2006年05月30日

シンシナティ留学:その5:

TV用のインタビューを収録後、昼食を取りながら話を聞くことにした。しかし、リンクの周囲は物寂しい雰囲気で、近くにレストランがあるのかどうかも分からない。いつもは豊と一緒に車でリンクまでやってくるルームメートのウエスも、先にリンクを後にしてしまったようで全く手がかりがない。とりあえず近くでレストランらしきものを探そうと歩き出すと、サイクロンズの2人の選手とはち合わせた。

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「おい、お前どこ行くんだ?」
「近くのレストランに」
「帰りのアパートまでの足はどうするんだよ?」
「大丈夫、タクシーに乗るから」
「タクシーって、こんなところにタクシーなんて来てくれないぞ」

チームメートであれば当たり前の他愛のない会話。そんなごく普通のコミュニケーションすら、チーム合流当初は成立していなかったという。これは、他の選手が彼に心を徐々に開きつつある証拠でもあった。英語の言葉を繰り出すのは苦しそうな豊ではあったが、相手の言う内容はかなり理解できるようにもなっていた。

なんとか近所にチャイニーズレストランを見つけ、帰りの足は、サイクロンズ広報のグレッグに依頼して確保することで、事なきを得た。そこで豊は、合流してから今までの自分の状況について語り出した。

「なんでお前はここにいるんだ? という目で、最初はみんなに見られていたんです。プレシーズンのヨーロッパ遠征で試合に出て、まずまずの仕事をして、それである程度周囲から認めてもらえると思ったんだけど、実はそうじゃなかった。
でも考えてみたら、当然ですよね。他のみんなはそれぞれにこっちで実績を積んだり、トライアウトに合格したりしてチームに残ったのに、僕だけそういうのもないまま、遅れてチームに合流したんですから」

1番手GKのヒューイットはチームと直接契約、キールクッキはサンノゼ支配下選手のため、いずれもロースター登録選手としてチームでプレーさせなければいけない。またECHLにはロースターに登録できる選手数には限りがある。ロースター制限のない日本のホッケー界でプレーしていては分からない、そういった北米ホッケーのカラクリについても、豊は徐々に理解を見せ始めていた。

「正直言って、僕もチームのトライアウトに最初から参加したかったです。貴人さん(鈴木貴人:現コクド、当時ECHLシャーロットで活躍)だって、コーチから見込まれていたのに、ちゃんとトライアウトから参加したじゃないですか・・・それにしても貴人さん、すごいですよね。いきなり開幕戦でハットトリックなんて。あ、貴人さんは、このあいだ、シンシナティからレトルトの日本食をいろいろ送ってくれたんです。こっちじゃ全く日本食が食べられなかったから、ありがたかったなあ・・・」

とはいえ、キャメロンコーチからは、年明けに試合出場の可能性も示唆されている。それに向けて、今後はどう自分のプレーを向上しようと豊は考えているのだろうか?

「チームから言われているのは、『まだ身体が出来ていない、細すぎる。試合に出るのは身体ができてから』ってことです。でも、身体を無理に大きくする必要があるんでしょうかね? 反射神経と動きがあれば、十分カバーできると思うし・・・」

当時のNHLのゴーリー絵図を振り返ってみたい。1998年長野での金メダルで一躍その名を世界に轟かせ、以来NHLを代表するGKに君臨したドミニク・ハシェクが2002年でいったん引退。ハシェクは、決して大柄でなくスリムだが、卓越した反射神経と柔軟性で次々にパックを止めてしまうというスタイルであった。

しかしハシェク引退後も、パトリック・ロワ(当時コロラド)、マルタン・ブロデューア(ニュージャージー)といったベテラン勢は健在。この2人も小さくはないが決して大きくはない。確固としたスキルに基づくセーブこそ、彼らの素晴らしい実績の裏付けとなっていたのだ。

また、マーティン・ターコ(ダラス)、ジョゼ・テオドア(当時モントリオール、現コロラド)、エフゲニー・ナボコフ(サンノゼ)と、台頭しつつあるゴーリーの多くは、やや小粒だが反射神経を生かした切れ味の持ち主でもあった。

その一方で、オラフ・コルジグ(ワシントン)、ショーン・バーク(当時フェニックス、現タンパベイ)、ロマン・チェクマネク(当時フィラデルフィア)などという、190cmを超える大型ゴーリーたちが、NHLの一流として認められるようになってきたのもこの頃だった。しかし、一流として認められるのはほんの一握り。多くの大型ゴーリーは、その身体をやや持て余し気味にクリーズ内でプレーしたり、リバウンドへのリカバリーが遅れたりという緩慢さが目についてもいた。また、そのサイズを生かし、身体でパックを止めるというスタイルゆえに、リバウンドがうまくコントロールできないという選手も、実際には多かった。

スリムなゴーリーが、身体をビルドアップするべきか否か。それは賛否両論分かれるところではあった。FWやDF選手であれば、線が細い選手はある程度の筋肉をつけることは、NHLを目指すものならほぼ必須とされていた。しかし、無理につけた筋肉は反射神経の衰えに繋がるという考え方もあり、ゴーリーコーチによっては、これをタブー視するものもいたのだ。豊の「ビルドアップ」への疑問は、そのあたりにも根付いてもいた。

そうはいっても、現在の練習体制では、プレーの向上すらままならない。少しでも多く味方からのシュートを受けられるように、工夫をする必要に豊は気づき初めていた。限られた出番しかない毎日の練習も、アピールの機会だと考えて集中する。現状に不満なら、自らの手で状況を打開しなければ、と。

