバック (0)

2005年09月14日

涙のポン&Fresh Prince Of NBA Vol.4

ハリケーン・カトリーナの被害は甚大で、いまだ各界で救援対策や寄付活動が続いている。NBAでも例外ではなく、9月11日の日曜日--4年前の悲劇においても忘れられない日--に、被災者を救援するためのチャリティーゲームがヒューストンで行われた。「僕がここへ来た理由は、たった1つしかない。ニューオーリンズの人々を助けるため、それだけだ」と語ったKG(ケビン・ガーネット)をはじめ、コービー・ブライアント、T-Mac(トレーシー・マグレディ)、レブロン・ジェームズら、オールスター級の選手が多数参加し、豪華な顔ぶれとなった。

さかのぼるが、これより前の9月6日、NBAプレーヤーズ・アソシエーション(選手会)が250万ドル(約2億7500万円)の寄付をすることに決め、その記者会見が行われた。我がニックスからは、アラン・ヒューストン、そしてポン吉(ステフォン・マーブリー)が同席。他にはアントニオ・デービス、パット・ギャリティーらも集まり、選手が1人1人、マイクでスピーチをすることになったのだが、この席でなんとポン吉が、オイオイオイと泣き出してしまったのである。

「赤ちゃんたちが、洪水になった川に流されていくのを見たとき…グスッ、俺は子供たちのことを思ったんです…俺の、キッズたち…グスン、俺は、俺の息子を、思わずきつく、抱きしめたんだ。グスングスン、彼は、俺がどうして急にそんなことをしているのかさえ、分かっていない…俺はただ、俺のキッズたちをじっと見つめて…ウッウッウーッ!…」
みたいな感じで、スピーチを続けることができなくなってしまい、プレーヤーズ・アソシエーションのユニオン・ディレクター、ビリー・ハンターに「もういいよ、もういいから」と背を抱きとめられて自分の席に戻してもらわなければならないほど、泣き崩れてしまったのである。

自分の席に戻されてからも、しばらくエッエッエッ、とやっていたポン吉。アントニオ・デービスが、ポンの背中をトントントン、とたたいてやっていた。

もちろん、カトリーナの災害に心を痛めている私だが、こんなポン吉の姿にも思わずやられ、もらい泣きしそうであった。「分かった、分かったよー、ポンちゃん!! もうホント、ポン吉ってなんて愛情深い、カワイイやつなんだろう…グスグス」とは、私の気持ち。

もちろん、<泣いた>からすごく心配している、<泣いてない>からそうでもない、というわけではない。クールな表情で、心から痛みを感じている選手だって、たくさんいるだろう。ただ、今さらながら、ポン吉の人情派度、素直さが、あらためて人間として好ましく映ったのである。

NBAスターだけれども、依然としてすごく<人間くさい>んだなあ、この人、という感じ。我がNYニックスの選手で、日ごろ頻繁に顔を見、取材していることもあって、私はポン吉びいきなのかもしれないが、決して「もう、なんて大げさなヤツだ」とか、否定的には感じなかった。いつものポン吉を見ていれば、彼が本当にそういう人で、心から切なくて泣いてしまっていることが、きっと誰にでも分かると思う。

さて、そんなカトリーナ被害に揺れるアメリカ、NBAであるが、ここらで話をまた、我らがアレン・ザ・プリンスに戻そう(一体、いつになったらアイバーソン編が完結するのか!?)。前回は、パット・クローチの決断の下、アレンちゃんが晴れてシクサーズ入りするところまでだった。さて、その後を、少し--。

アレンのルーキー・シーズンは、センセーショナルだった。チームとしての成績はさほど上がらなかったが、彼の驚異的なクロスオーバーと、恐れを知らぬペネトレイトは、人々に強烈な印象を与えた。だが、プレーが素晴らしい反面、早くも銃の不法所持で捕まり、実際に3年間の保護観察を食らった。このとき一緒につるんでいたのが、アレンのホームタウンからのポッセ(仲間)だったため、クローチは、アレンをバッドボーイ流の行動に巻き込まないよう、彼らに頼んだ。しかし、何人かは、ふん、余計なお世話だと、反抗してきたという。

