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<title>Ｉｎ ｔｈｅ ｃｒｅａｓｅ/加藤美貴子</title>
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<title>福藤豊に一問一答</title>
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<![CDATA[<p>　やっとNHLではスタンレーカップチャンピオンが決定するという時期だが、多くのホッケー選手はすっかりオフモードの現在。福藤豊も日本に戻り、故郷釧路に帰省したりとオフを満喫していたが、すでに６月１９日から氷上練習を始めるなど、来季に向けて始動している。<br />
　スタンレーカップファイナルの日本でのライブ放送に、ゲストとして出演した豊に、今季「In the crease」の締めくくりとして、「一問一答」という形で質問を投げかけてみた。</p>]]>
<![CDATA[<p>　Q：まずは、今季のスタンレーカップファイナルの感想は？<br />
　－－　すごく面白かったです。やっぱりホッケーはいいですね。今すぐシーズンが始まってもいいかな？　と思えるくらい（笑）。試合前の国歌演奏を聞いている時の、選手の緊張感とか、すごいです。自分があそこにいたら・・・と立場を置き換えて想像しながら観てました。今季は個人的にケガも多くて、辛いシーズンでしたけど、今はテンションあがってますよ。</p>

<p>　Q：誰か、気になった選手はいましたか？<br />
　－－キャム・ウォード（カロライナG）でしょうね。勢いもあるんでしょうが、若いのにすごく落ち着いていた。それに、リバウンドへの対応がすごく速いんです。リバウンドに対して身体が自動的に動いていると言ったらいいんでしょうかね？　すっかりその動きが、身体に身に付いている感じでした。パックから目が離れないし、体勢も崩れないからあれが可能になるんでしょうね。いい刺激になりました。僕も頑張りたいですね。</p>

<p>　Q：すでに来季に向けて始動したとのことですが、今後どういう部分を向上したいですか？<br />
　－－リバウンドの対応の速さに、バックハンドリングでしょうかね。僕の傾向なんですが、疲労がたまってくると、リバウンドに反応せずに、パックを見てしまう傾向があるんです。ウォードのように、自動的に身体が動くように、身につけないといけないんです。</p>

<p>　Q：これまでのホッケー人生で一番の想い出は？<br />
　－－キングズにドラフト指名されたこと。あそこまで衝撃が走ったのは、これまでありませんでした。</p>

<p>　Q：自分のライバルは？<br />
　－－う〜ん、今はやっぱりバリー・ブラスト（注：福藤同様、キングズ支配下選手。今季はAHLマンチェスター、ECHLレディングでプレー）でしょうかね。</p>

<p>　Q：ホッケー界で尊敬する人物は？<br />
　－－イアン・クラーク（NHLバンクーバー・ゴーリーコンサルタント）との出会いが大きかったです。できることなら、もう一度教わってみたい。</p>

<p>　Q：今季、現地にいる間に食べたかった日本の食べ物は？<br />
　－－レバ刺しですね。日本に戻って来て、早速食べました。東海岸はもちろん、西海岸でもあれは見かけないですね。</p>

<p>　Q：現地の自炊生活で、料理のレパートリーは増えましたか？<br />
　－－増えてないです。パスタ、サラダとか、簡単なものを作ることが多いですから。</p>

<p>　Q：他のスポーツで気になる選手は？<br />
　－－ロナウジーニョ。彼のプレーは最高です。</p>

<p>　Q：気になる音楽は？<br />
　－－う〜ん、何だろう。いろいろ聞いてますが、iPodの中に一番多く入ってるのは、ヒップホップかな？</p>

<p>　Q：気になる女性タレントは？<br />
　－－長谷川京子です。（長谷川京子主演のドラマは）観てませんよ。TVはあんまり観ないんで・・・</p>

<p>　Q：北米で好きな街は？　<br />
　－－ラスベガス</p>

<p>　Q：今季プレーしたマンチェスター、レディングの各都市で、お気に入りのレストランは？<br />
　－－マンチェスターは、本拠地ヴェライゾンワイアレスアリーナ近くのベトナム料理がとっても美味しいです。レディングにも１軒、チャイニーズでビュッフェスタイルの美味しいレストランを見つけましたよ。</p>

<p>　Q：自分の性格をひと言でいうと？　<br />
　－－マイペース</p>

<p>　Q：最近好きなオシャレは？<br />
　－－今日はTV出演なので、ちょっとキレイめ系ですね（白のシャツスタイル）。最近シャツを着ることが多いです。アロハなんかも、このところはよく着てますよ。花柄とかね。色で言うと、ピンク、紺、黄緑がキテます。</p>

<p>　Q：最近観た映画は？　<br />
　－－ダヴィンチコード。インサイドメンもなかなか良かったですよ。</p>

<p>　Q：先ほどあまり観ないと言ってましたが、敢えて好きなTV番組を挙げるとすれば？　<br />
　－－ダウンタウンの番組はよくチェックしていますよ。浜ちゃんには既に「ジャンクスポーツ」で会えたので、今後は一度松ちゃんに会ってみたいです。</p>

<p>　Q：カラオケの十八番は？　<br />
　－－ブルーハーツ</p>

<p>　Q：今はまっているものは？<br />
　数独。向こうで結構流行ってるんですよ。チームメートたちがやってるのを見て、やり方を教わって、興味を持ちました。</p>

<p>　Q：来たる２００６−２００７年をどういうシーズンにしたいですか？<br />
　－－いままでのホッケーシーズンで、一番の思い出に残るシーズンにしたいです。今後も応援よろしくお願いします。</p>

<p><b>＜＜福藤豊の来季は？＞＞</b><br />
　来季は、NHLロサンゼルス・キングズのトップファームAHLマンチェスターで、バリー・ブラストと１番手GKを争うというのが、まずは第一目標として期待される。<br />
　現在、キングズの組織内では、GMディーン・ロンバーディ（元NHLサンノゼGM）、マーク・クロフォードコーチ（前NHLバンクーバーコーチ）が決まり、徐々に来季へのチーム体制が固まりつつある。ちなみにAHLマンチェスターのGMには、独特のスタイルのGKとして現役時代知られたロン・ヘクストルが就任し、すでに今季のAHLマンチェスターのヘッドコーチ（ジム・ヒューズ）、アシスタント・コーチ（デレク・クランシー）は、いずれも解任されており、まだ後任が決定していない状態。１軍キングズのコーチングスタッフも、まだ発表されていないのが現状だ。</p>]]>
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<title>シンシナティ留学：その７</title>
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<modified>2006-10-25T02:48:15Z</modified>
<issued>2006-06-12T12:54:55Z</issued>
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<summary type="text/plain">イアン・クラークという師に出会ったことが、豊にとってはひとつの転機になった。また...</summary>
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<![CDATA[<p>イアン・クラークという師に出会ったことが、豊にとってはひとつの転機になった。また、自分の置かれた状況に腐らず、自分からチームの一員であることを積極的に訴えるような行動を始めたことで、他の選手たちが彼に対する認識を少しずつ変え始めていったのも、ちょうどこの頃だった。</p>

<p>近場のアウェイゲームには、マイナーリーグの場合はたいていバスで日帰り移動をする。それまでロードはもっぱら留守番だった豊であったが、この頃から試合出場予定はなくともチームバスに強行乗り込みする、という態度に出た。チームメートには積極的に自分から話しかけ、コミュニケーションを取るように努めた。チーム練習では相変わらず豊に与えられた練習時間は限られていたが、チームメート数人をつかまえて居残り練習をすることで、練習不足を補っていた。彼がそうして自分から働きかけることで、チームメートとの関係はみるみる改善されていった。</p>

<p>豊は当時、こう語っていた。</p>

<p>「自分なりに考えた結果、自分の居場所は自分で確保しなければいけないなと思ったんです。当たり前のことなんですが、その当たり前のことができていなかった。なぜか知らないうちに、僕が皆を避けてしまってたんですね」</p>

<p>シンシナティで、豊を含めサイクロンズのGK３人をクラークが指導したのは、たった２回である。だが、クラークから教えられた内容を、何度も復習していたのは豊だけであった。１番手GKヒューイットは、すでに自分のスタイルを築いていて、ある程度自信を持っていたため、アドバイスを受け入れて自分のスタイルまで変えようとはしなかった。控えの空軍出身GKキールクッキについては、クラークの指導に対して全く聞く耳をもっていなかったばかりか、テクニック不足かつ性格にも問題があり、チームメートたちからは嫌がられる存在となっていた。そんな状況も手伝って、黙々と練習に励む豊の姿を、チームメートたちは徐々に注目することになった。</p>

<p>「前は声もかけてくれなかった選手達が、『なぜお前が試合にでれないんだ？　』とか『俺はお前のプレーが一番好きだ』とか、声をかけてくれるようになったんですよ。小さいことですが、僕の中では大きな進歩。そしてとても励みになる言葉でした」<br />
</p>]]>
<![CDATA[<p>氷の上で学ぶ一方で、海外でプレーするための機微を、豊はチームメートたちに尋ねた。社員選手という形の日本ホッケー界とは異なり、契約ありきの北米ホッケー界で生き抜く術を探るべく、ルームメートのウエスに質問をぶつけてみたこともあった。いずれは、日本を離れて本格的に海外でやってみたい。そんな気持ちを膨らませながら、少しでも多くのことを吸収しようと毎日を過ごすようになった。</p>

<p>２００３年が明けたが、相変わらず、豊の氷上での練習時間は限られていた。この頃からヒューイットが腹部故障で欠場続きとなり、豊は自らの出場チャンスを期待したが、どうもその気配はない。１月後半になると、サイクロンズは同じシンシナティのAHLチーム、シンシナティ・マイティダックスでプレーしていたGKグレッグ・ノーメンコをロースターに加えた。ノーメンコは、この頃すでに２５歳にしてNHLで２試合を経験していた選手。かなりうまい選手がチーム入りし、豊はまた我慢を強いられることになったが、その一方で好刺激を受けることにもなる。</p>

<p>そして迎えた２００３年２月７日、以前から予定されていたキールクッキのAHL昇格が現実のものとなった。ヒューイットは故障中で、サイクロンズに残された登録GKはノーメンコのみ。いよいよ豊の出番がやってきたのだ。</p>

<p>ちょうどサイクロンズは、２月７日ジョンズタウン、８日デイトンと、ロード２連戦というスケジュールだった。前日からの移動の前に、豊は自分の名前が入ったサイクロンズのジャージが、ロッカールームから積み込まれるのを偶然見かけていた。自分の出番が近づいてきたのを感じながら乗り込んだバスの中で、サイクロンズのマルコム・キャメロンコーチは、「あすはおまえで行く。リラックスして楽しめ」と、豊に７日ジョンズタウン戦での先発を言い渡したのだった。</p>

<p>試合出場は実に９月のプレシーズン以来、約５ヶ月ぶり。シーズン中にこんなに長く試合から離れたことは、これまで経験がない。しかも練習もままならない状態で、いきなりの先発宣告である。チームメートとの試合中のコミュニケーションなど、図っている余裕などない。自分の中のイメージを駆使して、プレーを組み立てるしかない。しかし彼は不思議なほど冷静だった。勝つしかない。前日からそう考えていた。</p>

<p>記念すべきECHL初先発となった場所は、ペンシルバニア州ジョンズタウン。映画「スラップショット」での撮影現場となった土地としても知られるが、アリーナはかなり老朽化していて、内部は暗く、ゴール裏などはパックが独特のバウンドで跳ねてくるから、決してやりやすくはないと豊は言う。よって、特に彼にとって思い入れの強い場所ではなさそうだが、その後は意外にも相性がいいアリーナにもなった。</p>

<p>試合は、対戦相手のジョンズタウン・チーフスに２点を先行される展開となったが、第３ピリオドに味方が２ゴールの援護射撃で試合はOTへ。しかしそれでも決着がつかず、試合はシュートアウトに持ち込まれたが、ここを乗り切り豊はECHL初試合で見事初勝利を収めた。</p>

<p>この勝利でコーチの信頼を得た豊は、その後ノーメンコと交代でサイクロンズのゴールを守った。２月７日のデビューから、３月１４日までの１７試合中、９試合に出場。留学期間が切れて日本に帰る直前での出場となった３月１４日、レキシントンでの試合では惜しくも完封は逃したものの、このシーズン最高の４５セーブ１失点という活躍を見せた。</p>

<p>すでにこの時点で、キールクッキはAHLから降格し、サイクロンズに戻っていたが、豊のここ数試合の出来がキールクッキの出番を奪う形となっていた。シーズン当初には、豊の存在に懐疑的だったキャメロンコーチにも「本来だったら、このままチームに残ってプレーオフも一緒に戦って欲しいのだが」とまで言わしめた。</p>

