2006年03月28日
コクド入社1年目
2001年4月、福藤豊はコクドに入社した。高校時代に日本代表入りを果たした豊は、その頃すでに日本国内のメディアから「ゴールデンルーキー」としてかなり注目されていた。
コクドといえば、傘下にプリンスホテルやゴルフ場などのスポーツ施設を抱える大企業として知られている。ホッケー選手といえども、シーズンオフには会社の一社員として、系列のホテルやゴルフ場などに配属されて実際に仕事を任されるというのが実情だ。
入社1年目の豊の配属先は、軽井沢プリンスホテルだった。ここで研修も兼ねて、豊は客室のベットメーキングをする仕事を担当した。
「速く仕上げるのが、結構大変でした。1日6人ぐらいのグループになって、15室ぐらいこなすんです。 今なら僕ひとりでも、1部屋20分あればできますよ」。
その軽井沢での仕事を終え、コクド1年目の暮らしの基盤となったのは、なんと東京の原宿であった。当時のコクドの選手寮は、原宿駅・明治神宮口至近のコクド本社(現在は所沢に移転)の真裏に位置していたのだった。ここから選手たちは、当時コクドが本拠地としていた新横浜のアリーナまで、電車で通勤するという生活を送っていたのである。
元々ヒップホップなどの音楽好きでもあり、洒落ものでもある豊にとっては、高校時代のあこがれのショップが自分の住まいの間近にあるという、願ったり叶ったりの状況でもあった。入社当初の豊は「趣味はファッションです」と、明言してはばからなかった。そういえば、渋めのファッションはもちろんのこと、男性では着こなすのが難しいピンクを、ポップにサラリと着こなしてしまうセンスを身につけている。彼の人並み外れたルックスの良さと、そのキャラクターが後押ししていることは間違いない。しかしこの時期に、ホッケーとともに、ファッション感覚もかなり研さんされたのではないだろうか。
しかし、コクド・アイスホッケー部での生活は、ファッションだけにうつつを抜かしていられるような甘いものでは到底なかった。いいシュートが飛んで来ても、身体が動かずにうまく反応できない。厳しいチームの練習には、付いて行くのがやっと。そんな自分に気づいた豊は、生活態度を改めることから着手した。
「練習はキツかったけど、楽しかった。高校時代とのレベルの差は感じましたが、 いいシュートが飛んで来る分、楽しめていました」。
とはいえ、シーズン序盤の「ゴールデンルーキー」は、やや波のある出足だった。日本リーグのレギュラーシーズン開幕前の練習試合では、あまりいいところを見せられず、納得いかない失点の連続であった。しかし本拠地新横浜での初披露となった9月22日、日光アイスバックスとのプレシーズンマッチで、その大器ぶりをちらつかせる活躍を見せる。第2ピリオド途中から出場し、10本のシュートを全てセーブ。 さらにこの試合の特別ルールにより実施された両チーム3人ずつのペナルティーショット合戦では、 安定感のある守りで完全に相手のシュートコースを消し、パーフェクトに抑える見せ場を作った。
「先日の練習試合はボロボロだったから、今日は止めてやろうかなと思ってました。 今日はお客さんが多かったので緊張したけど、お客さんが多いほど僕は乗れる方なんです。 プレーしながら、音楽に合わせて口笛とか吹いてましたよ」。
この新横浜での試合に、豊はスキンヘッドに近い丸刈りで登場した。浅黒い顔、大柄の体も相まって、ホッケー選手というよりはむしろバスケットボール選手に近い雰囲気を持っていた。そして、豊のゴーリー防具も彼らしい主張を見せていた。ゴーリーマスクやパッドは、他のゴーリーのような鮮やかなデザインは一切入れず、 すべてチームカラーであるロイヤルブルーのベタ塗り。実業団1年目ゆえに「シンプル・イズ・ベスト」を実践しようという狙いではあったが、それをサイズのある豊が身につけるとひと際人目をひく。それは、冷静かつ真摯な一方で、大胆不敵でもある、豊のキャラクターの発露のようにも見えた。
日本リーグデビュー戦は、01年11月14日新横浜での対アイスバックス戦。日本リーグが開幕して6戦目でのことだ。コクドとしては格下相手に初先発した豊は、第1ピリオドこそ8本のシュートをパーフェクトに押さえたものの、その後5失点して敗戦ゴーリーに。まずは苦い実業団での洗礼を受けた。
