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2005年12月27日

景雲中学へ越境入学:

 FWからGKへ転向し、最初はそれが嫌だった福藤豊だが、じきにGKとしての仕事の面白さを覚えるようになった。そして、さらにのめり込んで行く。折れたゴーリースティックをテープで直しての出発だったが、それから豊はゴーリー一筋にプレーしてきた。

 母エミさんはこう証言する。

 「お父さんが送り迎えをしていることもあって、私たち夫婦もホッケーをちょくちょく見に行くようになりました。そしてどんどんホッケーにハマっていったんです。しばらくして、お父さんが『あのスティックのままじゃ、かわいそうだ』と言い出した。そこで初めてスティックを買ってやったんです。豊はもうすごい喜びようでした。家計をやりくりして買ってやったスティックですが、すごく喜んでくれて…こちらが見ていて涙が出てくるほど、毎日頑張って練習していたんです」。

 豊自身も、すでにこの頃にはホッケーがいかに自分の生活の大部分を占めているのか、実感するようになった。そして、小学1年のころからずっと続けていたサッカーを辞めることを決断した。小学校5年のころだ。

 「気持ちはもうホッケーに傾いていましたから。サッカーの練習に加え、小学校でのホッケー同好会と、大進でのクラブチームのホッケーと、スケジュールが一杯になってもいたんです。サッカーでもGKをやっていたんですが、ホッケーのキーパーの動きに何となくなってしまう自分にも気がついたんです。手でボールを抑えるべき場面で、足でクリアしてしまったりと(笑い)。サッカーでは釧路選抜に選ばれてもいたんですが、それを蹴ってホッケーに集中することにしました」。

 ただ、豊の通っていた美原小学校は、彼が5年のころこそ全道大会出場を果たしたものの、強豪ひしめく釧路市内ではあまり強いチームではなかった。そこで豊が取った行動は、「ホッケーやりたい」に続く、両親への訴え第2弾、「強豪の景雲中学に越境入学したい」であった。

 当時の福藤家が住む市営住宅は、小学校は美原小学校、中学校は美原中学校の学区に位置していた。だが、豊は釧路市内でも強豪の中学校として知られていた隣町の中学校、景雲中学に強いあこがれを抱いていたのだ。当時の景雲中学には、現在もアジアリーグで活躍する選手たち(内山朋彦=コクド、酒井隆行、原武大輔、任田大泰=いずれも日本製紙、斎藤毅=王子製紙))らが顔を揃えていた。

 美原中が弱かったというわけではない。豊より1年年長の松田圭介(日光アイスバックス)の世代は選手も揃っており、美原中も景雲中と互角にわたり合うほどの強さを誇っていた。

 スピードスケートからホッケーに小学4年で移行したという、身長170センチの松田は、「僕が6年生のころは、福藤と同じくらいの身長だったんですけどね」とテレ笑いする。この松田が6年、豊が5年の時、美原小学校は当時、全く勝てなかった芦野小に市内大会で勝利。全道大会まで出場していた。ゆえに松田は「小学校時代のみんなと一緒にホッケーを続けたい」という気持ちで、そのまま同じ学区の美原中学校に進学していた。

 だが、豊の気持ちは決まっていた。

 「景雲の強さはあこがれでした。いろんな地区から選手が集まって強いチームを作っているというのにも、惹かれたことは確かですが、新しい環境に身を置きたいという気持ちもあったんです」。

 日本随一のホッケーどころである釧路においては、中学の越境入学は珍しくない。現在アジアリーグで活躍する選手を見ても、佐藤剛(元日光バックス)、佐藤翔(コクド)の兄弟は鳥取地区出身、斎藤毅、斎藤哲也(ともに王子製紙)兄弟は北地区出身、さらに小原大輔(コクド)は美原学区出身だったが、いずれも越境して景雲中学に通っていた。

 小原の「越境入学」のエピソードはいささか涙ぐましいものがある。そもそも小原が小学2年の時に、美原小と愛国小というマンモス校から半分ずつ生徒が分けられ、芦野小が新設された。小原はその芦野小を卒業し、中学校は本来なら美原中に行くべきところを、親戚に住所を借りて越境入学の手続きを整え、ホッケーの強い景雲中へ進むことを決めた。

 ただ、問題は通学にあった。美原中なら徒歩10分という距離にあるのだが、景雲中に通うには厳寒の中、片道50分かけて歩かねばならない。さらに景雲中は、当時から「駒大苫小牧高校(注:ホッケーの名門校。陸トレの厳しさでも知られる)並に陸トレが厳しい」との評判だったから、まだ幼い小原の身体には実にこたえたそうだ。

 さて、豊が景雲中への越境入学を希望表明した後は、福藤家ではエミさんがなんとか可愛い末っ子の願いを叶えようといろいろ秘策を練っていた。

 エミさんはまず、同じ市営住宅の5階に住んでいた原武大輔の母に相談をもちかけた。原武も同様にして、美原学区から景雲中学に通っていた越境組だったのだ。福藤家の真上に住まいを構えていた原武家とは、まさに「スープがさめない距離でのおつきあい」だったそうだ。

 エミさんは当時をこう振り返る。

 「大ちゃんのお母さんには、本当にいろいろお世話になっていたんです。『豊が景雲に行きたがっている』と話すと、景雲中学に通うために借りる住所の準備までしてくださったんです。なので、入学の準備はすでに整ってはいたのです」。
 