<p>豊としても、チームメートとともに、プレーオフに向けて一緒に戦いたい気持ちはもちろんあった。しかしあらかじめ決められた留学期間ゆえに、彼が逆らえるような状況では決してなかった。また日本アイスホッケー連盟としては、４月後半から開催される世界選手権の候補選手として豊を確保しておきたい、という思惑もあったという。だが、豊がシンシナティから戻ってきた後、世界選手権出場メンバーリストには、なぜだか彼の名前は見当たらなかった。</p>

<p>いずれまた北米でやりたい。だが日本に帰って、自分を見つめ直すのも悪くない。もう１年日本でプレーしても遅くない。</p>

<p>そんな気持ちを込めて、離れたシンシナティ時代について、現在の豊はこう振り返る。</p>

<p>「本当に厳しいシーズンでしたから、細かいことを思い出すのは結構辛いし、できれば思い出したくもない。途中までは、このままでいいのか？　と自問自答ばかりのシーズンでしたし・・・でも、あのシーズンがなければ、今の僕はなかったことだけは確かです」<br />
</p>]]>
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<title>シンシナティ留学：その６</title>
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<modified>2006-10-25T02:48:11Z</modified>
<issued>2006-06-05T13:00:46Z</issued>
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<summary type="text/plain">日本にいれば、予定試合数は少ないかも知れないが、練習なら十分すぎるほどできる環境...</summary>
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<![CDATA[<p>日本にいれば、予定試合数は少ないかも知れないが、練習なら十分すぎるほどできる環境にある。食事だって、コクドの合宿所にいれば、栄養の整った食べ物で上げ膳据え膳だ。</p>

<p>シンシナティでこんな状況が続いていたら、彼のためにはならないのでは・・・とまで正直思えた。だが、彼は一度も「日本に戻りたい」とは、口にしなかった。納得いかない状況に多くの屈辱を受けたはずだが、自分にとって避けては通れない道と受け止め、乗り越えることに決めたのだ。</p>

<p>現状については耐え忍びながら、まずは自分ができることをコツコツと積み重ねようと、豊は努めた。</p>

<p>手始めに考えたのは、ビルドアップについてだった。以前は「身体が細くても、反射神経で補えるはず」と思っていた豊だったが、シンシナティでチームメートからのシュートを受けるにつれ、ビルドアップの必要性を肌で感じるようになって来たのだ。</p>

<p>日本ではうまく反射神経でさばくことができていたのが、パワーのあるチームメートが放ったシュートには、ちゃんと反応して身体に当てたとしても、そのままパックがゴールに収まってしまうこともしばしば。また、リストの強さからリリースの速いシュートを打たれて、それがスルリと脇を抜けることもちょくちょくあった。まず、豊はポジションの取り方など、他の方法を試すことで順応を図ったが、結局そうした失点を防ぐためには、身体をビルドアップすべきであるという結論に至った。とはいえ、焦って身体を作りすぎては、肝心の反射神経に支障が出る。とにかく焦らず、じっくり身体作りをしていかなければという必要性に目覚めたのがこの頃だったのだ。</p>

<p>練習時間が限られていることもあって、TVでのNHL放送はできるだけ観るようにも心掛けた。速いリリースからのローショットに対応するためのスタイルを、豊はちょうど模索中でもあった。当時、注目していたNHLゴーリーは、ジョセリン・ティボー（当時NHLシカゴ）。身体は大きくないが、低い構えからバタフライセーブを繰り出すタイプの選手である。</p>

<p>その後、豊はビザの切り替えのために、いったんアメリカ国外に出ることになった。ビザ申請に行かせるということは、サイクロンズが豊のことを戦力として認め始めたという現れでもある。豊にとっては、喜ぶべき出来事でもあった。</p>

<p>アメリカからほど近い国外というと、必然的にカナダになる。豊は元コクド監督でもあり、トロントのホテルで支配人を務める若林仁氏の元で、ビザ申請の間を世話になった。若林氏の勤務するホテルには、近所でも評判の高級日本料理店がある。久々の日本食ということもあって、豊はその料理店の電気ジャーにあったご飯をすっからかんに平らげて、若林氏を驚かせた。ホッケーの本場、カナダ・オンタリオ州生まれで、アメリカ・ミシガン大学でホッケーキャリアを積んだ日系２世の若林氏は、ホッケー選手についてもかなりの鑑識眼を持っているはず。また若手選手については、滅多に誉めることがない厳しい目を持つ若林氏でもあるのだが、豊については後日こう語っている。</p>

<p>「彼はなかなかいいじゃないですか？　若いのにしっかりしてるし、とにかくよく食べるのがいいね」</p>]]>
<![CDATA[<p>１２月に入り、豊にはひとつの契機となる出来事があった。サイクロンズのオーナー陣とも交流の深いNHLバンクーバー・カナックスのGKコンサルタント、イアン・クラークが、サイクロンズのGK３人を指導しに、シンシナティにやってくるという機会に恵まれたのだ。クラーク氏は、以前はゴーリーの雑誌発行を主宰していたこともあり、かなりの理論派としても知られている。</p>

<p>プロのGKコーチに教わることは、豊にとっては初体験であった。近年は日本でも、フランソワ・アレール氏（現NHLアナハイムGKコンサルタント）がサマーキャンプを実施し、ゴーリー理論を体系付けて指導をしていることで知られており、北米ではジュニアチームにもGKコーチを配することもあるほど、ゴーリーへの指導は盛んに実施されている。</p>

<p>豊にとって、このクラークによる指導は、まさに目から鱗の体験であった。これまで、自らの素質と研究心のおもむくままのスタイルで走ってきた彼であったが、自分で考えても思いつかないであろうテクニックを、クラークから短い期間に多くを教わったのは大きかった。豊はその頃をこう回想する。</p>

<p>「基本的な動きについてですが、例えばシュートを受けた後にどちらの足で体勢を立て直すかとか、バタフライ後に座ったままの姿勢でクリーズを移動するテクニックとか・・・あの時、ちゃんと教わっていなかったら、いずれLAで直されていたことでしょうね」</p>

<p>クラーク氏に指導された数多くのポイントを、豊は忘れるどころか練習の度に反芻するかのごとく、何度も繰り返した。そして次にクラーク氏がシンシナティを訪れる頃には、そうした宿題を完璧にこなしてみせた。</p>

<p>２００２−０３年終了後のインタビューで、クラーク氏は豊の印象について、こう語っている。</p>

<p>「ユタカの素晴らしさは、コーチの指導内容をよく理解できることと、ホッケーに対する姿勢です。彼は常に強い向上心を持っていて、私が指導した短い間で恐るべき成長ぶりを見せてくれました。あの成長ぶりは、まさに彼の日夜のハードワークと向上心によるものだと思います。ユタカには、多くの重要課題を与えたのですが、彼はそうしたスキルを見事に自分のものにすることに成功していました。もちろんこうしたスキルはまだまだ成長の余地がありますが、シンシナティでの１シーズンにおける彼の成長ぶりは、かなり大きいものでした。</p>

<p>特に、ユタカには、スペースを埋めるため効率良い動きをするという、一番の課題があったんです。GKは、今や最も注目されやすいポジションなんです。ユタカは確かに敏捷性も運動能力も高いが、優れたGKというのはそれだけをセールスポイントにすべきではないのです。まずは優れたポジショニングが一番、その後に運動能力が来るべきなのです。ポジショニングにおいて、ユタカには大きな向上が観られましたが、今後ももっと向上が必要でしょう。さらに、セーブをした後の反応についても、彼はかなり努力して向上したと思います。</p>

<p>ユタカの成長ぶりには、本当に短い間に目覚ましいものがありました。ただ今後、もっと高いレベルを目指すのであれば、適度に筋肉を付けてビルドアップすることが必要でしょう。身体を作って、現在の成長を続けていけば、あと１、２年もすればAHLでのプレーに手が届くレベルまで伸びるはずです。NHLでの可能性について語るのはまだ時期尚早ですが、彼のサイズは十分だし、NHLでやっていくだけの情熱は兼ね備えています。今後も引き続き技術的に指導を受けられる環境に身を置いて、日夜リンクでは熱意を持ってプレーし、オフシーズンには身体作りをする。そうすれば、どんなことも可能になるでしょう」</p>]]>
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<title>シンシナティ留学：その５</title>
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<modified>2006-10-25T02:48:08Z</modified>
<issued>2006-05-30T02:15:45Z</issued>
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<summary type="text/plain">TV用のインタビューを収録後、昼食を取りながら話を聞くことにした。しかし、リンク...</summary>
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<![CDATA[<p>TV用のインタビューを収録後、昼食を取りながら話を聞くことにした。しかし、リンクの周囲は物寂しい雰囲気で、近くにレストランがあるのかどうかも分からない。いつもは豊と一緒に車でリンクまでやってくるルームメートのウエスも、先にリンクを後にしてしまったようで全く手がかりがない。とりあえず近くでレストランらしきものを探そうと歩き出すと、サイクロンズの２人の選手とはち合わせた。</p>

<p><img alt="fukufujipractise.jpg" src="http://blog.nikkansports.com/sports/icehockey/archives/img/fukufujipractise.jpg" width="200" height="191" /></p>

<p>「おい、お前どこ行くんだ？」<br />
「近くのレストランに」<br />
「帰りのアパートまでの足はどうするんだよ？」<br />
「大丈夫、タクシーに乗るから」<br />
「タクシーって、こんなところにタクシーなんて来てくれないぞ」</p>

<p>チームメートであれば当たり前の他愛のない会話。そんなごく普通のコミュニケーションすら、チーム合流当初は成立していなかったという。これは、他の選手が彼に心を徐々に開きつつある証拠でもあった。英語の言葉を繰り出すのは苦しそうな豊ではあったが、相手の言う内容はかなり理解できるようにもなっていた。</p>

<p>なんとか近所にチャイニーズレストランを見つけ、帰りの足は、サイクロンズ広報のグレッグに依頼して確保することで、事なきを得た。そこで豊は、合流してから今までの自分の状況について語り出した。</p>

<p>「なんでお前はここにいるんだ？　という目で、最初はみんなに見られていたんです。プレシーズンのヨーロッパ遠征で試合に出て、まずまずの仕事をして、それである程度周囲から認めてもらえると思ったんだけど、実はそうじゃなかった。<br />
でも考えてみたら、当然ですよね。他のみんなはそれぞれにこっちで実績を積んだり、トライアウトに合格したりしてチームに残ったのに、僕だけそういうのもないまま、遅れてチームに合流したんですから」</p>]]>
<![CDATA[<p>１番手GKのヒューイットはチームと直接契約、キールクッキはサンノゼ支配下選手のため、いずれもロースター登録選手としてチームでプレーさせなければいけない。またECHLにはロースターに登録できる選手数には限りがある。ロースター制限のない日本のホッケー界でプレーしていては分からない、そういった北米ホッケーのカラクリについても、豊は徐々に理解を見せ始めていた。</p>

<p>「正直言って、僕もチームのトライアウトに最初から参加したかったです。貴人さん（鈴木貴人：現コクド、当時ECHLシャーロットで活躍）だって、コーチから見込まれていたのに、ちゃんとトライアウトから参加したじゃないですか・・・それにしても貴人さん、すごいですよね。いきなり開幕戦でハットトリックなんて。あ、貴人さんは、このあいだ、シンシナティからレトルトの日本食をいろいろ送ってくれたんです。こっちじゃ全く日本食が食べられなかったから、ありがたかったなあ・・・」</p>

<p>とはいえ、キャメロンコーチからは、年明けに試合出場の可能性も示唆されている。それに向けて、今後はどう自分のプレーを向上しようと豊は考えているのだろうか？</p>

<p>「チームから言われているのは、『まだ身体が出来ていない、細すぎる。試合に出るのは身体ができてから』ってことです。でも、身体を無理に大きくする必要があるんでしょうかね？　反射神経と動きがあれば、十分カバーできると思うし・・・」</p>

<p>当時のNHLのゴーリー絵図を振り返ってみたい。１９９８年長野での金メダルで一躍その名を世界に轟かせ、以来NHLを代表するGKに君臨したドミニク・ハシェクが２００２年でいったん引退。ハシェクは、決して大柄でなくスリムだが、卓越した反射神経と柔軟性で次々にパックを止めてしまうというスタイルであった。</p>

<p>しかしハシェク引退後も、パトリック・ロワ（当時コロラド）、マルタン・ブロデューア（ニュージャージー）といったベテラン勢は健在。この２人も小さくはないが決して大きくはない。確固としたスキルに基づくセーブこそ、彼らの素晴らしい実績の裏付けとなっていたのだ。</p>

<p>また、マーティン・ターコ（ダラス）、ジョゼ・テオドア（当時モントリオール、現コロラド）、エフゲニー・ナボコフ（サンノゼ）と、台頭しつつあるゴーリーの多くは、やや小粒だが反射神経を生かした切れ味の持ち主でもあった。</p>

