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2006年04月25日

プレーオフ第3戦:

4月18日。第3戦は、第2戦と同様、ウエストヴァージニア州ウイーリングで開催された。ピッツバーグから車で1時間弱の位置にあるウイーリングは、ひっそりした小さな街だ。福藤豊が所属するECHLレディング・ロイヤルズの対戦相手、ウイーリング・ネイラーズの本拠地ウエスバンコアリーナは、北米の他のアリーナの例に漏れず古めかしい雰囲気を装っていた。コンクリートの塊といった外観、内部はやや暗めの照明という、北米のマイナーリーグにはお約束のうらぶれた趣き。さらにプレーオフだというのに、集まった観客数はわずかに2003人というのが、物寂しさを増長させる。北米ホッケー観戦につきものの沸き上がるようなグルーヴは、ここには感じられない。冷えた空気とともに、重い静けさが会場に漂う。かえってその静けさゆえに、一部熱狂ファンたちの罵声だけが、やけに耳に貼り付いてくる。

故障を抱えながら第2戦で見事にチームの勝利に貢献した豊は、「第3戦、第4戦と連勝で決めますよ。ウイーリングにはショッピングモールがあるんですが、そのために第5戦でここに戻りたいとは絶対思わないし」と語っていた。その言葉を裏切らず、この第3戦での第1ピリオドはミスのない安定したプレーを見せる。かなり難しいシュートが飛んではくるのだが、冷静にパックを弾くほぼ完璧な守りだ。リバウンドショットに対するリカバリーも、故障の影響を感じさせないような本来のスピードで立て直している。だが、ところどころ、彼本来でない動きが見え隠れし、ヒヤリとさせられる。やはり故障箇所の状態はかなり厳しいのだろうか。

そんな豊の状況も見据え、チームメートは早々に2点のリードを与えてくれた。ロイヤルズにとってはいいペースだ。被シュートが多いのが気になるが、少ないチャンスを確実にモノにしている。第2戦の流れをそのままキープし、第3戦もこのまま勝利すれば、豊の予言通り地元レディングに戻った第4戦でシリーズの決着がつく。そんなシナリオも至極可能かと思われた。

しかし第2ピリオド序盤、またもや豊にアクシデントが襲う。相手のパワープレーとなったところで、ネイラーズは2人対1人の形でカウンターアタックを仕掛けてきた。早いタイミングで放たれたショットに、豊はうまく左脚を出して反応する。ナイスセーブ。しかしこのプレーで脚を突き出した刹那、また故障箇所が暴れ出した。

ゴールクリーズにうずくまるようにして、歯を食いしばる豊の表情が苦痛で歪む。アイスホッケーでは試合続行中に負傷者が出た場合、味方がパックをキープしていればレフェリーの裁量で試合を止めることは可能だ。しかしレフェリーは逆エンドで試合の流れを追うのに夢中で、豊をかまう様子など全くない。試合を続けなければ。

その様を嘲るネイラーズファンの罵声を背中で浴びながら、豊はゆっくり両脚で立ち上がり、ひと呼吸ついた。ホイッスルが吹かれた後で、チームメートが心配そうに駆け寄る。トレーナーもベンチから飛び出してくるが、自らそれを制する。まだ行ける。なんとか試合続行だ。

しかし、その後の豊のプレーは、明らかに本来ののびやかさとキレを欠いていた。通常ならバタフライのスタンスに入るべき場面で、小さくスタンドアップにしたり、ローショットを抑えるのに前屈みになったり。故障箇所に相当のダメージを負った現状でできる精一杯のプレーを続けていた。