 しかし、福藤家にはもうひとつ問題があった。父政吉さんが豊が小学6年時に大動脈破裂で入院するという事情があったのだ。

 「お父さんは病気のせいで、市営住宅の4階まで上がってくるのは大変でした。また豊もホッケーの朝練で忙しくなるだろうし、ということで、結局引っ越し先を探したんです。いろいろ探したところ、ちょうど今の物件が空いていたんです」。

 現在の福藤家の住まいは、景雲中学からほど近い、徒歩5分、走れば3分ほどのところにある。以前の市営住宅よりはやや手狭になっても、誰ひとり文句を言うものはいなかったが、一家の大黒柱の政吉さんが倒れて苦難の時期だった。エミさんは続ける。

 「お父さんが倒れたこともあって、豊の中学時代が一番大変でした。私が毎日病院まで通わなければいけなかったので、当時札幌の会社に就職していた政幸(2番目の兄)を、会社の社長さんに頼んで釧路に返してもらったんです。以来、政幸は豊の朝練とか、私の病院までの送り迎えとかを、よくやってくれていました。それに、豊の送り迎えでは、他のお母さん方にもよくお世話になっていました。豊が今あるのは、政幸やみなさんのお陰でもあるんです」。
 
 そうして入学にこぎつけた。入学式ではモヒカン調の長髪を、担任の浦辺先生に指摘され一喝されるというハプニングもあったが、ホッケー部に入部後は当たり前のように丸刈りにした。

 ホッケー部での練習の厳しさは評判通りだった。陸トレではまず、学校の外周(約600メートル)を10周、その後10メートルのシャトルラン、トラック1周タイム測定と続き、腕立て伏せ、腹筋と続く容赦ないものだった。豊がここで与えられた背番号は22。景雲中学では、GKは1番か22番と決まっていて、豊はもうひとりのGKとのじゃんけんに負け、22番となった。22は、現在の背番号44の半分の数でもあり、不思議な縁を感じさせる。

 中学時代から長身と身体の柔軟性、敏しょう性を武器に2年生からゴールを守っていたが、中学時代を通して釧路選抜に選ばれることはなかった。有望選手がひしめく釧路ではまだ存在が「ダイヤモンドの原石」状態で、それほど際立ってはいなかったという理由もあるが、日本有数のホッケー処の釧路だけに諸々の政治的事情もあったのではと指摘する声もある。

 いずれにしても、やや埋もれた存在だった豊が、多くのホッケー関係者から注目を浴びる晴れ舞台が、中学3年生の冬に訪れた。全国中学生大会決勝のときである。

<今週の福藤豊>
 12月24日、AHLマンチェスターからECHLレディングに降格。当初から「昇格は5週間程度」と言い渡されていたので、予定通りの動きである。ただこの5週間のうちに、マンチェスターでの1番手GKアダム・ハウザーの好調もあってか、試合出場が2回に留まったのは不本意だろう。今後は最低あと1回、AHLマンチェスターへの昇格が約束されている。ECHLレディングでは、クリスマス休暇明けに27日からカリフォルニア州で5日で4試合を予定しており、これに福藤の出場が期待される。

December 27, 2005 09:15 AM

2005年12月20日

2試合目で得たものは?:

12月4日。「発達した低気圧のせいで、大荒れになる」との天気予報が的中。マンチェスターは一面の銀世界だった。

とはいえ、地元の人々はこうした気候に特に驚いた様子はない。交通手段に影響が出ることもなく、予定通りモナークスの選手たちは正午にアリーナをバスで出発した。午後4時からのポートランドでの試合に移動するためだ。

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ポートランドはマンチェスターから車で2時間弱のところにある。海沿いの街らしく、アリーナが近づくにつれて出会うカモメたちの数が増える。寒さには大した変わりはないが、少々内陸に入り込んだマンチェスターとは異なり、暖流の影響なのか雪はほとんど見当たらなくなった。

AHLポートランド・パイレーツの本拠地「カンバーランドカウンティ・シヴィックセンター」は、70年代の遺物と表現されそうな建造物だ。コンクリートの塊という外観に、アリーナの内部も暗くて古めかしい。チケット売り場にしても、チームグッズショップにしても、鉄骨がむき出しの低い天井にしても、とにかくレトロな風景がそこらじゅうで見受けられる。それなりに趣きを有する佇まいではあるが、すでに新しいアリーナ建設を求める声も地元では高まっているという。

パイレーツは、NHLアナハイム・マイティダックスのトップファームにあたるチームである。NHLでもロサンゼルスとアナハイムは隣町の関係だが、ここでもマンチェスターとポートランドと、比較的近い距離で同ディビジョン同士ライバル関係が成立している。この日の試合も、ディビジョン1位のモナークスと2位のパイレーツの激突という好カードになっていた。

パイレーツには、今季序盤は1軍に昇格していた若手有望選手、ライアン・ゲツラフ、コーリー・ペリーの大型FW2人が降格しており、スコアリングで期待できる状態。逆にモナークスは、チームのポイント稼ぎ頭であるジェフ・タンベリニ、ジェフ・ジュリアーノが、1軍に昇格して不在だけに、やや厳しいというのが現状である。1軍の状況に合わせ、戦力がいろんな面で左右されるというのが、マイナーチームの実態でもあるのだ。