<p>その一方で、オラフ・コルジグ（ワシントン）、ショーン・バーク（当時フェニックス、現タンパベイ）、ロマン・チェクマネク（当時フィラデルフィア）などという、１９０cmを超える大型ゴーリーたちが、NHLの一流として認められるようになってきたのもこの頃だった。しかし、一流として認められるのはほんの一握り。多くの大型ゴーリーは、その身体をやや持て余し気味にクリーズ内でプレーしたり、リバウンドへのリカバリーが遅れたりという緩慢さが目についてもいた。また、そのサイズを生かし、身体でパックを止めるというスタイルゆえに、リバウンドがうまくコントロールできないという選手も、実際には多かった。</p>

<p>スリムなゴーリーが、身体をビルドアップするべきか否か。それは賛否両論分かれるところではあった。FWやDF選手であれば、線が細い選手はある程度の筋肉をつけることは、NHLを目指すものならほぼ必須とされていた。しかし、無理につけた筋肉は反射神経の衰えに繋がるという考え方もあり、ゴーリーコーチによっては、これをタブー視するものもいたのだ。豊の「ビルドアップ」への疑問は、そのあたりにも根付いてもいた。</p>

<p>そうはいっても、現在の練習体制では、プレーの向上すらままならない。少しでも多く味方からのシュートを受けられるように、工夫をする必要に豊は気づき初めていた。限られた出番しかない毎日の練習も、アピールの機会だと考えて集中する。現状に不満なら、自らの手で状況を打開しなければ、と。</p>

<p>アメリカの中華料理店を訪れた人ならご存知だろうが、食事の最後にはレシートとともに「フォーチュンクッキー」なるものがテーブルに届けられる。クッキーの中が空洞になっていて、その中におみくじのような紙切れが入っているのだ。約２人分のチャイニーズフードを平らげると、豊はフォーチュンクッキーに手を伸ばした。その中に入っていた紙切れのご神託を見るや、彼に明るい瞳が戻って来た。</p>

<p>その紙切れには『運は自らの手で切り開けるもの』と書かれていた。</p>

<p><b>※写真はシンシナティ留学時代の福藤</b></p>]]>
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<title>シンシナティ留学：その４</title>
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<modified>2006-10-25T02:48:04Z</modified>
<issued>2006-05-23T01:33:10Z</issued>
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<created>2006-05-23T01:33:10Z</created>
<summary type="text/plain">ロブ・ロウ主演の「栄光のエンブレム（原題：Youngblood)」というホッケー...</summary>
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<![CDATA[<p>ロブ・ロウ主演の「栄光のエンブレム（原題：Youngblood)」というホッケーを主題にした映画がある。</p>

<p>この映画では、北米ホッケーにおける「ルーキーイニシエーション」が描かれている場面が出てくる。ロブ・ロウが演じるジュニア選手が、ルーキーとして新しいチームに合流する。そこで、ルーキーに対する洗礼として、彼は先輩たちに取り押さえられて全裸にされ、剃毛されてしまうというのが、問題のシーンである。</p>

<p>近年、北米ジュニアホッケー界においてこうした「ルーキーイニシエーション」は忌むべき行為として取り上げられ、現在はかなりの収束を見せてはいる。その代わりに、プロのレベルでは「ルーキーディナー」という習慣が根付いている。往々にしてチーム内では低年俸のルーキー選手たちが、高級レストランで先輩選手たちをもてなすというこの習慣には、賛否両論分かれるところではあるが、イジメ同然の「ルーキーイニシエーション」と比べれば、ルーキーたちを取り巻く状況は以前よりはずっと改善されているといっていい。</p>

<p>また北米スポーツにおいては、「プラクティカルジョーク」と呼ばれるイタズラもつきものだ。ホッケーの世界においては、そのイタズラの標的となる選手のスケート靴の中にシェービングクリームをたんまり塗りたくったり、誕生日の選手の顔にパイをぶつけたり、というのは、これまたよくある話ではある。こちらの場合は、「ルーキーイニシエーション」とは異なり、チームメート同士の親愛の情を示すバロメータでもあると言える。</p>

<p>ただし、時に「ルーキーイニシエーション」と「プラクティカルジョーク」においての線引きが微妙な場合もありうる。福藤豊がECHLシンシナティ・サイクロンズに合流して間もない頃、彼の防具一式がシャワールームで水浸しにされるという一件があった。自分の防具をびしょ濡れにされて呆然とする豊を見て、チームメートたちからは笑いが起こる。チームメートたちがこれによって豊に親愛の情を示したのか、はたまた日本から来たルーキーに対するイジメだったのか？　いずれにしても、当時の豊にとっては「プラクティカルジョーク」「ルーキーイニシエーション」なる習慣すら、知る由もなかった。こうした生活を続けるうちにストレスを溜め込んだせいか、漆黒の豊の髪には、いつしか白髪が目立つようにもなっていたという。</p>]]>
<![CDATA[<p>シンシナティを訪れた際に、豊のシンシナティ時代のルームメートであり、チームのベテランDFウエス・ブレヴィンズにも話を聞く機会があった。ウエスは、日本から来たルームメートに対し「熱烈歓迎」というわけじゃないが、過保護にならない程度にうまくやっているという、素振りを見せていた。</p>

<p>「ユタカは、徐々にこちらの暮らしに馴染んできているよ。英語も文章で話せるようになってきたし、チームメートたちも彼の存在を喜んでる。最初にこちらに着いた頃はシャイだったし、ホームシックだったかも知れないが今はかなりうまく溶け込んできてきている」<br />
「彼はよく『イエス』を連発するんだ。ただ、内容はきっと理解してないんだろうな・・と思うことがある。そんな時はゆっくり話して説明するようにしてる。でも辞書を片手に毎晩英語勉強してる。スラングはまだ知らないようだけど、僕たちが教えてやってるんだ。でも、なんとかウチのアパートではうまくコミュニケーションが図れてるよ」<br />
「僕の料理も喜んで食べてるしね。日本料理、中国料理の店にも連れていってるし。ここでの生活を気に入ってくれてると思うよ。料理は僕が毎日担当しているんだ。買い出しにでかけて費用は折半し、僕が作る。彼の料理はイマイチなんだ。でも掃除はユタカがよくやってくれてるね」</p>

<p>ただしいくら現地で気のいいルームメートに恵まれたとはいえ、シンシナティでは車もなければ国際免許もない。チームがロード遠征した際、豊はチームの選手たちが住まいとするアパートで、ひとり留守番という生活を送っていた。自転車で行ける距離に陸上でのトレーニング施設はあったが、スケートリンクは離れた場所にあったため、チームが遠征してしまうと氷に乗ることすらできなかった。</p>

<p>試合出場はおろか、練習もままならぬ状況。しかしながら、当時のサイクロンズのヘッドコーチ、マルコム・キャメロンの言葉の中には、豊にとって一筋の光もあった。</p>

<p>「ユタカには、年明け以降に試合出場の可能性が出てくる。それには、まずは体力をアップする必要があるし、あと２ヶ月はこっちのシューターに慣れる必要がある。そうすれば彼の自信にも繋がるはずだ」</p>

<p>サイクロンズ広報担当のグレッグは、２月にキールクッキが空軍での兵役義務のため、チームを一時抜けるという可能性を示唆していた。そうすればロースター枠に空きが出て、ユタカが正式に選手登録され、ベンチ入りに至るというわけだ。</p>

<p>さらにこのシーズン開幕前に、ヨーロッパツアーを成功させたサイクロンズでは、それに気を良くしたオーナー陣から、翌年のプレシーズンを日本で過ごそうかとの案も浮上していた。これが実現するのであれば、豊の存在価値は、ぐっとクローズアップされて来るはずだ。</p>

<p>練習終了後、着替えを済ませて出て来た豊は、そうした一連の情報に瞳を輝かせた。そういった詳細は、まだ一切聞かされていなかったのだ。</p>]]>
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<title>帰国報告記者会見</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.nikkansports.com/sports/icehockey/archives/2006/05/post_24.html" />
<modified>2006-10-25T02:48:03Z</modified>
<issued>2006-05-18T12:37:22Z</issued>
<id>tag:blog.nikkansports.com,2006:/sports/icehockey/49.12332</id>
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<summary type="text/plain">　５月１８日、都内ホテルで福藤豊の帰国報告会見が行われた。 Q：先シーズンを振り...</summary>
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<![CDATA[<p>　５月１８日、都内ホテルで福藤豊の帰国報告会見が行われた。<br />
<img alt="fukufuji060519.jpg" src="http://blog.nikkansports.com/sports/icehockey/archives/img/fukufuji060519.jpg" width="220" height="194" /></p>

<p>Q：先シーズンを振り返っていかがでしたか？</p>

<p><b>「ルーキーキャンプから始まって、自分自身調子は良かったんですが、NHLのキャンプで残れずに、AHLのキャンプに行くことに。そこでも調子はよかったんですが、ECHLからのスタートになりました。でもAHLからECHLに落とされる時に、モチベーションが下がったわけでもない。シーズン最初からいいプレーができていました。</p>

<p>　AHLでは２試合しか出場できなかったけど、納得できるプレーもできたし、次の年に繋がるプレーができたと思う。ケガが多く、調子がいいときにケガをしてしまったのが残念。波に乗れなかったが、自分のできる限りのプレーはしたつもりです。</p>

<p>　AHLの試合出場も果たしたし、今年これからすべきことははっきりしている。契約最後の年で勝負になるが、出来る限り一生懸命やりたい。今は身体をゆっくり休めて次のシーズンに備えたいです」</b></p>]]>
<![CDATA[<p>Q：今後プレーを向上するには、何をすべきでしょうか？</p>

<p><b>　「AHLのキャンプからECHLに落とされる時に、自分に足りないのはチームとのコミュニケーション、スティックハンドリング、リバウンドコントロールということを言い渡された。この３つの課題をしっかりやれば、AHLに残れる可能性は高いと思う」</b></p>

<p>Q：先シーズン負ったケガについて、現在の状況を含めて振り返ってもらえますか？</p>

<p><b>　「まずは足首を捻挫。しかし自分しかチームにGKがおらず、試合に出なければいけない状態だったので、テーピングをして出場しました。その後、左脚の内転筋を故障してしまいました。その時にもう１人のGKがやはり同じ箇所を故障して、歩けない状態になってしまい、僕が出ないといけなくなった。ケガをして直る時間がなくって、最後まで響きました。現在は足首はほとんどよくなったんですが、内転筋はまだ回復にはちょっとかかりそうです。ケガした後ですぐに休めていれば、早く直せたかも知れませんが。</p>

<p>　その後、ECHLから治療を兼ねてAHLに合流しました。ECHLでもレギュラーシーズン、プレーオフと出場して感じたのですが、みんなの集中力が違っていました。AHLには、スキルの高い選手がECHLよりもたくさんいるは確かです。でもAHLのプレーオフの試合を見ていて、ケガさえしていなければ、自分でもできるんじゃないか、という気持ちにはなりました」</b></p>

<p>Q：日本のファンは「少しでも早くNHLに昇格して欲しい」と期待が高まってるのですが・・・</p>

<p><b>　「あと１年しか契約がないので・・・次が勝負の年だとは思っています。今年AHLに残ることができれば、NHLに行けるチャンスもアップしますしね。AHLに残れなければNHLの道は遠くなる。最低でもAHLに残れるように頑張りたいです。最低でもAHL１シーズン通して過ごしたいです。</p>

<p>　ケガをしていない時は、かなりいい成績を出していたと思うんです。ケガをしてからは足が力に入らないときもあったが、ケガをしなければもっといい数字を出せたはず。ケガのせいにするわけでないけど、１００％の状態だったらNHLでもプレーできると思う。昨年NHLのキャンプでも１度ケガをして、大事な試合に出場することができなかった。今年は、大事な試合でいい結果を出せるようにしたいです。</p>

<p>　１年目から比べて、毎年少しずつステップアップしてきていると思うんです。１年目のベイカーズフィールドから、２年目もECHLからのスタートだったけれど、AHLで出場は果たしていますしね。今年これからAHLに残ることができれば、次にはNHLという道が待っている。全力で頑張りたいです。過去にAHLでプレーしていたGKが、今季NHLで活躍しているのもいい刺激にはなっています」</b></p>

<p>Q：今季ECHLレディングでプレーオフ敗退後「こんなに悔しいことは今までなかった。立ち直るのにしばらく時間がかかるかも知れない」と語っていましたが、ホッケーへの気持ちを立て直すためにどういう努力をしていますか？</p>

<p>　<b>「（ECHLレディングで）プレーオフが終わったときは、本当に悔しかったんです。チームのために頑張ったけれど、結果は負け。正直言って忘れられない悔しさでした。いまだに心の整理がついていいないほどです。二度とああいう思いはしたくないし、それをバネにするしかないですね」</b></p>

<p>Q：（同じ高校出身の）荒川静香、宮里藍の活躍について？</p>

<p><b>　「実際には話したことも会ったこともないですが、いい刺激にはなっています。世界であれだけの結果を出せば、日本中が盛り上がってくれるということですからね。日本のホッケー界の為に、自分も力になれたらいいなと思います」</b></p>

