Hangin' Around The NBA Wit Kaoru

プロフィル

photo

★真田薫(さなだ・かおる)
 埼玉県出身、NY在住。故障のため、バスケットボールを断念。R&Bシンガー「Cheyenne」として97年デビュー。アルバムリリースやライブ活動のかたわら、ラジオ番組のMCも手がける。00年からNBAを精力的に取材。

※詳しいプロフィルはこちら


バックナンバー

エントリー

2005年06月29日

速報!!真田流・ドラフト模様レポート

NBAファイナルも遂に、終わってしまったね。
シリーズが始まる前は、ジミだジミだと言われ続けていたけど、始まってみたらなんとなんと。素晴らしいディフェンスの応酬、緻密なストラディジー満載、かつ、あまりバスケをよく知らない人々でも楽しめるようなエキサイティングなプレーも続発。11年ぶりの第7戦突入となり、記憶に残るいいファイナルになったと思う。

マイ・メンが2人もいる(やさしい悪役ラシードと、ギャングスタ・コーチ・ブラウン)ピストンズは、死闘を繰り広げた末に負けてしまったが、テクニカルファウル・キングのラシードが、懸命にチームメートやラリーさんをなだめる姿は、よかった。そして、コーチ・ブラウン。切羽詰ったタイムアウトのときにも、「OK,Let’s go、baby.Have fun!!」(よーし行こう、野朗ども。楽しんでこいよ!!)なんて、本当に粋な言葉で自分の兵隊たちを送り出していたのには、鳥肌がたつくらい、感動した。こうやって指導されるなら、誰だってバスケが楽しくて、エキサイティングでスリリングでたまらず、誠心誠意頑張ってしまうだろう。改めてマイ・メン・ギャングスタ・コーチの凄さを思い知らされた気がしたよ。

さて、そんなファイナルの興奮もまださめやらぬ中、今日は、未来の感動を作り出す選手を生み出す第一歩、NBAドラフトが、世界で一番有名なアリーナと名高いマジソン・スクエア・ガーデンで行われた。NYに住んでNBA取材を5年もしていながら、毎年ファイナルのバタバタに紛れて、ついプレスパス申請を怠ってしまい、気づいたらその当日が来ていたというボケボケな私は、実は今年が初めてのドラフト取材。NBAドラフトはショー的な要素もあって、TVをはじめメディアがたくさん入り、なかなか会場もゴージャス。いつものゲームに比べると皆、きちんとめの格好(まあ、ドラフトされる子たちも、一張羅のスーツを着こんでくるのだからね)なので、私も気張って、スーツで会場に乗り込んで!? みた。

トップ・ピックが予想され、招待されている子たちの家族は、一番前方の席に陣取っている。
コミッショナーのデビッド・スターンが登場すると、拍手とともにブーイングも。アメリカ人は、富と権力を持つ人には、ひとまずからかいの意味でブーイングしてみるのだということなのだが・・・。

いよいよ、No.1ピックの発表。
昨今のNBAグローバル化を物語るかのように、今年の一番手はオーストラリア人のAndrew Bogut(アンドルー・ボーガット)。バックスが手にしたこのビッグマンは、7フッター(身長213センチ)でシュートも上手い、リーグに不足しているセンター。なかなかのハンサムさんのように思うが、ナッシュ-ジノビリの流れをくむあの髪型はどうか。一考が望まれる。

No.2ピック。ホークスは、名門ノースカロライナのフォワード、Marvin Williams(マービン・ウィリアムズ)を獲得。No.1ピックのAndrewのときより、ひときわ高い歓声が起こる。ママはただただ、涙涙。そりゃあ、自分の2倍くらいにも成長したバスケ好きな息子が、NBAに入れたのだと思えば、とてつもなくうれしいのだろうね。

No.4でピックされたChris Paul(クリス・ポール)は、MVPアゲイン、世界No.1のプレーヤー、Timmy-D博士(ティム・ダンカン)の後輩で、ウェーク・フォレスト大からのエントリーだ。身長は公称6.0(183センチ)。でもおそらく、実際はそれ以下。昨日のメディア・セッションのとき、「僕はよく、マグジー・ボーグスに話を聞きます。身長の低い僕がお手本にするべきは、彼のスキルとメンタル・タフネスだと思うから」と言っていた。印象としては、ちょうどアイバーソンと同じくらいの体格といった感じ。今回の1巡目ピックの中では最もフォトジェニックだというのも、アレンちゃんの系譜を引いているのかもしれん。

私としては気になるNYニックスは、というと。
8番目のピック権利を持っていたが、Channing Frye(チェニング・フライ)という念願のビッグマンを獲得! 6.11(211センチ)のセンターだ。良いショット・ブロッカーで、ダイハード・ニックスファンで知られるスパイク・リーも、立ち上がって手をたたいて大喜び。最後に会見したアイザイア・トーマスは、「ニックスの魂、カートをトレードしたことは残念だが、我々はロースターの完成に近づいている。よりアスレティックで若いチームという構想に、ぴったりハマるピックができたと思う」と語っていた。

