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2006年06月19日

福藤豊に一問一答:

 やっとNHLではスタンレーカップチャンピオンが決定するという時期だが、多くのホッケー選手はすっかりオフモードの現在。福藤豊も日本に戻り、故郷釧路に帰省したりとオフを満喫していたが、すでに6月19日から氷上練習を始めるなど、来季に向けて始動している。
 スタンレーカップファイナルの日本でのライブ放送に、ゲストとして出演した豊に、今季「In the crease」の締めくくりとして、「一問一答」という形で質問を投げかけてみた。

 Q:まずは、今季のスタンレーカップファイナルの感想は?
 -- すごく面白かったです。やっぱりホッケーはいいですね。今すぐシーズンが始まってもいいかな? と思えるくらい(笑)。試合前の国歌演奏を聞いている時の、選手の緊張感とか、すごいです。自分があそこにいたら・・・と立場を置き換えて想像しながら観てました。今季は個人的にケガも多くて、辛いシーズンでしたけど、今はテンションあがってますよ。

 Q:誰か、気になった選手はいましたか?
 --キャム・ウォード(カロライナG)でしょうね。勢いもあるんでしょうが、若いのにすごく落ち着いていた。それに、リバウンドへの対応がすごく速いんです。リバウンドに対して身体が自動的に動いていると言ったらいいんでしょうかね? すっかりその動きが、身体に身に付いている感じでした。パックから目が離れないし、体勢も崩れないからあれが可能になるんでしょうね。いい刺激になりました。僕も頑張りたいですね。

 Q:すでに来季に向けて始動したとのことですが、今後どういう部分を向上したいですか?
 --リバウンドの対応の速さに、バックハンドリングでしょうかね。僕の傾向なんですが、疲労がたまってくると、リバウンドに反応せずに、パックを見てしまう傾向があるんです。ウォードのように、自動的に身体が動くように、身につけないといけないんです。

 Q:これまでのホッケー人生で一番の想い出は?
 --キングズにドラフト指名されたこと。あそこまで衝撃が走ったのは、これまでありませんでした。

 Q:自分のライバルは?
 --う〜ん、今はやっぱりバリー・ブラスト(注:福藤同様、キングズ支配下選手。今季はAHLマンチェスター、ECHLレディングでプレー)でしょうかね。

 Q:ホッケー界で尊敬する人物は?
 --イアン・クラーク(NHLバンクーバー・ゴーリーコンサルタント)との出会いが大きかったです。できることなら、もう一度教わってみたい。

 Q:今季、現地にいる間に食べたかった日本の食べ物は?
 --レバ刺しですね。日本に戻って来て、早速食べました。東海岸はもちろん、西海岸でもあれは見かけないですね。

 Q:現地の自炊生活で、料理のレパートリーは増えましたか?
 --増えてないです。パスタ、サラダとか、簡単なものを作ることが多いですから。

 Q:他のスポーツで気になる選手は?
 --ロナウジーニョ。彼のプレーは最高です。

 Q:気になる音楽は?
 --う〜ん、何だろう。いろいろ聞いてますが、iPodの中に一番多く入ってるのは、ヒップホップかな?

 Q:気になる女性タレントは?
 --長谷川京子です。(長谷川京子主演のドラマは)観てませんよ。TVはあんまり観ないんで・・・

 Q:北米で好きな街は? 
 --ラスベガス

 Q:今季プレーしたマンチェスター、レディングの各都市で、お気に入りのレストランは?
 --マンチェスターは、本拠地ヴェライゾンワイアレスアリーナ近くのベトナム料理がとっても美味しいです。レディングにも1軒、チャイニーズでビュッフェスタイルの美味しいレストランを見つけましたよ。

 Q:自分の性格をひと言でいうと? 
 --マイペース

 Q:最近好きなオシャレは?
 --今日はTV出演なので、ちょっとキレイめ系ですね(白のシャツスタイル)。最近シャツを着ることが多いです。アロハなんかも、このところはよく着てますよ。花柄とかね。色で言うと、ピンク、紺、黄緑がキテます。