<p>Q：AHLとのECHLのホッケーのレベルの差は？</p>

<p><b>　「AHLでは、全ての面においてかなりレベルが上がるんです。選手のサイズもシュートの正確性、パスの早さ、スピードと、全てにおいて違う。でもそんなに戸惑いはありませんでした。ただ僕の場合、AHLで２試合出場しただけでしたし、それくらいなら誰でもいい結果が出せるんです。シーズンを通して結果が出せて初めて、次に繋がるということを忘れないようにしたいです」</b></p>

<p>Q：キングズGMが新しく就任したばかりで、またコーチングスタッフも決定していない状態ですが、キングズ側からは何か今後の予定についての連絡などはありましたか？　ケガが多かった昨季の反省から、オフはどういう過ごし方をしたいですか？</p>

<p>　<b>「今のところ、キングズからの連絡は全くありません。今後は、６月後半から日本でコクドのメンバーと一緒に氷に乗ります。その間にうまく調整して、７月半ばからのキャンプに備えたいと思います。</p>

<p>　１年目のベイカーズフィールドでは、シーズン終盤に膝を故障。靭帯を伸ばしてしまいました。シーズンが終わった後はそのリハビリに追われ、ゆっくり休む時間がなかったんです。日本に帰ってきた期間も短く、忙しくしていたので、オフの間に身体をゆっくり休ませる時間がありませんでした。それがケガの原因だったとは限らないですが、シーズン開幕前にかなり追い込んでしまったので、それを反省しています。今年秋のキャンプには、リフレッシュした形で入りたいです」</b></p>

<p>Q：ファンへのメッセージをどうぞ！</p>

<p>　<b>「毎年同じセリフになってしまいますが、今年も今まで以上に努力してNHLの舞台に出られるように頑張ります。これからも応援お願いいたします」</b></p>]]>
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<title>シンシナティ留学：その３</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.nikkansports.com/sports/icehockey/archives/2006/05/post_23.html" />
<modified>2006-10-25T02:48:01Z</modified>
<issued>2006-05-16T00:00:31Z</issued>
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<summary type="text/plain">以前にも少し触れたが、当時のECHLシンシナティ・サイクロンズのオーナー陣には、...</summary>
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.nikkansports.com/sports/icehockey/">
<![CDATA[<p>以前にも少し触れたが、当時のECHLシンシナティ・サイクロンズのオーナー陣には、華々しいメンバーが揃っていた。</p>

<p>NHLの往年の名選手として鳴らし、引退後はホッケー殿堂入り。さらに日本人オーナーを誘致してNHLエクスパンションチームのタンパベイ・ライトニング設立に貢献したフィル・エスポジトと、その右腕的存在のデヴィッド・ルフィーバー。元ECHL会長のリック・アダムズ、元NYレンジャーズGMニール・スミス、ABCとESPNのキャスターを務めるジョン・サンダーズ。さらにはトム・クルーズ主演の映画「ザ・エージェント」でフットボール選手役を演じ、「Show me the money!」との台詞を流行らせた俳優キューバ・グッディングJrも、オーナー陣に名前を連ねていた。</p>

<p>福藤豊がシンシナティに留学した２００２−０３年シーズンからは、NHL提携先がサンノゼ・シャークスに代わったが、それまでは地理的にも遠くないカロライナ・ハリケーンズとも提携していた。そういった事情から、エリック・コール（現カロライナ）、ヤロスラフ・スヴォボダ（元カロライナ、現ダラス）、デヴィッド・タナベ（元カロライナ、現ボストン）といった、現在NHLで活躍する選手たちも、サイクロンズでプレーして巣立っていったという経緯がある。また、サイクロンズ創設２年目の１９９１−９２年には、芋生ダスティ（現・王子製紙）も９試合プレーしたという記録が残っている。</p>

<p>このサイクロンズのヘッドコーチを務めることになったのが、マルコム・キャメロン（現ECHLロングビーチ・ヘッドコーチ）である。キャメロンは、ECHLを含めマイナーリーグでのキャリアを終えた後、カナダの大学やECHLよりも下部にあたる独立リーグでアシスタントコーチとして修行を積みながら、３３歳でシンシナティでの仕事にありついていた。豊によれば、現役時代はFWとしてプレーしていたそうだ。</p>

<p>このキャメロンコーチに、練習後に話を聞いた。ECHLヘッドコーチ１年目とあって、はにかむ笑顔からは若さがはち切れている。そのキャメロンコーチは豊について聞かれると、まずはひと通りの社交辞令的コメントを発した。</p>

<p>「ユタカは素晴らしい若者です。運動神経も優れているし、非常に将来性があると思いますよ。彼にとって一番の課題は、北米スタイルのホッケーに慣れることですが、毎日の練習でどんどんうまくなっています。彼のその真摯な姿勢も評価しています」</p>

<p>「７月に彼がウチに合流すると聞いた時には、正直どうなるか予想がつかなかったのです。日本のホッケー事情もよく知りませんでしたからね。ただヨーロッパで実際に試合に出場させてみて、彼の潜在能力、運動能力が強く印象に残りました。あとはこちらの競争環境に慣れれば、きっと成功できるでしょう。チームメートたちが彼のことを気に入ったようですし、彼も楽しくやってますよ」<br />
</p>]]>
<![CDATA[<p>だが、キャメロンコーチの言葉尻には「ECHLのレベルは日本よりもずっと高いんだ」、との一言が常にぶらさがっていた。実際に日本のホッケーを全く目にしていないコーチに、日本のホッケーのレベルをさもありなんと語られるのは、正直気持ちのいいものではなかった。それに鈴木貴人がECHLシャーロットで出場した試合を見る限りでは、確かにサイズやタフさという面ではECHLに軍配が上がることは確かだが、スキルやスピードといった面では日本よりむしろ劣るのではないかというのが、筆者の印象であったのだ。それは、のちに２００３−０４年ヤング日本代表が北米遠征で、ECHLチームと練習試合を互角に戦ったことで証明されている。</p>

<p>ただ、キャメロンコーチの言葉の奥には「ホッケー後進国からきた若いゴーリーをあっさり試合に出場させるほど、ウチは舐められてない」との真意がはっきり込められていた。</p>

<p>「今季はまず練習環境で北米ホッケーにまず慣れることです。北米でならではの、多くのシュートの種類を浴びることが大切なんです」<br />
「プレーでの課題としては、まずはパックハンドリングでしょうか。ＥＣＨＬともなると、ゴーリーは第３のDFとしての役割ができるほど、、パックハンドリングがうまくないといけません。なのでゴールの外に出て、パックをハンドリングし、パスにつなげる技術を現在は練習させています。それから体力アップのためのトレーニング。上背はありますが、ゴールを塞ぐためにウエイトを付けることが必要です」</p>

<p>サイクロンズの練習中、シャークスのチームカラーに彩られたマスクとパッドを身に着けた大柄な空軍ゴーリー、マーク・キールクッキは、我がもの顔でゴールに居座っていた。太平洋の軽やかなアクアブルーをイメージしたというシャークスカラーのレガースやグラブは、黒、黄色、赤を基調とするサイクロンズのユニフォームにはあまりにもミスマッチであるどころか、浮ついた彼の態度をも反映しているように見えた。</p>

<p>サイクロンズはシャークスと提携チームとは言っても、実際にシャークス傘下選手はほんの一握り。それ以外の選手は、NHLとは縁もゆかりもない一介のマイナーリーガーである。週給４００ドル、明日の保証もないそうした選手たちに対し、キールクッキのようなNHLチームと契約を交わした選手は、シーズン年俸制。同チーム内で「勝ち組」「負け組」の濃淡が明らかな環境でもあるのだ。</p>

<p>しかも、そのキールクッキのセービングスタイルだが、数分見ていれば素人目にもそれほどの敏捷性もスキルもないことが分かる。北米ホッケーの世界はなにかと「サイズ重視」であり、身長１９３cmのキールクッキがシャークスと契約に至ったことに何の不思議はない。</p>

<p>ただその空軍ゴーリーは、豊が「日本から来た」と知り、豊の面前で大爆笑して見せたという。当時、シンシナティで受けていた差別的発言や、チームメートからのイジメなどの具体的な内容について、豊はあまり自分から語ろうとしなかったのだが、この一件だけは口をついて出ていた。それだけ屈辱的な言葉だと、豊は受け止めていたのであろう。</p>

<p>それでも、チームの１番手ゴーリーとしての地位を確立していたグレッグ・ヒューイットとは、豊はいい関係を築きつつあるようだった。少なくとも彼にとってヒューイットは、自分が敬意を抱ける相手であったのだ。キールクッキと同年齢で、サイズこそ限られているが、確固としたスキルを有し、敏捷な動きを見せるヒューイット。ゴーリー同士だからお互い分かり合えるものもある。ヒューイットも、豊の素質とホッケーに対する姿勢を認めていた。全体練習終了後も、豊の課題であったゴール外のパックハンドリングの練習に付き合ってもいた。</p>

<p>「ユタカは性格がいいし、練習も真面目。毎日懸命に練習しているし、動きも素早い。高い潜在能力を持っているね。まだ彼の英語が十分ではないから、僕としては世話人として彼とできるだけ話をしたいんだ。彼が質問がある時には、いつも答えるようにしてるし、いい関係を保てていると思うよ」</p>

<p>そして時を隔てて２００５−０６年。ヒューイットはECHLロングビーチに所属、キャメロンコーチ指揮の下で依然活躍していた。一方、キールクッキのスタッツは、２００２−０３年ECHLシンシナティをもって、ぶっつり途絶えている。この世界で生き延びるためには、何が必要かを考えさせられる２人のキャリアでもある。<br />
</p>]]>
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<title>シンシナティ留学：その２</title>
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<modified>2006-10-25T02:47:59Z</modified>
<issued>2006-05-08T23:34:02Z</issued>
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<summary type="text/plain">野茂英雄が日本人として初のメジャーリーガーになるまでに、相当の苦労があったことは...</summary>
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<![CDATA[<p>野茂英雄が日本人として初のメジャーリーガーになるまでに、相当の苦労があったことは想像に難くない。それゆえに、日本の野球のような強固な背景や実績がない日本のホッケー界において、選手がNHLを目指すには、想像を絶する大きな壁を乗り越える必要があるのは、いうまでもない。もちろんNHLでプレーするためには、まずは実力差をどう埋めるかということが第一の壁ではあるが、それと同様といっていいほど難題なのが、北米ホッケー関係者の頭の中にあるメンタルな壁である。</p>

<p>こうした壁は、何も日本だけに限ったことではない。過去の経緯を辿ってみよう。鉄のカーテン崩壊後、東側選手がNHLに参入しはじめて１８年ほどになるが、旧ソ連、チェコといった世界選手権や五輪での金メダル獲得諸国の選手であれど、当初は「たとえスキルが高くても、フィジカルなNHLではやつらのプレーは通用しない」と言われ続けた。五輪で優勝を収めて大会ベスト６に選ばれるような選手であっても、NHLの壁にぶちあたり、早々に故郷に引き上げるものもあった。</p>

<p>だが、すごすごと尻尾を巻いて故郷に帰ることは、かつて「ステートアマ」として活躍した彼らのプライドが許さなかった。その後、彼らは北米生活に馴染む努力やフィジカルに戦う意志を見せ続けることで、北米ホッケー関係者やファンのメンタルブロックを徐々に取り払い、持ち前の高いスキルやスピードで魅了することを覚えていった。その後、第１世代から第２世代が流入して選手数も増え、彼らが偏見なく正当な敬意を得てNHLでの本流として活躍し始めるまでに、５〜６年という年月を要した。そして、今ではロシアやチェコなど故郷にNHL的カルチャーが輸入されたことが拍車となり、北米出身者を凌駕するようなフィジカルプレーヤーも続々出現。北米ホッケー関係者がかつて当たり前のように唱えていた「ヨーロピアン＝スキルは高いがフィジカルプレーが苦手」というステレオタイプなイメージを、いまさらヨーロッパ出身者に押し付けるものがいたとすれば、それは時代錯誤というものだ。</p>

<p>そうした流れを考慮すると、日本人選手たちが今後北米ホッケーでひとつの勢力として認められることがあるとすれば、気が遠くなるような期間を要するに違いない。日本のホッケー事情に明るくない北米のホッケー関係者にとっては、極論を言ってしまえば「日本もシンガポールも同じ」、なのである。（筆者注：ちなみにシンガポールは、世界選手権に選手団を派遣していないため、世界ランクは不明。日本は最新の世界ランクで２１位。サッカー日本代表の世界ランクは１７位）</p>