福藤にとって、パイレーツはなにかと因縁のあるチームだ。

現在パイレ−ツのゴールを1番手GKとして守っているのが、ネイサン・マースターズ。かつてはキングズの支配下でプレーするのではないかと予想されていた選手である。実際のところ、福藤がドラフトされた直後に参加した2004年夏の若手キャンプ序盤では、キングズ首脳は福藤選手よりもこのマースターズの方を高く評価していた。キングズのデイブ・テイラーGMに至っては、「ウチはおそらくマースターズと契約に至るだろう」と、その構想を明かしてもいた。

ところが、この若手キャンプが進むにつれ、福藤がメキメキ頭角を現した。ホッケー後進国の日本からドラフトされたルーキーは、キングズ首脳陣の視線を釘付けにすることに成功。そして同年9月、マンチェスターのトレーニングキャンプにおいて、キングズは「マースターズよりも福藤」の方針を打ち出すに至ったのである。そして福藤は、キングズ支配下選手として、ECHLベイカーズフィールドに配属された。

一方、キングズ支配下から外されたマースターズは、その後ECHLルイジアナと契約。福藤が序盤なかなかベイカーズフィールドで出番を貰えなかったシーズン前半、マースターズはキングズと契約に至れなかった悔しさからか、素晴らしいプレーを続け、ECHLオールスターゲームにも選ばれるほどの活躍を見せていた。だが、前半戦に酷使されたせいだろうか、中盤から大きく失速するという形でシーズンを終えていた。

だが、それだけで終わるマースターズではなかった。2005年9月にはアナハイムのトレーニングキャンプにトライアウトとして参加。そしてそのトップファームであるAHLポートランド・パイレーツの仕事を得ることに成功したのだ。パイレーツでは、この日まですでに12試合出場、8勝3敗、セーブ率.920と、好成績を収めている。パイレーツは前日の試合でもう1人のGKグレッグ・ノーメンコ(福藤とはECHLシンシナティ時代に一緒にプレーした仲)を出場させており、この日の試合ではマースターズを出場させてくることは容易に予測できた。

プレスボックスには、モナークスGMであり、キングズのアシスタントGMであるケヴィン・ギルモアも目を光らせている。マースターズにとっては、自分を見限ったチームに対するリベンジを込めた試合になるだろう。また福藤にとっては、キングズがマースターズよりも自分を選んでくれた決断が正しいものであったと、改めてキングズ首脳陣に確信させたい。そしてなによりも、モナークスのチームメートやコーチ陣から早く信頼を勝ち取りたい。試合前の福藤にはそんな緊張感が漂っていた。

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第1ピリオド。のっけから両チームとも、エンドからエンドへの速い展開での攻撃が続く。福藤が好セーブを見せると、マースターズも負けじとパックに食らいつく。地元ポートランドのファンは、マースターズが好セーブを見せるたびに、誇らし気に「We have Marsters」の合唱を始める。すでに、マースターズの存在はポートランドのファンの心を捉えつつあることがうかがえる。

試合が動いたのは、第1ピリオド16分49秒。パイレーツは4人対3人のパワープレーのチャンスに、福藤が守るゴールマウス付近に激しい攻撃を仕掛けた。至近距離からのシュートが福藤の右脇を襲う。身体に当たって転がったパックをすかさず押し込まれて、パイレーツが先制した。

しかしその後すぐモナークスも取り返す。18分27秒、ゴールを奪ったのは、福藤と同じECHLベイカーズフィールドの卒業生、コナー・ジェイムズだった。そして第1ピリオドは1−1のまま終了。シュート数はポートランドが16本にモナークスが15本と、かなり攻撃的なピリオドであった。

第2ピリオド、福藤は序盤から失点した。2分51秒、今度は右サークル付近から、モナークスDF1人を抜いてゴール前にスライドしてきたペリーに打たれ、ファイブホール(股間)を抜かれて1−2とされた。福藤の前には仲良しのチームメート、DFリチャード・ペティオがスクリーンになっていた。モナークスのDF陣は、ペティオをはじめかなりサイズに恵まれた選手が多い。しっかり守ってくれる時には頼りにもなるが、GKにとっては逆にこのサイズが大きな障害物にもなる。小柄な選手の多い日本でプレーしていては遭遇できないそうした場面にうまく対応することも、北米で生き抜くためには絶対に必要なのだ。

モナークスも追い上げる。ピーター・カンコからブラッド・スミスへと渡り、最後は体勢を崩したマースターズの上方にスミスがパックを浮かせて、 2−2の同点に。この頃から、終盤に備えて、プレーがブレイクする度に福藤はマメにストレッチを繰り返すようになった。今年9月のサンノゼでのルーキートーナメントでは、試合序盤に多くのシュートを受けたためか、終盤に左膝が痙攣を起こすという事態に見舞われたことへの反省もある。福藤のこの動きに促されるように、逆エンドを守るマースターズも同様の動作を始める。