来季のスタメンを想像すると、PG=ステフ、SG=ジャマール、SF=アリザ(若くてイキのいいチーム、というプランなら、間違いなくこのトレバー・アリザがスターターSFだと思うが)、PF=スウィートニー、C=ルーキーのチャニング・・・。

スウィートニーは別として、やっぱ顔で選んでないか、アイザイア・・・? アイザイア・トーマスは、実は自分好みのルックスの若者たちばかりを集めている!? という、もっぱらの噂。

No.14でウルブスにピックされたRashad McCants(ラシャド・マッキャンツ)はおかしかった。選手たちはピックされると壇上にのぼり、スターンと握手をしてそれをカメラに収めてもらってから、司会者たちとの対談などに移るのだが、自分の名前を読み上げられた瞬間にはやはり、家族と大喜びで抱き合ったり、ステージまで歩いていくまでの間にさまざまな人たちと握手をしたりする。Rahsadはこの人数が多く、壇上にたどり着くまでかなり時間がかかってしまった。この分ではまだまだたどり着かないだろう、と思ったのだろう、やっとRashadがスターンの横に到着したとき、スターンは気づかず違う方向を見ていた。握手をしてもらわなければいけない、そう思ったRashadは、そっぽを向いているスターンの肩を遠慮がちにちょんちょん、とたたく。

あのう、僕、着きました。

もーう、大爆笑! キュート!!

ご近所チームのNJネッツは、Antoine Wright(アントワン・ライト)という、テキサスA&M大のスラッシャーを獲得。しかし、地元チームでよく取材し、分析しているために、すぐに疑問が沸く。

Antoineは、6.7(190センチ)でガード、フォワード両方をこなせるアスレチックなプレーヤー。ネッツのスタープレーヤー、ビンス・カーターとリチャード・ジェファーソンの2人と、同じサイズ、タイプ、ポジションではないか。

ネッツはインサイドを強化=ビッグマンを補強したいところだったのに、なぜ? ケガがちなビンスへの不安? それとも、何かトレードを考えているのだろうか。ドラフト会場とは別のところで記者会見が行われるため、ちょっと駆けつけてみる。幸運にも!? あまり質問する記者たちが多くなさそうだったので、Antoine本人に「ネッツにはあなたと似たようなタイプの選手、カーターやRJが既にいるけれど、そのことについてはどう思う?」と聞いてみた。新人らしく「彼らから学べるから良いと思う」なんて、模範的な答えが帰ってきたけど・・・。プレータイムがどれだけもらえるか、だし、まあまずスタメンへの道は遠いだろう。それにしても、記者会見で下手くそな英語を披露せねばならないのには、何回やってもドキドキ、冷や汗をかいてしまう。

ピックが進むにつれて、まだ名前を呼ばれない者たちは、だんだん不安そうな顔になってくる。だいたいは予想どおりピックされていくのだが、中にはあれ? 予想よりだいぶ下位だねぇ、とか、逆にだれだ、このダークホースは!? というケースも飛び出す。28位ピックでスパーズが獲得したIan Mahimi(イアン・マヒンミ)はフランス人選手で、私とも仲良しのフランス人記者軍団ですらも、「僕も知らなかったんだ!」と叫ぶほど、<ベスト・ケプト・シークレット:秘密兵器>らしい。トニー・パーカーの弟と一緒にプレーしてたんだそうだが、それにしても。

「これだけ注目されてなかった外国人選手が、チャンピオン・チームの1番手ピックだというんだからねぇ!」

さすがはスパーズの、スカウト陣。これでまた、さらに多国籍軍団になっていく、無敵のスパーズ。

今回はこのIanを始め、フランス人選手がたくさんピックされた。なので、フランス人記者たちは大活躍&フランス語で質問&回答されても、われわれには全く分かりませーん、ズルイよームッシュウ、状態。日本人ボーラーよ、早く我々のためにもNBAにいっぱい入ってきておくれ。そしたらこのフランス軍団のように我々も、公開ながら秘密の質疑応答、というのをやってしまうのだ。

ところで、シアトルにいくMickael GelabuleやレーカーズにいくRonny Turiafなど、なぜかフレンチ・ブラックは長髪好き!? Ronnyは長いコーンロウだし、Mickealはツイスト・ドレッドで爆発頭。なので、ソニックス・キャップをちょこんと頭上に乗せただけなのがキュートだった。しかしさすがモードの国、フランス人選手はみなオシャレ&グッド・ルッキン。ゲームの方も頑張って活躍してくれれば、NBA人気を盛り上げるのに一役買ってくれるかも。