<p>ただし過去に日本ホッケーと関わってきた経緯から、日本人選手の良さを十二分に熟知している関係者もいる。当時ECHLシャーロット・チェッカーズのヘッドコーチを務めていた、ドン・マキャダム（現ECHLデイトンGM）はまさにそんなひとりだ。自らを「日本ホッケーの大ファン」と称するマキャダムの下で、鈴木貴人（現コクド）はチェッカーズの一員として素晴らしい活躍を見せていた。NHL.comにも寄稿する現地アメリカ人記者は、鈴木のプレーを見るやいなや、驚きのあまりシャーロット取材中の著者の元を訪れ、こう告げたほどである。</p>

<p>「あのスピードや得点力はもちろん、細かいプレーがちゃんとできている。無理せずスマートなプレーに徹しているし、システムホッケー内での守りの意識もちゃんとある。素晴らしいホッケーセンスだ。あれであと３インチ、２０パウンド身体が大きかったら、間違いなくNHLでプレーできるだろうに（筆者注：鈴木の身長体重は、コクドHPによると１７３cm、７３kg。NHL選手の平均身長、体重は１８５cm、９０kg程度）」</p>

<p>鈴木のそうしたプレーは、もちろん天性の能力の部分も大きいが、１９９８年長野五輪前から日本がカナディアンホッケーを取り入れて強化してきた影響も大きい。長野五輪前の強化合宿組であった鈴木には、システムホッケーや守りの大切さは基本中の基本として叩き込まれてきたのだ。だから、いきなり北米のチームでプレーすることになっても、試合で実施するコーチの指示は日本とさほど変わらないし、また日本人選手は概ねそうしたコーチの指示をすんなり理解でき、むしろ忠実に実行できる。前述の記者によれば、ECHLレベルであっても北米出身選手がそうした戦略を十分理解・遂行できなかったりする場合もあるらしく、長野五輪から一連の強化で得られた日本人選手のこうした資質には、自信を持っていいと断言したい。</p>

<p>実際にECHLのリーグ全体のレベルを見ると、それほど高いものではない。確かに選手のサイズ、フィジカル度は、日本とは比べられないほど高いのだが、実際のスキルやスピードについては、日本人選手も十分ついていける程度のものである。要は、適切なコネを辿って十分な出場機会を与えられれば、日本代表主力クラスならECHL主力を張れることは鈴木が証明してくれたのだ。</p>

<p>実際、福藤豊の場合、そのあたりはどうだったのか？　　留学先のECHLシンシナティ・サイクロンズのフロントには、かつてのNHLタンパベイ・ライトニング首脳の名前があった。ライトニングは、創設期に日本人オーナーがチームを所有していたことはよく知られており、この豊の留学もそれに似たコネクションが生かされて実現したものではあった。</p>]]>
<![CDATA[<p>２００２年１１月。シャーロットでの鈴木の取材、デトロイトでのNHLレッドウイングズの取材を終えた後、日帰りでシンシナティを訪れた。午前便でデトロイトからシンシナティに到着し、念のため空港からチーム広報担当のグレッグに電話すると、「電話してくれてよかった。今日はいつもと違うリンクで練習が入ってるんだ。空港からの足はあるのかい？　必要なら練習リンクまで乗せて行こうか？」と、申し出てくれた。</p>

<p>北米マイナーリーグのホッケーチームは、試合会場こそ収容人員５０００人以上のホームリンクを抱えていることもザラである。しかしこうした施設は、往々にして他目的スタジアムとして使用されているため、練習のために毎度押さえることは難しい。多くのNHLチームは、専用の練習施設をちゃんと押さえているが、そこはマイナーリーグである。いつも同じリンクで練習ができるとは限らない。今日は試合会場であるシンシナティ・ダウンタウンのバンクオブアメリカアリーナ、明日は郊外のスケート場、その後は同じシンシナティでも別リーグに所属しているシンシナティ・マイティダックス（ＡＨＬ）と、空いているリンクを求めて転々と移動していくことも稀ではないという。</p>

<p>「世界選手権日本代表の３番手ゴーリー？　ユタカがそんな逸材だったとは知らなかった。実際にヨーロッパで出場した試合では堂々としていたし、練習だけさせておくには勿体ない話だな」</p>

<p>そう話すチーム広報担当者のグレッグは、広報の仕事以外にチームのラジオ実況アナウンサーという仕事も兼ねている。ECHLレベルではそうしたケースが非常に多い。そもそもアナウンサー畑出身のグレッグは、マイナーリーグでキャリアを重ねることによって、北米メジャースポーツでのブロードキャスターになることを希望している。選手たちだけでなく、チーム関係者もこうしてみな、キャリアアップによって頂点を目指そうとしているのだ。</p>

<p>グレッグのRV車をかなり飛ばして４５分。着いた郊外のスケート場は、地方のさびれたローラースケート場かボーリング場のような佇まいだった。だだっ広い駐車場には、チーム関係者のものらしき車がポツポツと並んでいる。入口付近は、さしずめ場末のゲームセンターといった雰囲気だ。</p>

<p>奥に進むと、氷ならではの懐かしい匂いとともにスケートリンクが２面見えて来た。左側のドアの向こうからパックを叩く音が響く。ドアを開け、リンクの中のきいんと張り詰めた冷気を吸い込むこの瞬間がホッケー好きにはたまらない。クリスピーな空気を頬に感じながら、リンクの奥に豊の姿を見つけた。コクド時代同様、ウルトラブルーのマスクにゴーリーパッドは変わっていない。</p>

<p>ただ練習がスケーティングから通常のドリルに移行していくにつれ、ある異常に気付いた。通常練習はリンクをセンターラインから半分に分け、２つのグループが同時進行で行うものだ。だが豊側のゴールには、当時サイクロンズの控えに収まっていたNHLサンノゼ支配下の空軍出身ゴーリー、マーク・キールクッキがゴール内に常時居座るため、豊の出番はない。やっと豊に順番が回って来たと思いきや、ヘッドコーチのホイッスルが空しく響いてそのドリルが終了。次はまた別ドリルの説明がなされて、練習は振り出しに戻る。そしてまた空軍出身ゴーリーがゴール前の定位置に収まるのだ。</p>

<p>予想していたよりも状況ははるかに厳しかった。練習においてろくな練習時間すらない。おまけにチームがロードに出た時は、アパートに居残りで留守番役。せいぜい近くのジムに出かけ、トレーニングをすることくらいしかできない。選手登録されていないのだから、チーム側としては与える練習時間も少なくて当然といえば当然なのだが、こんな状況が続けば「海外挑戦」どころか「留学」の意味すら怪しくなる。</p>

<p>チームの全体練習終了後、ひとりでゴール裏に回るプレーの動きを反復練習する豊の姿が、やけに淋しげに見えた。この状況を、どう打開するというのだろうか？<br />
</p>]]>
</content>
</entry>
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<title>プレーオフ敗退、シーズン終了</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.nikkansports.com/sports/icehockey/archives/2006/05/post_21.html" />
<modified>2006-10-25T02:47:58Z</modified>
<issued>2006-05-02T03:23:41Z</issued>
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<created>2006-05-02T03:23:41Z</created>
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<![CDATA[<p>ペンシルヴァニア州レディングの街のシンボルは、なんと「五重塔」である。そのシンボルは、「マウントペン」という名前の小高い山の頂から、コンパクトなレディングの町並みを誇らしげに見下ろしている。１９０８年建てられたこの赤いレンガ作りの塔は、日本の伝統的五重塔のような宗教的意味合いはないそうだが、将軍時代の城をイメージしたものだと、レディング市のホームメージには解説されていた。当初は高級ホテルとして建設されたのだが、街の条例のためこの塔内では食事をサービスすることができず。結局その後持ち主の手を離れ、現在はレディング市の所有物となったそうだ。</p>

<p>福藤豊がプレーするECHLレディング・ロイヤルズの本拠地、ソヴリンセンター前の通りにも、この五重塔を象ったイリュミネーションがところどころに飾られている。NHLを目指してこの地にやってきた日本人ゴーリーにとっては、滑稽なほどハマり過ぎの光景である。とはいっても、そのダウンタウンで、他に日本的なものを探そうとしても困難を極める。日本人、もしくはそれらしき人影すら見当たらない。</p>

<p>「日本料理のレストランは一応あるんですけど、純粋な日本料理じゃないし、なにしろ値段が高いんです。だから行く気はしないですよ」と、豊は以前語っていた。</p>

<p>NHLロサンゼルス・キングズから指名される前に、豊はすでに一度この地を踏んでいる。２００３年の年末から２００４年年始に企画された、若手日本代表遠征「ヤングジャパン・サムライツアー」において、レディングでは試合が組まれていたのだ。街の象徴であるパゴーダ（五重塔）を配して「パゴーダカップ」と銘打たれたその試合で、豊は試合前半に出場。１６セーブ１失点という記録を残している。日本代表はその試合を２−３と惜敗したが、その試合を評した地元紙は、豊と試合後半を守った荻野順二（王子製紙）について「この２人だったら、ロイヤルズのゴールを守らせても不足はない」と誉めたたえた。ちょうどその試合が開催された時期は、当時もロイヤルズで活躍していたコディ・ルドカウスキがAHLに昇格したタイミングであり、ロイヤルズとしては新たにゴーリーを見つけなければならない状況ではあったのだ。そのロイヤルズのゴールを今季豊が実際に守ることになり、しかもルドカウスキとはチームメートとなったのだから、不思議な縁ではある。</p>

<p>ダウンタウンが翳り出す時間帯になり、五重塔のイリュミネーションが輝き出してくると、それまで静まり返っていたソヴリンセンター前は、徐々に活気づいて来た。ホイーリング・ネイラーズとのプレーオフ第４戦が行われた４月１９日、レディングの街ではMLBフィラデルフィア・フィリーズの２Aチーム、レディング・フィリーズの試合も開催されていたので、観客の入りは二分されるであろうと予想されていた。しかし、そこは地元ファンの応援には定評のあるロイヤルズ。多くのファンがアリーナに続々と集結していた。</p>]]>
<![CDATA[<p>試合前のメンバー紹介で、豊の名前がコールされると、会場から暖かい拍手が起こった。豊が故障を抱えながらプレーを続けていることは、ここレディングでの第１戦ですでに多くのファンが知るところとなっている。ただ、ベストオブファイブのシリーズで、ロイヤルズは１勝２敗ともう後がない。ホームでのこの第４戦で、負け試合などは観たくはないという、ファンたちのある意味冷酷でシビアな感情が、会場内に満ち満ちていもいた。</p>

<p>地元紙でのロイヤルズ番記者、ダン・スチュワートは言う。</p>

<p>「ロイヤルズファンの多くは、チームが勝ってる時は大騒ぎするくせに、負けると一気に『あんなボロチーム、もう応援したくない』と文句を言い出すんだ。チームが苦しい時にも応援しよう、って気持ちを持ってる人は少ないんじゃないかな？　今季チームが悲惨だった時に頑張ったユタカのような選手に対して、果たしてどれだけのファンが感謝しているのだろうか？」</p>

<p>試合は、序盤からネイラーズペースで進んだ。相手FWがどんどんロイヤルズ陣内に果敢に切り込んでくる。第１ピリオド３分３７秒、ロイヤルズDFの裏をかいて放たれた相手のシュートが、いきなり豊の右腕の下をすり抜けた。そのわずか４６秒後、リバウンドを叩かれてスコアは一気に０−２に。味方のミスが絡んでいたとはいえ、どう見ても豊本来の動きではない。</p>

<p>しかしロイヤルズはその後１点を取り返す。そして逆エンドでそれを見守る豊に、チームメートたちが駆け寄る。試合はまだ始まったばかりだ、これからまだ十分巻き返そうぜといわんばかりに。さらにロイヤルズはその後２点を追加。一気に３−２と試合をひっくり返した。これで流れはロイヤルズに傾いた、と思われた。</p>

<p>だが、豊の身体はもう限界に達していた。第１ピリオド残り１分足らずの場面で、彼は混戦から３点目を許した。その際に相手選手にスティックで脚をすくわれ、無理な体勢から倒れた後は、もう立ち上がれなかった。しばらくクリーズ上に倒れ込んだまま、起き上がるような仕草もできないほど、痛みが豊を制圧していたのだ。</p>

<p>故障箇所は、ゴーリーにとって最も厳しい箇所である内転筋であった。レギュラーシーズン終盤にこの内転筋を故障し、しばし戦列を離れた豊であったが、同じ箇所をもうひとりのGKルドカウスキが痛めて戦列離脱となり、プレーオフ第１戦での試合復帰を余儀なくされた。そしてその第３ピリオドで同じ箇所を再負傷。さらに第３戦第２ピリオドにも、このケガを悪化させていたのである。だがプレーオフ中とあって、ロイヤルズのカール・テイラーコーチは「脚の故障」とはしながらも、その詳細をメディアに語ることはしなかった。</p>

