2006年06月05日

シンシナティ留学:その6

日本にいれば、予定試合数は少ないかも知れないが、練習なら十分すぎるほどできる環境にある。食事だって、コクドの合宿所にいれば、栄養の整った食べ物で上げ膳据え膳だ。

シンシナティでこんな状況が続いていたら、彼のためにはならないのでは・・・とまで正直思えた。だが、彼は一度も「日本に戻りたい」とは、口にしなかった。納得いかない状況に多くの屈辱を受けたはずだが、自分にとって避けては通れない道と受け止め、乗り越えることに決めたのだ。

現状については耐え忍びながら、まずは自分ができることをコツコツと積み重ねようと、豊は努めた。

手始めに考えたのは、ビルドアップについてだった。以前は「身体が細くても、反射神経で補えるはず」と思っていた豊だったが、シンシナティでチームメートからのシュートを受けるにつれ、ビルドアップの必要性を肌で感じるようになって来たのだ。

日本ではうまく反射神経でさばくことができていたのが、パワーのあるチームメートが放ったシュートには、ちゃんと反応して身体に当てたとしても、そのままパックがゴールに収まってしまうこともしばしば。また、リストの強さからリリースの速いシュートを打たれて、それがスルリと脇を抜けることもちょくちょくあった。まず、豊はポジションの取り方など、他の方法を試すことで順応を図ったが、結局そうした失点を防ぐためには、身体をビルドアップすべきであるという結論に至った。とはいえ、焦って身体を作りすぎては、肝心の反射神経に支障が出る。とにかく焦らず、じっくり身体作りをしていかなければという必要性に目覚めたのがこの頃だったのだ。

練習時間が限られていることもあって、TVでのNHL放送はできるだけ観るようにも心掛けた。速いリリースからのローショットに対応するためのスタイルを、豊はちょうど模索中でもあった。当時、注目していたNHLゴーリーは、ジョセリン・ティボー(当時NHLシカゴ)。身体は大きくないが、低い構えからバタフライセーブを繰り出すタイプの選手である。

その後、豊はビザの切り替えのために、いったんアメリカ国外に出ることになった。ビザ申請に行かせるということは、サイクロンズが豊のことを戦力として認め始めたという現れでもある。豊にとっては、喜ぶべき出来事でもあった。

アメリカからほど近い国外というと、必然的にカナダになる。豊は元コクド監督でもあり、トロントのホテルで支配人を務める若林仁氏の元で、ビザ申請の間を世話になった。若林氏の勤務するホテルには、近所でも評判の高級日本料理店がある。久々の日本食ということもあって、豊はその料理店の電気ジャーにあったご飯をすっからかんに平らげて、若林氏を驚かせた。ホッケーの本場、カナダ・オンタリオ州生まれで、アメリカ・ミシガン大学でホッケーキャリアを積んだ日系2世の若林氏は、ホッケー選手についてもかなりの鑑識眼を持っているはず。また若手選手については、滅多に誉めることがない厳しい目を持つ若林氏でもあるのだが、豊については後日こう語っている。

「彼はなかなかいいじゃないですか? 若いのにしっかりしてるし、とにかくよく食べるのがいいね」

12月に入り、豊にはひとつの契機となる出来事があった。サイクロンズのオーナー陣とも交流の深いNHLバンクーバー・カナックスのGKコンサルタント、イアン・クラークが、サイクロンズのGK3人を指導しに、シンシナティにやってくるという機会に恵まれたのだ。クラーク氏は、以前はゴーリーの雑誌発行を主宰していたこともあり、かなりの理論派としても知られている。

プロのGKコーチに教わることは、豊にとっては初体験であった。近年は日本でも、フランソワ・アレール氏(現NHLアナハイムGKコンサルタント)がサマーキャンプを実施し、ゴーリー理論を体系付けて指導をしていることで知られており、北米ではジュニアチームにもGKコーチを配することもあるほど、ゴーリーへの指導は盛んに実施されている。

豊にとって、このクラークによる指導は、まさに目から鱗の体験であった。これまで、自らの素質と研究心のおもむくままのスタイルで走ってきた彼であったが、自分で考えても思いつかないであろうテクニックを、クラークから短い期間に多くを教わったのは大きかった。豊はその頃をこう回想する。

「基本的な動きについてですが、例えばシュートを受けた後にどちらの足で体勢を立て直すかとか、バタフライ後に座ったままの姿勢でクリーズを移動するテクニックとか・・・あの時、ちゃんと教わっていなかったら、いずれLAで直されていたことでしょうね」

クラーク氏に指導された数多くのポイントを、豊は忘れるどころか練習の度に反芻するかのごとく、何度も繰り返した。そして次にクラーク氏がシンシナティを訪れる頃には、そうした宿題を完璧にこなしてみせた。

2002−03年終了後のインタビューで、クラーク氏は豊の印象について、こう語っている。

「ユタカの素晴らしさは、コーチの指導内容をよく理解できることと、ホッケーに対する姿勢です。彼は常に強い向上心を持っていて、私が指導した短い間で恐るべき成長ぶりを見せてくれました。あの成長ぶりは、まさに彼の日夜のハードワークと向上心によるものだと思います。ユタカには、多くの重要課題を与えたのですが、彼はそうしたスキルを見事に自分のものにすることに成功していました。もちろんこうしたスキルはまだまだ成長の余地がありますが、シンシナティでの1シーズンにおける彼の成長ぶりは、かなり大きいものでした。

特に、ユタカには、スペースを埋めるため効率良い動きをするという、一番の課題があったんです。GKは、今や最も注目されやすいポジションなんです。ユタカは確かに敏捷性も運動能力も高いが、優れたGKというのはそれだけをセールスポイントにすべきではないのです。まずは優れたポジショニングが一番、その後に運動能力が来るべきなのです。ポジショニングにおいて、ユタカには大きな向上が観られましたが、今後ももっと向上が必要でしょう。さらに、セーブをした後の反応についても、彼はかなり努力して向上したと思います。

ユタカの成長ぶりには、本当に短い間に目覚ましいものがありました。ただ今後、もっと高いレベルを目指すのであれば、適度に筋肉を付けてビルドアップすることが必要でしょう。身体を作って、現在の成長を続けていけば、あと1、2年もすればAHLでのプレーに手が届くレベルまで伸びるはずです。NHLでの可能性について語るのはまだ時期尚早ですが、彼のサイズは十分だし、NHLでやっていくだけの情熱は兼ね備えています。今後も引き続き技術的に指導を受けられる環境に身を置いて、日夜リンクでは熱意を持ってプレーし、オフシーズンには身体作りをする。そうすれば、どんなことも可能になるでしょう」

June 5, 2006 10:00 PM