 Q:最近観た映画は? 
 --ダヴィンチコード。インサイドメンもなかなか良かったですよ。

 Q:先ほどあまり観ないと言ってましたが、敢えて好きなTV番組を挙げるとすれば? 
 --ダウンタウンの番組はよくチェックしていますよ。浜ちゃんには既に「ジャンクスポーツ」で会えたので、今後は一度松ちゃんに会ってみたいです。

 Q:カラオケの十八番は? 
 --ブルーハーツ

 Q:今はまっているものは?
 数独。向こうで結構流行ってるんですよ。チームメートたちがやってるのを見て、やり方を教わって、興味を持ちました。

 Q:来たる2006−2007年をどういうシーズンにしたいですか?
 --いままでのホッケーシーズンで、一番の思い出に残るシーズンにしたいです。今後も応援よろしくお願いします。

<<福藤豊の来季は?>>
 来季は、NHLロサンゼルス・キングズのトップファームAHLマンチェスターで、バリー・ブラストと1番手GKを争うというのが、まずは第一目標として期待される。
 現在、キングズの組織内では、GMディーン・ロンバーディ(元NHLサンノゼGM)、マーク・クロフォードコーチ(前NHLバンクーバーコーチ)が決まり、徐々に来季へのチーム体制が固まりつつある。ちなみにAHLマンチェスターのGMには、独特のスタイルのGKとして現役時代知られたロン・ヘクストルが就任し、すでに今季のAHLマンチェスターのヘッドコーチ(ジム・ヒューズ)、アシスタント・コーチ(デレク・クランシー)は、いずれも解任されており、まだ後任が決定していない状態。1軍キングズのコーチングスタッフも、まだ発表されていないのが現状だ。

June 19, 2006 10:15 PM

2006年06月12日

シンシナティ留学:その7:

イアン・クラークという師に出会ったことが、豊にとってはひとつの転機になった。また、自分の置かれた状況に腐らず、自分からチームの一員であることを積極的に訴えるような行動を始めたことで、他の選手たちが彼に対する認識を少しずつ変え始めていったのも、ちょうどこの頃だった。

近場のアウェイゲームには、マイナーリーグの場合はたいていバスで日帰り移動をする。それまでロードはもっぱら留守番だった豊であったが、この頃から試合出場予定はなくともチームバスに強行乗り込みする、という態度に出た。チームメートには積極的に自分から話しかけ、コミュニケーションを取るように努めた。チーム練習では相変わらず豊に与えられた練習時間は限られていたが、チームメート数人をつかまえて居残り練習をすることで、練習不足を補っていた。彼がそうして自分から働きかけることで、チームメートとの関係はみるみる改善されていった。

豊は当時、こう語っていた。

「自分なりに考えた結果、自分の居場所は自分で確保しなければいけないなと思ったんです。当たり前のことなんですが、その当たり前のことができていなかった。なぜか知らないうちに、僕が皆を避けてしまってたんですね」

シンシナティで、豊を含めサイクロンズのGK3人をクラークが指導したのは、たった2回である。だが、クラークから教えられた内容を、何度も復習していたのは豊だけであった。1番手GKヒューイットは、すでに自分のスタイルを築いていて、ある程度自信を持っていたため、アドバイスを受け入れて自分のスタイルまで変えようとはしなかった。控えの空軍出身GKキールクッキについては、クラークの指導に対して全く聞く耳をもっていなかったばかりか、テクニック不足かつ性格にも問題があり、チームメートたちからは嫌がられる存在となっていた。そんな状況も手伝って、黙々と練習に励む豊の姿を、チームメートたちは徐々に注目することになった。

「前は声もかけてくれなかった選手達が、『なぜお前が試合にでれないんだ? 』とか『俺はお前のプレーが一番好きだ』とか、声をかけてくれるようになったんですよ。小さいことですが、僕の中では大きな進歩。そしてとても励みになる言葉でした」

