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2005年10月28日

釧路での中学時代 その1:

福藤豊の出身地は、日本でも有数のホッケーのメッカとして知られる北海道・釧路市。「有数」という表現は使ったものの、最近ではこの釧路市がかなり勢力を伸ばしつつある。

まずは、現在のアジアリーグに所属する日本人選手の出身中学地区別数というデータをここで見てみよう。

釧路:38人、苫小牧:24人、札幌:7人、八戸:5人、日光:4人、帯広:4人、東京:3人、大阪:1人

つまりアジアリーグの全純血日本人選手のうち、44%が釧路出身者というわけだ。

教員だけで三十数チーム、高校が10チームに中学が8チーム、小学が23チームにジュニアのクラブチームが2つ、さらに社会人(レクリエーション)が110チーム余りを有し、都市単位でいえば登録選手数(約4000人)では日本で1番を誇る釧路に、ホッケーが伝わったのは1941年ごろのこと。札幌師範学校(現北海道教育大)の卒業者が、釧路、帯広に教師としてやってきた際に、ホッケーを広めた。といっても当時はまだ1チームしか作れず、試合をするためには帯広まで遠征をしなければならなかったそうだ。

その後、釧路に本格的にホッケーを根付かせるきっかけを作ったのが、旧・十条製紙(現・日本製紙)である。十条製紙が基盤とする鳥取地区には、水をまいて天然の氷を作るアウトドアリンクが作られ、ホッケーは子供たちや社員のレクリエーションとして普及していった。 日本リーグにも参戦した旧・十条製紙は、低迷の時期もあったが、日本製紙クレインズとして生まれ変わった後は徐々に実力を付け、現在ではアジアリーグの優勝候補の一角にまでのし上がっている。今となっては、釧路市内では「おらが街のチーム」クレインズを盛り上げようと、あちこちでクレインズの試合日程が掲載されたポスターなどを目にすることができるほどだ。

中学校レベルで言うと、この旧・十条製紙の工場のお膝元、鳥取地区の鳥取中からホッケーがスタートした。そしてその後、川向こうにあたる景雲中にもホッケー部が開設された。その景雲中学こそ、福藤豊が3年間過ごし、中学3年時には全国制覇を成し遂げた学校である。現在でも全国でもホッケーの強豪校としてその名を知られる景雲中に、強くあこがれれを抱いた当時小学生の福藤豊は、父・正吉さんに「中学はぜったい景雲に行きたい」と直訴。学区では隣の美原地区に住まいを構えていた福藤家は、この類い稀な才能を持った息子の夢をかなえるために、景雲中の学区に引っ越したという有名な逸話がある。福藤だけでなく、現在アジアリーグでも活躍する有名選手数人が、この景雲中を目指して越境入学したという話も残っている。

そこで今回は、福藤が景雲中に3年間所属したころ、ホッケー部顧問としてチーム監督を務めた高橋帝寿(ていじゅ)先生に、お話を伺った。現在は同じく釧路市内の桜が丘中学で教べんをとる高橋先生は、現在38歳。福藤が在学当時は20代後半の「熱血教師」だったという。

 --景雲中といえば、福藤選手の加入前からかなりの有望選手が揃っていましたよね? 内山朋彦(コクド)、酒井隆行、原武大輔、任田大泰(いずれも日本製紙クレインズ)、斎藤毅(王子製紙)と、すごい顔触れでした。

 高橋先生(以下敬称略) 「はい。もうそろそろ全国制覇できるだろうと言われてから、なかなか達成できずにいたところでした。豊が景雲中に入学した際に、それまでホッケー部顧問だった高木典男先生が別の中学に移り、それまでコーチを務めていた私が監督に就任することになったんです。まずは、チームの体制も変わったことだし、指導方法も少し変えようと決めました。

 厳しいトレーニングは高木先生時代同様に続けるけれども、その中にもリラックスしたムードを取り入れたかったんです。生徒指導面を中心に置きつつも、子供たちに考えてプレーさせるようなホッケーを提案していました。

 当時は中学校の部活動だけでなく、クラブチーム(注:釧路市には、クレインズJr.と大進Jr.の2つのジュニアチームがある)に所属している子供が大半ではありましたが、クラブチームに頼りたくなかったんです。主将決定からいろんな面で子供たちと相談しました。最終的には私の指示で選手を動かしてはいましたが、肝心の全国大会決勝などは、子供たちが自分で考えての動きを見せて、それが勝利に結びついていったと記憶しています」

 --その全国大会決勝について、お話をしていただけますか?