その後両チームとも攻撃は仕掛けるものの、決定的な場面は訪れず。試合はOT突入かと思われた。だが、第3ピリオド残り時間わずかの場面で、モナークスのキャプテンDFリチャード・シーリーが、乗りに乗っている相手のスコアラー、ペリーに痛恨のターンオーバー。このペリーからティム・ブレントに渡り、最後はブレントが右フェイスオフサークル付近から角度の鋭いシュートを放ち、これが福藤のブロッカーサイド下を破った。

このシュートが入ったのとほぼ同時に、試合終了のホーンが会場に鳴り響いた。地元ポートランドのファンたちは、劇的なブザービーターが決まったと確信し、すでにお祝いモードに入っている。福藤はゴールを決められたことへの落胆から、ゴールクリーズ内にしばらく座り込んでいた。

その時、モナークスベンチから、ヘッドコーチのジム・ヒューズが氷上に飛び降り、抗議を始めた。激しいジェスチャーといきり立った表情でレフェリーに詰め寄っていたのが、遠目から見ても明らかだった。立ち上がって呆然と事の次第を見つめる福藤。チームメートたちも「まだ試合終了じゃない」といいたげに、リンクを去ろうとしない。

いったんは諦めからかリンクを降りたヒューズコーチだが、ジャケットを脱いだ姿で再び氷上に現れた。レフェリーがゴールを改めて宣告すると、納得いかないヒューズコーチはさらに怒りを露にして食い下がった。一方、ゴールの宣告がもはや覆されないことを悟ったチームメートたちは、ロッカールームに三々五々引き上げて行く。唯一、ロシア出身DFグルベシュコフだけが、福藤の元に労をねぎらいにやってきた。

逆エンドから、勝利GKとなったマースターズもやってきて、福藤を肩をぽんと叩いて行った。北米プロスポーツにおいて、勝者と敗者に明暗がくっきりついたこうした場面では、往々にして勝者が敗者を讃える余裕を見せることがある。スポーツマンシップの一環と言えばそれまでだが、敗者にとってはそれが悔しさを倍増させることもある。福藤の場合も同様だった。

そのマースターズは、試合のファーストスターに選ばれた。一方、負けはしたものの、福藤はこの日の35セーブという出来を評価されて、セカンドスターに選ばれた。

試合後、キングズGKコンサルタントのアンディ・ノーウィッキは、この日の福藤についてこう語っていた。
「両チームによるハードなバトルだった。エンドトゥエンドの攻防から多くのシュートがあったし、両チームのGKが試合のファーストスター、セカンドスターに選ばれたのは当然。福藤はよく働いてくれた。タイムリーなセーブで我々に勝てるチャンスを与えてくれていた。残念ながらスコアでは負けたが、チームと一丸となってプレーする姿勢には成果があった」
「取られた失点は全て厳しい状況だった。今日は負け試合だったが、彼にはいい評価をやるべきだと思っている」

前日のノーウィッキとの練習では、冴えないところを見せてしまった福藤。その不甲斐なさは、この日の出来で払拭できたのだろうか?
「彼がちゃんと今日仕事をしてくれることは疑っていなかった。過去の彼の戦績がそれを証明している。予想通りいい仕事をしてくれたと言っていいだろう」

通常の北米のアリーナでは、残り10秒を切った後は10分の1秒刻みで時間を表示する。だが、ここポートランドでは、古いアリーナゆえにそうした設備が整っていなかったのも、福藤とモナークスにとっては不運ではあった。

試合後、ヒューズコーチは抗議の内容をこう説明していた。
「(ゴールが決まった時に)すでに時計は止まっていたと思う。自分は試合ではなくって残り時間を見ていたんだが、時計が止まったのをオレはこの目で見たんだ。残り3秒から2秒になって、その後止まった。間違いかも知れないが、オレはそう見た。だから怒ったんだ。ウチの選手たちはよくやっていたし、あんな結末じゃあひどすぎる」

そしてヒューズコーチは、憤然と続けた。
「福藤があれだけいいプレーをしていたし、あれがゴールと宣告されたらたまらない。彼のためにも、あれはゴールであってはならない。だからオレは断然抗議したんだ」
「彼は素晴らしいプレーをしていた。いい仕事をしてくれた。今日の出来は誇りに思っていい」
「ホッケーは万国共通だ。彼はいい仕事をしている。DFとのコミュニケーションもいい。今日よりもいい結末がふさわしいプレーだった。素晴らしい仕事をしてくれた」

着替えを終えて、ロッカールームの外に出て来た福藤の表情は、意外にもサバサバしていた。
「こういう試合もあるし、この反省を次に繋げないといけない。負け方が負け方なんでかなり悔しいですけど・・・最後のは、止めなきゃいけないシュートだった。DFにもクリアしてくれと指示したんですが、あそこでカットされてしまった。シュートはちゃんと見えていましたが、その選手がいるのに気づくのが遅れた。速いモーションでいいシュートを打たれました。」
「1点目も2点目も取らなきゃいけないシュート。あれを取っていれば楽に勝てた試合。何本かいいセーブもあったけど、もっと出せるように自分なりに今日の反省を次に生かしたいです」

そして瞳を輝かせて言った。
「試合後、ヒューズコーチがやって来て『グッドジョブ』と、声をかけてくれました。初めてです、彼から誉められたのは。初勝利の時は『おめでとう』しか言われませんでしたから」