氷の上で学ぶ一方で、海外でプレーするための機微を、豊はチームメートたちに尋ねた。社員選手という形の日本ホッケー界とは異なり、契約ありきの北米ホッケー界で生き抜く術を探るべく、ルームメートのウエスに質問をぶつけてみたこともあった。いずれは、日本を離れて本格的に海外でやってみたい。そんな気持ちを膨らませながら、少しでも多くのことを吸収しようと毎日を過ごすようになった。

2003年が明けたが、相変わらず、豊の氷上での練習時間は限られていた。この頃からヒューイットが腹部故障で欠場続きとなり、豊は自らの出場チャンスを期待したが、どうもその気配はない。1月後半になると、サイクロンズは同じシンシナティのAHLチーム、シンシナティ・マイティダックスでプレーしていたGKグレッグ・ノーメンコをロースターに加えた。ノーメンコは、この頃すでに25歳にしてNHLで2試合を経験していた選手。かなりうまい選手がチーム入りし、豊はまた我慢を強いられることになったが、その一方で好刺激を受けることにもなる。

そして迎えた2003年2月7日、以前から予定されていたキールクッキのAHL昇格が現実のものとなった。ヒューイットは故障中で、サイクロンズに残された登録GKはノーメンコのみ。いよいよ豊の出番がやってきたのだ。

ちょうどサイクロンズは、2月7日ジョンズタウン、8日デイトンと、ロード2連戦というスケジュールだった。前日からの移動の前に、豊は自分の名前が入ったサイクロンズのジャージが、ロッカールームから積み込まれるのを偶然見かけていた。自分の出番が近づいてきたのを感じながら乗り込んだバスの中で、サイクロンズのマルコム・キャメロンコーチは、「あすはおまえで行く。リラックスして楽しめ」と、豊に7日ジョンズタウン戦での先発を言い渡したのだった。

試合出場は実に9月のプレシーズン以来、約5ヶ月ぶり。シーズン中にこんなに長く試合から離れたことは、これまで経験がない。しかも練習もままならない状態で、いきなりの先発宣告である。チームメートとの試合中のコミュニケーションなど、図っている余裕などない。自分の中のイメージを駆使して、プレーを組み立てるしかない。しかし彼は不思議なほど冷静だった。勝つしかない。前日からそう考えていた。

記念すべきECHL初先発となった場所は、ペンシルバニア州ジョンズタウン。映画「スラップショット」での撮影現場となった土地としても知られるが、アリーナはかなり老朽化していて、内部は暗く、ゴール裏などはパックが独特のバウンドで跳ねてくるから、決してやりやすくはないと豊は言う。よって、特に彼にとって思い入れの強い場所ではなさそうだが、その後は意外にも相性がいいアリーナにもなった。

試合は、対戦相手のジョンズタウン・チーフスに2点を先行される展開となったが、第3ピリオドに味方が2ゴールの援護射撃で試合はOTへ。しかしそれでも決着がつかず、試合はシュートアウトに持ち込まれたが、ここを乗り切り豊はECHL初試合で見事初勝利を収めた。

この勝利でコーチの信頼を得た豊は、その後ノーメンコと交代でサイクロンズのゴールを守った。2月7日のデビューから、3月14日までの17試合中、9試合に出場。留学期間が切れて日本に帰る直前での出場となった3月14日、レキシントンでの試合では惜しくも完封は逃したものの、このシーズン最高の45セーブ1失点という活躍を見せた。

すでにこの時点で、キールクッキはAHLから降格し、サイクロンズに戻っていたが、豊のここ数試合の出来がキールクッキの出番を奪う形となっていた。シーズン当初には、豊の存在に懐疑的だったキャメロンコーチにも「本来だったら、このままチームに残ってプレーオフも一緒に戦って欲しいのだが」とまで言わしめた。