アメリカの中華料理店を訪れた人ならご存知だろうが、食事の最後にはレシートとともに「フォーチュンクッキー」なるものがテーブルに届けられる。クッキーの中が空洞になっていて、その中におみくじのような紙切れが入っているのだ。約2人分のチャイニーズフードを平らげると、豊はフォーチュンクッキーに手を伸ばした。その中に入っていた紙切れのご神託を見るや、彼に明るい瞳が戻って来た。

その紙切れには『運は自らの手で切り開けるもの』と書かれていた。

※写真はシンシナティ留学時代の福藤

May 30, 2006 11:15 AM | コメント (2)

2006年05月23日

シンシナティ留学:その4:

ロブ・ロウ主演の「栄光のエンブレム(原題:Youngblood)」というホッケーを主題にした映画がある。

この映画では、北米ホッケーにおける「ルーキーイニシエーション」が描かれている場面が出てくる。ロブ・ロウが演じるジュニア選手が、ルーキーとして新しいチームに合流する。そこで、ルーキーに対する洗礼として、彼は先輩たちに取り押さえられて全裸にされ、剃毛されてしまうというのが、問題のシーンである。

近年、北米ジュニアホッケー界においてこうした「ルーキーイニシエーション」は忌むべき行為として取り上げられ、現在はかなりの収束を見せてはいる。その代わりに、プロのレベルでは「ルーキーディナー」という習慣が根付いている。往々にしてチーム内では低年俸のルーキー選手たちが、高級レストランで先輩選手たちをもてなすというこの習慣には、賛否両論分かれるところではあるが、イジメ同然の「ルーキーイニシエーション」と比べれば、ルーキーたちを取り巻く状況は以前よりはずっと改善されているといっていい。

また北米スポーツにおいては、「プラクティカルジョーク」と呼ばれるイタズラもつきものだ。ホッケーの世界においては、そのイタズラの標的となる選手のスケート靴の中にシェービングクリームをたんまり塗りたくったり、誕生日の選手の顔にパイをぶつけたり、というのは、これまたよくある話ではある。こちらの場合は、「ルーキーイニシエーション」とは異なり、チームメート同士の親愛の情を示すバロメータでもあると言える。

ただし、時に「ルーキーイニシエーション」と「プラクティカルジョーク」においての線引きが微妙な場合もありうる。福藤豊がECHLシンシナティ・サイクロンズに合流して間もない頃、彼の防具一式がシャワールームで水浸しにされるという一件があった。自分の防具をびしょ濡れにされて呆然とする豊を見て、チームメートたちからは笑いが起こる。チームメートたちがこれによって豊に親愛の情を示したのか、はたまた日本から来たルーキーに対するイジメだったのか? いずれにしても、当時の豊にとっては「プラクティカルジョーク」「ルーキーイニシエーション」なる習慣すら、知る由もなかった。こうした生活を続けるうちにストレスを溜め込んだせいか、漆黒の豊の髪には、いつしか白髪が目立つようにもなっていたという。

シンシナティを訪れた際に、豊のシンシナティ時代のルームメートであり、チームのベテランDFウエス・ブレヴィンズにも話を聞く機会があった。ウエスは、日本から来たルームメートに対し「熱烈歓迎」というわけじゃないが、過保護にならない程度にうまくやっているという、素振りを見せていた。

「ユタカは、徐々にこちらの暮らしに馴染んできているよ。英語も文章で話せるようになってきたし、チームメートたちも彼の存在を喜んでる。最初にこちらに着いた頃はシャイだったし、ホームシックだったかも知れないが今はかなりうまく溶け込んできてきている」
「彼はよく『イエス』を連発するんだ。ただ、内容はきっと理解してないんだろうな・・と思うことがある。そんな時はゆっくり話して説明するようにしてる。でも辞書を片手に毎晩英語勉強してる。スラングはまだ知らないようだけど、僕たちが教えてやってるんだ。でも、なんとかウチのアパートではうまくコミュニケーションが図れてるよ」
「僕の料理も喜んで食べてるしね。日本料理、中国料理の店にも連れていってるし。ここでの生活を気に入ってくれてると思うよ。料理は僕が毎日担当しているんだ。買い出しにでかけて費用は折半し、僕が作る。彼の料理はイマイチなんだ。でも掃除はユタカがよくやってくれてるね」

ただしいくら現地で気のいいルームメートに恵まれたとはいえ、シンシナティでは車もなければ国際免許もない。チームがロード遠征した際、豊はチームの選手たちが住まいとするアパートで、ひとり留守番という生活を送っていた。自転車で行ける距離に陸上でのトレーニング施設はあったが、スケートリンクは離れた場所にあったため、チームが遠征してしまうと氷に乗ることすらできなかった。

試合出場はおろか、練習もままならぬ状況。しかしながら、当時のサイクロンズのヘッドコーチ、マルコム・キャメロンの言葉の中には、豊にとって一筋の光もあった。

「ユタカには、年明け以降に試合出場の可能性が出てくる。それには、まずは体力をアップする必要があるし、あと2ヶ月はこっちのシューターに慣れる必要がある。そうすれば彼の自信にも繋がるはずだ」