<p>ロイヤルズベンチからトレーナーが駆け寄った。しかし試合を続けたい無意識下から出た動作なのか、豊はこのトレーナーをいったん押し退けた。だが、両脚にはもう力が入らない。いったん起き上がったものの、再び彼の身体は氷の上に崩れ落ちた。トレーナーと１人の選手と、２人がかりで豊の両脇を抱えて起こし上げ、ロッカールームに退場する。ロイヤルズのゴールには、この前日からチームに合流したジュニア上がりのゴーリー、ブライアン・ブリッジズが代わりに収まった。</p>

<p>第２ピリオド以降、このブリッジズが相手のペナルティショットをセーブするなど、まずまずの守りを見せていた。本来自分があるべき場所に、別のゴーリーが収まり健闘する光景を、ロイヤルズベンチの端に座った豊はうつろな表情で見つめていた。しかしそのブリッジズもその後２失点し、ロイヤルズはネイラーズに４−５というスコアで屈した。</p>

<p>試合終了後、リンク上では、プレーオフ恒例の両チームが健闘を讃え合う握手の列ができていた。こうした場面でよく出くわすのは、負けたチームの選手たちが相手と視線すら合わせず、握手というよりは相手の手を触るだけ、というような態度である。選手としては、悔しさゆえにそうした悪態をついてしまうのだろうとは察するが、スポーツマンとしてそうした態度はいかがなものか、と思うこともある。</p>

<p>だが、この握手の列の後方で、豊がとった行動は立派そのものであった。相手選手としっかり視線を合わせ、がっちり右手で握手を交わし、さらに左手で相手の肩を抱き寄せるようにして「僕たちの分まで勝ち上がれよ」といわんばかりに、相手を讃えていた。ネイラーズの選手たちも、彼のケガについては十分承知していたはずである。豊と視線を合わせるやいなや、「大丈夫かい？」と真摯な表情で声をかける選手も何名かいた。それは、相手選手がいかに彼に敬意を払っていたかの証明でもあった。</p>

<p>試合後、ロイヤルズのロッカールームで、テイラーコーチは、取り憑かれたような表情で言葉を吐き出した。</p>

<p>「惜しい試合だった。ケガで出場が続けられなくなったユタカのためにも、どうしても勝ちたかったんだ。彼はひどい内転筋の負傷を負っていたんだよ。通常だったら、２週間は休まなければならない状態だったんだが・・・トレーナーを押し退けてまで試合を続けようとした、あのファイトを見ただろう？　本当に彼は真のファイターだ」</p>

<p>豊は、試合後かなり経過した後も、ジャージと用具を身につけたままだった。帽子を目深にかぶってはいたが、その大きな瞳からは大粒の涙がこぼれかけていたのがはっきり見て取れた。</p>

<p>「本当に・・・悔しいです。ここから立ち直るのには、時間がかかりそうで・・・苦しい時もあったけど、最後はいいチームにまとまっていたし、勝てると思っていたんですが・・・」</p>

<p>ケガに泣かされた豊の２００５−０６年シーズンは、節目節目で新たな収穫を得ながらも、苦々しい思いとともにこうして幕を閉じた。ちょうどこの頃、NHLロサンゼルス・キングズは、デイヴ・テイラーGMを解任、その後任に元サンノゼGMのディーン・ロンバーディを採用を発表した。この一連の動きによって、フロントオフィスだけでなく、コーチ陣も刷新されることとなるという。それが豊の命運にどう影響を及ぼすのか？　それは神のみぞ知るところである。<br />
</p>]]>
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<title>プレーオフ第３戦</title>
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<modified>2006-10-25T02:47:55Z</modified>
<issued>2006-04-24T23:33:12Z</issued>
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<summary type="text/plain">４月１８日。第３戦は、第２戦と同様、ウエストヴァージニア州ウイーリングで開催され...</summary>
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<![CDATA[<p>４月１８日。第３戦は、第２戦と同様、ウエストヴァージニア州ウイーリングで開催された。ピッツバーグから車で１時間弱の位置にあるウイーリングは、ひっそりした小さな街だ。福藤豊が所属するECHLレディング・ロイヤルズの対戦相手、ウイーリング・ネイラーズの本拠地ウエスバンコアリーナは、北米の他のアリーナの例に漏れず古めかしい雰囲気を装っていた。コンクリートの塊といった外観、内部はやや暗めの照明という、北米のマイナーリーグにはお約束のうらぶれた趣き。さらにプレーオフだというのに、集まった観客数はわずかに２００３人というのが、物寂しさを増長させる。北米ホッケー観戦につきものの沸き上がるようなグルーヴは、ここには感じられない。冷えた空気とともに、重い静けさが会場に漂う。かえってその静けさゆえに、一部熱狂ファンたちの罵声だけが、やけに耳に貼り付いてくる。</p>

<p>故障を抱えながら第２戦で見事にチームの勝利に貢献した豊は、「第３戦、第４戦と連勝で決めますよ。ウイーリングにはショッピングモールがあるんですが、そのために第５戦でここに戻りたいとは絶対思わないし」と語っていた。その言葉を裏切らず、この第３戦での第１ピリオドはミスのない安定したプレーを見せる。かなり難しいシュートが飛んではくるのだが、冷静にパックを弾くほぼ完璧な守りだ。リバウンドショットに対するリカバリーも、故障の影響を感じさせないような本来のスピードで立て直している。だが、ところどころ、彼本来でない動きが見え隠れし、ヒヤリとさせられる。やはり故障箇所の状態はかなり厳しいのだろうか。</p>

<p>そんな豊の状況も見据え、チームメートは早々に２点のリードを与えてくれた。ロイヤルズにとってはいいペースだ。被シュートが多いのが気になるが、少ないチャンスを確実にモノにしている。第２戦の流れをそのままキープし、第３戦もこのまま勝利すれば、豊の予言通り地元レディングに戻った第４戦でシリーズの決着がつく。そんなシナリオも至極可能かと思われた。</p>]]>
<![CDATA[<p>しかし第２ピリオド序盤、またもや豊にアクシデントが襲う。相手のパワープレーとなったところで、ネイラーズは２人対１人の形でカウンターアタックを仕掛けてきた。早いタイミングで放たれたショットに、豊はうまく左脚を出して反応する。ナイスセーブ。しかしこのプレーで脚を突き出した刹那、また故障箇所が暴れ出した。</p>

<p>ゴールクリーズにうずくまるようにして、歯を食いしばる豊の表情が苦痛で歪む。アイスホッケーでは試合続行中に負傷者が出た場合、味方がパックをキープしていればレフェリーの裁量で試合を止めることは可能だ。しかしレフェリーは逆エンドで試合の流れを追うのに夢中で、豊をかまう様子など全くない。試合を続けなければ。</p>

<p>その様を嘲るネイラーズファンの罵声を背中で浴びながら、豊はゆっくり両脚で立ち上がり、ひと呼吸ついた。ホイッスルが吹かれた後で、チームメートが心配そうに駆け寄る。トレーナーもベンチから飛び出してくるが、自らそれを制する。まだ行ける。なんとか試合続行だ。</p>

<p>しかし、その後の豊のプレーは、明らかに本来ののびやかさとキレを欠いていた。通常ならバタフライのスタンスに入るべき場面で、小さくスタンドアップにしたり、ローショットを抑えるのに前屈みになったり。故障箇所に相当のダメージを負った現状でできる精一杯のプレーを続けていた。</p>

<p>第２ピリオド後半、ネイラーズはロイヤルズのメジャーペナルティに乗じて、猛攻撃を仕掛けてきた。同ディビジョンでも最も攻撃力のあるチームとして定評のある、その底力を発揮し始めたのだ。まずはゴール前にスライドしてきた相手シューターが、豊のスティックサイド肩口にバックハンドでパックをすくい上げた。そのわずか１分後には、ロイヤルズのDFを切り込むようにゴール前に現れた選手が放ったシュートが、足元を抜き去る。さらに第２ピリオド残り２２秒の場面で、またノーマークでゴール前に入ってきた選手に対し、今度は豊はクリーズ外に出てチャレンジアウト。しかし相手のシュートは、豊のグラブサイドをするりと通り抜けた。あっという間にスコアは２−３と逆転。いずれも味方のミスから招かれたピンチであったが、本来の豊の動きであれば異なる結果になっていたのでは、とも思える一連の展開であった。</p>

<p>それでもロイヤルズは食い下がった。第３ピリオド序盤には３−３と同点に追いつくも、ネイラーズはパワープレーのチャンスをものにして、４−３と勝ち越し。ゴール右の角度の悪いところから相手が浮かせたパックに対応できず、豊はショートサイドを抜かれてしまったのだ。たとえ相手のシュートがよかったからと言って、ショートサイドを固めなかったのは、ゴーリーのミスとして責められる。自らのポジショニングのミスを悔いて、豊はしばらくクリーズ内にうなだれた。重い、重い１点だった。これが決勝点となり、ロイヤルズは３−４と第３戦に敗退。崖っぷちでホームでの第４戦を迎えることになった。</p>

<p>試合後、豊は思いの外、サバサバした表情で現れた。</p>

<p>「最後の１点は明らかに僕のミスです・・・でもあの場面で、味方はペナルティをしちゃいけない。僕も含めて、チーム全員がステップアップしないと勝てないですね。脚ですか？　まだ全然行けます。ここまで来たら、もうやるしかないでしょう？」</p>

<p>着替えを終えて、用具を次々に運び出すロイヤルズの選手たち。うち数名が、モヒカンヘアにしているのが目につく。その頭の中央部分を走る毛髪を、チームカラーのパープルに染めている選手もいる。こうした現象は、北米ではよくあるゲンかつぎとして、いわばプレーオフ期間中の風物詩ともなっている。選手によってはプレーオフ期間中ずっとヒゲを剃らなかったり、はたまた髪をプラチナブロンドに染めたり、チームカラーのメッシュを入れたり、と、そうしたプレーオフならではの儀式は近年かなり多様化している。</p>

<p>豊にこの儀式について尋ねると、こんな答えが返ってきた。</p>

<p>「僕がモヒカンにしていたら、みんなが真似し始めたんですよ。僕がチームのファッションリーダーなんです」</p>

<p>故障箇所の状態はどうにせよ、気持ちは揺らぐことなく強く保っている。手負いとなったが、AHLマンチェスター取材時よりも威風堂々とした豊の姿が、この苦々しい１シーズンで彼が得た何かを物語っていた。<br />
</p>]]>
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<title>日本人初のECHLプレーオフ勝利</title>
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<modified>2006-10-25T02:47:54Z</modified>
<issued>2006-04-17T18:58:09Z</issued>
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<summary type="text/plain">福藤豊がまた歴史を作った。 ２００６年４月１６日、場所はアメリカ・ウエストヴァー...</summary>
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<![CDATA[<p>福藤豊がまた歴史を作った。</p>

<p>２００６年４月１６日、場所はアメリカ・ウエストヴァージニア州ウイーリング。ECHLプレーオフ・アメリカンカンファレンス、ノースディビジョン準決勝第２戦で、豊は先発出場し、３３セーブ１失点で見事チームを勝利に導いた。これで、日本人としては初のECHLプレーオフでの１勝を記録したことになる。過去に鈴木貴人、伊藤賢吾（ともにシャーロット・チェッカーズ）と、ECHLプレーオフで１シーズンを戦った選手はいたが、いずれもプレーオフ進出には至らなかった。</p>

<p>また豊の場合、２００２−０３年に在籍したシンシナティはプレーオフ進出を果たしたものの、留学期間が終了したということで豊はプレーオフでの出場を諦めざるを得なかった。また昨季所属したベイカーズフィールドでは、チームのプレーオフ進出に大きく貢献したにもかかわらず、終盤の膝の故障で欠場を余儀なくされたという事情があった。</p>

<p>まさに３年越しでつかんだプレーオフ出場での初勝利。「すごく達成感があります。自分でもかなり興奮しているのが分かる。そのせいか、昨日はあまり眠れませんでした」と、豊はその気持ちを切り出した。</p>]]>
<![CDATA[<p>とはいえ、彼にとって今季ここまでは、ケガ続きの厳しいシーズンであった。</p>

<p>足首の故障も癒えた３月終盤、出場機会を見事ものにして、ECHL週間最優秀ゴーリーに選ばれた豊であったが、その後も苦労の連続だった。チームのケガ人、昇格選手などの影響で、またもやGKを除くプレーヤーが１３人のみと減って苦しいロイヤルズは、４月１日ディビジョン最下位が決定したデイトン・ボンバーズとアウェイで対戦。そこで豊はまたしても故障に見舞われてしまった。そして残りレギュラーシーズン２試合はもうひとりのGKコディ・ルドカウスキが出場することになった。</p>

<p>さすがに、ここまでケガ続きのシーズンというのは、どうも縁起が悪すぎる。普段はそういうことをさほど気にしない豊だったが、この時ばかりは考えた。そしてロイヤルズでチームから与えられていた背番号３５を、自分にとって思い入れのある４４に変えることを決心した。そのアイデアを用具マネジャーに伝え、そこからチームGMにも豊の意向が伝えられた。事の真相を聞いて、チームGMも背番号変更を快諾してくれたという。</p>