試合の結果はあくまでも負け。しかし皮肉にも、福藤は第1戦では得られなかったコーチからの信頼を、この試合で獲得したのだった。

※写真上は最後に得点されて呆然とする福藤、同下はマンチェスターでのロッカールームの福藤のマスク

December 20, 2005 10:43 AM

2005年12月13日

鬼コーチのシゴキ:

12月3日。前日の勝利を受けて、この日のヴェライゾンワイアレスアリーナでのモナークスの朝練は、選手の数がまばらだった。

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しかし、キングズGKコンサルタントのアンディ・ノーウィッキがマンチェスター入りしていることもあり、GK2人に対する練習はみっちりと行われた。ノーウィッキ氏といえば、リンクの外ではおっとりした話し口に愛嬌のある容姿が特徴だが、いったん氷に乗れば、GKたちに猛烈シゴキメニューを与える「鬼コーチ」にひょう変する。

福藤がキングズにドラフト指名された直後の2004年夏、キングズの若手キャンプでは、この鬼コーチにみっちりしごかれ、苦しそうに肩で息しながら座り込む福藤の腕をつかみ、「この場面ではこっちに動け!」と厳しく指導するノーウィッキ氏の姿が目撃されている。

モナークスの1番手GKに収まっているアダム・ハウザーと交代で、福藤はゴール内に収まりながら、このノーウィッキ氏指揮による練習セッションをこなしていた。ここまでAHLではまだ1試合しか出場していない福藤にとって、こうした練習も重要なアピールの場である。たとえ練習といえども、ハウザーに負けないようなプレーを見せなければならない。2人のGKの間には、いい緊張感がみなぎる。04年若手キャンプでは、シゴキに耐えかねていた福藤だが、この日は難なくこなしているように見えた。

やがて、この日の夜の試合も先発が予定されているハウザーは、早めにリンクを降りた。ゴールの前には福藤がひとり、FW4人とコーチ2人を相手にする。例によってノーウィッキ氏は、試合中でもそうありえないような厳しいシチュエーションを想定したGKドリルを福藤に課した。ゴール裏からのラップアラウンド(ゴール裏からぐるりと回ってゴール前に入り、シュートを放つプレー。日本では一般的に「スカートめくり」などと表現される)から、逆サイドにリバウンドのルースパックを待つ選手がいる。あるいは、ゴール前に2人フリーの選手がいる状態で、縦横無尽にパスが福藤の前を横切る。そういう過酷な状況において、10本のうち9本のシュートは止めよ、とノーウィッキ氏は告げる。そして、いつものように、セーブ数のカウントを始める。

「1−0、2−0、3−0、ナイスセーブだユタカ! 4−1、5−1・・・・」

10−0でこのドリルを終えれば、10本のシュートを完ぺきに抑えたということなのだ。

何度もこのドリルを繰り返すノーウィッキ氏。氷上にGKひとりだけとなった福藤は、休む間も許されずFWたちの放つシュートを阻み続ける。AHLの選手ともなるとそのテクニックもかなりのもので、かなり多彩なシュートが飛んで来る。スピードのあるスケーティングから細かい動きを刻んでタイミングを外したり、リストの力のみでクイックモーションから放つシュートで、空いたスペースにパックを執拗(しつよう)に潜り込ませようとするFWたちの巧妙なシュートを、次から次へと止める福藤に、ノーウィッキ氏から矢継ぎ早に技術指導が飛ぶ。

「そのショットでは左足を出せ!」「ポスト際を空けるな!」「リバウンドをカバーしろ!」

そうこうしているうちに、福藤の様子に異変が起きた。特練状態になって15分が経過した頃のことだ。

最初はこのシゴキに難なく対応し、合格点である「10本中9セーブ」をクリアしていた福藤だったが、突如どうしたものか、パックに対する集中力を欠き出した。それまで止めていたパックが止まらない、いわば「ザル状態」。最後は戦意を喪失したかのように、足元へのシュートをキックし損ねてた福藤。パックはコロコロとゴール内に転がった。記録は10本中5セーブ。惨憺たる出来である。

練習で次々にパックを止める福藤はよく見かけるが、こうも悪い福藤にはそうもお目にかかれない。チームメートは、なにか事を察したようで、わざとクールに素知らぬ表情でそそくさとリンクを去った。福藤はまだこの後もセッションが続くと思っていたのか、しばらくリンクにたたずんでいたが、チームメートたちがリンクから上がるのを見て、自分もロッカールームへの方に向かった。ノーウィッキ氏は、福藤に声をかけることなく、その一部始終を眺めていた。

練習後、福藤に話を聞く前に、ノーウィッキ氏にこの練習の次第を問うと、ノーウィッキ氏はこう語った。
「私もあのプレーはおかしいと思ったから、ドレッシングルームに行った後でユタカに問いただしたんだ。彼は自分で言っていた。『もっといいプレーができたはずだ』と。彼にはこう告げた。『練習の最後はもっと闘志あふれるプレーで締めなければならない。もっと戦う姿勢を見せないと』、とね。そして『次の練習はもっといいプレーをしろ』と、命じたんだ」