サイクロンズ広報担当のグレッグは、2月にキールクッキが空軍での兵役義務のため、チームを一時抜けるという可能性を示唆していた。そうすればロースター枠に空きが出て、ユタカが正式に選手登録され、ベンチ入りに至るというわけだ。

さらにこのシーズン開幕前に、ヨーロッパツアーを成功させたサイクロンズでは、それに気を良くしたオーナー陣から、翌年のプレシーズンを日本で過ごそうかとの案も浮上していた。これが実現するのであれば、豊の存在価値は、ぐっとクローズアップされて来るはずだ。

練習終了後、着替えを済ませて出て来た豊は、そうした一連の情報に瞳を輝かせた。そういった詳細は、まだ一切聞かされていなかったのだ。

May 23, 2006 10:33 AM

2006年05月18日

帰国報告記者会見:

 5月18日、都内ホテルで福藤豊の帰国報告会見が行われた。
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Q:先シーズンを振り返っていかがでしたか?

「ルーキーキャンプから始まって、自分自身調子は良かったんですが、NHLのキャンプで残れずに、AHLのキャンプに行くことに。そこでも調子はよかったんですが、ECHLからのスタートになりました。でもAHLからECHLに落とされる時に、モチベーションが下がったわけでもない。シーズン最初からいいプレーができていました。

 AHLでは2試合しか出場できなかったけど、納得できるプレーもできたし、次の年に繋がるプレーができたと思う。ケガが多く、調子がいいときにケガをしてしまったのが残念。波に乗れなかったが、自分のできる限りのプレーはしたつもりです。

 AHLの試合出場も果たしたし、今年これからすべきことははっきりしている。契約最後の年で勝負になるが、出来る限り一生懸命やりたい。今は身体をゆっくり休めて次のシーズンに備えたいです」

Q:今後プレーを向上するには、何をすべきでしょうか?

 「AHLのキャンプからECHLに落とされる時に、自分に足りないのはチームとのコミュニケーション、スティックハンドリング、リバウンドコントロールということを言い渡された。この3つの課題をしっかりやれば、AHLに残れる可能性は高いと思う」

Q:先シーズン負ったケガについて、現在の状況を含めて振り返ってもらえますか?

 「まずは足首を捻挫。しかし自分しかチームにGKがおらず、試合に出なければいけない状態だったので、テーピングをして出場しました。その後、左脚の内転筋を故障してしまいました。その時にもう1人のGKがやはり同じ箇所を故障して、歩けない状態になってしまい、僕が出ないといけなくなった。ケガをして直る時間がなくって、最後まで響きました。現在は足首はほとんどよくなったんですが、内転筋はまだ回復にはちょっとかかりそうです。ケガした後ですぐに休めていれば、早く直せたかも知れませんが。

 その後、ECHLから治療を兼ねてAHLに合流しました。ECHLでもレギュラーシーズン、プレーオフと出場して感じたのですが、みんなの集中力が違っていました。AHLには、スキルの高い選手がECHLよりもたくさんいるは確かです。でもAHLのプレーオフの試合を見ていて、ケガさえしていなければ、自分でもできるんじゃないか、という気持ちにはなりました」

Q:日本のファンは「少しでも早くNHLに昇格して欲しい」と期待が高まってるのですが・・・

 「あと1年しか契約がないので・・・次が勝負の年だとは思っています。今年AHLに残ることができれば、NHLに行けるチャンスもアップしますしね。AHLに残れなければNHLの道は遠くなる。最低でもAHLに残れるように頑張りたいです。最低でもAHL1シーズン通して過ごしたいです。

 ケガをしていない時は、かなりいい成績を出していたと思うんです。ケガをしてからは足が力に入らないときもあったが、ケガをしなければもっといい数字を出せたはず。ケガのせいにするわけでないけど、100%の状態だったらNHLでもプレーできると思う。昨年NHLのキャンプでも1度ケガをして、大事な試合に出場することができなかった。今年は、大事な試合でいい結果を出せるようにしたいです。

 1年目から比べて、毎年少しずつステップアップしてきていると思うんです。1年目のベイカーズフィールドから、2年目もECHLからのスタートだったけれど、AHLで出場は果たしていますしね。今年これからAHLに残ることができれば、次にはNHLという道が待っている。全力で頑張りたいです。過去にAHLでプレーしていたGKが、今季NHLで活躍しているのもいい刺激にはなっています」

Q:今季ECHLレディングでプレーオフ敗退後「こんなに悔しいことは今までなかった。立ち直るのにしばらく時間がかかるかも知れない」と語っていましたが、ホッケーへの気持ちを立て直すためにどういう努力をしていますか?

 「(ECHLレディングで)プレーオフが終わったときは、本当に悔しかったんです。チームのために頑張ったけれど、結果は負け。正直言って忘れられない悔しさでした。いまだに心の整理がついていいないほどです。二度とああいう思いはしたくないし、それをバネにするしかないですね」

Q:(同じ高校出身の)荒川静香、宮里藍の活躍について?

 「実際には話したことも会ったこともないですが、いい刺激にはなっています。世界であれだけの結果を出せば、日本中が盛り上がってくれるということですからね。日本のホッケー界の為に、自分も力になれたらいいなと思います」

Q:AHLとのECHLのホッケーのレベルの差は?