<p>プレーオフのディビジョン準決勝は４月１４日、地元レディングで開幕。ロイヤルズのカール・テイラーコーチは、シリーズ開幕前から「第１戦のユタカの出場はまずないね。ケガがあるから」と明言していた。ルドカウスキのレギュラーシーズン最後の２試合の出来は決してよくはなかったが、ルドカウスキも経験豊富なGKで、今季はシーズンを通して安定している。故障している豊を、無理させて出場させるような状況ではなかったのだ。</p>

<p>しかし、第１戦は思わぬ展開へと転んだ。第１ピリオド５分８秒の場面で、いきなりルドカウスキが負傷してしまったのだ。負傷後、立ち上がって歩くことすら困難な様子からして、かなりの重傷であることを豊は察知した。自分の出番である。</p>

<p>とはいっても、豊も４月１日のケガを抱えての途中出場。十分なウォームアップも得られない形で、しかも予想外の展開でゴールを引き継ぐことはかなり厳しい状況だ。さらに悪いことに、交代後の第１ピリオド１５分間に豊が受けたシュートの数はたったの１本。途中交代だけに、適度な数のシュートを浴びて調子に乗りたいところなのだが、全く仕事がないというのでは、ペースが掴めない。</p>

<p>そうして迎えた第２ピリオド、豊は２点を失う。相手のシュートがすっぽ抜け、ゴール裏のボードに跳ね返ったところで、逆サイドにパスを出されて相手はタップイン。さらにロイヤルズはパワープレー明けに逆襲を食らい、２人対１人の形で攻め込まれる。そして相手のシューターが、味方DFの足の間を抜いて放ったシュートが、豊のキャッチンググラブ側の肩口を抜いてゴールに収まった。いずれも味方が招いたビンチであったが、豊の動きも本来のそれではないように見えた。</p>

<p>さらに第３ピリオドには、バタフライの姿勢でスライドした際に再負傷してしまう。その後もしばらくプレーが切れない。豊は負傷した左脚を振り払うようにして痛みをこらえながら、プレーを続けた。通常なら大事をとって交代するほどのケガであろうが、交代できるGKはもういない。しかも今はプレーオフという大事な時である。チームメートたちも自分を頼りにしている。彼は自分にそう言い聞かせるしかなかった。</p>

<p>そして試合はオーバータイムに突入。最後は、味方のDFが倒された隙に、相手選手がノーマークの形となり、豊はスティックサイドを破られてゴールを決められた。地元ファンの前で第１戦は痛い黒星。しかも自分はケガを抱えている。ともすれば自信喪失に繋がる状況であったが、彼はとにかく第２戦に向けて気持ちを切り換えることに努めた。痛めた箇所は、冷やして暖めて、の繰り返しでケアする。すでに身体はもう満身創痍といっていい。</p>

<p>「正直言って、自分の身体はもうむちゃくちゃな状態だと思うんです。でも僕は、チームから頼られてるのが分かるから、プレーしたい。それに、チームメートたちも、みんなあちこちケガしているのに、頑張ってる。プレーオフって、そういうものですよね？」</p>

<p>４月１６日、舞台をウイーリングに移しての第２戦。第１戦で負傷したルドカウスキは太もも付け根故障で、すでにこの日付で７日間の故障者リスト入りとなってしまった。この試合のために、ロイヤルズは現在３０日の故障者リストに入っている３人めのGKを、例外的措置として登録復帰させてベンチ入りさせたが、これはあくまでも試合で頭数を揃えるための便宜上の登録に過ぎない。さらに第３戦以降のために、ロイヤルズは新しくジュニア上がりのGKを契約するに至ったが、いきなりプレーオフでの出場というのはほぼありえない。チームが頼れるのは、豊しかいないのだ。</p>

<p>序盤からロイヤルズは、反則続きで５人対３人のピンチもあった。相手は開始最初の３分で８本のシュートを打つ猛攻を仕掛けてきたが、それを豊はことごとく弾いてみせた。出足は上々である。豊の守りに応えるように、味方もこの試合では早々に援護射撃をしてくれた。１−０とリードを奪う。</p>

<p>しかし豊のバタフライは、やはりどこかがいつもと違う。明らかに下半身をかばい、スティックや上半身を使ったクリアが増えている。これで１試合持つのだろうか？ 試合も後半に差し掛かると、盛んにストレッチをする姿や、セーブをした後で左脚を揺らして痛みをこらえる様子が目につくようになった。ウイーリングのホームリンク、ウエスバンコアリーナでは、試合のブレイクのたびに氷を修理するほど、氷の状態がよくない。これも脚にはこたえそうだ。</p>

<p>だが第２ピリオド、またもや味方が援護してくれた。序盤に２点を追加して３−０とリードが開く。その後、ゴール前にいた味方に当たって入る不運なゴールで３−１と追い上げられるも、豊は必死の連続セーブで後続を断つ。ネイラーズから分厚い攻撃を仕掛けられても、巧妙にリバウンドをコントロールしていく。その姿に勇気づけられた味方は、さらに１ゴールを挙げて、リードは再び３ゴール差に戻った。第３ピリオドに入ると、ネイラーズはもう精神的に切れていた。ペナルティの連発で戦意喪失し、結局試合はロイヤルズが４−１で勝利。これでシリーズ対戦成績は１勝１敗となった。</p>

<p>ちょっと余談になるが、NHLではセントルイスからカルガリーへと受け継がれた「グリーンハードハット」という儀式がある。「グリーンハードハット」とは、工事現場などで働く人たちが頭の保護のために着用するヘルメットのこと。勝利した試合後は、選手たちの総意でこの「グリーンハードハット」をその試合のハードワーカーに与えるという儀式が、２００４年NHLプレーオフで決勝まで進出したカルガリー・フレームズで話題になった。勝利後、不格好な緑色のヘルメットを被ったまま、試合のヒーローが記者たちのインタビューに答えるというのが、カルガリーでは定番となっていたのだ。</p>

<p>それと同様な儀式が、ロイヤルズにもある。試合終了後、豊はチームメートたちから「レジーダンロップ・アウォード」を与えられた。レジー・ダンロップとは、映画「スラップショット」で、ポール・ニューマンが扮した超ベテランホッケー選手の名前である。シーズン半ば、ロイヤルズのカール・テイラーコーチは、この儀式のために自前の古い革ジャンを引っ張りだしてきた。７０年代風というか、いかにも映画でポール・ニューマンが着ていそうな古臭いデザインのものである。そして勝利した試合後には、選手たちの総意で選ばれたMVP選手に、この革ジャンを着る栄誉が与えられるのだ。</p>

<p>この日２ゴールを挙げたDFエリック・ワーナーは、この試合の豊のプレーを絶賛した。<br />
「毎試合、ウチのために素晴らしい守りをしてくれる。非常に安定しているし、彼にいつもすごく助けられている。あれだけ守れるGKがいることで、ウチは守りに自信が持てるんだ。今日は信じられないほど素晴らしかった。もうそれしか言えないよ」</p>

<p>テイラーコーチも豊に賛辞を送っていた。</p>

<p>「彼こそが我らが戦士。第１戦の負けから、よくぞ立ち直ってくれた。今日のプレーには、彼の精神力の強さが本当によく現れていたと思う」</p>

<p>そして革ジャン着用の栄誉を与えられた豊は、茶目っ気たっぶりにこう語っていた。</p>

<p>「（レジー・ダンロップ・アウォードは）今季もう５、６回めでしょうかね・・・試合後は、しばらくあの革ジャンを着ていないといけないんです。でも最近、こっちも暖かくなってきましたし・・・それに臭うんですよ、あのジャケット（笑）」</p>

<p>ケガの痛みで夜も眠れないほどの毎日が続いているが、もう昨季のような思いはしたくない。</p>

<p>「昨年は、プレーオフに出られなくって本当に悔しい思いをしたんです。今季はプレーオフに出られて、これでいい結果を残すことができれば、来季もきっといい形で迎えられるはず。もうやるしかないですね」<br />
</p>]]>
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<title>シンシナティでの苦悩（その１）</title>
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<modified>2006-10-25T02:47:52Z</modified>
<issued>2006-04-11T00:48:24Z</issued>
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<created>2006-04-11T00:48:24Z</created>
<summary type="text/plain">２００２年９月２４日、福藤豊はホッケー留学先のECHLシンシナティ・サイクロンズ...</summary>
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<![CDATA[<p>２００２年９月２４日、福藤豊はホッケー留学先のECHLシンシナティ・サイクロンズのチームメートたちと、プレシーズンツアー先のオーストリアで顔を合わせた。現地では２試合の練習試合が組まれていたが、豊は早々に出場機会を与えられた。２試合めの後半に出場し、チームは見事逆転勝利に導く活躍を見せたのだ。</p>

<p>ECHLはNHLにとって２Aレベルにあたるリーグである。とはいえ、年間試合スケジュールが４０試合程度と少ない日本でのプレーとは異なり、ECHLではレギュラーシーズンだけでも７２試合と長丁場だ。豊も当然そのあたりは現地出発前に予習済だった。必要があれば、全７２試合だって出てみせる、という密かな決意も心中にはあった。</p>

<p>豊が敬意を抱くNHLスーパースター選手、マルタン・ブロデューア（ニュージャージーGK）などは、NHL年間レギュラーシーンで７０試合以上、さらにプレーオフでは２０試合以上に出場している。NHLで通用するには、多くの試合をこなすスタミナが必要であることはすでに理解していたのだ。実際に北米出身者たちの中には、ジュニア時代から年間７０試合にプレーオフというハードスケジュールと、厳しい移動を経験している選手たちも多い。そうした厳しさを体験してきた日系人選手とは異なり、日本で純粋培養されてきた豊にとっては、そういうハードなホッケー社会の波に一刻でも早く晒されることが必要だった。</p>

<p>そして１０月後半、ECHLは開幕を迎える。ECHLシャーロット・チェッカーズでトライアウトを受けていた鈴木貴人（FW、現コクド）は、プレシーズンゲームで確実に結果を出し、堂々の開幕ロースター入り。しかもその得点力とスピード、切れのあるプレーを高く買われ、チームのトップラインやパワープレー出場など、チーム主力としての役割を与えられていた。そしてレギュラーシーズン開幕戦vsグリーンヴィル戦では、地元ファンの前でいきなり名刺代わりのハットトリックという、華々しいデビューを見せた。</p>

<p>だが、シンシナティ・サイクロンズの開幕ロースターには、豊の名前はなかった。登録された開幕ロースターには、グレッグ・ヒューイット、マーク・キールクッキという２人のゴーリーの名前のみしか見つからない。さらに不可解なことに、しばらくすると、福藤の名前はサイクロンズの故障者リストに載せられた。コクドに照会したところ、福藤が現地で故障したという事実はないという。これは一体どうしたものだろうか？　<br />
</p>]]>
<![CDATA[<p>プレシーズンでのサイクロンズは、チーム史上初のヨーロッパツアーという一大イベントを目前に控え、すでに選手選考の段階を終え、開幕ロースター入り選手がほぼ固定した状態だった。GKは前シーズンの２００１−０２年もサイクロンズに在籍したヒューイットと、サイクロンズの提携先NHLチームであるサンノゼ・シャークスから送られてきたキールクッキの２人で、すでに決定していたのだという。そこにひょっこり日本からの留学生が現れてチームに同行し始めたのだから、チームメートたちにとって豊の存在はよく言えば拍子抜け、悪く言えば場違いでもあった。</p>

<p>そして英語がままならない豊の状況をいいことに、彼を蔑視するジョークを他選手たちが口にし始める。実際のジョークの内容を理解できないにしても、それが自分に向けられた嘲笑であることを、彼は肌で感じ取っていた。ホッケー後進国日本からやってきた留学生なのだから無理もない。言葉は交わさない分、「なんでお前がここにいるの？」というチームメートたちの視線が痛く感じられた。</p>

<p>ただそれで悪びれるような豊ではない。「１つの試合、１回の練習全てがアピールの機会」と捉え、ヨーロッパ遠征で与えられた出場機会ではうまく結果も出した。何ごとも実力主義の北米。この１勝でチームメートやコーチからの信頼を勝ち取れたと、豊は信じていた。しかし事態は好転するどころか、さらに彼の意向とは離れた形へ展開していった。そしてヨーロッパ遠征を終えてシンシナティに戻り、彼は自分が置かれた立場を悟った。住まいとなるアパートは与えられたし、チームがホームにいる時は練習にも参加できる。しかしサイクロンズ側からは、マイナープロであってもプロ選手には欠かせない契約書を交わそうという意志も示されなければ、ロースター入りを争うための正当なチャンスすら与えられていない。つまり豊の立場は「練習生扱い」であったのだ。</p>

