2005年08月24日
Fresh Prince Of NBA:Vol.2
JYD(ジェローム・ウィリアムス)は結局、引退してしまった。まだまだプレーすると思っていたからびっくりしたし、切ない。1、2晩眠れずに考えて、ニックスに残り、選手以外のところで活躍していくという決断を出したのだそうだ。
「NYのキッズたちに、俺は戻ってくると約束してしまったもの。それを覆すわけにはいかないよ」。
本当に子供好きな、優しいジェロームらしい発言。数週間前にニックスのキッズ・キャンプに彼が参加していたとき、この秋に出すというキッズのためのラップCD第2弾の話も、当日の音楽を担当していたDJから聞いた。キッズがやる気と自信を持って頑張れるように、JYDがライムしている、ポジティブな内容のCDだ。
「俺はラッパーじゃないけどね。でもキッズのために、ラップしてみたんだよ」。
チームメートにも、ファンにも、そしてメディアにも、みんなに好かれていた。ラプターズ時代のチームメート、ビンス・カーターが「トロント時代に全力でプレーしていない日もあった」と爆弾発言をしてたたかれたときも、彼をかばう優しい発言をしていたジェロームだった。
「ファンのことを、きっと1番恋しく思う」と、引退の電話記者会見では語っていた。あのガッツプレーをもうNBAで見ることはないのか、と思うととても寂しいけど、でもまだ<バスケ・プレーヤー>をやめたわけじゃないよ、とも。ラッカーパークやどこかでまた、その雄姿を見られるのを楽しみにしている。映画出演のオファーもあるそうで、いろいろ活躍しそうだね。みんなも彼をどこかで見かけたら、「バウバウ!」と明るくあいさつしてあげて欲しい。
そのJYDの出身大学でもあるジョージタウン大。アレン・アイバーソンがここに入ることができたのは、この大学のバスケットボール部コーチ、ジョン・トンプソンのおかげだ。
彼は、アレンが毎年、夏に行うキッズのためのチャリティー・ソフトボール大会にも必ず、顔を出す。「私はプレーしないのかって? いやいや、マイ・キッドが来てくれと言うんだから、応援に駆けつけているだけさ。そしてね、大学時代にそうしていたのと同じように、ベンチからまたあの子を叱りつけるのさ(笑)」。そんな冗談を飛ばしていたトンプソン・コーチ。しかし、この人がアレンをジョージタウン大に迎えようとしていた当時、彼も大変な思いをしたようだ。
祖母の死など数々の辛い体験を通して、「俺がこの家の、唯一の男。俺が頑張ってやらないと、みんな、ダメになるんだ」という使命感に目覚めたアレン。ハイスクールでは、フットボール、バスケットボールともに、素晴らしい成績を残すアスリートに成長した。このときはやはりまだまだ、フットボールの方が好きだった。
アレンのハイスクール時代のバスケ・コーチ、ベイリー氏にも、以前インタビューしたことがある。
「あの子にフットボールをあきらめさせ、バスケに専念させようとしたのは、この私だよ。アレンは素晴らしいフットボール選手だったけど、でもあの体格では、プロになったら故障がちになってしまって長続きしないんじゃないか、って思ったんだ。それで、フットボールの練習に行こうとする彼を羽交い絞めにして、バスケにしなさい! って止めたもんだよ(笑)。あの子は足をジタバタさせて、離せ、離してくれよう、コーチ!! ってわめいてたけどね(笑)」。
フットボールでもバスケでも両方で、大学のスカラシップが望めるであろう、アレンだった。そんなとき、アクシデントが起こった。
友人たちと出かけたボーリング場で、白人客に人種差別的発言をされたアレンたちは、乱闘騒ぎを起こして警察に通報されてしまう。「俺はすぐにその場を離れた」と主張したアレンだが、既に地元では名前の売れたヤング・アスリートだった彼は1番の標的にされ、地元どころか、全米に知れわたるセンセーショナルな事件に発展してしまった。「相手のグループにいた女性に、アレンはいすを振り上げて乱暴しようとした」などという証言も出てきてしまい、どんどん不利になった。「俺が、この俺が、レディーに暴力を振るうような男に見えるっていうのか!?」と心の限りに叫んだアレンだったが、実証できず。当時アメリカ一の被疑者側弁護士と言われたローヤーを雇ったが、結局有罪となり、ジェイルへ行く羽目になってしまう。しかも、5年という長い懲役を求刑された。