 「AHLでは、全ての面においてかなりレベルが上がるんです。選手のサイズもシュートの正確性、パスの早さ、スピードと、全てにおいて違う。でもそんなに戸惑いはありませんでした。ただ僕の場合、AHLで2試合出場しただけでしたし、それくらいなら誰でもいい結果が出せるんです。シーズンを通して結果が出せて初めて、次に繋がるということを忘れないようにしたいです」

Q:キングズGMが新しく就任したばかりで、またコーチングスタッフも決定していない状態ですが、キングズ側からは何か今後の予定についての連絡などはありましたか? ケガが多かった昨季の反省から、オフはどういう過ごし方をしたいですか?

 「今のところ、キングズからの連絡は全くありません。今後は、6月後半から日本でコクドのメンバーと一緒に氷に乗ります。その間にうまく調整して、7月半ばからのキャンプに備えたいと思います。

 1年目のベイカーズフィールドでは、シーズン終盤に膝を故障。靭帯を伸ばしてしまいました。シーズンが終わった後はそのリハビリに追われ、ゆっくり休む時間がなかったんです。日本に帰ってきた期間も短く、忙しくしていたので、オフの間に身体をゆっくり休ませる時間がありませんでした。それがケガの原因だったとは限らないですが、シーズン開幕前にかなり追い込んでしまったので、それを反省しています。今年秋のキャンプには、リフレッシュした形で入りたいです」

Q:ファンへのメッセージをどうぞ!

 「毎年同じセリフになってしまいますが、今年も今まで以上に努力してNHLの舞台に出られるように頑張ります。これからも応援お願いいたします」

May 18, 2006 09:37 PM | コメント (2)

2006年05月16日

シンシナティ留学:その3:

以前にも少し触れたが、当時のECHLシンシナティ・サイクロンズのオーナー陣には、華々しいメンバーが揃っていた。

NHLの往年の名選手として鳴らし、引退後はホッケー殿堂入り。さらに日本人オーナーを誘致してNHLエクスパンションチームのタンパベイ・ライトニング設立に貢献したフィル・エスポジトと、その右腕的存在のデヴィッド・ルフィーバー。元ECHL会長のリック・アダムズ、元NYレンジャーズGMニール・スミス、ABCとESPNのキャスターを務めるジョン・サンダーズ。さらにはトム・クルーズ主演の映画「ザ・エージェント」でフットボール選手役を演じ、「Show me the money!」との台詞を流行らせた俳優キューバ・グッディングJrも、オーナー陣に名前を連ねていた。

福藤豊がシンシナティに留学した2002−03年シーズンからは、NHL提携先がサンノゼ・シャークスに代わったが、それまでは地理的にも遠くないカロライナ・ハリケーンズとも提携していた。そういった事情から、エリック・コール(現カロライナ)、ヤロスラフ・スヴォボダ(元カロライナ、現ダラス)、デヴィッド・タナベ(元カロライナ、現ボストン)といった、現在NHLで活躍する選手たちも、サイクロンズでプレーして巣立っていったという経緯がある。また、サイクロンズ創設2年目の1991−92年には、芋生ダスティ(現・王子製紙)も9試合プレーしたという記録が残っている。

このサイクロンズのヘッドコーチを務めることになったのが、マルコム・キャメロン(現ECHLロングビーチ・ヘッドコーチ)である。キャメロンは、ECHLを含めマイナーリーグでのキャリアを終えた後、カナダの大学やECHLよりも下部にあたる独立リーグでアシスタントコーチとして修行を積みながら、33歳でシンシナティでの仕事にありついていた。豊によれば、現役時代はFWとしてプレーしていたそうだ。

このキャメロンコーチに、練習後に話を聞いた。ECHLヘッドコーチ1年目とあって、はにかむ笑顔からは若さがはち切れている。そのキャメロンコーチは豊について聞かれると、まずはひと通りの社交辞令的コメントを発した。

「ユタカは素晴らしい若者です。運動神経も優れているし、非常に将来性があると思いますよ。彼にとって一番の課題は、北米スタイルのホッケーに慣れることですが、毎日の練習でどんどんうまくなっています。彼のその真摯な姿勢も評価しています」

「7月に彼がウチに合流すると聞いた時には、正直どうなるか予想がつかなかったのです。日本のホッケー事情もよく知りませんでしたからね。ただヨーロッパで実際に試合に出場させてみて、彼の潜在能力、運動能力が強く印象に残りました。あとはこちらの競争環境に慣れれば、きっと成功できるでしょう。チームメートたちが彼のことを気に入ったようですし、彼も楽しくやってますよ」

だが、キャメロンコーチの言葉尻には「ECHLのレベルは日本よりもずっと高いんだ」、との一言が常にぶらさがっていた。実際に日本のホッケーを全く目にしていないコーチに、日本のホッケーのレベルをさもありなんと語られるのは、正直気持ちのいいものではなかった。それに鈴木貴人がECHLシャーロットで出場した試合を見る限りでは、確かにサイズやタフさという面ではECHLに軍配が上がることは確かだが、スキルやスピードといった面では日本よりむしろ劣るのではないかというのが、筆者の印象であったのだ。それは、のちに2003−04年ヤング日本代表が北米遠征で、ECHLチームと練習試合を互角に戦ったことで証明されている。

ただ、キャメロンコーチの言葉の奥には「ホッケー後進国からきた若いゴーリーをあっさり試合に出場させるほど、ウチは舐められてない」との真意がはっきり込められていた。

「今季はまず練習環境で北米ホッケーにまず慣れることです。北米でならではの、多くのシュートの種類を浴びることが大切なんです」
「プレーでの課題としては、まずはパックハンドリングでしょうか。ECHLともなると、ゴーリーは第3のDFとしての役割ができるほど、、パックハンドリングがうまくないといけません。なのでゴールの外に出て、パックをハンドリングし、パスにつなげる技術を現在は練習させています。それから体力アップのためのトレーニング。上背はありますが、ゴールを塞ぐためにウエイトを付けることが必要です」