第2ピリオド後半、ネイラーズはロイヤルズのメジャーペナルティに乗じて、猛攻撃を仕掛けてきた。同ディビジョンでも最も攻撃力のあるチームとして定評のある、その底力を発揮し始めたのだ。まずはゴール前にスライドしてきた相手シューターが、豊のスティックサイド肩口にバックハンドでパックをすくい上げた。そのわずか1分後には、ロイヤルズのDFを切り込むようにゴール前に現れた選手が放ったシュートが、足元を抜き去る。さらに第2ピリオド残り22秒の場面で、またノーマークでゴール前に入ってきた選手に対し、今度は豊はクリーズ外に出てチャレンジアウト。しかし相手のシュートは、豊のグラブサイドをするりと通り抜けた。あっという間にスコアは2−3と逆転。いずれも味方のミスから招かれたピンチであったが、本来の豊の動きであれば異なる結果になっていたのでは、とも思える一連の展開であった。

それでもロイヤルズは食い下がった。第3ピリオド序盤には3−3と同点に追いつくも、ネイラーズはパワープレーのチャンスをものにして、4−3と勝ち越し。ゴール右の角度の悪いところから相手が浮かせたパックに対応できず、豊はショートサイドを抜かれてしまったのだ。たとえ相手のシュートがよかったからと言って、ショートサイドを固めなかったのは、ゴーリーのミスとして責められる。自らのポジショニングのミスを悔いて、豊はしばらくクリーズ内にうなだれた。重い、重い1点だった。これが決勝点となり、ロイヤルズは3−4と第3戦に敗退。崖っぷちでホームでの第4戦を迎えることになった。

試合後、豊は思いの外、サバサバした表情で現れた。

「最後の1点は明らかに僕のミスです・・・でもあの場面で、味方はペナルティをしちゃいけない。僕も含めて、チーム全員がステップアップしないと勝てないですね。脚ですか? まだ全然行けます。ここまで来たら、もうやるしかないでしょう?」

着替えを終えて、用具を次々に運び出すロイヤルズの選手たち。うち数名が、モヒカンヘアにしているのが目につく。その頭の中央部分を走る毛髪を、チームカラーのパープルに染めている選手もいる。こうした現象は、北米ではよくあるゲンかつぎとして、いわばプレーオフ期間中の風物詩ともなっている。選手によってはプレーオフ期間中ずっとヒゲを剃らなかったり、はたまた髪をプラチナブロンドに染めたり、チームカラーのメッシュを入れたり、と、そうしたプレーオフならではの儀式は近年かなり多様化している。

豊にこの儀式について尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「僕がモヒカンにしていたら、みんなが真似し始めたんですよ。僕がチームのファッションリーダーなんです」

故障箇所の状態はどうにせよ、気持ちは揺らぐことなく強く保っている。手負いとなったが、AHLマンチェスター取材時よりも威風堂々とした豊の姿が、この苦々しい1シーズンで彼が得た何かを物語っていた。

April 25, 2006 08:33 AM | コメント (1)

2006年04月18日

日本人初のECHLプレーオフ勝利:

福藤豊がまた歴史を作った。

2006年4月16日、場所はアメリカ・ウエストヴァージニア州ウイーリング。ECHLプレーオフ・アメリカンカンファレンス、ノースディビジョン準決勝第2戦で、豊は先発出場し、33セーブ1失点で見事チームを勝利に導いた。これで、日本人としては初のECHLプレーオフでの1勝を記録したことになる。過去に鈴木貴人、伊藤賢吾(ともにシャーロット・チェッカーズ)と、ECHLプレーオフで1シーズンを戦った選手はいたが、いずれもプレーオフ進出には至らなかった。

また豊の場合、2002−03年に在籍したシンシナティはプレーオフ進出を果たしたものの、留学期間が終了したということで豊はプレーオフでの出場を諦めざるを得なかった。また昨季所属したベイカーズフィールドでは、チームのプレーオフ進出に大きく貢献したにもかかわらず、終盤の膝の故障で欠場を余儀なくされたという事情があった。

まさに3年越しでつかんだプレーオフ出場での初勝利。「すごく達成感があります。自分でもかなり興奮しているのが分かる。そのせいか、昨日はあまり眠れませんでした」と、豊はその気持ちを切り出した。