<p>出発前、豊はこの留学経験をあくまで「北米挑戦」と位置付けていた。この挑戦で多くのものを吸収し、チャンスがあればどんどん上を目指す、自分のアピールの機会だと考えていた。それだけに、シンシナティ入り後に直面した現実と、自分の思いとのギャップには愕然とした。どこでこうした意識の行き違いが生じたのか、ここでは明言を避けたい。ただ豊の考えと、受け入れるサイクロンズ側の温度差は歴然としていたのは事実だった。</p>

<p>いつになったら試合に出られるのか。その指針すら与えられず、豊は最初の１ヶ月、悶々とした日々を過ごした。並の若者だったら凹んで腐って当然といった環境だったが、彼はその持ち前の強い精神力でかろうじて持ちこたえている状態だった。</p>

<p>胸膨らませてやって来たシンシナティで、思わぬ苦境を強いられている。そんな不本意な状況を取材されたら迷惑ではなかろうか？　　正直、著者は取材に出向くのを少し躊躇した。そこで、事前に豊自身の意向を尋ねてみると、彼はきっぱりこう言った。</p>

<p>「取材ですか？　来て下さいよ。そんな状況でも頑張っているところを見てもらいたいんです」</p>

<p><b>＜＜今週の福藤豊＞＞</b><br />
福藤の所属するECHLレディング・ロイヤルズは、４月７日、８日の連戦にて今季レギュラーシーズンを終了。４２勝２３敗７OT負けで９１ポイントとし、アメリカンカンファレンス・ノースディビジョン３位となった。さきにも報じたように、ノースディビジョンからは５チームがプレーオフに進出し、まずは４位（ジョンズタウン）と５位（トレントン）がベストオブスリーのシリーズが予定されている。そして、その後ロイヤルズは、ディビジョン２位のホイーリング・ネイラーズと４月１４日からベストオブファイブのディビジョン準決勝を戦う。</p>]]>
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<title>初の海外挑戦へ</title>
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<modified>2006-10-25T02:47:50Z</modified>
<issued>2006-04-04T01:33:38Z</issued>
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<summary type="text/plain">日本のアイスホッケー界において、「海外挑戦」というコンセプトは、かなり前からあっ...</summary>
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<![CDATA[<p>日本のアイスホッケー界において、「海外挑戦」というコンセプトは、かなり前からあった。例えば、古くは往年の名センターとして日本代表で活躍した星野好男氏（前・西武ライオンズ球団社長）、元コクド監督の高木邦男氏、さらに現在日本代表ＧＭを務める坂井寿如氏らは、いずれもコクド入社後にカナダ・ブリティッシュコロンビア大学にホッケー留学したことで知られる。</p>

<p>　しかし、時流とともにカナダの大学は純然たるホッケー留学先としては魅力が低下し、それと入れ替わるようにして、若手選手にはカナダやヨーロッパのジュニアチーム、中堅選手には北米マイナーリーグやヨーロッパのチームという線が、留学先としてシフトしてきた。また長野五輪を機に存在を示したＮＨＬの影響もあって、日本国内のプレーでは飽き足らないという選手も現れて来た。日本の実業団チームから海外に期限付で派遣される選手あり、父兄が資金を捻出して息子をカナダの高校へ留学させるというケースあり、はたまた自力で海外のチームのトライアウトを受験する選手ありと、日本人選手の海外挑戦の形態は、近年かなりの多様化を見せている。</p>

<p>２００２年夏、そういった環境の下でコクドに所属する２人の選手の海外挑戦が発表された。まずひとりは、コクドでは中核選手として、日本代表でも活躍している鈴木貴人（ＦＷ）。スピーディーで機敏なスケーティングと、高いスコアリング能力を有する鈴木は、ＥＣＨＬシャーロット・チェッカーズのトライアウトを受けることを明かしていた。</p>

<p>鈴木は海外挑戦を決断した理由をこう語った。</p>]]>
<![CDATA[<p>「ずっと海外には挑戦したかったし、年齢的にもこれが最後のチャンスかも知れない。世界選手権では高いレベルの試合を経験できるけど、代表入りは年に１度だけ。年に数試合だけでなく、高いレベルでもっと多くの試合をプレーしたいんです」</p>

<p>「日本リーグと世界選手権のホッケーは全く別物なんです。日本ではテンションが低すぎる。長野五輪前のような海外遠征強化も、現状では実現は厳しいですし・・・これでは世界で勝てないです」</p>

<p>鈴木は、コクド入社１年目に海外留学の約束をチームと取り付けていたが、自らのケガもあって実現していなかった。鈴木の能力を必要とするチーム事情を考えると、なかなか「海外に挑戦したい」と言い出せないような周囲の状況もあったのだ。だが自分の中で納得が行かないまま中途半端に日本でのプレーは続けられない。チームと取り交わした約束の紙切れを大事に保管していた鈴木は、心を鬼にしてコクドと直談判し、大きな波風は立てることなく憧れの海外挑戦へと至った。</p>

<p>挑戦先であるチェッカーズのヘッドコーチは、かつて９７-９８年まで２年間日本製紙クレインズで監督を務めたドン・マッキャダム（現ＥＣＨＬデイトンＧＭ）。鈴木は東洋大学在籍時からマッキャダム氏とは面識があり、マッキャダム氏も東洋大在学時の鈴木のプレーを目にしていた。日本贔屓でもあるマッキャダム氏の後ろ盾もあり、鈴木が自らの持てる力を存分に出せる環境に出発することは、容易に予想できた。</p>

<p>そして、もうひとりコクドから２００２−０３年シーズンに海外挑戦することになったのが、福藤豊である。日本アイスホッケー連盟記者発表の資料には、「２００２年９月１５日から約半年間、ＥＣＨＬシンシナティ・サイクロンズに移籍」、と記されていた。</p>

<p>「世界のホッケーを目の当たりにして、海外でプレーしたくなった。とにかく上のレベルでプレーしたいんです」</p>

<p>多くの記者が駆けつけた会見の場にて、豊はまず切り出した。</p>

<p>豊のケースは、鈴木の海外挑戦とは異なる類のものであった。まず、会見資料には「移籍」と記されていたものの、その内実はむしろ「ホッケー留学」に近いものであった。かつてＮＨＬタンパベイ創設時に日本人オーナーを招聘したことでも知られるフィル・エスポジトが、オーナーのひとりに名前を列ねるチーム。そんな背景から親日的環境もあり、日本人選手を留学という形で受け入れることには、かねてから積極的な姿勢を見せていた。</p>

<p>留学とあれば経費も必要となる。豊の場合、日本オリンピック委員会（ＪＯＣ）の「ユースエリートの海外研さん活動」の一環として、豊が五輪強化選手と認定を受けたことで、日本体育・学校健康センターの「平成１４年度スポーツ振興基金助成金」から海外挑戦経費が交付されることになった。その経費３６０万円は、文部科学省管轄の「サッカーくじ」の収益金から賄われた。</p>

<p>豊の移籍については、２００２年世界選手権閉幕後に日本アイスホッケー連盟からコクドに打診があった。コクド側としては、移籍を許すことになれば実質戦力ダウンになるし、送り出したくないというのが本音。しかし「福藤は何年に１人の逸材で将来性の高い選手。２００６年トリノ五輪出場のためにも、実力を付けて帰ってきて欲しい（コクド・高木前監督）」というチームスタッフの理解には、日本アイスホッケー界全体を見渡す親心も込められていた。</p>

<p>「向こうは全てプロ。技術面はもちろん日常生活も含めたプロ意識を学びたい。アメリカに行くのは初めてだが、生活面での不安はない。来年、再来年も北米でプレーできるように、自分の持っている力をしっかりアピールしたい」</p>

<p>自らの抱負を、豊は穏やかながらも決意に満ちた表情で語った。</p>

<p>９月１２日に記者会見を終えた豊は、９月１５日には渡米しニューヨークで調整。そしてプレシーズンをオーストリア・イタリアで迎えるサイクロンズに帯同し、２４日からヨーロッパに旅立っていった。</p>

<p><b>＜＜今週の福藤豊＞＞</b><br />
現地３月２８日付で、福藤がＥＣＨＬ週間最優秀ゴーリーに選ばれたというニュースが入った矢先、また福藤に不幸が襲う。ケガ人、昇格選手などの影響で、またＧＫを除くプレーヤーが１３人と減って苦しい中、ディビジョン最下位でプレーオフ不出場が決定済のデイトン・ボンバーズと４月１日アウェイで対戦。そして福藤は第１ピリオド中盤に脚を故障して途中交代となり、ケガの具合が心配されている。ロイヤルズは４月７日ｖｓデイトン戦、４月８日＠トレントン戦の２試合で今季レギュラーシーズンを終了。ロイヤルズはすでにプレーオフ進出を決めており、その後はプレーオフシーズンに突入する。</p>

<p>＜＜ＥＣＨＬプレーオフのフォーマット＞＞<br />
現在２５チームが加盟しているＥＣＨＬでは、３０チームが属するＮＨＬとは異なり、変則的なプレーオフフォーマットを採用している。<br />
２５チームはナショナルカンファレンス（１１チーム、西部から西海岸）、アメリカンカンファレンス（１４チーム、東海岸から中西部）に分けられている。<br />
ナショナルカンファレンスはさらにパシフィック（５チーム）、ウエスト（６チーム）の各ディビジョンに分かれ、プレーオフには各ディビジョン４チームが進出。ディビジョン別に準決勝、決勝をベストオブセブン方式で戦った後、カンファレンス決勝を同じくベストオブセブンで戦う。<br />
一方、ナショナルカンファレンスよりチーム数で３つ多いアメリカンカンファレンスでは、プレーオフフォーマットが異なる。ナショナルカンファレンスは、ノース（６チーム）、サウス（８チーム）の各ディビジョンに分けられ、福藤の所属するレディング・ロイヤルズはノースディビジョンに属する。ノースディビジョンでは、６チーム中、５チームがプレーオフ進出。まずはディビジョン準々決勝として５位（トレントン）と４位（ジョンズタウン）がベストオブスリー方式で戦う。その後、ディビジョン準決勝、決勝がベストオブファイブ方式で戦われる。<br />
またサウスディビジョンでは８チーム中６チームがプレーオフ進出。まずは３位ｖｓ６位、４位ｖｓ５位でディビジョン準々決勝がベストオブスリー方式で戦われる。その後ディビジョン準決勝、決勝は、ノースディビジョン同様にベストオブファイル方式、そしてアメリカンカンファレンス決勝は、ナショナルカンファレンス同様にベストオブセブン方式で戦われる。<br />
そして両カンファレンスから勝ち上がったチームが出揃った後は、ＥＣＨＬの優勝チームを決する「ケリーカップ決勝」が、ベストオブセブン方式で戦われる。４月１０日にプレーオフは開幕し、福藤選手の所属するレディングが出場するディビジョン準決勝は４月１４〜２３日、ケリーカップ決勝は５月２２日〜６月３日の予定。</p>]]>
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<title>コクド入社１年目</title>
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<modified>2006-10-25T02:49:58Z</modified>
<issued>2006-03-28T01:17:01Z</issued>
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<summary type="text/plain">２００１年４月、福藤豊はコクドに入社した。高校時代に日本代表入りを果たした豊は、...</summary>
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.nikkansports.com/sports/icehockey/">
<![CDATA[<p>２００１年４月、福藤豊はコクドに入社した。高校時代に日本代表入りを果たした豊は、その頃すでに日本国内のメディアから「ゴールデンルーキー」としてかなり注目されていた。</p>

<p>コクドといえば、傘下にプリンスホテルやゴルフ場などのスポーツ施設を抱える大企業として知られている。ホッケー選手といえども、シーズンオフには会社の一社員として、系列のホテルやゴルフ場などに配属されて実際に仕事を任されるというのが実情だ。</p>

<p>入社１年目の豊の配属先は、軽井沢プリンスホテルだった。ここで研修も兼ねて、豊は客室のベットメーキングをする仕事を担当した。</p>

<p> 「速く仕上げるのが、結構大変でした。１日６人ぐらいのグループになって、１５室ぐらいこなすんです。 今なら僕ひとりでも、１部屋２０分あればできますよ」。</p>

<p>その軽井沢での仕事を終え、コクド１年目の暮らしの基盤となったのは、なんと東京の原宿であった。当時のコクドの選手寮は、原宿駅・明治神宮口至近のコクド本社（現在は所沢に移転）の真裏に位置していたのだった。ここから選手たちは、当時コクドが本拠地としていた新横浜のアリーナまで、電車で通勤するという生活を送っていたのである。</p>]]>
<![CDATA[<p>元々ヒップホップなどの音楽好きでもあり、洒落ものでもある豊にとっては、高校時代のあこがれのショップが自分の住まいの間近にあるという、願ったり叶ったりの状況でもあった。入社当初の豊は「趣味はファッションです」と、明言してはばからなかった。そういえば、渋めのファッションはもちろんのこと、男性では着こなすのが難しいピンクを、ポップにサラリと着こなしてしまうセンスを身につけている。彼の人並み外れたルックスの良さと、そのキャラクターが後