<Fresh Prince-生意気な王子>アレンの、敵チーム選手に対するトラッシュ・トークもやまなかった。若手だろうが、ベテランだろうが、構わず連発するので、かのマイケル・ジョーダンがある日、彼に注意を与えた。もう少し、皆に敬意を表した方がいいのではないかい、と。ところが、この<神様>のアドバイスに対して、アレンはあの有名なセリフを吐いたのである。

「俺は、誰をもリスペクトしちゃいない」。

そのシーズンのオールスター、ルーキーゲームに出場したアレン王子は、ファンからも大きなブーイングを浴びるほど、既に立派な<悪役>となっていた。
こんなアレンを見て、クローチは考えた。「彼には誰か、適任のコーチを迎えなければならない」。そこで、アレンと同じようにハードなバックグラウンドを持ち、数十年前にはアレンと同じような性格の若者であったラリー・ブラウンに白羽の矢を立てた。

ブラウンは、アレンの母アンと話した。彼女はアレンについて、こういう境遇で育ったこういう子だから、ぜひあなたにコーチしてもらいたい、もしもあなたがアレンのことを絶え間なく叱らなくてはならなくても、それがアレンにとってのベストならば望むところだから、と訴えた。

アレンのバックグラウンド、性格を知ったブラウンは、まるで昔の自分を見るようだ、と思った。自分をコーチしてくれたマクガイアーを、当時のシーンを、思い出していた。ラリー少年は、マクガイアー・コーチにしょっちゅう叱られ、その度にむくれて不機嫌になり、落ち込んだ。叔父たちがラリー少年に諭した。「もしもコーチがキミに何も言わなくなったら、それはキミがもう愛されていないということなんだから」と--。全く同じことを、今度は自分が、あの生意気な少年に対して根気よくやっていかねばならないのだ、ということを、ブラウンは感じた。

そして、その予想は当たった。「I’m yours-俺は、コーチのいうことなら何でも従う」。この言葉がアレンの口から出てくるまで、その後5年の月日を要したのである。

September 14, 2005 10:54 AM | コメント (4) | トラックバック (0)

2005年09月08日

森下雄一郎スペシャルインタビュー

こちらUSでは今、ニューオーリンズが受けた被害のことで持ちきりだ。
ブッシュ政権による被災者の救援活動に、人種的差別があったと非難するカニエ・ウェストのようなセレブリティも続出。ホーネッツもこのほど、キャンプをまずエア・フォース・アカデミーの施設を借りて行うと発表。被災の影響は、当初の予想をはるかに上回る甚大なものになっているようだ。このコラムの読者の皆さんからも、この被害についてのコメントなどをいただいた。最近、日本でも天災や事故の相次ぐ様相。どこの地域でも、被害を受けた方々の一刻も早い救援、復興をお祈りしている。

そんな中、USで頑張り続けているジャパニーズ・ボーラーたちもいて、なんとも頼もしい&応援したい限り。

早稲田大学から昨シーズン、ABAのハーレム・チームをメークし、今オフはトレーニングに励んでいる藤野素弘くん。以前、私のラジオ番組に出演してもらったが、我が後輩でもある彼、さらなる飛躍を期待したい!

そして、この夏AND1 ミックステープ・ツアーで大きく躍進した選手、アメリカン・バスケットボールにトライしているジャパニーズ・ボーラーのパイオニア、森下雄一郎くん(写真)。先月末、彼をNYでキャッチしたので、今回はスペシャル・インタビューを届けたい。アレン王子の続きを書きたいのもヤマヤマ(ほんとにじらしてないってば(笑))なんだけど、ごめんねAIファンの皆さん、でも彼についてはまだまだ何回分もストーリーがあるので、ゆっくり書いていこうと思います。気長にお待ちくださいな。

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Q:この夏は、ミックステープ・ツアーでフックアップされたんだよね、おめでとう。

A:フロリダのタンパで、引っかかった。200人くらい参加者がいて、最終的に3人に絞られたんだけど、その3人に残れたんだ(このインタビュー後、プロビデンスでもかなりのプレイタイムをもぎとった)。

Q:やっぱり、厳しかった? 他のボーラーたちのレベルは高いと感じたかな?

