2006年06月12日

シンシナティ留学:その7

イアン・クラークという師に出会ったことが、豊にとってはひとつの転機になった。また、自分の置かれた状況に腐らず、自分からチームの一員であることを積極的に訴えるような行動を始めたことで、他の選手たちが彼に対する認識を少しずつ変え始めていったのも、ちょうどこの頃だった。

近場のアウェイゲームには、マイナーリーグの場合はたいていバスで日帰り移動をする。それまでロードはもっぱら留守番だった豊であったが、この頃から試合出場予定はなくともチームバスに強行乗り込みする、という態度に出た。チームメートには積極的に自分から話しかけ、コミュニケーションを取るように努めた。チーム練習では相変わらず豊に与えられた練習時間は限られていたが、チームメート数人をつかまえて居残り練習をすることで、練習不足を補っていた。彼がそうして自分から働きかけることで、チームメートとの関係はみるみる改善されていった。

豊は当時、こう語っていた。

「自分なりに考えた結果、自分の居場所は自分で確保しなければいけないなと思ったんです。当たり前のことなんですが、その当たり前のことができていなかった。なぜか知らないうちに、僕が皆を避けてしまってたんですね」

シンシナティで、豊を含めサイクロンズのGK3人をクラークが指導したのは、たった2回である。だが、クラークから教えられた内容を、何度も復習していたのは豊だけであった。1番手GKヒューイットは、すでに自分のスタイルを築いていて、ある程度自信を持っていたため、アドバイスを受け入れて自分のスタイルまで変えようとはしなかった。控えの空軍出身GKキールクッキについては、クラークの指導に対して全く聞く耳をもっていなかったばかりか、テクニック不足かつ性格にも問題があり、チームメートたちからは嫌がられる存在となっていた。そんな状況も手伝って、黙々と練習に励む豊の姿を、チームメートたちは徐々に注目することになった。

「前は声もかけてくれなかった選手達が、『なぜお前が試合にでれないんだ? 』とか『俺はお前のプレーが一番好きだ』とか、声をかけてくれるようになったんですよ。小さいことですが、僕の中では大きな進歩。そしてとても励みになる言葉でした」

氷の上で学ぶ一方で、海外でプレーするための機微を、豊はチームメートたちに尋ねた。社員選手という形の日本ホッケー界とは異なり、契約ありきの北米ホッケー界で生き抜く術を探るべく、ルームメートのウエスに質問をぶつけてみたこともあった。いずれは、日本を離れて本格的に海外でやってみたい。そんな気持ちを膨らませながら、少しでも多くのことを吸収しようと毎日を過ごすようになった。

2003年が明けたが、相変わらず、豊の氷上での練習時間は限られていた。この頃からヒューイットが腹部故障で欠場続きとなり、豊は自らの出場チャンスを期待したが、どうもその気配はない。1月後半になると、サイクロンズは同じシンシナティのAHLチーム、シンシナティ・マイティダックスでプレーしていたGKグレッグ・ノーメンコをロースターに加えた。ノーメンコは、この頃すでに25歳にしてNHLで2試合を経験していた選手。かなりうまい選手がチーム入りし、豊はまた我慢を強いられることになったが、その一方で好刺激を受けることにもなる。

そして迎えた2003年2月7日、以前から予定されていたキールクッキのAHL昇格が現実のものとなった。ヒューイットは故障中で、サイクロンズに残された登録GKはノーメンコのみ。いよいよ豊の出番がやってきたのだ。

ちょうどサイクロンズは、2月7日ジョンズタウン、8日デイトンと、ロード2連戦というスケジュールだった。前日からの移動の前に、豊は自分の名前が入ったサイクロンズのジャージが、ロッカールームから積み込まれるのを偶然見かけていた。自分の出番が近づいてきたのを感じながら乗り込んだバスの中で、サイクロンズのマルコム・キャメロンコーチは、「あすはおまえで行く。リラックスして楽しめ」と、豊に7日ジョンズタウン戦での先発を言い渡したのだった。

試合出場は実に9月のプレシーズン以来、約5ヶ月ぶり。シーズン中にこんなに長く試合から離れたことは、これまで経験がない。しかも練習もままならない状態で、いきなりの先発宣告である。チームメートとの試合中のコミュニケーションなど、図っている余裕などない。自分の中のイメージを駆使して、プレーを組み立てるしかない。しかし彼は不思議なほど冷静だった。勝つしかない。前日からそう考えていた。