同じピックされるのでも、1巡目と2巡目では雲泥の差。
1巡目なら即ミリオネア、そして契約上の保証もあるが、2巡目になってしまうと一気に額も下がり、保証もほぼない状態。天と地ほど条件が違ってしまう。だから、惜しくも1巡目に漏れた者などの顔は、あまり明るくはない。トップ・ピックで選ばれて、涙を流して喜んでいる同輩たちを、きっと悔しい思いで見ていることだろう。

今ドラフトでは5年ぶりに、ハイスクール卒の選手がNo.1ピックにならない年となった(2002年のヤオ・ミンを除き)。No.5ピックまで、カレッジからのエントリー。よりファンダメンタルなルーキーたちを見ることができる、次シーズンになるだろう。そのせいもあってか、選手はみな新人らしからぬ落ち着きで、取材慣れもしてい、スピーチも流暢にこなしている子が多かった。今季、ドゥワイト・ハワードの初々しさぶりに感動してしまった私は、新人らしい<もじもじ君>が、もっといっぱいいることを期待していたのだが・・・。

また、ガード陣にはタフなここ数年のドラフトだったが、今年は1999年以来初めて、トップ10までに3人のPGが入るという快挙。またノースカロライナ大から4人が1巡目指名を果たし、なんだか傾向としては、ややオールドスクール・スタイル回帰なのかな、と思った。

この中から果たして何人が、ソリッドなNBAプレーヤーとしてサバイブし、また感動のプレーを繰り広げてくれるようになるんだろうか? 今現在活躍している選手たちもレジェンドたちも、みな口を揃えて言うのは、

「人生で一番うれしかった瞬間は、ドラフトされたとき」

ということ。どうか今日の感動を忘れずに--初心を忘れず、ということ--難しいけど、頑張っていってほしいね。

June 29, 2005 03:40 PM | コメント (8) | トラックバック (0)

2005年06月22日

マイ・メン・コーチはギャングスタ

@デトロイト、オーバーンヒルズ・パレスアリーナの盛り上がりはすごい! マイ・メン、ラシード(ウォーレス)もここでは大歓迎されていて、彼がボールを持つたびに「しぃぃぃぃぃーーーー!」(らしーど、と英語風に言っているのだ)という、野朗どもの<野太い遠吠え風声援>が起こる。
それにしても、ファイナル第5戦は、ぶっとんだね!

3、4戦でのサンアントニオは、デトロイトの「ボンジュール&コモエスタ・コンビ(トニー・パーカー&マニュ・ジノビリ)をまずシャット・ダウン、インサイドにボールを入れさせないどころか、その前に敵の持つボールをはたき落としてターンオーバー!!」作戦に見事にはまってしまったが、ようやっとそれに対応できるようになってきた。

kaoru050622.jpg
おまけに、「ミスター・クラッチ」苦労人オーリーの、「やっぱ、彼!!」と思わず叫んでしまうショット連発には、口がまた開いちゃった。マイ・メン、ラシードがポカやってしまって、オーリーをワイド・オープンに・・・私まで思わず、コーチ・ブラウンのように、「オーゥ、ノォォー!!」と頭を抱えてしまったよ。

さて、そのラリー・ブラウン・コーチ(=写真)
自身も元プレーヤーであり、コーチとしては、カレッジ、NBAともに優勝経験があり、既にホール・オブ・フェイム。米国のオリンピックチームを指揮したのは記憶に新しいが、弱いチームを強くするのには定評がある。

私はひそかに<猛獣使い>とも呼んでいる。

アレン・アイバーソンとの愛憎劇!? は数多くの話題を提供したが、いまだアレンちゃんが一番慕っているコーチであるのは間違いない。そして暴れん坊ラシードも、まあ同じノースカロライナ大のきずなはあるにしても、見事に手なづけてみせた。その理由はどこにあるのか? 私は、

彼は<ギャングスタ>だからだ、

と思っている。

<マイ・メン>と同じように、この<ギャングスタ>という単語のニュアンスを説明しよう。ここでは決して、モノホンのギャングさま、という意味合いではない。<ワイルド>とか、<ハードコア>とか、そんな感じの形容詞代わりなだけだ。だから、冗談ぽく、「She’s a Gangsta!!」などと、ちょっとワイルドなことが好きだったりタフな性格の女の子などにも使える(ちなみに私もよく言われる、とほほ)。NBAのコーチ陣、経営陣は、ダンディなパット・ライリーおじさまや、インテリジェンスの塊レニー・ウィルキンス氏、Zenの心を追求するフィル・ジャクソン(NYニックスに来てほしかったのにー!!)など、ほとんどはジェントルマンタイプなのだが、その中でこのラリーさんは、一味違う。ギャングスタ同士!? からなのかなぜか共感を覚え、私のフェイバリット・コーチ、マイ・メンでもある。