とはいえ、彼にとって今季ここまでは、ケガ続きの厳しいシーズンであった。

足首の故障も癒えた3月終盤、出場機会を見事ものにして、ECHL週間最優秀ゴーリーに選ばれた豊であったが、その後も苦労の連続だった。チームのケガ人、昇格選手などの影響で、またもやGKを除くプレーヤーが13人のみと減って苦しいロイヤルズは、4月1日ディビジョン最下位が決定したデイトン・ボンバーズとアウェイで対戦。そこで豊はまたしても故障に見舞われてしまった。そして残りレギュラーシーズン2試合はもうひとりのGKコディ・ルドカウスキが出場することになった。

さすがに、ここまでケガ続きのシーズンというのは、どうも縁起が悪すぎる。普段はそういうことをさほど気にしない豊だったが、この時ばかりは考えた。そしてロイヤルズでチームから与えられていた背番号35を、自分にとって思い入れのある44に変えることを決心した。そのアイデアを用具マネジャーに伝え、そこからチームGMにも豊の意向が伝えられた。事の真相を聞いて、チームGMも背番号変更を快諾してくれたという。

プレーオフのディビジョン準決勝は4月14日、地元レディングで開幕。ロイヤルズのカール・テイラーコーチは、シリーズ開幕前から「第1戦のユタカの出場はまずないね。ケガがあるから」と明言していた。ルドカウスキのレギュラーシーズン最後の2試合の出来は決してよくはなかったが、ルドカウスキも経験豊富なGKで、今季はシーズンを通して安定している。故障している豊を、無理させて出場させるような状況ではなかったのだ。

しかし、第1戦は思わぬ展開へと転んだ。第1ピリオド5分8秒の場面で、いきなりルドカウスキが負傷してしまったのだ。負傷後、立ち上がって歩くことすら困難な様子からして、かなりの重傷であることを豊は察知した。自分の出番である。

とはいっても、豊も4月1日のケガを抱えての途中出場。十分なウォームアップも得られない形で、しかも予想外の展開でゴールを引き継ぐことはかなり厳しい状況だ。さらに悪いことに、交代後の第1ピリオド15分間に豊が受けたシュートの数はたったの1本。途中交代だけに、適度な数のシュートを浴びて調子に乗りたいところなのだが、全く仕事がないというのでは、ペースが掴めない。

そうして迎えた第2ピリオド、豊は2点を失う。相手のシュートがすっぽ抜け、ゴール裏のボードに跳ね返ったところで、逆サイドにパスを出されて相手はタップイン。さらにロイヤルズはパワープレー明けに逆襲を食らい、2人対1人の形で攻め込まれる。そして相手のシューターが、味方DFの足の間を抜いて放ったシュートが、豊のキャッチンググラブ側の肩口を抜いてゴールに収まった。いずれも味方が招いたビンチであったが、豊の動きも本来のそれではないように見えた。

さらに第3ピリオドには、バタフライの姿勢でスライドした際に再負傷してしまう。その後もしばらくプレーが切れない。豊は負傷した左脚を振り払うようにして痛みをこらえながら、プレーを続けた。通常なら大事をとって交代するほどのケガであろうが、交代できるGKはもういない。しかも今はプレーオフという大事な時である。チームメートたちも自分を頼りにしている。彼は自分にそう言い聞かせるしかなかった。

そして試合はオーバータイムに突入。最後は、味方のDFが倒された隙に、相手選手がノーマークの形となり、豊はスティックサイドを破られてゴールを決められた。地元ファンの前で第1戦は痛い黒星。しかも自分はケガを抱えている。ともすれば自信喪失に繋がる状況であったが、彼はとにかく第2戦に向けて気持ちを切り換えることに努めた。痛めた箇所は、冷やして暖めて、の繰り返しでケアする。すでに身体はもう満身創痍といっていい。

