2005年08月31日
Fresh Prince Of NBA Vol.3
いよいよ8月も終わるね。
冬の寒さが厳しく、夏が短いNYでは、早くも猛暑は過ぎた感があり、過ごしやすくなってきている。
そんな中、夏の風物詩のストリートボールも、各トーナメントともほぼシーズン・オーバーとなった。ストリートボール・ビジネスではNo.1にビッグな「AND1 ミックステープ・ツアー」も、フィリーを最後に全米ツアーを終了したが、今年はここで頑張る日本人ボーラーの姿が。皆さんご存知、以前はブルックリン・キングスでもプレーしていた森下雄一郎君だ。
タンパ、ボストン、プロビデンス、NYなど、森下君は各地のオープンランに姿を現し、特にプロビデンスでは多くのプレータイムも獲得するなど、ジャパニーズ・ボーラーへの突破口を開く大きな功績を残した。親知らずが痛んで、38度の熱が出たままチャレンジした日もあったようで、これこそ<大和男児>の心意気、その辺のおおげさアメリカン・ボーラーにはできないことであろう。
「ファイナル・ゴールはNBA。俺自身のことももちろんだけど、俺が今、ここでトライしていることすべてが、後に続く人たちにつながっているとも思ってる。俺がダメだと、後輩たちへの道も開けない。俺が今、2、3分のプレータイムをもらえることに成功すれば、それは10年後のチャレンジャーたちが10分プレータイムをもらえることに、つながるんだ」。
すげえ、クール!! なんとも男気あふれるね。「日本のバスケがもっと向上、盛り上がるためには、ヒップホップを知ることさ」と森下君は言う。私自身も、バスケットボールというスポーツ自体のリズム感、ヒップホップとバスケットボールとがアメリカの、特にゲットー地域ではほぼ同義語になっている状況、全米での浸透度などを考えるとき、「ヒップホップを知ることは、バスケットボールを体感、体得し、そのスピリットを理解し、楽しむためには有効なことだ」と思っているから、彼のこの考えには同調する。Big Up To Yuichiro! 頑張れ!
さて、「NBAをヒップホップ化した男」
としても有名な、我らがアレン王子。トンプソン・コーチのおかげで、何とかジョージタウン大に入ることができた。ジェイルを経験したため約2年間、<チームスポーツ>としてのバスケットボールをやれなかったが、そのブランクもなんのその。より大きく、速く、強く、アグレッシブになっていた。バスケットに向かって、どんな方法でも切り込んでいき、得点してしまう。そして、自分より数インチも大きいディフェンダーの頭越しに、次から次へとダンクをお見舞いした。
アレンがダンクできること、知っていた? NBAゲームではあまり繰り出さないけど、実際は180センチに満たない身長ながら、ものすごい跳躍力を持っている。その跳躍力を使い、リバウンドさえどん欲にもぎ取った。振った後の炭酸水が、栓を抜かれて一気に外へ吹き上げるような情熱。しかも、その情熱は<サバイバル>という使命によって、ぐらぐら沸騰させられていた。
そのころのジョージタウン大には、ジャハイディ・ホワイト、ジェローム・ウィリアムス、オセラ・ハリントンなど、のちにNBA入りを果たすビッグマンもそろっていた。アレンは最初、ベンチスタートだったが、すぐにスターターPGとして起用されるようになる。PGとはいえ、爆発的な得点能力を持つアレンは、ほとんどのケースで自らがフィニッシャー。ESPNのスポーツセンター、ハイライトに毎晩のように姿が映し出され、95年にはSLAM誌の表紙も飾った。また、どん欲にディフェンスに取り組んだので、カレッジの1年目にして、ビッグイースト・ディフェンシブ・オブ・ジ・イヤーにまで選ばれた。
96年のカレッジ・プレーヤーは豊作だ。Uconn(コネティカット大)のレイさま(レイ・アレン)、ビラノバ大のケリー・キトルズ、ジョージア工科大にはポン吉(ステフォン・マーブリー)、そしてウェークフォレスト大には、かのティミー・D(ティム・ダンカン)。アレンはキトルズやティミーと一緒に、ワールド・ユニバーシティーゲームのUSAチームに選抜され、日本へやってきた。
いくつかの取材予定や撮影などをすっぽかしたといううわさも聞こえてきたが、とにかく金メダルを獲得。そして、チームメートとケンカもした。アレンが寝ている間に、チームメートが彼のバスケに関しての冗談を言い、それに腹を立てたのだ。
「俺にとってのバスケットボールとは、プレッシャーではない。俺の<仕事>ではあるが、俺を<脅かす>存在ではなく、<楽しませてくれる>ものなんだ」。
今でこそ、こんな発言をたびたびするようになったアレンだが、NBAに入る前のカレッジ時代は、違った。このころの彼にとって、バスケットボールとは、仲間たちの冗談のトピックにされるべきものではなかった。
この先の自身と彼の家族が、まともな生活を手に入れて生きていくための手段として<必ず成功しなければならない>、恐ろしく真剣なものだったのである。
1年目には、まだまだ<自分が!>というエゴが出てしまったアレンも、2年目-ソフォモアになると、NBAスカウトの目を意識し出した。いくら優れていても、あまりにもセルフィッシュだという印象を与えては、ドラフトされないかもしれない。そう意識し出したアレンは、アシストを増やした。スティールも増やした。チームは結局、NCAAトーナメントで4位に終わったが、彼は再びディフェンシブ・オブ・ジ・イヤーになり、オールアメリカンにも選ばれた。