サイクロンズの練習中、シャークスのチームカラーに彩られたマスクとパッドを身に着けた大柄な空軍ゴーリー、マーク・キールクッキは、我がもの顔でゴールに居座っていた。太平洋の軽やかなアクアブルーをイメージしたというシャークスカラーのレガースやグラブは、黒、黄色、赤を基調とするサイクロンズのユニフォームにはあまりにもミスマッチであるどころか、浮ついた彼の態度をも反映しているように見えた。

サイクロンズはシャークスと提携チームとは言っても、実際にシャークス傘下選手はほんの一握り。それ以外の選手は、NHLとは縁もゆかりもない一介のマイナーリーガーである。週給400ドル、明日の保証もないそうした選手たちに対し、キールクッキのようなNHLチームと契約を交わした選手は、シーズン年俸制。同チーム内で「勝ち組」「負け組」の濃淡が明らかな環境でもあるのだ。

しかも、そのキールクッキのセービングスタイルだが、数分見ていれば素人目にもそれほどの敏捷性もスキルもないことが分かる。北米ホッケーの世界はなにかと「サイズ重視」であり、身長193cmのキールクッキがシャークスと契約に至ったことに何の不思議はない。

ただその空軍ゴーリーは、豊が「日本から来た」と知り、豊の面前で大爆笑して見せたという。当時、シンシナティで受けていた差別的発言や、チームメートからのイジメなどの具体的な内容について、豊はあまり自分から語ろうとしなかったのだが、この一件だけは口をついて出ていた。それだけ屈辱的な言葉だと、豊は受け止めていたのであろう。

それでも、チームの1番手ゴーリーとしての地位を確立していたグレッグ・ヒューイットとは、豊はいい関係を築きつつあるようだった。少なくとも彼にとってヒューイットは、自分が敬意を抱ける相手であったのだ。キールクッキと同年齢で、サイズこそ限られているが、確固としたスキルを有し、敏捷な動きを見せるヒューイット。ゴーリー同士だからお互い分かり合えるものもある。ヒューイットも、豊の素質とホッケーに対する姿勢を認めていた。全体練習終了後も、豊の課題であったゴール外のパックハンドリングの練習に付き合ってもいた。

「ユタカは性格がいいし、練習も真面目。毎日懸命に練習しているし、動きも素早い。高い潜在能力を持っているね。まだ彼の英語が十分ではないから、僕としては世話人として彼とできるだけ話をしたいんだ。彼が質問がある時には、いつも答えるようにしてるし、いい関係を保てていると思うよ」

そして時を隔てて2005−06年。ヒューイットはECHLロングビーチに所属、キャメロンコーチ指揮の下で依然活躍していた。一方、キールクッキのスタッツは、2002−03年ECHLシンシナティをもって、ぶっつり途絶えている。この世界で生き延びるためには、何が必要かを考えさせられる2人のキャリアでもある。

May 16, 2006 09:00 AM | コメント (1)

2006年05月09日

シンシナティ留学:その2:

野茂英雄が日本人として初のメジャーリーガーになるまでに、相当の苦労があったことは想像に難くない。それゆえに、日本の野球のような強固な背景や実績がない日本のホッケー界において、選手がNHLを目指すには、想像を絶する大きな壁を乗り越える必要があるのは、いうまでもない。もちろんNHLでプレーするためには、まずは実力差をどう埋めるかということが第一の壁ではあるが、それと同様といっていいほど難題なのが、北米ホッケー関係者の頭の中にあるメンタルな壁である。

こうした壁は、何も日本だけに限ったことではない。過去の経緯を辿ってみよう。鉄のカーテン崩壊後、東側選手がNHLに参入しはじめて18年ほどになるが、旧ソ連、チェコといった世界選手権や五輪での金メダル獲得諸国の選手であれど、当初は「たとえスキルが高くても、フィジカルなNHLではやつらのプレーは通用しない」と言われ続けた。五輪で優勝を収めて大会ベスト6に選ばれるような選手であっても、NHLの壁にぶちあたり、早々に故郷に引き上げるものもあった。

だが、すごすごと尻尾を巻いて故郷に帰ることは、かつて「ステートアマ」として活躍した彼らのプライドが許さなかった。その後、彼らは北米生活に馴染む努力やフィジカルに戦う意志を見せ続けることで、北米ホッケー関係者やファンのメンタルブロックを徐々に取り払い、持ち前の高いスキルやスピードで魅了することを覚えていった。その後、第1世代から第2世代が流入して選手数も増え、彼らが偏見なく正当な敬意を得てNHLでの本流として活躍し始めるまでに、5〜6年という年月を要した。そして、今ではロシアやチェコなど故郷にNHL的カルチャーが輸入されたことが拍車となり、北米出身者を凌駕するようなフィジカルプレーヤーも続々出現。北米ホッケー関係者がかつて当たり前のように唱えていた「ヨーロピアン=スキルは高いがフィジカルプレーが苦手」というステレオタイプなイメージを、いまさらヨーロッパ出身者に押し付けるものがいたとすれば、それは時代錯誤というものだ。