「正直言って、自分の身体はもうむちゃくちゃな状態だと思うんです。でも僕は、チームから頼られてるのが分かるから、プレーしたい。それに、チームメートたちも、みんなあちこちケガしているのに、頑張ってる。プレーオフって、そういうものですよね?」

4月16日、舞台をウイーリングに移しての第2戦。第1戦で負傷したルドカウスキは太もも付け根故障で、すでにこの日付で7日間の故障者リスト入りとなってしまった。この試合のために、ロイヤルズは現在30日の故障者リストに入っている3人めのGKを、例外的措置として登録復帰させてベンチ入りさせたが、これはあくまでも試合で頭数を揃えるための便宜上の登録に過ぎない。さらに第3戦以降のために、ロイヤルズは新しくジュニア上がりのGKを契約するに至ったが、いきなりプレーオフでの出場というのはほぼありえない。チームが頼れるのは、豊しかいないのだ。

序盤からロイヤルズは、反則続きで5人対3人のピンチもあった。相手は開始最初の3分で8本のシュートを打つ猛攻を仕掛けてきたが、それを豊はことごとく弾いてみせた。出足は上々である。豊の守りに応えるように、味方もこの試合では早々に援護射撃をしてくれた。1−0とリードを奪う。

しかし豊のバタフライは、やはりどこかがいつもと違う。明らかに下半身をかばい、スティックや上半身を使ったクリアが増えている。これで1試合持つのだろうか? 試合も後半に差し掛かると、盛んにストレッチをする姿や、セーブをした後で左脚を揺らして痛みをこらえる様子が目につくようになった。ウイーリングのホームリンク、ウエスバンコアリーナでは、試合のブレイクのたびに氷を修理するほど、氷の状態がよくない。これも脚にはこたえそうだ。

だが第2ピリオド、またもや味方が援護してくれた。序盤に2点を追加して3−0とリードが開く。その後、ゴール前にいた味方に当たって入る不運なゴールで3−1と追い上げられるも、豊は必死の連続セーブで後続を断つ。ネイラーズから分厚い攻撃を仕掛けられても、巧妙にリバウンドをコントロールしていく。その姿に勇気づけられた味方は、さらに1ゴールを挙げて、リードは再び3ゴール差に戻った。第3ピリオドに入ると、ネイラーズはもう精神的に切れていた。ペナルティの連発で戦意喪失し、結局試合はロイヤルズが4−1で勝利。これでシリーズ対戦成績は1勝1敗となった。

ちょっと余談になるが、NHLではセントルイスからカルガリーへと受け継がれた「グリーンハードハット」という儀式がある。「グリーンハードハット」とは、工事現場などで働く人たちが頭の保護のために着用するヘルメットのこと。勝利した試合後は、選手たちの総意でこの「グリーンハードハット」をその試合のハードワーカーに与えるという儀式が、2004年NHLプレーオフで決勝まで進出したカルガリー・フレームズで話題になった。勝利後、不格好な緑色のヘルメットを被ったまま、試合のヒーローが記者たちのインタビューに答えるというのが、カルガリーでは定番となっていたのだ。

それと同様な儀式が、ロイヤルズにもある。試合終了後、豊はチームメートたちから「レジーダンロップ・アウォード」を与えられた。レジー・ダンロップとは、映画「スラップショット」で、ポール・ニューマンが扮した超ベテランホッケー選手の名前である。シーズン半ば、ロイヤルズのカール・テイラーコーチは、この儀式のために自前の古い革ジャンを引っ張りだしてきた。70年代風というか、いかにも映画でポール・ニューマンが着ていそうな古臭いデザインのものである。そして勝利した試合後には、選手たちの総意で選ばれたMVP選手に、この革ジャンを着る栄誉が与えられるのだ。

この日2ゴールを挙げたDFエリック・ワーナーは、この試合の豊のプレーを絶賛した。
「毎試合、ウチのために素晴らしい守りをしてくれる。非常に安定しているし、彼にいつもすごく助けられている。あれだけ守れるGKがいることで、ウチは守りに自信が持てるんだ。今日は信じられないほど素晴らしかった。もうそれしか言えないよ」