豊としても、チームメートとともに、プレーオフに向けて一緒に戦いたい気持ちはもちろんあった。しかしあらかじめ決められた留学期間ゆえに、彼が逆らえるような状況では決してなかった。また日本アイスホッケー連盟としては、4月後半から開催される世界選手権の候補選手として豊を確保しておきたい、という思惑もあったという。だが、豊がシンシナティから戻ってきた後、世界選手権出場メンバーリストには、なぜだか彼の名前は見当たらなかった。

いずれまた北米でやりたい。だが日本に帰って、自分を見つめ直すのも悪くない。もう1年日本でプレーしても遅くない。

そんな気持ちを込めて、離れたシンシナティ時代について、現在の豊はこう振り返る。

「本当に厳しいシーズンでしたから、細かいことを思い出すのは結構辛いし、できれば思い出したくもない。途中までは、このままでいいのか? と自問自答ばかりのシーズンでしたし・・・でも、あのシーズンがなければ、今の僕はなかったことだけは確かです」

June 12, 2006 09:54 PM | コメント (1)

2006年06月05日

シンシナティ留学:その6:

日本にいれば、予定試合数は少ないかも知れないが、練習なら十分すぎるほどできる環境にある。食事だって、コクドの合宿所にいれば、栄養の整った食べ物で上げ膳据え膳だ。

シンシナティでこんな状況が続いていたら、彼のためにはならないのでは・・・とまで正直思えた。だが、彼は一度も「日本に戻りたい」とは、口にしなかった。納得いかない状況に多くの屈辱を受けたはずだが、自分にとって避けては通れない道と受け止め、乗り越えることに決めたのだ。

現状については耐え忍びながら、まずは自分ができることをコツコツと積み重ねようと、豊は努めた。

手始めに考えたのは、ビルドアップについてだった。以前は「身体が細くても、反射神経で補えるはず」と思っていた豊だったが、シンシナティでチームメートからのシュートを受けるにつれ、ビルドアップの必要性を肌で感じるようになって来たのだ。

日本ではうまく反射神経でさばくことができていたのが、パワーのあるチームメートが放ったシュートには、ちゃんと反応して身体に当てたとしても、そのままパックがゴールに収まってしまうこともしばしば。また、リストの強さからリリースの速いシュートを打たれて、それがスルリと脇を抜けることもちょくちょくあった。まず、豊はポジションの取り方など、他の方法を試すことで順応を図ったが、結局そうした失点を防ぐためには、身体をビルドアップすべきであるという結論に至った。とはいえ、焦って身体を作りすぎては、肝心の反射神経に支障が出る。とにかく焦らず、じっくり身体作りをしていかなければという必要性に目覚めたのがこの頃だったのだ。

練習時間が限られていることもあって、TVでのNHL放送はできるだけ観るようにも心掛けた。速いリリースからのローショットに対応するためのスタイルを、豊はちょうど模索中でもあった。当時、注目していたNHLゴーリーは、ジョセリン・ティボー(当時NHLシカゴ)。身体は大きくないが、低い構えからバタフライセーブを繰り出すタイプの選手である。

その後、豊はビザの切り替えのために、いったんアメリカ国外に出ることになった。ビザ申請に行かせるということは、サイクロンズが豊のことを戦力として認め始めたという現れでもある。豊にとっては、喜ぶべき出来事でもあった。

アメリカからほど近い国外というと、必然的にカナダになる。豊は元コクド監督でもあり、トロントのホテルで支配人を務める若林仁氏の元で、ビザ申請の間を世話になった。若林氏の勤務するホテルには、近所でも評判の高級日本料理店がある。久々の日本食ということもあって、豊はその料理店の電気ジャーにあったご飯をすっからかんに平らげて、若林氏を驚かせた。ホッケーの本場、カナダ・オンタリオ州生まれで、アメリカ・ミシガン大学でホッケーキャリアを積んだ日系2世の若林氏は、ホッケー選手についてもかなりの鑑識眼を持っているはず。また若手選手については、滅多に誉めることがない厳しい目を持つ若林氏でもあるのだが、豊については後日こう語っている。

