2006年03月07日

レディングでの孤軍奮闘と故障

2005年12月24日。よりによってクリスマスイブに、福藤豊はAHLマンチェスターからECHLレディングへの降格を言い渡された。クリスマスイブは、マンチェスターからレディングへの移動日となり、翌日のクリスマスはレディング・ロイヤルズ再合流後初練習を夜に実施。翌26日午前には、ロード先となる西海岸へ移動と、気ぜわしい毎日が続いた。

西海岸のロードでは、今季からエクスパンションチームとして加盟したストックトンとの対戦もあり、ロイヤルズとしてはここで一気に大きく貯金を稼ぎたいところだった。それまでのチーム事情としては、ディビジョントップを争うまずまずの出来。AHL昇格時にはわずか2試合しか出場できなかった福藤としては、ECHL降格後、多くの仕事を与えられるのは望むところであった。ロイヤルズのカール・テイラーコーチも、そんな福藤に十分な機会を与えた。西海岸遠征から戻ってきた1月初旬には、福藤はECHL降格後4連勝と好調を維持していた。

しかし、その頃からすでにロイヤルズの陣容はかなり怪しくなっていた。まずは12月29日、それまでチームの主力FWとして活躍していたマイク・パンドルフォが、いきなりドイツリーグのチームとの契約を発表。シーズン半ばにしてロイヤルズを離れることになった。さらに追い打ちをかけるように、1軍のNHLロサンゼルス・キングズの故障者続出状況から、2軍AHLマンチェスターが選手不足となり、そのしわ寄せが3軍ECHLロイヤルズにも襲って来た。結果、ロイヤルズは深刻な選手不足に陥ったのだ。

東海岸に戻っての1月6日、ジョンズタウンでの試合前に、ロイヤルズは慌てて3人の選手と契約して人員を補充した。それでも、GKを除くスケーターはわずか13人しかいない。その上、1番手を争うGKコディ・ルドカウスキは、1月5日にAHLブリッジポートへのレンタルが決まった。よって福藤は、大きく戦力ダウンしたチームで今後しばらくの間、たったひとりでロイヤルズのゴールを背負うことになったのだ。

その後もロイヤルズは、急場しのぎに選手を補充した。そうして雇われた選手の中には、30歳の地元レディング出身弁護士や、過去2年プロ生活から離れていた選手なども含まれていた。チームの惨状に、地元ロイヤルズファンは「今のロイヤルズの試合は、お金を払って見るのに値しない」と、地元新聞に猛抗議をしていたほどだ。

ちょうどこの頃、福藤は腰の故障を抱えており、決して本調子でなかった。1月10日、久々に地元に戻っての試合では、強力オフェンス陣を擁するウイーリング・ネイラーズ相手に1-5と惨敗。5人の新顔選手、4人のプロ廃業リサイクル選手、レギュラーは10人故障中という窮状の中、地元ファンの前で福藤は5失点し、敗戦GKとなった。だが、ロイヤルズのカール・テイラーコーチは、試合後即座に福藤の立場を擁護した。

「フクを責める理由は全くない。ひどいのはウチの守りだ。素晴らしいGKを、我々が見殺しにしたんだ。もし私が彼の立場だったら、今頃ロッカールームで大荒れになってるだろう。サポートもなにもあったもんじゃない」。

地元紙「レディングイーグル」は、そんな福藤の孤軍奮闘ぶりを特集記事で伝えた。記事の中で、ロイヤルズのキャプテン、クリス・バラは、福藤についてこう語っている。

「彼の存在があるから、ウチの選手たちは落ち着いていられるんだ。彼のホッケーに対する姿勢が、彼のプレーに表れているだろう? あのプレーがあるから、僕たちもやる気になれる。彼のために頑張ろうと思えるんだ」。

テイラーコーチは、その記事の中でこう締めくくっている。

「キングズが彼をドラフトした理由を、彼は自分のプレーで証明していると思う。素晴らしい期待の若手選手だ。予定通りに育っていると思うよ」。

その後も、福藤の孤軍奮闘は続いた。1月20日、またもやウイーリングとの対戦では、第2ピリオドまでに4失点し、第3ピリオドでは交代を命じられたことも。チームの事情はどうであれ、福藤はこの悔しさを心に刻み付けた。一見勝てない相手との試合でも、少しでも勝てるチャンスをチームにもたらしたい。僅差であれば、勝利に結びつけたい。あくまでこだわるのは、チームの勝利だ。

しかしその一方で、自分の防御率やセーブ率は、チーム事情と合わせてこの頃急降下を始めた。いったんは9割2分を超えたセーブ率が、9割ぎりぎりまで落ち込んだのもこの時期だ。

当時を振り返り、福藤は言う。

「チームは僕を必要としていたし、チームメートたちも僕に進んで声をかけてくれたんです。チーム自体がボロボロで、辛い時期だったのは確かでしたけどね。テイラーコーチからは『スタッツは気にするなよ』と言われました。数字よりも、自分の働きを評価してくれたんです」。

ただし、福藤はまた試練に襲われた。とあるホームゲームの最中に、氷の悪いところにスケートを取られて、右足首を捻挫してしまったのだ。日本の基準でいえば、しばらく欠場するほどの故障だったと福藤は振り返る。しかし、ロイヤルズにはもうひとりGKと契約していたが、プロとしての経験はほとんど皆無である。チームが頼りにしているのは自分だけ、という立場を痛いほど理解していた。

結局、ルドカウスキがAHLから戻った2月5日までの13試合を連続出場。自身の故障に、苦しいチーム事情もあったが、この13試合を7勝5敗1OT負けという数字で乗り切った。この期間になんとか持ちこたえたロイヤルズは、メンバーが戻り始めた2月後半にスパートを掛け、3月4日に早々とプレーオフ進出を決めた。

今季レギュラーシーズン16試合を残しての余裕のプレーオフ進出。しかしその場面でロイヤルズのゴールを守っていたのは、ルドカウスキの方だった。福藤は、いったん回復していた右足首を再負傷していたのだ。

March 7, 2006 11:38 AM