テイラーコーチも豊に賛辞を送っていた。

「彼こそが我らが戦士。第1戦の負けから、よくぞ立ち直ってくれた。今日のプレーには、彼の精神力の強さが本当によく現れていたと思う」

そして革ジャン着用の栄誉を与えられた豊は、茶目っ気たっぶりにこう語っていた。

「(レジー・ダンロップ・アウォードは)今季もう5、6回めでしょうかね・・・試合後は、しばらくあの革ジャンを着ていないといけないんです。でも最近、こっちも暖かくなってきましたし・・・それに臭うんですよ、あのジャケット(笑)」

ケガの痛みで夜も眠れないほどの毎日が続いているが、もう昨季のような思いはしたくない。

「昨年は、プレーオフに出られなくって本当に悔しい思いをしたんです。今季はプレーオフに出られて、これでいい結果を残すことができれば、来季もきっといい形で迎えられるはず。もうやるしかないですね」

April 18, 2006 03:58 AM | コメント (3)

2006年04月11日

シンシナティでの苦悩(その1):

2002年9月24日、福藤豊はホッケー留学先のECHLシンシナティ・サイクロンズのチームメートたちと、プレシーズンツアー先のオーストリアで顔を合わせた。現地では2試合の練習試合が組まれていたが、豊は早々に出場機会を与えられた。2試合めの後半に出場し、チームは見事逆転勝利に導く活躍を見せたのだ。

ECHLはNHLにとって2Aレベルにあたるリーグである。とはいえ、年間試合スケジュールが40試合程度と少ない日本でのプレーとは異なり、ECHLではレギュラーシーズンだけでも72試合と長丁場だ。豊も当然そのあたりは現地出発前に予習済だった。必要があれば、全72試合だって出てみせる、という密かな決意も心中にはあった。

豊が敬意を抱くNHLスーパースター選手、マルタン・ブロデューア(ニュージャージーGK)などは、NHL年間レギュラーシーンで70試合以上、さらにプレーオフでは20試合以上に出場している。NHLで通用するには、多くの試合をこなすスタミナが必要であることはすでに理解していたのだ。実際に北米出身者たちの中には、ジュニア時代から年間70試合にプレーオフというハードスケジュールと、厳しい移動を経験している選手たちも多い。そうした厳しさを体験してきた日系人選手とは異なり、日本で純粋培養されてきた豊にとっては、そういうハードなホッケー社会の波に一刻でも早く晒されることが必要だった。

そして10月後半、ECHLは開幕を迎える。ECHLシャーロット・チェッカーズでトライアウトを受けていた鈴木貴人(FW、現コクド)は、プレシーズンゲームで確実に結果を出し、堂々の開幕ロースター入り。しかもその得点力とスピード、切れのあるプレーを高く買われ、チームのトップラインやパワープレー出場など、チーム主力としての役割を与えられていた。そしてレギュラーシーズン開幕戦vsグリーンヴィル戦では、地元ファンの前でいきなり名刺代わりのハットトリックという、華々しいデビューを見せた。

だが、シンシナティ・サイクロンズの開幕ロースターには、豊の名前はなかった。登録された開幕ロースターには、グレッグ・ヒューイット、マーク・キールクッキという2人のゴーリーの名前のみしか見つからない。さらに不可解なことに、しばらくすると、福藤の名前はサイクロンズの故障者リストに載せられた。コクドに照会したところ、福藤が現地で故障したという事実はないという。これは一体どうしたものだろうか? 