A:ピン・キリ(笑)。もう、めちゃくちゃすげえやつもいれば、大したことないのもいる(笑)。プロフェッサーともマッチアップしたんだけど、彼のオフェンスは確かにすごい。でも俺のディフェンスは、やつを身動き取れなくすることができたよ。

Q:森下くんは、以前はブルックリン・キングスに所属していたよね。今回、AND1 ミックステープ・ツアーにトライしたのはどうして?

A:俺、今名前がある人にしか興味のないようなとこ、やなんです(笑)。

Q:日本人で、アメリカン・バスケットボールにトライしたパイオニアとして知られるあなただけれども、そもそも最初のきっかけは?

A:俺、学生のとき、日本で認めてもらえなかったんだ。全国大会に出たことないから、って。でも、バスケがやりたかったし、どうせあきらめるんなら、その前にアメリカにトライしてから、って決めた。最初はハワイに行ったんだよ。18歳のとき。「すげえ」って思う反面、10日間のうちに「俺にもできる」って、思ったの(笑)。ポジティブでしょ。

Q:今では英語もペラペラだけど、言葉をも含めて、最初は困ったこととかあった? なんだか、すぐになじんだように見えるけれども(笑)?

A:そりゃあ、最初は、大変なこといっぱいあったよ。でも俺、関西人だからかな、向いているみたい? ずっとこうやって、生きてきたし。それにね、俺が簡単に「やーめた、もう」って言うわけにはいかないの。そしたら、「なんだ、やっぱジャパニーズはダメじゃん」って、俺のあとに続くやつらへの道をも閉ざしてしまいかねない。俺個人の話、ってだけじゃなく、「ジャパン」をリプレゼントしている責任があると思うんだよ。

Q:素晴らしい!…で、いろいろ慣れてきたところで、自分がサバイブしていくための道なども、見えてきた?

A:最初は、「アメリカ人の真似しよう」って、思ってたの(笑)。でも、それじゃあ生き残れない、ってことに、そのうち気づき始めた。運動能力とか、体のサイズとか、もう、どう頑張ってもかなわないとこは、あるんだよ。だから、<日本人のいいところ>を思う存分発揮するしかない。例えば、アメリカン・ボーラーは、前後の動き、ステップが、速いとするじゃない? 日本人は、それには勝てないかもしれないけど、逆に横の動きには強いんだ。だからディフェンスは、圧倒的に俺たちのほうがうまいよ。

Q:普段のトレーニングは?

A:ウエーイトやコンディショニング・トレーニング。メンタル・トレーニングに、武道もやってるんだ。

Q:武道?

A:さっき言ったように、<日本人としての体を使い切る>、これには、武道がいいんです。

Q:なるほど…それで、やはりファイナル・ゴールは、NBAだよね。

A:うん。ただ、<スターターで出て、48分間プレーするPG>になれるとは思っていない。俺にNBAでの可能性があるとすれば、ベンチから出てゲームの流れを変えたり、得意のディフェンスで相手チームにプレッシャーをかけたり、といったような役割だと思うんだよね。それでも、今の俺が1、2分プレータイムをもらえたとする、そうすればそれが、10年後のジャパニーズ・ボーラーたちがNBAのコートで10分間のプレータイムをもらえることに、つながっていくと信じてる。

Q:すげえクールです。そんな森下君から、ボーラーたちに言いたいこと、メッセージ、ある?

A:みんな、何か、やろうぜ! バスケで金稼いで、いい車乗って、っていうのもいいけど、それだけじゃダメだよ。クリニックを開くとか、チャリティーをやるとかさ、何か周囲のためになることが、バスケを通じていくらでもできるじゃないか。俺も、そういうことをできるだけやっていこうとしているし、実践してる。ボーラー自らが自発的にそういう活動に取り組むのが、本当だと思うぜ。

Q:OK、全く同感。最後に、日本のバスケがもっと盛り上がるためには、どうしたらいいと思う?

A:「ヒップホップを聞くこと、浸透させること」。俺は、これだと思う。ヒップホップとバスケットボールがいかにリンクしてて、大事なリレーションシップがあるということ、もっと日本にも知ってもらいたいし、理解してほしい。これについては、イベントに協力したり、俺もいろいろトライしてみたりしてるけど、まだまだこれから、って感じがしてる。ぜひ、ベターな状況にしていきたいね。

写真撮影=吉田宗彦

September 8, 2005 10:26 AM | コメント (1) | トラックバック (1)