そうした流れを考慮すると、日本人選手たちが今後北米ホッケーでひとつの勢力として認められることがあるとすれば、気が遠くなるような期間を要するに違いない。日本のホッケー事情に明るくない北米のホッケー関係者にとっては、極論を言ってしまえば「日本もシンガポールも同じ」、なのである。(筆者注:ちなみにシンガポールは、世界選手権に選手団を派遣していないため、世界ランクは不明。日本は最新の世界ランクで21位。サッカー日本代表の世界ランクは17位)

ただし過去に日本ホッケーと関わってきた経緯から、日本人選手の良さを十二分に熟知している関係者もいる。当時ECHLシャーロット・チェッカーズのヘッドコーチを務めていた、ドン・マキャダム(現ECHLデイトンGM)はまさにそんなひとりだ。自らを「日本ホッケーの大ファン」と称するマキャダムの下で、鈴木貴人(現コクド)はチェッカーズの一員として素晴らしい活躍を見せていた。NHL.comにも寄稿する現地アメリカ人記者は、鈴木のプレーを見るやいなや、驚きのあまりシャーロット取材中の著者の元を訪れ、こう告げたほどである。

「あのスピードや得点力はもちろん、細かいプレーがちゃんとできている。無理せずスマートなプレーに徹しているし、システムホッケー内での守りの意識もちゃんとある。素晴らしいホッケーセンスだ。あれであと3インチ、20パウンド身体が大きかったら、間違いなくNHLでプレーできるだろうに(筆者注:鈴木の身長体重は、コクドHPによると173cm、73kg。NHL選手の平均身長、体重は185cm、90kg程度)」

鈴木のそうしたプレーは、もちろん天性の能力の部分も大きいが、1998年長野五輪前から日本がカナディアンホッケーを取り入れて強化してきた影響も大きい。長野五輪前の強化合宿組であった鈴木には、システムホッケーや守りの大切さは基本中の基本として叩き込まれてきたのだ。だから、いきなり北米のチームでプレーすることになっても、試合で実施するコーチの指示は日本とさほど変わらないし、また日本人選手は概ねそうしたコーチの指示をすんなり理解でき、むしろ忠実に実行できる。前述の記者によれば、ECHLレベルであっても北米出身選手がそうした戦略を十分理解・遂行できなかったりする場合もあるらしく、長野五輪から一連の強化で得られた日本人選手のこうした資質には、自信を持っていいと断言したい。

実際にECHLのリーグ全体のレベルを見ると、それほど高いものではない。確かに選手のサイズ、フィジカル度は、日本とは比べられないほど高いのだが、実際のスキルやスピードについては、日本人選手も十分ついていける程度のものである。要は、適切なコネを辿って十分な出場機会を与えられれば、日本代表主力クラスならECHL主力を張れることは鈴木が証明してくれたのだ。

実際、福藤豊の場合、そのあたりはどうだったのか?  留学先のECHLシンシナティ・サイクロンズのフロントには、かつてのNHLタンパベイ・ライトニング首脳の名前があった。ライトニングは、創設期に日本人オーナーがチームを所有していたことはよく知られており、この豊の留学もそれに似たコネクションが生かされて実現したものではあった。

2002年11月。シャーロットでの鈴木の取材、デトロイトでのNHLレッドウイングズの取材を終えた後、日帰りでシンシナティを訪れた。午前便でデトロイトからシンシナティに到着し、念のため空港からチーム広報担当のグレッグに電話すると、「電話してくれてよかった。今日はいつもと違うリンクで練習が入ってるんだ。空港からの足はあるのかい? 必要なら練習リンクまで乗せて行こうか?」と、申し出てくれた。

北米マイナーリーグのホッケーチームは、試合会場こそ収容人員5000人以上のホームリンクを抱えていることもザラである。しかしこうした施設は、往々にして他目的スタジアムとして使用されているため、練習のために毎度押さえることは難しい。多くのNHLチームは、専用の練習施設をちゃんと押さえているが、そこはマイナーリーグである。いつも同じリンクで練習ができるとは限らない。今日は試合会場であるシンシナティ・ダウンタウンのバンクオブアメリカアリーナ、明日は郊外のスケート場、その後は同じシンシナティでも別リーグに所属しているシンシナティ・マイティダックス(AHL)と、空いているリンクを求めて転々と移動していくことも稀ではないという。

「世界選手権日本代表の3番手ゴーリー? ユタカがそんな逸材だったとは知らなかった。実際にヨーロッパで出場した試合では堂々としていたし、練習だけさせておくには勿体ない話だな」

そう話すチーム広報担当者のグレッグは、広報の仕事以外にチームのラジオ実況アナウンサーという仕事も兼ねている。ECHLレベルではそうしたケースが非常に多い。そもそもアナウンサー畑出身のグレッグは、マイナーリーグでキャリアを重ねることによって、北米メジャースポーツでのブロードキャスターになることを希望している。選手たちだけでなく、チーム関係者もこうしてみな、キャリアアップによって頂点を目指そうとしているのだ。

グレッグのRV車をかなり飛ばして45分。着いた郊外のスケート場は、地方のさびれたローラースケート場かボーリング場のような佇まいだった。だだっ広い駐車場には、チーム関係者のものらしき車がポツポツと並んでいる。入口付近は、さしずめ場末のゲームセンターといった雰囲気だ。