「ふん、あのガキは、ちょっとタフな育ち方をしたからね」。
ラリーさんがアイバーソンをコーチし始めたころ、彼はいつも、こうつぶやいていたという。

ラリー・ブラウンは、自身もタフなバックグラウンドを持つ。NYはブルックリンの出身。家具セールスマンの父は、毎週日曜日にピッツバーグへ向けて出発し、金曜日の明け方に帰ってくるというハードスケジュール。ほどなく彼は過労から心臓まひを起こし、一家はピッツバーグへ移住を決意する。家を買い、あと数週間で引越しというある日曜日、風邪気味をおして仕事に向かった彼は、途中で2度目の心臓まひ、近くの病院に収容され、帰らぬ人となってしまった。

このとき、父が亡くなったことを知らされた12歳のラリーの兄ハーブが、非常に動揺し、怒りさえみせたために、一家は7歳のラリーにはしばらく真実を知らせないことにした。一家は、祖父の営むパン屋の2階、寒いNYなのにヒーターはなく、店の職人たちとトイレも共同、という場所に移り住む。「お父さんはずっと長いこと仕事に行っているのだ」と思っていたラリーが、父は実は亡くなっていたのだ、ということをやっと知らされたのは、約1カ月以上も後のこと。「すべてを締め出そうとしたね、そんときは」。

それからの彼は、バスケットボールにすべてを吐き出すようになった。バスケットボールキャンプの奨学金を毎年得ているうちに、キャンプ参加者たちのカウンセラーをまかされる。このとき彼は、<教えること>が頭にインプットされたのだそうだ。

<カウンセラー・ラリー>は、やがて一番人気のカウンセラーとなる。キャンプ参加のキッズにとって、彼は最もクールでかっこよく、ベスト・ドレッサーのカウンセラーだったのだ。でもラリーはこのときから、参加者たちに無理やり野菜を食べさせるなど、厳しい一面をも見せる。<しつけ>を徹底させようと、このとき既にコーチの片鱗を見せていたのだ。

ノースカロライナ大に進み、フランク・マクガイアー・コーチの元でプレーすることになった。ラリーは身長177センチの小柄なガードだが、自分の2倍もサイズのあるビッグマンたちに果敢に突っ込んでいく<恐いもの知らず>。また、自身のタフな境遇にうっぷんが溜まっていたのか、すぐケンカをし、その場を追い出されるといったような短気で熱くなりやすい若者だった。上流階級の者たちが生涯に何度かしか口にしないような表現--ストリート・スラングや4文字言葉--が彼の日常会話。つまり、ラリーにとってのアレン・アイバーソンは、若かりしころの<自分>であった。

ラリーとアレンとのさまざまなエピソードは、長くなるのでまた、ということにするが、とにかくそんなアレンに共感を持って、ラリーは対応した。マクガイアーにやられたのと同じことを、自分もアレンに試みた。

<父親のいない子供に、実の父のように親身に、真剣に、愛情を持って叱ってやること>

最初、アレンは反発した。しかし反発しながらも、徐々にラリーに親しみを抱いていった。実の父親に叱られるのは、きっとこんな感じなんだろう、と。そして今でも、彼が自分のキャリアの中でのコーチ陣のことに触れるとき、<コーチ・ブラウン>は必ず特別な位置において語られる。

「アレンはほんとに、息子のようだよ。あるときは私を大喜びさせてくれる。またあるときは、バカなことをやらかして、私に頭痛を起こさせる。しかし私は決して、彼を愛することをやめないんだ」

アレンについての、ラリーの言葉。

オリンピックチームを指揮したとき、予選、本選ともに、トレーニングキャンプに取材しに行った私は、ラリーさんのコーチングを目の当たりに見ることができ、感動したものだ。まずその、ディフェンス、オフェンスともにフォーメーションの数、バリエーションの多さ、緻密さ。あまり突っ込んだことは避けるが、Top15やChin5といったフォーメーションにも、彼ならではのバリエがまたその中で数種類、あるようだ。

彼お得意のトラップだけでも、全部で何種類のバリエがあるのか。ちなみに、デトロイト在住のライター、青木崇氏によると、今回のファイナルで初めて見られるラインナップ、インバウンド・スタイルがあるとのこと。私はそれをうけ、ダービン・ハムに、ラリーは今、ファイナル用の新しいフォーメーションをコーチしているのか、と聞くと、「うん、いっぱいあるんだよー」との答え。

ラリーさんは、教え方もうまい。よく通る声で簡潔な説明、選手が疑問を投げかけると、納得のいくまで丁寧に答えてやる。非常に論理的かつ丁寧、だが威厳がある。さすがは、<ホール・オブ・フェイム>コーチだ。

と思いきや、ラリーさんは今でも平気で、ダーティー・スラングを口にする。「私はね、もうあのアスホールどもをコーチするのは、やんなったんだ」とか。ゴルフ好きで知られるラリーさんに、私が、「コーチのゴルフの腕前は?」と質問したことがあるが、そのときも「うん、ファッ〇ン素晴らしいよ」などと、平然と答えてくれたものである。そしてそのときも感じたが、ラリーさんとアレンちゃんのしゃべり方は、実はほぼ同じだ。スラングの混ざる度合い(いやこれは、今となってはむしろラリーさんのほうが多いかも)や、ゲットーっぽい、スロウでぐでぇー、としたテンポ&声の出し方。私は音楽もプロとしているから自信があるんだけど、もし録音機材で声の周波数や高低などが線で出てきたら、彼らのは一致する部分が多いと思う。