しかし持ち前の順応力の高さが、ここでもモノを言った。実際に大量失点した試合でも多くのケースは「福藤のせいではなかった」とチーム関係者は証言していた。それを証明するかのように、その後安定したプレーを続けて着実に自らをステップアップしていた。また出番がない試合では、コクド入りの決め手となった存在であり、大先輩ゴーリーである岩崎伸一のプレーをじっと見つめ、吸収して学ぶことを心がけた。
「岩崎さんのプレーですか? シュートの止め方はもちろん、どんな時にも慌てることなく、落ち着いてプレーできる冷静さ。 構えとかポジション取りとか…いろいろ参考になります」。
このシーズンの年末から02年年始にかけて、豊は世界ジュニア選手権U20ディビジョン2大会のメンバーに選ばれ、クロアチアに赴いた。U20代表として選ばれるのは彼にとっては最後の大会。前年のリトアニアでの同大会では、出場ゴーリーとして最高のセーブ率(.915)をマークしたものの、スロベニアと戦った決勝では自らのキャッチングミスからの失点が、相手の決勝ゴールに。ディビジョン1への昇格を逃す、という苦い経験も味わっていた。それだけに、このクロアチアでの大会に賭けていたものは大きかった。
参加8チームが2つのブロックに分かれ、まずは予選総当たり戦を実施。ここで日本はクロアチア、ハンガリー、リトアニアに3連勝し、他ブロックの勝者を待った。強豪ラトビアが勝ち上がってくるかと予想していたチームスタッフだったが、実際に決勝に進出してきたのは、デンマークであった。
デンマークの戦略には、シニア代表からジュニアを通して独特のスタイルがある。ゴール裏からパックを回して、ゴール前かバックドアにパスを供給。そこでフリーになった選手がワンタイマー(ノートラップ)でパックをゴールに叩き込む、というのが、ひとつの攻撃パターンであることを、相沢浩二監督、信田憲司コーチ、高橋文洋コーチのコーチ陣は、すでに見抜いていた。
そこで決勝に備えたチーム練習では、高橋コーチがバックドアでワンタイムシュートをバンバンたたき、これを豊が守るという特練が実施された。この練習が実ったこともあり、迎えたデンマークとの決勝戦で、豊はデンマークのシュートを止めまくった。結果は5-2で勝利。日本は、ディビジョン1への昇格を果たしたのだ。豊が残したセーブ率.928という数字は、出場ゴーリー中で断トツの1位。文句なしで大会のベストゴーリーに選出された。
「高校時代と比べると、この頃の福藤はスタミナ面ではるかに進歩していましたよ。それにあの順応力の高さには驚きました。前日にいきなり相手の戦略を言い渡されて、1日の練習だけであれだけ対応できるのですから。こうした能力も彼の大きな魅力のひとつです」(信田氏)。
シーズン当初には、ぽってりしていた顔つきも、この頃には余分な脂肪が削ぎ落とされたものへと変貌していた。体重にして9キロ減、体脂肪率は6%前半へと、身体を締めることに成功したのだ。
「高校時代の体重は、かなり脂肪によるものが大きかったんです。スナック菓子とかもよく食べてましたからね。でも、コクドに入ったら、全然動けない自分がいた。これではダメだと自覚したんです。それからはトレーニングでウエートを絞りました」。
ウエートコントロールにより、持ち前の敏しょう性がさらにアップし、プレーに切れが増した豊。シーズンが終わってみれば、日本リーグ・レギュラーシーズンでは13試合に出場。岩崎の稼働を軽減することに貢献したどころか、シーズン終了時のセーブ率は.914と、岩崎の.900を上回っていた。
<<今週の福藤豊>>
足首の故障も癒えて、3月25日地元レディングでのvsトレントン戦では、今季最多の50本のシュートを止める大活躍でチームを3-1と勝利に導き、試合のファーストスターに選ばれた。ロイヤルズのカール・テイラーコーチは「今季福藤の中で最高の出来」と絶讃。故障から復帰後3試合では、118本のシュートをわずか4失点に抑える素晴らしい出来(ここ3試合でのセーブ率は.966)。今季全体のセーブ率でも.921とアップし、同僚ゴーリーのコディ・ルドカウスキ(.919)を遂に逆転。レギュラーシーズン残り5試合において、プレーオフに向けて、2人の1番手争いが注目される。
March 28, 2006 10:17 AM