福藤はこう説明した。
「一度に『ああしろ、こうしろ』と言われたので、自分の中でうまく消化できず、集中できませんでした」
毎日練習をしていれば、そういう『Bad day(よくない日)』もある。あとは翌日、自分を切り換えてどう立て直すかにかかっている。ただ、いつもは日本語で愚痴る相手もいないこの状態では、自分の中でも消化するのもなかなか厳しい。そういうメンタル面でも成長していかなければ、このレベルではもはや通用しない。

この日の夜、モナークスは地元でvsスプリングフィールド戦を戦い、0-1でOT負けを喫した。最後は負けとなったものの、ハウザーはほぼ完ぺきな出来だった。ハウザーは昨季の防御率(1.93)はAHL全体で4位の好記録。この防御率と、セーブ率(.933)はいずれもチーム記録をマークしていた。しかもこの前年の03-04年も、防御率1.94、セーブ率.926と好成績を叩き出している。

AHLでの好成績を2年続けたのだから、もういい加減AHLは卒業したいと思ったのか、05年夏にハウザーはキングズに1軍契約を求める強硬な態度に出た。しかしキングズはこのハウザーの思いとは裏腹に、ジェイソン・ラバーベラというハウザーよりもわずかに経験で勝るGKを夏に獲得。ハウザーは泣く泣く、キングズと1年ツーウェイ契約(1軍と2軍両方の契約)を受け入れたのだ。

すでにハウザーと同レベルの経験を選手では、ラバーベラを含め、キャム・ウォード(昨季AHLローウェル、今季NHLカロライナ)、ハンヌ・トイヴォネン(昨季AHLプロヴィデンス、今季NHLボストン)、アンテロ・ニートゥマキ(昨季AHLフィラデルフィア、今季NHLフィラデルフィア)、ヤン・ダニス(昨季AHLハミルトン、今季NHLモントリオールと、多くの選手が1軍で活躍している。ハウザーには、今季1度ラバーベラが戦列離脱した間に昇格機会はあったが、1軍での試合出場はいまだ果たせていない。ミネソタ大学4年時には、NCAA選手権のタイトル獲得GKとなり、その後はECHLからAHLと堅調にキャリアアップしているのだが、なかなか飛躍の機会を与えてもらっていないのが実情だ。

血管が透き通って見えそうな青白い肌に、ダークブロンドのサラサラ髪のハウザーは、なぜだか試合後はいつも目の周りにクマを作っている。一べつしただけでは、誰も彼がホッケー選手と信じないような顔つきの持ち主である。ゴールクリーズ内での動きは派手さこそはないものの、ルースパックを抑える時の動きは実に俊敏だ。ピンチになるとパドリングの姿勢(ゴーリースティックのシャフト部分を氷に付けて足元を守るテクニック)で固まってしまう傾向があり、たまにドミニク・ハシェク(NHLオタワGK。1998年長野五輪ではチェコ代表を金メダルに導いた)ばりに、スティックを放棄してまでもルースパックをグラブで抑えたりする。グラブハンドの位置もちょっとハシェクを意識しているようにみえる。だがハシェクのようなアクロバティックの動きが中心ではなく、むしろ効率よい動きでAHLレベルのシューターには比較的楽に対応している。ロサンゼルスのキャンプ時では、誰もが出払ったロッカールーム内で、絨毯に横たわり、黙々とストレッチと続けていたという努力家でもあるようだ。

過去2試合をそれぞれ1失点に抑え、調子を上げているハウザーだが、さすがに3日で3連戦という厳しいスケジュールに3連続先発させるわけにはいかない。モナークスのジム・ヒューズコーチは、試合後ロッカールームにいる福藤に、翌日12月4日、ポートランドでの試合先発を告げた。

11月26日にデビュー戦を飾り、以来待ちわびていた2戦めの出場。相手のポートランド・パイレーツは、同ディビジョンのトップを争う強豪チームである。

「ウチとディビジョントップを争うチームだし、対戦できれば自分にとっても良い経験になる。チームにとっても大事な試合なので頑張りたいです」

そう短く答えた福藤は、チームメート全員とのディナーのため、明るい表情でアリーナを後にした。すでに今朝の練習での苦々しい思いは、どこかに消えているようだった。

<<今週の福藤豊>>
12月4日ポートランド戦で出場した後、12月5日は北米のプロスポーツチームでは恒例行事である「ルーキーディナー」が、ボストンのとあるレストランで行われた。「ルーキーディナー」とは、チームの先輩たちに対しルーキーが豪華な夕食をもてなすという行事で、ルーキーたちはかなりの総額を数人で折半する。とはいえ、同じAHL契約でも選手によってかなり契約額が異なるので、同じルーキーでも支払う額が異なるのだとか。ちなみにこの日福藤は450ドルを支払った。

この日のルーキーディナーでは、「70年代の仮装」というテーマが設けられており、福藤は仲良しのDFリチャード・ペティオと一緒に、70年代の卓球選手の仮装で参加したそう。「地元のショッピングモールに、ピチピチのユニホームに、卓球のラケットを探しに行きました」と福藤。

モナークスは、現地時間12月9日、10日と2連戦を戦ったが、福藤の出番はなし。ただ12月14日(@ハートフォード)、16日(vsオルバニ−)、17日(@ローウェル)と厳しいスケジュールを抱えており、10日の@スプリングフィールド戦でハウザーが30セーブ5失点と負けたことから、このいずれかで福藤が出場する可能性は大。モナークスの試合速報は、AHLのホームページで、またインターネットでTV放映、ラジオ中継されているのでそちらも利用されたい。