96年には、NBAへのアーリーエントリーを決めた。「カレッジに、まだまだ残りたい気持ちもある。しかし自分は、できるだけ早く、我が家の経済状態を改善しなければならない状況にあるので、これを決めた」。通常は、教え子のアーリーエントリーを嫌うトンプソン・コーチも、「妹の病気も、治してやらなければ」というアレンに反対することもできず、彼のNBAへの道をサポートすることに決めた。
アレンは、シクサーズからNo.1ピックでドラフトされた。「俺の人生で、最も幸福な瞬間だった。助かった! っていう心境でもあったよ」。
No.1ピックを持っていたシクサーズは、実はその年の2大PGと言われていたアレンとステフの両者を事前に面接したという。
「ステフもね、良い子だったよ。しかし彼は、<エージェントに教えられた通りの答え>を用意してきているように思えたんだ。アレンはときに、自身にマイナスになるようなことも言ってしまったが、正直だった。バスケットボールプレーヤーとしてはもちろんのこと、人間的にも、何か強烈な魅力があった。そんな彼を信じることにして、我々はアレンを選んだんだよ」。
後にそう語ったのは、アレンのまた別の<恩人>にして当時のシクサーズオーナー、パット・クローチ。
いまや大成功した若手実業家のパット・クローチも、育った環境がハードだった人だ。孤児だった元ボクサーの父に、虐待され続けた少年時代を持つ。「父は、暴力でしか会話できないような人でね。ひとたび怒り出すと、私はまずたたきのめされる。そして、彼のベルトを取りに行かされる。自分をさらにたたきのめすために使われるベルトをね、自分で取りにやらされるというわけさ」。
そんなクローチは、アレンの良き理解者だった。アレンと同じ腕の位置にタトゥーを入れるような、若くて無邪気な感性を持つクローチに、アレンはなついていった。「アレンがチームに来たとき、やあ、君のニックネームはなんだい? ってたずねたんだ。そしたら彼は、Bubba Chuckだ。俺の、ハンプトン時代からのポッセ(仲間)がつけたんだ、と言う。私は、そりゃあ、クールだと思ったので、それから彼のことをいつでもBubba Chuckと呼ぶことにしたんだよ」。
このときから、クローチとアレンのあいさつは、
「Hey,Bubba Chuck!?」
「…What’s up、Cat Daddy?」
というやりとりに、決まった。
「Cat Daddy,調子はどうだい?…アレンは、それしか、<Hello>という気持ちを表す言葉を知らなかったのだから、いいんだ、それで」と笑って語ったクローチ。このクローチとラリー・ブラウン。後々、白人の中ではアレンと最も親密な関係を築いた2人、と言われるチーム・オーナーとヘッドコーチに率いられながら、彼のシクサーズ生活がスタートすることになる。
August 31, 2005 01:15 PM
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コメント
いつも興味深く読ませていただいております。
記事を読ませてもらうにつれ,アイバーソンの魅力がどんどん高まっていきます。フィラデルフィアにすんでいるので,かおるさんの記事のおかげで,今年は,いつもより多く試合を見に行くことになりそうです!
投稿者 フィリー : 2005年08月31日 13:48
かおる様
いつも楽しいコラムを有難うございます。今回台風でホーネッツのホームタウンであるニューオリンズが多大な被害を受けてしまいました。
10年ほど前私はアメリカに留学していました。そのとき友人に“なんでユタジャズって名前なの?ユタとジャズって関係ないじゃん”と質問したところ、“昔ジャズはニューオリンズにあったんだよ”と教えてくれました。それ以来このネタは自分が調べたかのように他の友人達に使ってきました。
ニューオリンズの一日も早い復興を願っています
投稿者 まる : 2005年09月02日 12:37
kaoruさん、こんにちは。
ニューオリンズの災害は当初思っていたよりもかなり悲惨なようですね。対応にアメリカの病んでいる部分が見えてしまいます。
「まる」さんの論点からはズレてしまうのですが、チームのニックネームって調べると色々おもしろいですよね。娘に「シクサーズは独立宣言をしたフィラデルフィアに本拠地があるから独立した1776年のセブンティシクサーズになったんだよ」って教えていたら、興味の無い娘の頭にも残っていて「お母さん、独立宣言のこと試験に出た!サンキュ」と言われた事があります。
いや~スポーツは楽しいだけでなく色々な知識を仕入れる宝庫ですね。
投稿者 アレンちゃんマニア : 2005年09月06日 21:06
はじめましていつもたのしくここのブログ拝見させてもらっています。今回は僕が大好きなストリートの話題だったので、つい書き込みしました。かおるさんは日本にめちゃめちゃクールな集団fareastballersってご存知ですか?僕は本当に彼らを見て感動しました>是非born to ballの記事に特集して欲しいです。
特にこのクルーにいるAJ選手は本当にやばい選手です!!
絶対向こうのストリートで活躍できると思いますよ。。是非拝見してみてください。
投稿者 FEBFan : 2005年09月08日 17:30

