2006年05月09日

シンシナティ留学:その2

野茂英雄が日本人として初のメジャーリーガーになるまでに、相当の苦労があったことは想像に難くない。それゆえに、日本の野球のような強固な背景や実績がない日本のホッケー界において、選手がNHLを目指すには、想像を絶する大きな壁を乗り越える必要があるのは、いうまでもない。もちろんNHLでプレーするためには、まずは実力差をどう埋めるかということが第一の壁ではあるが、それと同様といっていいほど難題なのが、北米ホッケー関係者の頭の中にあるメンタルな壁である。

こうした壁は、何も日本だけに限ったことではない。過去の経緯を辿ってみよう。鉄のカーテン崩壊後、東側選手がNHLに参入しはじめて18年ほどになるが、旧ソ連、チェコといった世界選手権や五輪での金メダル獲得諸国の選手であれど、当初は「たとえスキルが高くても、フィジカルなNHLではやつらのプレーは通用しない」と言われ続けた。五輪で優勝を収めて大会ベスト6に選ばれるような選手であっても、NHLの壁にぶちあたり、早々に故郷に引き上げるものもあった。

だが、すごすごと尻尾を巻いて故郷に帰ることは、かつて「ステートアマ」として活躍した彼らのプライドが許さなかった。その後、彼らは北米生活に馴染む努力やフィジカルに戦う意志を見せ続けることで、北米ホッケー関係者やファンのメンタルブロックを徐々に取り払い、持ち前の高いスキルやスピードで魅了することを覚えていった。その後、第1世代から第2世代が流入して選手数も増え、彼らが偏見なく正当な敬意を得てNHLでの本流として活躍し始めるまでに、5〜6年という年月を要した。そして、今ではロシアやチェコなど故郷にNHL的カルチャーが輸入されたことが拍車となり、北米出身者を凌駕するようなフィジカルプレーヤーも続々出現。北米ホッケー関係者がかつて当たり前のように唱えていた「ヨーロピアン=スキルは高いがフィジカルプレーが苦手」というステレオタイプなイメージを、いまさらヨーロッパ出身者に押し付けるものがいたとすれば、それは時代錯誤というものだ。

そうした流れを考慮すると、日本人選手たちが今後北米ホッケーでひとつの勢力として認められることがあるとすれば、気が遠くなるような期間を要するに違いない。日本のホッケー事情に明るくない北米のホッケー関係者にとっては、極論を言ってしまえば「日本もシンガポールも同じ」、なのである。(筆者注:ちなみにシンガポールは、世界選手権に選手団を派遣していないため、世界ランクは不明。日本は最新の世界ランクで21位。サッカー日本代表の世界ランクは17位)

ただし過去に日本ホッケーと関わってきた経緯から、日本人選手の良さを十二分に熟知している関係者もいる。当時ECHLシャーロット・チェッカーズのヘッドコーチを務めていた、ドン・マキャダム(現ECHLデイトンGM)はまさにそんなひとりだ。自らを「日本ホッケーの大ファン」と称するマキャダムの下で、鈴木貴人(現コクド)はチェッカーズの一員として素晴らしい活躍を見せていた。NHL.comにも寄稿する現地アメリカ人記者は、鈴木のプレーを見るやいなや、驚きのあまりシャーロット取材中の著者の元を訪れ、こう告げたほどである。

「あのスピードや得点力はもちろん、細かいプレーがちゃんとできている。無理せずスマートなプレーに徹しているし、システムホッケー内での守りの意識もちゃんとある。素晴らしいホッケーセンスだ。あれであと3インチ、20パウンド身体が大きかったら、間違いなくNHLでプレーできるだろうに(筆者注:鈴木の身長体重は、コクドHPによると173cm、73kg。NHL選手の平均身長、体重は185cm、90kg程度)」

鈴木のそうしたプレーは、もちろん天性の能力の部分も大きいが、1998年長野五輪前から日本がカナディアンホッケーを取り入れて強化してきた影響も大きい。長野五輪前の強化合宿組であった鈴木には、システムホッケーや守りの大切さは基本中の基本として叩き込まれてきたのだ。だから、いきなり北米のチームでプレーすることになっても、試合で実施するコーチの指示は日本とさほど変わらないし、また日本人選手は概ねそうしたコーチの指示をすんなり理解でき、むしろ忠実に実行できる。前述の記者によれば、ECHLレベルであっても北米出身選手がそうした戦略を十分理解・遂行できなかったりする場合もあるらしく、長野五輪から一連の強化で得られた日本人選手のこうした資質には、自信を持っていいと断言したい。