奥に進むと、氷ならではの懐かしい匂いとともにスケートリンクが2面見えて来た。左側のドアの向こうからパックを叩く音が響く。ドアを開け、リンクの中のきいんと張り詰めた冷気を吸い込むこの瞬間がホッケー好きにはたまらない。クリスピーな空気を頬に感じながら、リンクの奥に豊の姿を見つけた。コクド時代同様、ウルトラブルーのマスクにゴーリーパッドは変わっていない。

ただ練習がスケーティングから通常のドリルに移行していくにつれ、ある異常に気付いた。通常練習はリンクをセンターラインから半分に分け、2つのグループが同時進行で行うものだ。だが豊側のゴールには、当時サイクロンズの控えに収まっていたNHLサンノゼ支配下の空軍出身ゴーリー、マーク・キールクッキがゴール内に常時居座るため、豊の出番はない。やっと豊に順番が回って来たと思いきや、ヘッドコーチのホイッスルが空しく響いてそのドリルが終了。次はまた別ドリルの説明がなされて、練習は振り出しに戻る。そしてまた空軍出身ゴーリーがゴール前の定位置に収まるのだ。

予想していたよりも状況ははるかに厳しかった。練習においてろくな練習時間すらない。おまけにチームがロードに出た時は、アパートに居残りで留守番役。せいぜい近くのジムに出かけ、トレーニングをすることくらいしかできない。選手登録されていないのだから、チーム側としては与える練習時間も少なくて当然といえば当然なのだが、こんな状況が続けば「海外挑戦」どころか「留学」の意味すら怪しくなる。

チームの全体練習終了後、ひとりでゴール裏に回るプレーの動きを反復練習する豊の姿が、やけに淋しげに見えた。この状況を、どう打開するというのだろうか?

May 9, 2006 08:34 AM

2006年05月02日

プレーオフ敗退、シーズン終了:

ペンシルヴァニア州レディングの街のシンボルは、なんと「五重塔」である。そのシンボルは、「マウントペン」という名前の小高い山の頂から、コンパクトなレディングの町並みを誇らしげに見下ろしている。1908年建てられたこの赤いレンガ作りの塔は、日本の伝統的五重塔のような宗教的意味合いはないそうだが、将軍時代の城をイメージしたものだと、レディング市のホームメージには解説されていた。当初は高級ホテルとして建設されたのだが、街の条例のためこの塔内では食事をサービスすることができず。結局その後持ち主の手を離れ、現在はレディング市の所有物となったそうだ。

福藤豊がプレーするECHLレディング・ロイヤルズの本拠地、ソヴリンセンター前の通りにも、この五重塔を象ったイリュミネーションがところどころに飾られている。NHLを目指してこの地にやってきた日本人ゴーリーにとっては、滑稽なほどハマり過ぎの光景である。とはいっても、そのダウンタウンで、他に日本的なものを探そうとしても困難を極める。日本人、もしくはそれらしき人影すら見当たらない。

「日本料理のレストランは一応あるんですけど、純粋な日本料理じゃないし、なにしろ値段が高いんです。だから行く気はしないですよ」と、豊は以前語っていた。

NHLロサンゼルス・キングズから指名される前に、豊はすでに一度この地を踏んでいる。2003年の年末から2004年年始に企画された、若手日本代表遠征「ヤングジャパン・サムライツアー」において、レディングでは試合が組まれていたのだ。街の象徴であるパゴーダ(五重塔)を配して「パゴーダカップ」と銘打たれたその試合で、豊は試合前半に出場。16セーブ1失点という記録を残している。日本代表はその試合を2−3と惜敗したが、その試合を評した地元紙は、豊と試合後半を守った荻野順二(王子製紙)について「この2人だったら、ロイヤルズのゴールを守らせても不足はない」と誉めたたえた。ちょうどその試合が開催された時期は、当時もロイヤルズで活躍していたコディ・ルドカウスキがAHLに昇格したタイミングであり、ロイヤルズとしては新たにゴーリーを見つけなければならない状況ではあったのだ。そのロイヤルズのゴールを今季豊が実際に守ることになり、しかもルドカウスキとはチームメートとなったのだから、不思議な縁ではある。

ダウンタウンが翳り出す時間帯になり、五重塔のイリュミネーションが輝き出してくると、それまで静まり返っていたソヴリンセンター前は、徐々に活気づいて来た。ホイーリング・ネイラーズとのプレーオフ第4戦が行われた4月19日、レディングの街ではMLBフィラデルフィア・フィリーズの2Aチーム、レディング・フィリーズの試合も開催されていたので、観客の入りは二分されるであろうと予想されていた。しかし、そこは地元ファンの応援には定評のあるロイヤルズ。多くのファンがアリーナに続々と集結していた。

試合前のメンバー紹介で、豊の名前がコールされると、会場から暖かい拍手が起こった。豊が故障を抱えながらプレーを続けていることは、ここレディングでの第1戦ですでに多くのファンが知るところとなっている。ただ、ベストオブファイブのシリーズで、ロイヤルズは1勝2敗ともう後がない。ホームでのこの第4戦で、負け試合などは観たくはないという、ファンたちのある意味冷酷でシビアな感情が、会場内に満ち満ちていもいた。

地元紙でのロイヤルズ番記者、ダン・スチュワートは言う。

「ロイヤルズファンの多くは、チームが勝ってる時は大騒ぎするくせに、負けると一気に『あんなボロチーム、もう応援したくない』と文句を言い出すんだ。チームが苦しい時にも応援しよう、って気持ちを持ってる人は少ないんじゃないかな? 今季チームが悲惨だった時に頑張ったユタカのような選手に対して、果たしてどれだけのファンが感謝しているのだろうか?」