December 13, 2005 07:27 AM

2005年12月07日

1勝後に知る厳しさ:

 米ニューハンプシャー州マンチェスターは、州内最大の都市といえど、人口約11万人の小さな街である。19世紀前半にケベック州から多くの人々が移民しており、市内を流れるメリマック河添いに綿織物工場が栄えた都市で、「織物の街」として英マンチェスターと性格を同様にすることから、「マンチェスター」と命名されたとの話が伝わっている。

 「何もない街ですよ」と、福藤豊が言った通り、ダウンタウンの目抜き通りらしきエリアすらも、非常にひっそりしている。ボストンより北に車で1時間弱という立地条件から、冬場は太陽があまり高く昇らないし、夜が訪れるのが非常に早い。おまけに少し内陸寄りであり、午後には強い空っ風が吹くのでより寒く感じるのが、その物淋しさに輪をかけているような街だ。

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 福藤が、現在所属しているAHLマンチェスター・モナークスの本拠地、ヴェライゾンワイアレスアリーナは、この街のいわばダウンタウンらしき場所に位置している。2001年11月15日オープンのまだ新しいアリーナで、05年2月13、14日にはAHLオールスターゲームも開催された。ホッケーでは9916人収容だがコンサート、地元大学スポーツなどのイベントでも使用される多目的アリーナだ。人口10万人単位のコミュニティーながら、34カ所のスイートボックスを完備しており、ガラス張りの都会的な外観ながら、緑色の屋根が周囲の田園風環境とマッチしている。そして近くの目抜き通りには、モナークスのバナーがところどころに飾られている。

 「5年前は、本当に何もない街だった。でもこのアリーナがオープンしてから、マンチェスターの街にはレストランやバーの数が増えたんだ」と、ケヴィン・ギルモア氏(NHLロサンゼルス・キングズのアシスタントGM、AHLマンチェスター・モナークスのGM)は、誇らし気に説明する。「試合後は、モナークスのファンたちでこの辺のレストランやバーはいつも溢れ返ってるんだよ」。

 アリーナ内部には、ブースタークラブのブースが設置されている。かつて「AHLで最高のファンクラブ」と表彰されたこともあるモナークスのこのファンクラブ。近隣都市のロードゲームには多くのモナークスファンが駆けつけることができるよう、バスツアーも企画されている。AHLには今季は27チームが加盟しているが、モナークスのホームゲームでは平均8000人以上の観客動員があり、これはリーグ2位という好成績でもある。

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 今季がチーム創設5周年となるモナークス。肩にはこれを記念した「M5」と書かれたパッチを着け、選手たちはプレーしている。過去4シーズンは、いずれもプレーオフ進出を果たしているが、いずれもファーストラウンド敗退。特に昨04−05年はディビジョン1位(リーグ全体2位)でレギュラーシーズンを終えての、プレーオフファーストラウンド敗退の責任を取らさせて、過去4年間ヘッドコーチを務めたブルース・ボードローは、夏に解任となった。その後任として昇格したのが、昨季アシスタントコーチを務めていたジム・ヒューズである。

 福藤によれば、以前から、このヒューズコーチからは再三苦言を言い渡されていたという。11月26日、スプリングフィールドの試合でAHLデビュー戦を勝利で飾った福藤だが、その後3試合は出番が回ってこなかった。モナークスには、12月2日から、ホーム、ホーム、アウエー(@ポートランド)という3日で3連戦というハードスケジュールが待ち受けている。ロサンゼルスからモナークスの状況を視察に訪れていたギルモア氏も、モナークス広報担当も、「3連戦の中日である3日のvsスプリングフィールド戦に、福藤は出場するのではないか?」との予想を立てていた。

 しかし、12月2日vsハートフォード戦試合後、コーチ室に呼ばれた福藤は、微妙な顔つきでこう言った。

 「明日は僕には出番はないらしいです。明後日のことはまだ何もいわれていません」。

 ヘッドコーチには、いろいろなタイプがいる。AHLでもNHLでも、傾向は同じだ。現役時代にある程度実績を残したコーチ(ウエイン・グレツキー:フェニックス、ダリル・サター:カルガリー、ラリー・ロビンソン:ニュージャージー)もいれば、選手として実績がなくとも、コーチ道一筋を歩んで登り詰めたタイプ(スコッティ・ボウマン:NHL史上最多勝利記録保持者、ケン・ヒッチコック:フィラデルフィア、アンディ・マレー:ロサンゼルス)もいる。ヒューズコーチ自身、プロヴィデンス大学では華々しいキャリアを送ったものの、プロとしての現役選手キャリアは皆無に等しく、さしずめ後者タイプといっていい。

 またヘッドコーチによって、GKに対し、ある程度先発予定を予告するものもいれば、当日まで内密にしてGKと神経戦を演じるものもいる。ヒューズがこうした神経戦を福藤と演じるつもりがあるかどうかは不明だが、少なくとも日本出身のAHLルーキーに対し「1勝したからって、まだ安心するな。いつ出番が来てもいいように、準備しておけ」というメッセージを送っていることは確かのようだ。

