2006年05月30日

シンシナティ留学:その5

TV用のインタビューを収録後、昼食を取りながら話を聞くことにした。しかし、リンクの周囲は物寂しい雰囲気で、近くにレストランがあるのかどうかも分からない。いつもは豊と一緒に車でリンクまでやってくるルームメートのウエスも、先にリンクを後にしてしまったようで全く手がかりがない。とりあえず近くでレストランらしきものを探そうと歩き出すと、サイクロンズの2人の選手とはち合わせた。

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「おい、お前どこ行くんだ?」
「近くのレストランに」
「帰りのアパートまでの足はどうするんだよ?」
「大丈夫、タクシーに乗るから」
「タクシーって、こんなところにタクシーなんて来てくれないぞ」

チームメートであれば当たり前の他愛のない会話。そんなごく普通のコミュニケーションすら、チーム合流当初は成立していなかったという。これは、他の選手が彼に心を徐々に開きつつある証拠でもあった。英語の言葉を繰り出すのは苦しそうな豊ではあったが、相手の言う内容はかなり理解できるようにもなっていた。

なんとか近所にチャイニーズレストランを見つけ、帰りの足は、サイクロンズ広報のグレッグに依頼して確保することで、事なきを得た。そこで豊は、合流してから今までの自分の状況について語り出した。

「なんでお前はここにいるんだ? という目で、最初はみんなに見られていたんです。プレシーズンのヨーロッパ遠征で試合に出て、まずまずの仕事をして、それである程度周囲から認めてもらえると思ったんだけど、実はそうじゃなかった。
でも考えてみたら、当然ですよね。他のみんなはそれぞれにこっちで実績を積んだり、トライアウトに合格したりしてチームに残ったのに、僕だけそういうのもないまま、遅れてチームに合流したんですから」

1番手GKのヒューイットはチームと直接契約、キールクッキはサンノゼ支配下選手のため、いずれもロースター登録選手としてチームでプレーさせなければいけない。またECHLにはロースターに登録できる選手数には限りがある。ロースター制限のない日本のホッケー界でプレーしていては分からない、そういった北米ホッケーのカラクリについても、豊は徐々に理解を見せ始めていた。

「正直言って、僕もチームのトライアウトに最初から参加したかったです。貴人さん(鈴木貴人:現コクド、当時ECHLシャーロットで活躍)だって、コーチから見込まれていたのに、ちゃんとトライアウトから参加したじゃないですか・・・それにしても貴人さん、すごいですよね。いきなり開幕戦でハットトリックなんて。あ、貴人さんは、このあいだ、シンシナティからレトルトの日本食をいろいろ送ってくれたんです。こっちじゃ全く日本食が食べられなかったから、ありがたかったなあ・・・」

とはいえ、キャメロンコーチからは、年明けに試合出場の可能性も示唆されている。それに向けて、今後はどう自分のプレーを向上しようと豊は考えているのだろうか?

「チームから言われているのは、『まだ身体が出来ていない、細すぎる。試合に出るのは身体ができてから』ってことです。でも、身体を無理に大きくする必要があるんでしょうかね? 反射神経と動きがあれば、十分カバーできると思うし・・・」

当時のNHLのゴーリー絵図を振り返ってみたい。1998年長野での金メダルで一躍その名を世界に轟かせ、以来NHLを代表するGKに君臨したドミニク・ハシェクが2002年でいったん引退。ハシェクは、決して大柄でなくスリムだが、卓越した反射神経と柔軟性で次々にパックを止めてしまうというスタイルであった。

しかしハシェク引退後も、パトリック・ロワ(当時コロラド)、マルタン・ブロデューア(ニュージャージー)といったベテラン勢は健在。この2人も小さくはないが決して大きくはない。確固としたスキルに基づくセーブこそ、彼らの素晴らしい実績の裏付けとなっていたのだ。

また、マーティン・ターコ(ダラス)、ジョゼ・テオドア(当時モントリオール、現コロラド)、エフゲニー・ナボコフ(サンノゼ)と、台頭しつつあるゴーリーの多くは、やや小粒だが反射神経を生かした切れ味の持ち主でもあった。

その一方で、オラフ・コルジグ(ワシントン)、ショーン・バーク(当時フェニックス、現タンパベイ)、ロマン・チェクマネク(当時フィラデルフィア)などという、190cmを超える大型ゴーリーたちが、NHLの一流として認められるようになってきたのもこの頃だった。しかし、一流として認められるのはほんの一握り。多くの大型ゴーリーは、その身体をやや持て余し気味にクリーズ内でプレーしたり、リバウンドへのリカバリーが遅れたりという緩慢さが目についてもいた。また、そのサイズを生かし、身体でパックを止めるというスタイルゆえに、リバウンドがうまくコントロールできないという選手も、実際には多かった。

スリムなゴーリーが、身体をビルドアップするべきか否か。それは賛否両論分かれるところではあった。FWやDF選手であれば、線が細い選手はある程度の筋肉をつけることは、NHLを目指すものならほぼ必須とされていた。しかし、無理につけた筋肉は反射神経の衰えに繋がるという考え方もあり、ゴーリーコーチによっては、これをタブー視するものもいたのだ。豊の「ビルドアップ」への疑問は、そのあたりにも根付いてもいた。

そうはいっても、現在の練習体制では、プレーの向上すらままならない。少しでも多く味方からのシュートを受けられるように、工夫をする必要に豊は気づき初めていた。限られた出番しかない毎日の練習も、アピールの機会だと考えて集中する。現状に不満なら、自らの手で状況を打開しなければ、と。

アメリカの中華料理店を訪れた人ならご存知だろうが、食事の最後にはレシートとともに「フォーチュンクッキー」なるものがテーブルに届けられる。クッキーの中が空洞になっていて、その中におみくじのような紙切れが入っているのだ。約2人分のチャイニーズフードを平らげると、豊はフォーチュンクッキーに手を伸ばした。その中に入っていた紙切れのご神託を見るや、彼に明るい瞳が戻って来た。

その紙切れには『運は自らの手で切り開けるもの』と書かれていた。

※写真はシンシナティ留学時代の福藤

May 30, 2006 11:15 AM


コメント

僕がNHLを見ていた70年代のスターゴーリーはケン・ドライデン、トニー・エスポジト、二人とも大きかったけど,ロシアとの交流戦で見たトレチャックにカナダ人は驚愕してたよね。小さくて素早い,膝をつかないで吸い込むように止める。その後、グラントフュアーやデトロイトの誰か忘れたけど小さいゴーリーがたくさん出てきた。今のNHLがどういう流れになっているのかは知らないけど、カナダ人の流行なんて、そんなに続きませんから。流されず,信じるようにがんばってください。うまくいく人は,きっとうまくいきますよ!

投稿者 bobbyorr : 2006年05月30日 15:32

5月29日、6月1日と2日間も福藤さんに教えてもらった”ゆきさん”(大崎吉之)です。本当にありがとうございました。
感激で眠れません。足の怪我ももう大丈夫とのこと、一安心してます。
日本人初”NHLのキーパー”は私の夢でもあります。
これからも大変だと思いますが、本物のNHL目指して、そしてNHLナンバーワンゴーリー目指して突っ走って下さい! 
私はカッコNHL目指し走ります!!

投稿者 ゆきさん : 2006年06月03日 10:58