2006年05月02日

プレーオフ敗退、シーズン終了

ペンシルヴァニア州レディングの街のシンボルは、なんと「五重塔」である。そのシンボルは、「マウントペン」という名前の小高い山の頂から、コンパクトなレディングの町並みを誇らしげに見下ろしている。1908年建てられたこの赤いレンガ作りの塔は、日本の伝統的五重塔のような宗教的意味合いはないそうだが、将軍時代の城をイメージしたものだと、レディング市のホームメージには解説されていた。当初は高級ホテルとして建設されたのだが、街の条例のためこの塔内では食事をサービスすることができず。結局その後持ち主の手を離れ、現在はレディング市の所有物となったそうだ。

福藤豊がプレーするECHLレディング・ロイヤルズの本拠地、ソヴリンセンター前の通りにも、この五重塔を象ったイリュミネーションがところどころに飾られている。NHLを目指してこの地にやってきた日本人ゴーリーにとっては、滑稽なほどハマり過ぎの光景である。とはいっても、そのダウンタウンで、他に日本的なものを探そうとしても困難を極める。日本人、もしくはそれらしき人影すら見当たらない。

「日本料理のレストランは一応あるんですけど、純粋な日本料理じゃないし、なにしろ値段が高いんです。だから行く気はしないですよ」と、豊は以前語っていた。

NHLロサンゼルス・キングズから指名される前に、豊はすでに一度この地を踏んでいる。2003年の年末から2004年年始に企画された、若手日本代表遠征「ヤングジャパン・サムライツアー」において、レディングでは試合が組まれていたのだ。街の象徴であるパゴーダ(五重塔)を配して「パゴーダカップ」と銘打たれたその試合で、豊は試合前半に出場。16セーブ1失点という記録を残している。日本代表はその試合を2−3と惜敗したが、その試合を評した地元紙は、豊と試合後半を守った荻野順二(王子製紙)について「この2人だったら、ロイヤルズのゴールを守らせても不足はない」と誉めたたえた。ちょうどその試合が開催された時期は、当時もロイヤルズで活躍していたコディ・ルドカウスキがAHLに昇格したタイミングであり、ロイヤルズとしては新たにゴーリーを見つけなければならない状況ではあったのだ。そのロイヤルズのゴールを今季豊が実際に守ることになり、しかもルドカウスキとはチームメートとなったのだから、不思議な縁ではある。

ダウンタウンが翳り出す時間帯になり、五重塔のイリュミネーションが輝き出してくると、それまで静まり返っていたソヴリンセンター前は、徐々に活気づいて来た。ホイーリング・ネイラーズとのプレーオフ第4戦が行われた4月19日、レディングの街ではMLBフィラデルフィア・フィリーズの2Aチーム、レディング・フィリーズの試合も開催されていたので、観客の入りは二分されるであろうと予想されていた。しかし、そこは地元ファンの応援には定評のあるロイヤルズ。多くのファンがアリーナに続々と集結していた。

試合前のメンバー紹介で、豊の名前がコールされると、会場から暖かい拍手が起こった。豊が故障を抱えながらプレーを続けていることは、ここレディングでの第1戦ですでに多くのファンが知るところとなっている。ただ、ベストオブファイブのシリーズで、ロイヤルズは1勝2敗ともう後がない。ホームでのこの第4戦で、負け試合などは観たくはないという、ファンたちのある意味冷酷でシビアな感情が、会場内に満ち満ちていもいた。

地元紙でのロイヤルズ番記者、ダン・スチュワートは言う。

「ロイヤルズファンの多くは、チームが勝ってる時は大騒ぎするくせに、負けると一気に『あんなボロチーム、もう応援したくない』と文句を言い出すんだ。チームが苦しい時にも応援しよう、って気持ちを持ってる人は少ないんじゃないかな? 今季チームが悲惨だった時に頑張ったユタカのような選手に対して、果たしてどれだけのファンが感謝しているのだろうか?」

試合は、序盤からネイラーズペースで進んだ。相手FWがどんどんロイヤルズ陣内に果敢に切り込んでくる。第1ピリオド3分37秒、ロイヤルズDFの裏をかいて放たれた相手のシュートが、いきなり豊の右腕の下をすり抜けた。そのわずか46秒後、リバウンドを叩かれてスコアは一気に0−2に。味方のミスが絡んでいたとはいえ、どう見ても豊本来の動きではない。

しかしロイヤルズはその後1点を取り返す。そして逆エンドでそれを見守る豊に、チームメートたちが駆け寄る。試合はまだ始まったばかりだ、これからまだ十分巻き返そうぜといわんばかりに。さらにロイヤルズはその後2点を追加。一気に3−2と試合をひっくり返した。これで流れはロイヤルズに傾いた、と思われた。