 高橋 「釧路鳥取中学が決勝の相手でした。確かスコアは3−2だったと思います。当時はウチにもキーパーが5人いたので、教育的配慮で、対戦相手によっては他のGKを出してはいました。しかし、ここ一番という場面では、豊しかいなかった。他の選手にとっても、それは暗黙の了解でした。

 ウチは、豊がいたから思い切ったプレーができたんです。

 それぞれのポジションで選手が責任を果たすことはもちろん必要ですが、やはりGKは最後の砦ですからね。試合は緊迫した素晴らしい内容でした。釧路市で開催された大会で、釧路勢同士の決勝ということで、お客さんも超満員でした。丹頂アイスアリーナができて2年目の試合だったのですが、こけら落としのイベントよりもこの中学決勝に観衆が入ったと聞いています」。

 --当時の福藤選手は、同年代の選手と比較してどんな存在だったのでしょうか?

 高橋 「そのころは、今ほど飛び抜けた存在ではなかったかも知れません。どの学校にもいい選手がいて、層の厚い年代でもありましたから…。その後、東北高校に進学してその素質を発揮して大きく成長したと思います。性格的には、ぐいぐいひっぱる『オレについてこい』というタイプではありませんでした。彼が黙々とやってる姿を見て、他がついてくるという感じでした。練習はサボることなく真面目にこなしていました。

 当時から身長は高く、細身ではありましたが、パックに対する反応はかなり速かったですよ。当時景雲中には50~60人の部員がいて、GKだけでも5人はいたでしょうか。それでも、豊は2年生の頃から試合に出られるようになっていました。失点しても立て続けにやられて腐る子はいたが、彼はそういう場面でもちゃんと踏ん張ることができる選手でした」。

 --景雲中のチーム練習はどんな内容でしたか?

 高橋 「当時はまだ朝練があったので、親御さんは大変だったと思います。学校にリンクがあるわけではないので、釧路市内のどこかのリンクまで月半分は送り迎えをしていたわけですから…。1日に朝、晩と2回練習をした時もありましたし、全道大会直前などは、朝、昼、晩と3回練習を実施したこともありました。なので月に5000円は部費が必要だったと思います。

 また、クラブチームと掛け持ちで所属している子供もいましたが、練習についてはクラブチームの方が中学の練習時間を優先して、練習がぶつからないように対応してくれていたと思います。その一方で、クラブチーム関連の大会がある場合は、その情報を事前にキャッチして中学側が対応したこともありました。

 GKの練習としては、スピードスケートでも使うスライドボードをしながら、スケーティングや反応の練習をしてきました。私は日本大学出身で、スピードスケートが強い大学でもありました。大学での先輩たちを見習って、私もやって来たトレーニングのひとつを、中学の指導でも取り入れたのです。
その頃の学校全体のバックアップ体制は素晴らしかったです。私の要望に合わせて、用務員さんがスライドボードを2、3台手作りしてくれたんですよ。そういうサポートには、子供達も励みになったと思います。全校挙げての応援でしたからね」。

 --氷上練習だけでなく、陸トレもかなりハードなものだったようですね。福藤選手の1年先輩にあたる小原大輔(現コクド)が、「景雲中学の陸トレは、駒沢(注:駒沢大学付属苫小牧高校。アイスホッケーの名門高校で厳しい陸トレでも知られる)並ですよ」と語っていましたが…。

 高橋 「朝7時に集合して、インターバル走などやっていたんです。あるいは学校の外周を走ったり。1人が遅れるると延々やらされるというシステムでもありました。なので、先輩の3年生は、体力のない1年生をフォローしないといけない。豊も太ったGKと並走して「頑張れ!」と励ましたりしていましたよ。彼はそうやってトレーニングの時も周りの選手も配慮していたし、あの学年は豊のチームという感がありました。

 また今でこそ中学校のホッケー部にもコーチが4、5人所属するところもあるようですが、高木先生が抜けた後は監督の私ひとりのみでした。GKコーチを付ける余裕などもちろんありません。なので、豊が後輩の指導をしてくれたこともありましたよ」。

 --その後、福藤選手は仙台の東北高校に進学することになったのですが、当時のいきさつを教えていただけますか? 全国大会に優勝後は、かなり福藤選手の知名度もアップしたと聞いていますが…。

 高橋 「東北高校の金子勝利先生(故人)が、釧路にいらした時に景雲中の練習での豊を見かけ『ぜひウチに』と声をかけてくださったのがきっかけです。東北高校が釧路に遠征に来ていた時ですから、豊が3年生の冬、全国大会の前だったと思います。
 
 釧路では、夏の間に高校関係者が中学生をスカウトに来ているんですよ。そして有望選手は高校関係者からチームの顧問の先生を通して接触があるわけです。東北高校は『どうしても欲しい』と、全国大会前から最初から熱心な姿勢を見せて下さっていました」。

 --その後、その福藤選手がNHLにドラフトされることになったのですが、こちらでの反響はいかがでしたか?