そんなしゃべり方で、ゲーム中にも平気で、納得のいかないコールなどをしたレフェリーに「このアスホール!!」などと吐き捨て、テクをもらっているラリーさん。

娘ともいえるほどの若くてキレイな、何度目か!? の奥さん(2度目か3度目か、諸説あり)がいて、デトロイトの高級寿司屋によく2人で出没するという、ラリーさん。男としても、病気もどこへやら、まだまだ現役バリバリ、という感じ。

マイ・メン・コーチは、ギャングスタ。第6戦は、どんなブランニュー・ストラディジーを繰り出してくるんだろう!?

※写真はAP=共同

June 22, 2005 08:30 AM | コメント (20) | トラックバック (1)

2005年06月15日

Timmy-D博士、その心は!?

フタを空けてみたら、なんだかサンアントニオの圧倒的強さを見せ付けることになっているファイナル。ラリー・ブラウンは連夜、頭を抱えている。マイ・メン、ラシード(ウォーレス)をはじめ、デトロイトの面々はみな緊張の面持ち。スウィープ説も流れ始めた今、ピストンズは今日の第3戦、何としてでもモノにしなければならない。

モータウンの街デトロイトにやってきて、はや2日目。宿泊しているホテルは、1日3杯までタダ酒が飲めるわ(1杯もらうごとにカードに印をつけてもらう、ラジオ体操方式。しかもツマミ付き)、TVには映画専門チャンネルのHBOまで入っているわ、なんだかとっても<お父さん心>をつかむスタイル。夭折の天才、中尊寺ゆつこさんがその昔流行らせた<おやじギャル>、その典型であった私にとってはなかなか魅力的なホテルだ。

kaoru050615.jpg
ジノビリの活躍は日々人々を驚愕させているが、しかしやはり、なんといっても<Timmy-D(ティム・ダンカン=写真)>はコンスタントに素晴らしい。プレーオフ前もプレーオフ中もケガをしたのに、どこ吹く風。

今現在、世界一のバスケットボール選手ではないか

と、私は思っている。彼に対する答えを見つけ出すのは、どこのチームでも大変なことだ。

といっても、あのお得意の<バンク・ショット>に代表される、あまり華やかさのない基本に忠実なプレー、無難なコメントから、<退屈なスーパースター>と長年評されてきた。本当に、そうなのか?

Timmy-Dの本名は、とてもかわいいのだ。ティモシー・セオドア・ダンカン、という。そして、4月25日生まれなので、私と同じおうし座。おうし座の人々は、ロマンチックなはずなんだが。

米領バージン諸島という小さな島で生まれ育ったTimmy-D。驚くことに、バスケットボールは14歳になってから始めたので、それまではとても優秀な水泳選手だった。特に、400メートル自由形では、すでに米国でトップクラスだったという。ところがある日、島に<ハリケーン・ヒューゴ>がやってきて、全島のプールを破壊してしまう。Timmy少年は、練習ができなくなってしまった。それで、水泳をあきらめてバスケをやることにしたのだという。

島の方々には失礼な話だが、これだけならなんだか、不運ながらも自然豊かな土地のほのぼのさも感じられるようなエピソード。だが、洒落にならないことに、このハリケーンによって電気システムも壊れ、当時さまざまな治療器具とともに乳がんと闘っていたTimmy-Dの母にとっては、命に関わる問題になってしまった。残念なことにまもなく、彼女は亡くなってしまう。Timmy、わずか14歳のときのこと。

彼のお母さんはとても良い教育家だったようで、Timmyと2人のお姉さんたちに、いつも寝る前にこんなフレーズを言い聞かせていたのだという。

「Good,Better,Best.Never Let It Rest、until your Good is Better,and your Better is your Best」

彼のたゆまない努力は、こうやって培われてきたものなんだろう。

Timmy-Dは、ウェーク・フォレスト大3年のとき、すでにドラフトNo.1ピックでNBA入りが確実と言われていた。だが、亡くなった母が「大学は絶対卒業するように」と言い残したのを守り、彼は4年生まで残って全過程を終了してから、NBA入りした。

Timmyの専攻科目は<心理学>だった。あんなに無表情なTimmy博士だけど、実はポーカー・フェースで相手の心理を読もうとしているのか?