試合は、序盤からネイラーズペースで進んだ。相手FWがどんどんロイヤルズ陣内に果敢に切り込んでくる。第1ピリオド3分37秒、ロイヤルズDFの裏をかいて放たれた相手のシュートが、いきなり豊の右腕の下をすり抜けた。そのわずか46秒後、リバウンドを叩かれてスコアは一気に0−2に。味方のミスが絡んでいたとはいえ、どう見ても豊本来の動きではない。

しかしロイヤルズはその後1点を取り返す。そして逆エンドでそれを見守る豊に、チームメートたちが駆け寄る。試合はまだ始まったばかりだ、これからまだ十分巻き返そうぜといわんばかりに。さらにロイヤルズはその後2点を追加。一気に3−2と試合をひっくり返した。これで流れはロイヤルズに傾いた、と思われた。

だが、豊の身体はもう限界に達していた。第1ピリオド残り1分足らずの場面で、彼は混戦から3点目を許した。その際に相手選手にスティックで脚をすくわれ、無理な体勢から倒れた後は、もう立ち上がれなかった。しばらくクリーズ上に倒れ込んだまま、起き上がるような仕草もできないほど、痛みが豊を制圧していたのだ。

故障箇所は、ゴーリーにとって最も厳しい箇所である内転筋であった。レギュラーシーズン終盤にこの内転筋を故障し、しばし戦列を離れた豊であったが、同じ箇所をもうひとりのGKルドカウスキが痛めて戦列離脱となり、プレーオフ第1戦での試合復帰を余儀なくされた。そしてその第3ピリオドで同じ箇所を再負傷。さらに第3戦第2ピリオドにも、このケガを悪化させていたのである。だがプレーオフ中とあって、ロイヤルズのカール・テイラーコーチは「脚の故障」とはしながらも、その詳細をメディアに語ることはしなかった。

ロイヤルズベンチからトレーナーが駆け寄った。しかし試合を続けたい無意識下から出た動作なのか、豊はこのトレーナーをいったん押し退けた。だが、両脚にはもう力が入らない。いったん起き上がったものの、再び彼の身体は氷の上に崩れ落ちた。トレーナーと1人の選手と、2人がかりで豊の両脇を抱えて起こし上げ、ロッカールームに退場する。ロイヤルズのゴールには、この前日からチームに合流したジュニア上がりのゴーリー、ブライアン・ブリッジズが代わりに収まった。

第2ピリオド以降、このブリッジズが相手のペナルティショットをセーブするなど、まずまずの守りを見せていた。本来自分があるべき場所に、別のゴーリーが収まり健闘する光景を、ロイヤルズベンチの端に座った豊はうつろな表情で見つめていた。しかしそのブリッジズもその後2失点し、ロイヤルズはネイラーズに4−5というスコアで屈した。

試合終了後、リンク上では、プレーオフ恒例の両チームが健闘を讃え合う握手の列ができていた。こうした場面でよく出くわすのは、負けたチームの選手たちが相手と視線すら合わせず、握手というよりは相手の手を触るだけ、というような態度である。選手としては、悔しさゆえにそうした悪態をついてしまうのだろうとは察するが、スポーツマンとしてそうした態度はいかがなものか、と思うこともある。

だが、この握手の列の後方で、豊がとった行動は立派そのものであった。相手選手としっかり視線を合わせ、がっちり右手で握手を交わし、さらに左手で相手の肩を抱き寄せるようにして「僕たちの分まで勝ち上がれよ」といわんばかりに、相手を讃えていた。ネイラーズの選手たちも、彼のケガについては十分承知していたはずである。豊と視線を合わせるやいなや、「大丈夫かい?」と真摯な表情で声をかける選手も何名かいた。それは、相手選手がいかに彼に敬意を払っていたかの証明でもあった。

試合後、ロイヤルズのロッカールームで、テイラーコーチは、取り憑かれたような表情で言葉を吐き出した。

「惜しい試合だった。ケガで出場が続けられなくなったユタカのためにも、どうしても勝ちたかったんだ。彼はひどい内転筋の負傷を負っていたんだよ。通常だったら、2週間は休まなければならない状態だったんだが・・・トレーナーを押し退けてまで試合を続けようとした、あのファイトを見ただろう? 本当に彼は真のファイターだ」

豊は、試合後かなり経過した後も、ジャージと用具を身につけたままだった。帽子を目深にかぶってはいたが、その大きな瞳からは大粒の涙がこぼれかけていたのがはっきり見て取れた。

「本当に・・・悔しいです。ここから立ち直るのには、時間がかかりそうで・・・苦しい時もあったけど、最後はいいチームにまとまっていたし、勝てると思っていたんですが・・・」

ケガに泣かされた豊の2005−06年シーズンは、節目節目で新たな収穫を得ながらも、苦々しい思いとともにこうして幕を閉じた。ちょうどこの頃、NHLロサンゼルス・キングズは、デイヴ・テイラーGMを解任、その後任に元サンノゼGMのディーン・ロンバーディを採用を発表した。この一連の動きによって、フロントオフィスだけでなく、コーチ陣も刷新されることとなるという。それが豊の命運にどう影響を及ぼすのか? それは神のみぞ知るところである。

May 2, 2006 12:23 PM | コメント (1)