プレシーズンでのサイクロンズは、チーム史上初のヨーロッパツアーという一大イベントを目前に控え、すでに選手選考の段階を終え、開幕ロースター入り選手がほぼ固定した状態だった。GKは前シーズンの2001−02年もサイクロンズに在籍したヒューイットと、サイクロンズの提携先NHLチームであるサンノゼ・シャークスから送られてきたキールクッキの2人で、すでに決定していたのだという。そこにひょっこり日本からの留学生が現れてチームに同行し始めたのだから、チームメートたちにとって豊の存在はよく言えば拍子抜け、悪く言えば場違いでもあった。

そして英語がままならない豊の状況をいいことに、彼を蔑視するジョークを他選手たちが口にし始める。実際のジョークの内容を理解できないにしても、それが自分に向けられた嘲笑であることを、彼は肌で感じ取っていた。ホッケー後進国日本からやってきた留学生なのだから無理もない。言葉は交わさない分、「なんでお前がここにいるの?」というチームメートたちの視線が痛く感じられた。

ただそれで悪びれるような豊ではない。「1つの試合、1回の練習全てがアピールの機会」と捉え、ヨーロッパ遠征で与えられた出場機会ではうまく結果も出した。何ごとも実力主義の北米。この1勝でチームメートやコーチからの信頼を勝ち取れたと、豊は信じていた。しかし事態は好転するどころか、さらに彼の意向とは離れた形へ展開していった。そしてヨーロッパ遠征を終えてシンシナティに戻り、彼は自分が置かれた立場を悟った。住まいとなるアパートは与えられたし、チームがホームにいる時は練習にも参加できる。しかしサイクロンズ側からは、マイナープロであってもプロ選手には欠かせない契約書を交わそうという意志も示されなければ、ロースター入りを争うための正当なチャンスすら与えられていない。つまり豊の立場は「練習生扱い」であったのだ。

出発前、豊はこの留学経験をあくまで「北米挑戦」と位置付けていた。この挑戦で多くのものを吸収し、チャンスがあればどんどん上を目指す、自分のアピールの機会だと考えていた。それだけに、シンシナティ入り後に直面した現実と、自分の思いとのギャップには愕然とした。どこでこうした意識の行き違いが生じたのか、ここでは明言を避けたい。ただ豊の考えと、受け入れるサイクロンズ側の温度差は歴然としていたのは事実だった。

いつになったら試合に出られるのか。その指針すら与えられず、豊は最初の1ヶ月、悶々とした日々を過ごした。並の若者だったら凹んで腐って当然といった環境だったが、彼はその持ち前の強い精神力でかろうじて持ちこたえている状態だった。

胸膨らませてやって来たシンシナティで、思わぬ苦境を強いられている。そんな不本意な状況を取材されたら迷惑ではなかろうか?  正直、著者は取材に出向くのを少し躊躇した。そこで、事前に豊自身の意向を尋ねてみると、彼はきっぱりこう言った。

「取材ですか? 来て下さいよ。そんな状況でも頑張っているところを見てもらいたいんです」

<<今週の福藤豊>>
福藤の所属するECHLレディング・ロイヤルズは、4月7日、8日の連戦にて今季レギュラーシーズンを終了。42勝23敗7OT負けで91ポイントとし、アメリカンカンファレンス・ノースディビジョン3位となった。さきにも報じたように、ノースディビジョンからは5チームがプレーオフに進出し、まずは4位(ジョンズタウン)と5位(トレントン)がベストオブスリーのシリーズが予定されている。そして、その後ロイヤルズは、ディビジョン2位のホイーリング・ネイラーズと4月14日からベストオブファイブのディビジョン準決勝を戦う。

April 11, 2006 09:48 AM

2006年04月04日

初の海外挑戦へ:

日本のアイスホッケー界において、「海外挑戦」というコンセプトは、かなり前からあった。例えば、古くは往年の名センターとして日本代表で活躍した星野好男氏(前・西武ライオンズ球団社長)、元コクド監督の高木邦男氏、さらに現在日本代表GMを務める坂井寿如氏らは、いずれもコクド入社後にカナダ・ブリティッシュコロンビア大学にホッケー留学したことで知られる。