実際にECHLのリーグ全体のレベルを見ると、それほど高いものではない。確かに選手のサイズ、フィジカル度は、日本とは比べられないほど高いのだが、実際のスキルやスピードについては、日本人選手も十分ついていける程度のものである。要は、適切なコネを辿って十分な出場機会を与えられれば、日本代表主力クラスならECHL主力を張れることは鈴木が証明してくれたのだ。

実際、福藤豊の場合、そのあたりはどうだったのか?  留学先のECHLシンシナティ・サイクロンズのフロントには、かつてのNHLタンパベイ・ライトニング首脳の名前があった。ライトニングは、創設期に日本人オーナーがチームを所有していたことはよく知られており、この豊の留学もそれに似たコネクションが生かされて実現したものではあった。

2002年11月。シャーロットでの鈴木の取材、デトロイトでのNHLレッドウイングズの取材を終えた後、日帰りでシンシナティを訪れた。午前便でデトロイトからシンシナティに到着し、念のため空港からチーム広報担当のグレッグに電話すると、「電話してくれてよかった。今日はいつもと違うリンクで練習が入ってるんだ。空港からの足はあるのかい? 必要なら練習リンクまで乗せて行こうか?」と、申し出てくれた。

北米マイナーリーグのホッケーチームは、試合会場こそ収容人員5000人以上のホームリンクを抱えていることもザラである。しかしこうした施設は、往々にして他目的スタジアムとして使用されているため、練習のために毎度押さえることは難しい。多くのNHLチームは、専用の練習施設をちゃんと押さえているが、そこはマイナーリーグである。いつも同じリンクで練習ができるとは限らない。今日は試合会場であるシンシナティ・ダウンタウンのバンクオブアメリカアリーナ、明日は郊外のスケート場、その後は同じシンシナティでも別リーグに所属しているシンシナティ・マイティダックス(AHL)と、空いているリンクを求めて転々と移動していくことも稀ではないという。

「世界選手権日本代表の3番手ゴーリー? ユタカがそんな逸材だったとは知らなかった。実際にヨーロッパで出場した試合では堂々としていたし、練習だけさせておくには勿体ない話だな」

そう話すチーム広報担当者のグレッグは、広報の仕事以外にチームのラジオ実況アナウンサーという仕事も兼ねている。ECHLレベルではそうしたケースが非常に多い。そもそもアナウンサー畑出身のグレッグは、マイナーリーグでキャリアを重ねることによって、北米メジャースポーツでのブロードキャスターになることを希望している。選手たちだけでなく、チーム関係者もこうしてみな、キャリアアップによって頂点を目指そうとしているのだ。

グレッグのRV車をかなり飛ばして45分。着いた郊外のスケート場は、地方のさびれたローラースケート場かボーリング場のような佇まいだった。だだっ広い駐車場には、チーム関係者のものらしき車がポツポツと並んでいる。入口付近は、さしずめ場末のゲームセンターといった雰囲気だ。

奥に進むと、氷ならではの懐かしい匂いとともにスケートリンクが2面見えて来た。左側のドアの向こうからパックを叩く音が響く。ドアを開け、リンクの中のきいんと張り詰めた冷気を吸い込むこの瞬間がホッケー好きにはたまらない。クリスピーな空気を頬に感じながら、リンクの奥に豊の姿を見つけた。コクド時代同様、ウルトラブルーのマスクにゴーリーパッドは変わっていない。

ただ練習がスケーティングから通常のドリルに移行していくにつれ、ある異常に気付いた。通常練習はリンクをセンターラインから半分に分け、2つのグループが同時進行で行うものだ。だが豊側のゴールには、当時サイクロンズの控えに収まっていたNHLサンノゼ支配下の空軍出身ゴーリー、マーク・キールクッキがゴール内に常時居座るため、豊の出番はない。やっと豊に順番が回って来たと思いきや、ヘッドコーチのホイッスルが空しく響いてそのドリルが終了。次はまた別ドリルの説明がなされて、練習は振り出しに戻る。そしてまた空軍出身ゴーリーがゴール前の定位置に収まるのだ。

予想していたよりも状況ははるかに厳しかった。練習においてろくな練習時間すらない。おまけにチームがロードに出た時は、アパートに居残りで留守番役。せいぜい近くのジムに出かけ、トレーニングをすることくらいしかできない。選手登録されていないのだから、チーム側としては与える練習時間も少なくて当然といえば当然なのだが、こんな状況が続けば「海外挑戦」どころか「留学」の意味すら怪しくなる。

チームの全体練習終了後、ひとりでゴール裏に回るプレーの動きを反復練習する豊の姿が、やけに淋しげに見えた。この状況を、どう打開するというのだろうか?

May 9, 2006 08:34 AM