先日のTVショー:<Quite Frankly>出演時には、当時を振り返って
「てめえがジェイルに行くはめになるときは、やはりそれにふさわしいことを、してるもんだよ」
と、真摯(しんし)に反省できる大人になったことを見せたアレンだが、ティーンエージャーだった当時は、全く納得のいかないジャッジによって、自分の未来が完ぺきに遮断されてしまったかに見え、暗い、どん底な気持ちで、ジェイルの日々を過ごしたという。
若く、将来有望なアスリートだということで、刑期を大幅に短縮されて戻ってきたが、既にフットボール・スカラシップは不可能になっていた。バスケットボールでも、どこの大学も、もはや彼を取りたがらない。そんな中、アレンの母は、人格者としても知られるジョージタウン大のトンプソンに連絡をとり、どうかアレンにチャンスを与えてもらえるよう嘆願した。
アレンに会って話をしたトンプソンは「この子は頭のいい、良い子だ」という強い印象を得て、その才能をムダにすることのないよう奔走し始める。だが、周囲から猛反対にあった。「あんな刑務所帰りの生意気な子を入れても、君のためにはならないよ」と忠告してくる人々もあった。しかしトンプソンは、自身がアレンを見た印象を信じた。若い、類いまれな才能を、これしきのことでつぶしてはならないと思った。アレンをワークアウトなどに呼び、さまざまな地元コーチたちに彼のプレーを見せ、そしてついに、アレンにジョージタウン大のスカラシップを与えることに成功する。こうして94年、アレンは晴れて、バスケ強豪のカレッジで新しいスタートを切れることになったのである。
こうして見てくると、アレンは本当に、コーチ陣や周囲にいる人々にも恵まれているようだが、それは彼の才能ももちろんのこと、燃えるような闘志と根性、そしてあのなんとも言えない人間的魅力のおかげだろう。
「皆さんは、どうもアレンをバッド・ボーイとして見たがるようだね。でも、私は、彼が良い人間なのを知っている。こうして毎年アレンがキッズのために、自ら行っているソフトボール大会…こんな良いことをしているアレンに、私はちっとも驚かないんです。大学のときだって、良い子だったもの。皆さん、これが本当のアレン・アイバーソンなんだ」。
何とも慈愛にあふれる、温かいスピーチをしたトンプソン。アレンは照れて、そして大きな瞳がジワッと、たちまち潤んでいた。
ジョージタウン大で頑張っていたアレンだったが、しかしその才能ゆえに、周囲のやっかみ、ねたみを呼び、ことあるごとに「ふん、あのジェイル帰り」などと批判され、足を引っ張ろうとする者たちも後を絶たなかった。このころついた皮肉なニックネームが「Jail Bird」。多くのブラック・キッズが、軽罪で刑務所務めを体験している中、アレンは優秀なアスリートだということで、並みの10倍も、その経歴を指摘されるはめになる。しかし、そんな状況が、スティーブン・A・スミスの指摘していたアレンの最大の武器、<No Fear(何者をも恐れない>精神を、ますます鍛えていくことになるのだったが…。
August 24, 2005 12:24 PM
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コメント
こんばんは。いつも楽しみにしています。
一つ質問があるのですが、アイバーソンのあだ名「ババチャック」について意味や由来などの情報ありますでしょうか?
ずっと気になっています^^;
投稿者 sion : 2005年08月24日 21:52
わーい、アイバーソンネタだー☆
すごく感動しました。こういう話読むと自分もがんばりたいって思えますね。いろんなことへ対してのやる気が出ました。
ありがとうございました
投稿者 Blue : 2005年08月25日 17:56