 高橋 「実はドラフト指名される直前に、豊はコクドの研修で釧路に戻ってきていて、私のところにもあいさつに来てくれていたんです。ただその時はドラフトの話は一切していませんでしたから、みんな驚いていましたよ。

 釧路全体としては、大万歳だと思います。彼は高校が釧路ではなかったので、彼の名前が釧路市民に浸透するのにちょっと時間がかかったようですが…。当時は、釧路出身者が苫小牧など他地区の高校に流れるという傾向が続いていたんです。ただ近年では釧路工業、武修館と釧路勢が巻き返してもいます。

 豊がドラフトされた後、TVで特集された時には、彼のことを道徳の時間で扱ったこともありました。その豊が、今年NHLと契約したことで、子供たちの間では「うわ~、すごい人なんだ」とかなり反響があったと思います。実は私の指導する桜が丘地区は、釧路でもホッケーはそれほど盛んではないんです。実際にホッケーやっている子供がいても、近隣の青陵中学(貝塚、緑ヶ岡)に越境してしまいますしね。桜が丘地区の子供たちにも、楽しくホッケーをやってもらうという意味でも、豊の存在は大切にしていきたいと思っています」。

October 28, 2005 05:57 AM

2005年10月18日

早く試合をしたい:

10月15日、トレントンでのプレシーズンゲームを、34セーブ、2失点とまずまずの内容に収めた福藤豊。だがその口ぶりは、おおよそ再三の好セーブでチームを勝利に導いた選手のものとは思えなかった。

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「(LA、マンチェスターと)ずっとキャンプ続きで練習ばかりだったので、飽きて来た感じがあったんです。早く開幕して欲しいです。練習ばかりで面白くないんです。試合がやりたい」

トレントン・タイタンズといえば、昨季のECHL優勝チーム。そのタイタンズ相手に、レディング合流後初白星を挙げたのだから、喜びのコメントを期待していたのだが、福藤は思いのほか冷静だった。

「昨季のメンバーが大勢残っているわけじゃあないですからね。今はプレシーズンですからトライアウトのみの選手もたくさんいますし。それほど強い相手じゃなかったですよ」

福藤がこの試合で許した2ゴールは、1つは相手のノーマークシュートから。これをいったんセーブしたが、リバウンドを押し込まれて失点した。もう1つは、味方のペナルティーが続いた後の相手の5オン3のパワープレーでやられたもの。ゴーリーとしては、いかんともしがたい失点だったはずだ。

実のところ、ロイヤルズの公式ホームページでは、福藤のこの日のプレーを「spectacular(壮観な)」「solid(安定感のある)」という形容詞で褒めそやしていた。

しかし、福藤はその賛辞をスルーして、さっさと話題を試合から練習に切り換えた。

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「キャンプでの練習は、調子がよかったわけじゃないんです。練習もいいかげん、飽きてきたからでしょうか。疲れもあったと思います。毎日システム的な練習ばかりでしたしね。身体の切れとか悪かったです」

「気持ちだけが入ってしまって、空回りしてました。思い描くようなプレーができなくってつい・・・気持ちはあるんだけど、身体が動かないというか」

ロイヤルズのヘッドコーチ、カール・テイラーは、そんな福藤をこう弁護した。

「キャンプでは切れが悪かったって? マンチェスターから送られてきた選手なら、そりゃあ落胆のあまり最初はプレーも散漫になるだろう。ユタカの現在のプレーには非常に満足しているんだ。今のところ、弱点らしい弱点は特に見当たらない。もちろん、今後気になる点が目についたら、修正していきたいとは思っているけどね」

テイラーコーチは、カナダの大学のコーチ職を経て、8月22日にロイヤルズのヘッドコーチに就任したばかり。だが過去2年間、ロサンゼルス・キングズの夏の若手育成キャンプでゲストコーチを務めていた関係で、昨年夏から福藤のプレーを目にする機会があった。それゆえに、彼のここ1年での成長ぶりは熟知しているし、彼のポテンシャルについてもよく理解しているようだ。

ところで、ロイヤルズのレギュラーシーズン開幕戦は、10月22日。日本ではすでにアジアリーグが9月23日から開幕しているし、NHLは10月5日、AHLも同時期に開幕していることを考えると、ECHLの開幕はかなり遅いと言える。福藤がこがれるのも無理はない。