 福藤はこう続けた。
 「ヒューズコーチには、9月のマンチェスターでのキャンプから、かなり厳しいことを言われ続けていたんです。『チームメートとのコミュニケーションがなっていない』『もっと早くゴール裏でパックをはけ』『リバウンドを出すな』と何度も何度も言われて…練習の流れをストップされてまで、みんなの前で叱られたこともあります」。
 
 ヒューズコーチは、福藤のここまでについて、こう語る。
 「AHL初試合では、福藤はいいプレーをしてくれた。最初は率直に言って、どういう結果がでるか予想だにしなかったんだが、平均点以上のプレーをしていたと思う。自信にあふれていたし、シャープだった。AHLでプレーできるというところを見せてくれた。ウチのチーム全体もいいプレーをしていたが、彼自身も非常によかったと思う」。
 「あの試合でチームに勝利をもたらしたのだから、自信はアップしているはず。あれで気持ちがラクになったはずだし、チームに自分は貢献していると実感できたはず。AHLでのプレーは容易くないだろうが、彼の動きは運動能力にあふれ、敏しょう性が高く、反応もいい。まずあと1試合プレーさせてみて、そこから次を考える」。

 福藤と交代でAHLとECHLを行き来するGKバリー・ブラストは、AHLですでに6試合をプレーしている。福藤はこの昇格時に何試合出場できるのだろうか?

 「GK起用については、まずウチのチームにとって一番の選択肢を取るのが先決。ブラストと福藤の間のコンテストであってはならない。この2人は、それぞれに能力を披露する機会を与えられるはず。そこで彼らがどこまでプレーできるのかを見極めたい。まずは1試合ずつ。そして次の出場時期を決定したい」。「ブラストは昇格時にはいいプレーをしていたが、福藤にも昇格させるという約束をした以上、それは守らねばならない。2人の入れ替えは数回実施する予定だ。この間に、2人がうまく成長してくれればと願っている。この1年間を通して、この2人がLAキングズのプランにどうフィットするのか見極めたい。1日1日がその機会だ。スプリント(短距離走)ではなくって、マラソンなんだよ。大事なのはプロセス。毎日ベースでチャンスを与えて評価をするつもりだ」。

 デビュー戦の福藤の出来を、「平均点以上のプレー」というのは、やや辛めではある。だが福藤は、そういう冷ややかなヒューズコーチの評価を肌で感じながらも、こう強調した。

 「確かにヒューズコーチは厳しいし、自分の好きな選手は持ち上げるけど、嫌いな選手はとことん嫌い。でも、彼が言ってることは事実ですよ。僕も今になって、コミュニケーションという面の重要性も分かってきました。特に自分がやりやすいように、チームメートを動かすという部分の必要性を感じるんです。僕が最初にECHLに行ったことで、自分のタイミングが遅れてしまい、最初はなかなかスピードに慣れることができなかったことも事実です」。

 そして、ECHLレディングでの4試合について、反省を込めて語った。
 「ECHLでは、スピードもスキルもサイズも、やはりAHLより落ちるんです。正直、やりがいをあまり感じることはできなかったし、モチベーションが多少落ちていた。こうあるべきではないとは思うんですけどね」。

 ライバルのブラストは、AHL昇格時はチームメートたちと一緒にアパート暮らしを許された。しかし、福藤は11月14日にマンチェスターに昇格して以来、ずっとアリーナ近くのホテルにひとり暮らしである。「アパートに移れ」というコーチからの指令こそ「ウチのチームへようこそ」との歓迎であり、昇格したての選手にとってはこれ以上ない嬉しい言葉なのだ。だが、まだ福藤はそう言った言葉をヒューズコーチから聞けずにいる。ホテルにひとり暮らしは快適ではあるが、食事が偏る。

 彼のあごには、脂肪分の多い食事でできたであろうにきびが赤黒く目立つ。しかし、福藤はこの環境を見据え、ポジティブなエネルギーに変えようと努めていた。

 「こういう厳しさがあるから海外はいいんですよ。日本は、なにかとコーチが選手に甘すぎる。例えば僕が取れるシュートをミスしても『あれはDFがクリアすべきだった』とコーチがフォローしてくれることがある。自分としては『あれはお前が取れたパックだった』と責任を問われる方がすっきりするのに…あれだと、選手は伸びないと思います。適当にプレーを楽しんで、そこそこいい給料をもらうことで、落ち着いてしまいますからね」。

 そこまで言うと、福藤は大きなため息をついた。「僕の後に来てくれる選手はいないんでしょうかね?」

<<今週の福藤豊>>

 12月4日@ポートランド戦に出場し、35セーブ3失点。試合終了1秒前に痛恨のゴールを許したが、モナークス・ヒューズコーチ、キングズGKコンサルタントのアンディ・ノーウィッキ氏はともに「今日の福藤には合格点をやりたい」と口を揃えた。
 試合後、福藤は「負け方が負け方なんでかなり悔しいです。でも、これもホッケーなんですよね。チームが勝つために一生懸命プレーしていますし、今後はチームが勝てる試合を作りたい。この反省を次に生かすので、これからも応援お願いします」とコメントしている。

※写真上はホテルのレストランで食事中の福藤、同下はモナークス本拠地ヴェライゾンワイアレスアリーナの内部

December 7, 2005 09:51 AM