痛いのも、うれしいのも、怒っているのも、全部同じように見えるTimmyだが、最近は彼のそんな特徴が上手くフィーチャーされている、コミカルなCMにも出演。実はお茶目なのでは!? という声もちらほら挙がってきているが、私も同感だ。

Timmy-Dに、好きな音楽は? と質問したことがある。「レゲエ」と一言、簡潔な答えが返ってきて、あとは沈黙となった。「あ、やっぱ噂どおりにコメントがつまんない人なのか!?」と一瞬思ったのだが、上を向いて彼の顔を見ると、それで、その他には? もっと聞いて? といったような、お茶目な問いかけの目をして、ニコニコ(よーく見ると)している。私もとっさのことでツッコミが浮かばず、思わず礼を言ってインタビューを終了させてしまったのだが、彼のほうが、あれっ? と拍子抜けしたような、がっくりしたようなリアクションを見せていた。

Timmyの場合は口数が少なくおしゃべりが下手なだけで、心の中には<微笑ましいキュートさ>が詰まっている人なのかも

と感じたものだ。

ゲーム前の練習時には、ショーツを後ろ前にはくことにしている。大学時代の練習で、間違って後ろ前にはいてしまったとき、素晴らしく力を発揮できたので、それ以来縁起をかついでいるのだそうだ。

サムライ・ナイフ(日本刀)を集めている。漫画が大好き。一番コワイものはなんですか?という質問には、「島で育ったから、サメが一番コワイ」と答える、Timmy-D。

どうです、世界No.1のバスケットボール選手も、なかなかかわいらしいでしょう?

※写真はAP=共同

June 15, 2005 10:35 AM | コメント (27) | トラックバック (1)

2005年06月08日

優しい悪役

<さなだ かおる.マイアミの潮風&トロピカル・カクテルちゅー・プラン>は、幻に終わってしまった。

ドウェイン・ウェイドのケガも大きかったが、やはりピストンズ。チーム力で勝っていたのが、土壇場になって効いたと言える。中でも、暴れん坊で知られるラシード・ウォーレス(写真)が、ティップ・インや3ポイントなど要所要所でビッグプレーを決めて、勝利に貢献。私のマイアミ・シーブリーズを見事ぶっちぎってくれたわけだが、しかし、やっぱ、ラシードはマイ・メンだから、仕方あるまい。

kaoru050608.jpg
ここでの<マイ・メン>とは、直訳のような<わたしの男>という意味ではない。このような状況で、「Yeah、he is my man!!」などと言う時の意味は、なんというかニュアンスが難しいけど、<わたしは彼のファン>とか、<彼を支持する!>とか、<彼はわたしの同志!>とかいったような、意味合いなのである。

ポートランド時代、<ジェイル・ブレーザース>というニックネームが作られるのに貢献!? し、テクニカル・ファウルのNBA記録を持ち、しかも自分でまたその記録を塗り替えるといった暴れん坊ぶりで知られるラシード。さまざまな批判を受けてきたが、私は最初から、彼が大好きであった(恋愛感情という意味ではなく)。

自分自身が、すぐキレるし熱くなるし、レフェリーへのテクニカルファウルどころか自分とこのコーチにさえもすぐ口答えをするという、かなり短気で奔放なプレーヤーであったため、ラシードのことは人ごとと思えず、彼がテクを取られるたびに、「そーだよなあ、ラシード!!うん、わかるぜ・・・!」などと、勝手につぶやいていたものだ。それによく見ていると、彼は決して、明らかに自分が悪いと思われるときに怒ったりは、しないのだった。

「人並みはずれた正義感だから、こーなっちゃうんだよなあ、ラシードはやっぱ、マイ・メン!!」

とか言いながら、ひたすら共感を覚えていたのである。

それに、

リーグが皆、優等生ばっかりだったら面白くないではないか

と思っていた。問題になるのを恐れて無難な受け答えをしがちな選手が多い中、ラシードの正直な言動はある意味、そう快でもあった。すべての質問に、「双方ともにハードにプレーした」という1つの答えで通したときや、「リーグは黒人選手に対して差別をしている」といったような問題発言をして、コミッショナーのデビッド・スターンを怒らせたとき(このときスターンが、わざわざラシードのことを、「ミスター・ウォーレスは・・・」と皮肉を込めて呼んでたのにも、申し訳ないが大爆笑した)なども、私は手をたたいて「わはははは!!ラシードっぽいぜぇ~!!」と大ウケしたものだった。

ロードに行って、敵チームのファンから大ブーイングを浴び、自らそれを更にあおるアクションをして見せる彼に、私は「わーいわーい、ラシードいいぞぉ、もっとやれぇ~!!」と拍手を送り続けた。彼の悪役ぶりは、見ていて気持ちがよいほどだったからである。

口先だけお調子が良く、実がないといった態度が嫌いな私にとって、

たとえ万人に受け入れられなくても耳障りが悪くても、自分の思ったとおりのことを口にする彼、自分に対する悪意に真っ向からタフにぶつかっていってみせる彼は、非常に好感が持てた。