 しかし、時流とともにカナダの大学は純然たるホッケー留学先としては魅力が低下し、それと入れ替わるようにして、若手選手にはカナダやヨーロッパのジュニアチーム、中堅選手には北米マイナーリーグやヨーロッパのチームという線が、留学先としてシフトしてきた。また長野五輪を機に存在を示したNHLの影響もあって、日本国内のプレーでは飽き足らないという選手も現れて来た。日本の実業団チームから海外に期限付で派遣される選手あり、父兄が資金を捻出して息子をカナダの高校へ留学させるというケースあり、はたまた自力で海外のチームのトライアウトを受験する選手ありと、日本人選手の海外挑戦の形態は、近年かなりの多様化を見せている。

2002年夏、そういった環境の下でコクドに所属する2人の選手の海外挑戦が発表された。まずひとりは、コクドでは中核選手として、日本代表でも活躍している鈴木貴人(FW)。スピーディーで機敏なスケーティングと、高いスコアリング能力を有する鈴木は、ECHLシャーロット・チェッカーズのトライアウトを受けることを明かしていた。

鈴木は海外挑戦を決断した理由をこう語った。

「ずっと海外には挑戦したかったし、年齢的にもこれが最後のチャンスかも知れない。世界選手権では高いレベルの試合を経験できるけど、代表入りは年に1度だけ。年に数試合だけでなく、高いレベルでもっと多くの試合をプレーしたいんです」

「日本リーグと世界選手権のホッケーは全く別物なんです。日本ではテンションが低すぎる。長野五輪前のような海外遠征強化も、現状では実現は厳しいですし・・・これでは世界で勝てないです」

鈴木は、コクド入社1年目に海外留学の約束をチームと取り付けていたが、自らのケガもあって実現していなかった。鈴木の能力を必要とするチーム事情を考えると、なかなか「海外に挑戦したい」と言い出せないような周囲の状況もあったのだ。だが自分の中で納得が行かないまま中途半端に日本でのプレーは続けられない。チームと取り交わした約束の紙切れを大事に保管していた鈴木は、心を鬼にしてコクドと直談判し、大きな波風は立てることなく憧れの海外挑戦へと至った。

挑戦先であるチェッカーズのヘッドコーチは、かつて97-98年まで2年間日本製紙クレインズで監督を務めたドン・マッキャダム(現ECHLデイトンGM)。鈴木は東洋大学在籍時からマッキャダム氏とは面識があり、マッキャダム氏も東洋大在学時の鈴木のプレーを目にしていた。日本贔屓でもあるマッキャダム氏の後ろ盾もあり、鈴木が自らの持てる力を存分に出せる環境に出発することは、容易に予想できた。

そして、もうひとりコクドから2002−03年シーズンに海外挑戦することになったのが、福藤豊である。日本アイスホッケー連盟記者発表の資料には、「2002年9月15日から約半年間、ECHLシンシナティ・サイクロンズに移籍」、と記されていた。

「世界のホッケーを目の当たりにして、海外でプレーしたくなった。とにかく上のレベルでプレーしたいんです」

多くの記者が駆けつけた会見の場にて、豊はまず切り出した。

豊のケースは、鈴木の海外挑戦とは異なる類のものであった。まず、会見資料には「移籍」と記されていたものの、その内実はむしろ「ホッケー留学」に近いものであった。かつてNHLタンパベイ創設時に日本人オーナーを招聘したことでも知られるフィル・エスポジトが、オーナーのひとりに名前を列ねるチーム。そんな背景から親日的環境もあり、日本人選手を留学という形で受け入れることには、かねてから積極的な姿勢を見せていた。

留学とあれば経費も必要となる。豊の場合、日本オリンピック委員会(JOC)の「ユースエリートの海外研さん活動」の一環として、豊が五輪強化選手と認定を受けたことで、日本体育・学校健康センターの「平成14年度スポーツ振興基金助成金」から海外挑戦経費が交付されることになった。その経費360万円は、文部科学省管轄の「サッカーくじ」の収益金から賄われた。