だが、豊の身体はもう限界に達していた。第1ピリオド残り1分足らずの場面で、彼は混戦から3点目を許した。その際に相手選手にスティックで脚をすくわれ、無理な体勢から倒れた後は、もう立ち上がれなかった。しばらくクリーズ上に倒れ込んだまま、起き上がるような仕草もできないほど、痛みが豊を制圧していたのだ。

故障箇所は、ゴーリーにとって最も厳しい箇所である内転筋であった。レギュラーシーズン終盤にこの内転筋を故障し、しばし戦列を離れた豊であったが、同じ箇所をもうひとりのGKルドカウスキが痛めて戦列離脱となり、プレーオフ第1戦での試合復帰を余儀なくされた。そしてその第3ピリオドで同じ箇所を再負傷。さらに第3戦第2ピリオドにも、このケガを悪化させていたのである。だがプレーオフ中とあって、ロイヤルズのカール・テイラーコーチは「脚の故障」とはしながらも、その詳細をメディアに語ることはしなかった。

ロイヤルズベンチからトレーナーが駆け寄った。しかし試合を続けたい無意識下から出た動作なのか、豊はこのトレーナーをいったん押し退けた。だが、両脚にはもう力が入らない。いったん起き上がったものの、再び彼の身体は氷の上に崩れ落ちた。トレーナーと1人の選手と、2人がかりで豊の両脇を抱えて起こし上げ、ロッカールームに退場する。ロイヤルズのゴールには、この前日からチームに合流したジュニア上がりのゴーリー、ブライアン・ブリッジズが代わりに収まった。

第2ピリオド以降、このブリッジズが相手のペナルティショットをセーブするなど、まずまずの守りを見せていた。本来自分があるべき場所に、別のゴーリーが収まり健闘する光景を、ロイヤルズベンチの端に座った豊はうつろな表情で見つめていた。しかしそのブリッジズもその後2失点し、ロイヤルズはネイラーズに4−5というスコアで屈した。

試合終了後、リンク上では、プレーオフ恒例の両チームが健闘を讃え合う握手の列ができていた。こうした場面でよく出くわすのは、負けたチームの選手たちが相手と視線すら合わせず、握手というよりは相手の手を触るだけ、というような態度である。選手としては、悔しさゆえにそうした悪態をついてしまうのだろうとは察するが、スポーツマンとしてそうした態度はいかがなものか、と思うこともある。

だが、この握手の列の後方で、豊がとった行動は立派そのものであった。相手選手としっかり視線を合わせ、がっちり右手で握手を交わし、さらに左手で相手の肩を抱き寄せるようにして「僕たちの分まで勝ち上がれよ」といわんばかりに、相手を讃えていた。ネイラーズの選手たちも、彼のケガについては十分承知していたはずである。豊と視線を合わせるやいなや、「大丈夫かい?」と真摯な表情で声をかける選手も何名かいた。それは、相手選手がいかに彼に敬意を払っていたかの証明でもあった。

試合後、ロイヤルズのロッカールームで、テイラーコーチは、取り憑かれたような表情で言葉を吐き出した。

「惜しい試合だった。ケガで出場が続けられなくなったユタカのためにも、どうしても勝ちたかったんだ。彼はひどい内転筋の負傷を負っていたんだよ。通常だったら、2週間は休まなければならない状態だったんだが・・・トレーナーを押し退けてまで試合を続けようとした、あのファイトを見ただろう? 本当に彼は真のファイターだ」

豊は、試合後かなり経過した後も、ジャージと用具を身につけたままだった。帽子を目深にかぶってはいたが、その大きな瞳からは大粒の涙がこぼれかけていたのがはっきり見て取れた。

「本当に・・・悔しいです。ここから立ち直るのには、時間がかかりそうで・・・苦しい時もあったけど、最後はいいチームにまとまっていたし、勝てると思っていたんですが・・・」

ケガに泣かされた豊の2005−06年シーズンは、節目節目で新たな収穫を得ながらも、苦々しい思いとともにこうして幕を閉じた。ちょうどこの頃、NHLロサンゼルス・キングズは、デイヴ・テイラーGMを解任、その後任に元サンノゼGMのディーン・ロンバーディを採用を発表した。この一連の動きによって、フロントオフィスだけでなく、コーチ陣も刷新されることとなるという。それが豊の命運にどう影響を及ぼすのか? それは神のみぞ知るところである。

May 2, 2006 12:23 PM


コメント

福藤選手は、僕の憧れです!僕は、今、中学2年生で、札幌フェニックスというチームにはいっています!福藤選手のように、日本をせよってNHLに行きたいです!

投稿者 : 2006年05月03日 21:07