だって、そういう人のほうが、信用できる気がするからだ。

そんなラシードに、私が始めてインタビューする機会を得たのは、もうかなり前、彼がまだブレーザースにいて、メディア嫌いで知られているころだった。

ほとんどインタビューに応じてくれないという評判だったラシードは、ゲーム後のロッカールームで案の定、誰にも囲まれていなかった。2、3人の記者が、不機嫌そうな彼を遠巻きに見守っている。私ももちろん、ちゅうちょした。でも、NYに住む私にとって、ウエスタンのチームを取材する機会はそうそうあるわけじゃないし、まず1回は自分の目と耳で確かめてみなければ事実は分からないと思い、勇気を出して話しかけてみた。

ラシードはまず、横目で、じろん、と私を見やった。しかし、ぶっきらぼうでぶあいそではあったが悪意的ではなく、私のたどたどしい2、3の質問にきちんと答えてくれた。「なんだ、話してくれてる・・・」と思って少しホッとし、「これからも頑張ってくださいね」というフレーズで締めくくった私に、彼は「おぅ、ありがと。感謝するよ」と、きちっと善意を返してきた。その後、何回か彼と話す機会があったが、結局今のところ、私が嫌な思いをしたことは、1度もない。

ラシードを知る人々はみな、口を揃えてこう言う。「あんないいやつ、いないよ!」と。そっちの評判は、どうやら嘘ではないようだ。ロッカールームでは、いつもチームメートたちを笑わせていて、しかもきちんと気遣っている。ボールボーイにもちゃんと多額のチップを渡してあげるし、面倒見のよい、陽気なムードメーカーだ。

ノースカロライナ大時代のチームメイトで、ラシードとは恐らく正反対な繊細な性格のビンス・カーターが、何度となくマスコミにたたかれたときも、ラシードは必ずビンスをかばう発言を出している。現在のチームメートでもあるダービン・ハムは、「ラシードがグレイトなナイスガイだということを知らない人が多いというのは、とても残念なことだよ。彼は本当に謙虚で、地に足の着いた、いい男だ」と絶賛。恐ろしくかっこよかったナイキのCMでは、「俺の妻・・・我が、クイーン」とクールに言い切ってみせ、その愛妻ぶりをも伺わせた。

「ふん。とてもシンプルなことさ。俺を批判するやつらは、俺のことを知らない」

ラシードはそう、つぶやく。

そんなラシードは、実はアーティストでもある。
小さいころから絵を描くのが好きで、その頃の先生にも才能を認められていた。
現在でも、少し時間があると、絵を描く。日本の人形や、古代エジプトのアートを収集している。そして、ロード・トリップで他の街を訪れたときには、その地域のミュージアムをチェックすることにしてるんだそうだ。バスケットボールをやっていなければ、アートの世界を目指していただろう、というラシードは、優れた感性と敏感さがあるゆえに、感情の反応も早いのかも知れない。

「もし、心の中に何かあれば、俺はそれを口にする。自分の考えを発表することを、恐れはしない」。

ラシードのバックグラウンドも、決して裕福ではない。フィリーの貧困地域で育ってきた。

「あの子があんなふうに怒りを隠せないのは、育った環境もあるのよ。怒りは常に表していなければ、ナメられてつけこまれてしまう、タフな環境だったの。正直な正義派の、優しいいい子なのよ、ほんとうは」

と、彼の母。

しかしながら今、ラシードは、デトロイトの環境、チームとしてのピストンズ、そしてメディアを含む周囲の状況にハッピーなようで、年齢的に大人になったのもあるだろうが、かなり辛抱強くなったみたいだ。今回の第7戦を見ていても、テクをもらわないよう、一生懸命我慢している様子が見て取れた。

ラシードの真のキャラクターは、彼のプレーを観れば分かる、と私は思っている。世間のイメージとは裏腹に、彼のプレーのなんとアンセルフィッシュなこと、冷静なこと。チームプレイに徹し、3ポイントも打てポストアップもでき、ディフェンスからシュートフォームからスクリーンのかけ方まで、とても基本に忠実。長いリーチは最大の武器で、おまけにサイズに似合わないクイックネス。さすがはノースカロライナ大出身と思える、非常にファンダメンタルのある、バランスの取れた万能ビッグマンである。こんな選手がチームに1人は欲しい、というタイプの、貴重な選手だ。

ラシードは今のままで構わない、と、私は思うのだ。やさしい悪役が、リーグに1人くらいはいたほうが、いいではないか。もうすぐまた、そのそう快な悪役ぶりを生で観られると思うと、とても楽しみ。しかもそんなマイ・メンのマッチアップは、おそらくTimmy-D。なんてゴージャスな組み合わせだと、思わない?