豊の移籍については、2002年世界選手権閉幕後に日本アイスホッケー連盟からコクドに打診があった。コクド側としては、移籍を許すことになれば実質戦力ダウンになるし、送り出したくないというのが本音。しかし「福藤は何年に1人の逸材で将来性の高い選手。2006年トリノ五輪出場のためにも、実力を付けて帰ってきて欲しい(コクド・高木前監督)」というチームスタッフの理解には、日本アイスホッケー界全体を見渡す親心も込められていた。

「向こうは全てプロ。技術面はもちろん日常生活も含めたプロ意識を学びたい。アメリカに行くのは初めてだが、生活面での不安はない。来年、再来年も北米でプレーできるように、自分の持っている力をしっかりアピールしたい」

自らの抱負を、豊は穏やかながらも決意に満ちた表情で語った。

9月12日に記者会見を終えた豊は、9月15日には渡米しニューヨークで調整。そしてプレシーズンをオーストリア・イタリアで迎えるサイクロンズに帯同し、24日からヨーロッパに旅立っていった。

<<今週の福藤豊>>
現地3月28日付で、福藤がECHL週間最優秀ゴーリーに選ばれたというニュースが入った矢先、また福藤に不幸が襲う。ケガ人、昇格選手などの影響で、またGKを除くプレーヤーが13人と減って苦しい中、ディビジョン最下位でプレーオフ不出場が決定済のデイトン・ボンバーズと4月1日アウェイで対戦。そして福藤は第1ピリオド中盤に脚を故障して途中交代となり、ケガの具合が心配されている。ロイヤルズは4月7日vsデイトン戦、4月8日@トレントン戦の2試合で今季レギュラーシーズンを終了。ロイヤルズはすでにプレーオフ進出を決めており、その後はプレーオフシーズンに突入する。

<<ECHLプレーオフのフォーマット>>
現在25チームが加盟しているECHLでは、30チームが属するNHLとは異なり、変則的なプレーオフフォーマットを採用している。
25チームはナショナルカンファレンス(11チーム、西部から西海岸)、アメリカンカンファレンス(14チーム、東海岸から中西部)に分けられている。
ナショナルカンファレンスはさらにパシフィック(5チーム)、ウエスト(6チーム)の各ディビジョンに分かれ、プレーオフには各ディビジョン4チームが進出。ディビジョン別に準決勝、決勝をベストオブセブン方式で戦った後、カンファレンス決勝を同じくベストオブセブンで戦う。
一方、ナショナルカンファレンスよりチーム数で3つ多いアメリカンカンファレンスでは、プレーオフフォーマットが異なる。ナショナルカンファレンスは、ノース(6チーム)、サウス(8チーム)の各ディビジョンに分けられ、福藤の所属するレディング・ロイヤルズはノースディビジョンに属する。ノースディビジョンでは、6チーム中、5チームがプレーオフ進出。まずはディビジョン準々決勝として5位(トレントン)と4位(ジョンズタウン)がベストオブスリー方式で戦う。その後、ディビジョン準決勝、決勝がベストオブファイブ方式で戦われる。
またサウスディビジョンでは8チーム中6チームがプレーオフ進出。まずは3位vs6位、4位vs5位でディビジョン準々決勝がベストオブスリー方式で戦われる。その後ディビジョン準決勝、決勝は、ノースディビジョン同様にベストオブファイル方式、そしてアメリカンカンファレンス決勝は、ナショナルカンファレンス同様にベストオブセブン方式で戦われる。
そして両カンファレンスから勝ち上がったチームが出揃った後は、ECHLの優勝チームを決する「ケリーカップ決勝」が、ベストオブセブン方式で戦われる。4月10日にプレーオフは開幕し、福藤選手の所属するレディングが出場するディビジョン準決勝は4月14〜23日、ケリーカップ決勝は5月22日〜6月3日の予定。

April 4, 2006 10:33 AM