「彼はなかなかいいじゃないですか? 若いのにしっかりしてるし、とにかくよく食べるのがいいね」

12月に入り、豊にはひとつの契機となる出来事があった。サイクロンズのオーナー陣とも交流の深いNHLバンクーバー・カナックスのGKコンサルタント、イアン・クラークが、サイクロンズのGK3人を指導しに、シンシナティにやってくるという機会に恵まれたのだ。クラーク氏は、以前はゴーリーの雑誌発行を主宰していたこともあり、かなりの理論派としても知られている。

プロのGKコーチに教わることは、豊にとっては初体験であった。近年は日本でも、フランソワ・アレール氏(現NHLアナハイムGKコンサルタント)がサマーキャンプを実施し、ゴーリー理論を体系付けて指導をしていることで知られており、北米ではジュニアチームにもGKコーチを配することもあるほど、ゴーリーへの指導は盛んに実施されている。

豊にとって、このクラークによる指導は、まさに目から鱗の体験であった。これまで、自らの素質と研究心のおもむくままのスタイルで走ってきた彼であったが、自分で考えても思いつかないであろうテクニックを、クラークから短い期間に多くを教わったのは大きかった。豊はその頃をこう回想する。

「基本的な動きについてですが、例えばシュートを受けた後にどちらの足で体勢を立て直すかとか、バタフライ後に座ったままの姿勢でクリーズを移動するテクニックとか・・・あの時、ちゃんと教わっていなかったら、いずれLAで直されていたことでしょうね」

クラーク氏に指導された数多くのポイントを、豊は忘れるどころか練習の度に反芻するかのごとく、何度も繰り返した。そして次にクラーク氏がシンシナティを訪れる頃には、そうした宿題を完璧にこなしてみせた。

2002−03年終了後のインタビューで、クラーク氏は豊の印象について、こう語っている。

「ユタカの素晴らしさは、コーチの指導内容をよく理解できることと、ホッケーに対する姿勢です。彼は常に強い向上心を持っていて、私が指導した短い間で恐るべき成長ぶりを見せてくれました。あの成長ぶりは、まさに彼の日夜のハードワークと向上心によるものだと思います。ユタカには、多くの重要課題を与えたのですが、彼はそうしたスキルを見事に自分のものにすることに成功していました。もちろんこうしたスキルはまだまだ成長の余地がありますが、シンシナティでの1シーズンにおける彼の成長ぶりは、かなり大きいものでした。

特に、ユタカには、スペースを埋めるため効率良い動きをするという、一番の課題があったんです。GKは、今や最も注目されやすいポジションなんです。ユタカは確かに敏捷性も運動能力も高いが、優れたGKというのはそれだけをセールスポイントにすべきではないのです。まずは優れたポジショニングが一番、その後に運動能力が来るべきなのです。ポジショニングにおいて、ユタカには大きな向上が観られましたが、今後ももっと向上が必要でしょう。さらに、セーブをした後の反応についても、彼はかなり努力して向上したと思います。

ユタカの成長ぶりには、本当に短い間に目覚ましいものがありました。ただ今後、もっと高いレベルを目指すのであれば、適度に筋肉を付けてビルドアップすることが必要でしょう。身体を作って、現在の成長を続けていけば、あと1、2年もすればAHLでのプレーに手が届くレベルまで伸びるはずです。NHLでの可能性について語るのはまだ時期尚早ですが、彼のサイズは十分だし、NHLでやっていくだけの情熱は兼ね備えています。今後も引き続き技術的に指導を受けられる環境に身を置いて、日夜リンクでは熱意を持ってプレーし、オフシーズンには身体作りをする。そうすれば、どんなことも可能になるでしょう」

June 5, 2006 10:00 PM