記念すべきECHL初先発となった場所は、ペンシルバニア州ジョンズタウン。映画「スラップショット」での撮影現場となった土地としても知られるが、アリーナはかなり老朽化していて、内部は暗く、ゴール裏などはパックが独特のバウンドで跳ねてくるから、決してやりやすくはないと豊は言う。よって、特に彼にとって思い入れの強い場所ではなさそうだが、その後は意外にも相性がいいアリーナにもなった。

試合は、対戦相手のジョンズタウン・チーフスに2点を先行される展開となったが、第3ピリオドに味方が2ゴールの援護射撃で試合はOTへ。しかしそれでも決着がつかず、試合はシュートアウトに持ち込まれたが、ここを乗り切り豊はECHL初試合で見事初勝利を収めた。

この勝利でコーチの信頼を得た豊は、その後ノーメンコと交代でサイクロンズのゴールを守った。2月7日のデビューから、3月14日までの17試合中、9試合に出場。留学期間が切れて日本に帰る直前での出場となった3月14日、レキシントンでの試合では惜しくも完封は逃したものの、このシーズン最高の45セーブ1失点という活躍を見せた。

すでにこの時点で、キールクッキはAHLから降格し、サイクロンズに戻っていたが、豊のここ数試合の出来がキールクッキの出番を奪う形となっていた。シーズン当初には、豊の存在に懐疑的だったキャメロンコーチにも「本来だったら、このままチームに残ってプレーオフも一緒に戦って欲しいのだが」とまで言わしめた。

豊としても、チームメートとともに、プレーオフに向けて一緒に戦いたい気持ちはもちろんあった。しかしあらかじめ決められた留学期間ゆえに、彼が逆らえるような状況では決してなかった。また日本アイスホッケー連盟としては、4月後半から開催される世界選手権の候補選手として豊を確保しておきたい、という思惑もあったという。だが、豊がシンシナティから戻ってきた後、世界選手権出場メンバーリストには、なぜだか彼の名前は見当たらなかった。

いずれまた北米でやりたい。だが日本に帰って、自分を見つめ直すのも悪くない。もう1年日本でプレーしても遅くない。

そんな気持ちを込めて、離れたシンシナティ時代について、現在の豊はこう振り返る。

「本当に厳しいシーズンでしたから、細かいことを思い出すのは結構辛いし、できれば思い出したくもない。途中までは、このままでいいのか? と自問自答ばかりのシーズンでしたし・・・でも、あのシーズンがなければ、今の僕はなかったことだけは確かです」

June 12, 2006 09:54 PM


コメント

初めまして、こんばんわ☆
かなり前にスマステで福藤さんの特集みたいのが放映された時からずっと気になってたんですが、最近思い出したかのように(申し訳m_m)インターネットで福藤さんを調べてる内にこのサイトを今日発見!!なんで、さっそくコメントしてみました。
スマステは好きな番組のひとつですが、部活やバイトでなかなか見れず、年に5回?見るか見ないかという中で福藤さんの特集を見ました!(何かの思し召し☆?)私は水球(ご存知ですか?)でGKをやってました。なので、サッカーでもハンドでも自然とキーパーのポジションを見ちゃうし、やっぱりプレースタイルを観察してしまいます。福藤さんはアメリカに渡ってたくさんのものを吸収し、自分や日本を客観的に分析し、よりアイスホッケーというものを知ったのではないかと思います。

アイスホッケーは生で観戦したこともないし、じつはルールさえしっかり知ってるわけではありません。応援コメントなのにすいません▼▼▼小さい頃に見て、今も大切にとってある「飛べないアヒル」という映画で私は初めてアイスホッケーを知りました。
私はいろんなスポーツに興味があります!とくに球技系が好きなのですが、アイスホッケーもまだまだ知りたいスポーツのひとつです(でも寒いのがメッチャ苦手っていう・・・)。日本のアイスホッケー界とか、わからないことだらけですが、いつかアイスホッケーを見る機会があったらぜひ!!福藤さんのプレーを見に行き、応援したいと思います☆これからも頑張ってください!!!!!
長々といきなりすいませんでした。
p・s 福藤豊ってスゴイ幸せそうな名前ですよね☆幸あれ~(>▽<)

投稿者 アリエル☆ババ : 2006年06月14日 02:36