※写真はAP=共同

June 8, 2005 05:59 AM | コメント (35) | トラックバック (0)

2005年06月01日

ゲットー魂

カンファレンス・ファイナルも、ウエストはどうやらサンアントニオで決まった感があるね。ラン&ガンのチームが勝ち残るのは難しいというのを、フェニックスはやはり証明してしまったかもしれない。

kaoru-amare.jpg
しかし昨日の第4戦、サンズは必死で闘って、なんとかスウィープを防いだ。エンディングで立役者になったのは、やっぱりアマレ(ストウダマイヤー=写真)。今プレーオフで一段とステップアップを見せて話題になっているけれど、あのTimmy-D(ティム・ダンカンの<ブラック的>ニックネームだよん)のダンクをブロックしたの、見た!? 素晴らしかったね。そして、体を張ってルーズボールを追い、サンズを見事にサバイブさせた功績は称えられるべきものだと思う。そんなアマレは、どこからやってきたのかというと--。

NBAのゲームを見ていていつも思うのは

「コート上では往々にして、ナイスガイはダメだ」

ということ。残念ながら、当たっているようだ。

リーグの過半数が黒人選手であることは皆知っているだろうが、彼らの多くは<ゲットー>と呼ばれる貧困地域の出身。現在の日本では考えられないような悪環境で育ち、その中からNBA入りしている選手は、やはり精神力が並大抵ではない。そのタフさは、その本質を理解しない人々にとってはときに、<性格が悪い、人に親切ではない>といった感想を与えてしまうこともあるが、厳しいゲームで力を発揮する原動力になる。

ナイスガイはダメだ、というのは、恵まれた環境で育ったことでできた<ナイスさ>は、この<タフさ>と相反することが多いという意味で、決して「だから逆にゲットー育ちはみなタフ=性格が悪い」というような、単純な構図ではない。

アマレは、そんな<タフさ>がなければストリートでのたれ死んでしまうかもしれないような、<超ゲットー>と言える環境で育った。

セントラル・フロリダのスラム街で生まれた彼は、12歳で父を亡くした。母は結婚前から刑務所に入ったり出たり、という生活だったが、夫の死によってヤケになり、それに逆戻り。兄は、スポーツの才能があったにもかかわらず、そんな環境の中で、ストリートで悪さを働くほうにのみ込まれて行ってしまった。

アマレと弟は、父も母もいなく、どこにも行くところがない。地元のおまわりさんが、彼のトレーラーに2人を泊まらせてあげたりして、なんとか助けていた。このおまわりさんが、幸いにもスポーツが得意だったアマレに、「フットボールをあきらめて、バスケに専念するといい。それがキミが教育を受けられ、今よりベターな生活を手に入れるための、ベストな選択だと思う」と、すすめたのだ。

アマレはこれを聞いて、決心した。家族がもう後戻りができないほどに破滅していく前に、自分はNBA入りを果たすのだと。このとき、わずか14歳。父が死んだ日だけ泣いた、というアマレは、その後再び泣くことはなかったそうだ。

ハイスクールからNBA入りを果たしたアマレのドラフトの日、どうしても同席したかった母は、仮釈放中でフロリダを離れてはいけなかったのにそれを破ってNYに来てしまい、フロリダに戻ると同時に逮捕、再び刑務所で4カ月間を過ごすことになったという。

そんなアマレは、いつインタビューをしても、若いのにとてもクール。感情の起伏をほとんど見せない。

「体験がハードだったから。それが、どんなときにも動揺しない、自分をプロテクトするために感情をなかなか表に出さない性格にしたのだと思う」

と彼は言う。

他のヤングキッズと同じようにヒップホップも大好きだが、反面、ゴスペルを聞いてスピリチュアルな時間を過ごすこともあるのだそうだ。カードゲームが得意というのも、きっと冷静な機転が効くからなのだろう。そういえば、私の住んでるのはハーレムだけど、こういった地域では、道端で男どもがシーロ(サイコロ・ゲーム)やポーカーをしている。

どうしてか分かる? 店にいってやるお金がないことから、この<道端文化>--かっこよく言えばストリート・カルチャー--が、生まれたわけなのだ。小さかったアマレも、セントラル・フロリダのごみごみしたストリートで、おじさんたちに混じってカードをしてたんだろうか、なんて、ふと思った。

アメリカの現実は、21世紀に入った今もこうなのだ。アマレのような少年たちが、我々日本人にとっては<普通の生活>を手に入れるのに、バスケやラップしか手段がない、というのは、未だにリアルなことである。

バスケットにおいて、日本人選手が彼らと互角に戦いたいと思うのであれば、まずはこういった状況を理解していないと難しいのかもしれない。

<バスケットが生きていくための手段>だという人々の、その真剣さ、ハードさに勝るにはどうしたらいいのか、想像がつくだろうか?

「俺は、何もないストリートから来たよ」。そう語るアマレは、そんな<ゲットー魂>を、今プレーオフで見事に見せてくれたと思う。いつもロッカールームでの振る舞いが大人で、冷めた表情をしているアマレが、ゲーム中、ときにガッツポーズをしたり、怒ったり、という感情を見せてくれるとき、お姉さんはなんとなくホッとしたりも、しているのです・・・。

June 1, 2005 11:10 AM | コメント (34) | トラックバック (0)