とはいえ、福藤より一足先にAHLマンチェスター・モナークスに在籍しているバリー・ブラストは、まだモナークスでここまで出場機会がない。モナークスは、1番手GKアダム・ハウザーの好守むなしく、開幕後アウエーで2連敗を喫した。続く地元でのvsスプリングフィールド戦はもう負けられない一戦ということもあり、ジム・ヒューズコーチはハウザーの3連戦出場を決めたのだった。3試合出番のないブラストの状況と比較すれば、まだECHLレディングにいる福藤の方が、ましな立場なのかも知れない。

「試合できるのを楽しみにしてたんですよ。早く試合がしたくって・・・やっと吹っ切れました」

福藤がマンチェスターからレディング行きを命じられて、すでに1週間が経過した。いまだにホテル住まいだが、あと3、4日もしたらチームが借り上げているアパートに移るよう、命じられている。ここ1週間はホッケー漬けで街にも出ていない。

「レディングは、特になにもないところです。アジア系の人もほとんど見かけませんし・・・日本料理屋は1軒あるらしいけど、高いお金を出すくらいなら普通のアメリカンでおいしい方がいいです」

実際のところ、ペンシルベニア州に位置するレディングでは、洋服や靴の購入には税金が課せられないという地の利を生かし、市内に数カ所アウトレットモールがが立ち並ぶという。自他共にショッピング好きを認める洒落者の福藤だが、ホッケーどっぷりの現在は、どうやらこのアウトレットモールの存在すら、まだ目に入っていないようだ。

※写真上は、滞在するホテルでくつろぐ福藤。同下は、福藤の練習風景

October 18, 2005 01:00 AM

2005年10月10日

開幕ECHL行きも、11月にもAHL昇格:

10月7日、午前中練習後のヴェライゾンワイヤレスアリーナ。AHLマンチェスター・モナークスのヘッドコーチ、ジム・ヒューズは、福藤豊とバリー・ブラストの2人のGKをコーチ室に呼び寄せた。

福藤とブラスト。この2人のうち、どちらをモナークスの控えGKにすべきか、ヒューズコーチは非常に頭を悩ませていた。そして出した結論は「当面はこの2人のGKをAHL、ECHLで交互にプレーさせる」というプランだった。

ヒューズコーチは言う。

「ブラストがまず最初にAHLマンチェスター(NHLロサンゼルス・キングズの3Aにあたるチーム)で3~5週間プレーする。その間に福藤にはECHLレディング(NHLロサンゼルス・キングズの2Aにあたるチーム)で8、9試合に出場して欲しいと思っている。その後、福藤を11月ごろAHLに昇格させる」

「とにかく今は、2人とも甲乙つけがたい状況。それだけにこういうプロセス(AHLとECHLを2人でしばらく交互にプレーする)に我々が踏み切った理由を、まず2人を呼んで理解させたんだ」

「今後は、2人がどんな結果を残そうとも、とりあえずこのプロセスを2サイクルは続けるつもり。そしてシーズン後半にその結果を評価し、今後については考える」

AHLとECHLで、交互にプレーさせるなんて、可能なのだろうか?

NHLとAHLの間では、そうした方法はほぼ不可能である。というのは控えGKであれ、開幕をNHLで迎えた選手はほとんど1軍契約を結んでいる。AHLでプレーするには、期限付きの調整降格でない限り、いったんウエーバーを通過しなければならない。NHLチームにとっては、ウエーバー通過前に、その選手を他チームに横取りされてしまうリスクがあるのだ。

また経済面からしても、NHLの給料を払ってAHLでプレーさせるというのは、まったくの資金の無駄遣いである。特に今季から導入された新労使協定では、1チーム3900万ドルという確固としたサラリーキャップが定められている。どのチームも選手年俸を少しでも低く抑えようと、必死の努力を払っているのだ。

しかし、NHL選手が負傷をした際に、AHLなど下部リーグから昇格させる選手たちは、大半が1軍とマイナーのツーウェイ契約を結んでいる。つまりNHLに昇格した場合は、その時期だけ日割り計算でNHL年俸をもらい、AHL以下でプレーした場合はマイナー年俸での契約額が支払われる。こうした選手たちは、NHLとAHLの間は比較的自由に行き来できる。が、NHLの控えGKは通常はシーズンを通してプレーするので、大半が1軍契約を結んでいる。福藤が支配下にいるNHLのキングズの場合でも、現在1軍でプレーするマチュー・ギャロン、ジェイソン・ラバーベラは、ともに1軍契約。一方、今季AHLマンチェスターの1番手を任されるであろうアダム・ハウザーはツーウェイ契約。つまりプレシーズンゲームの段階で、いくらハウザーがいい結果を残したとしても、契約的な問題で1軍GKは開幕前からギャロン、ラバーベラと話が決まっていたのだ。

だが、AHLとECHLの間には、そうした厳然たる敷居はない。またNHLは23人、ECHLは20人とロースター制限(登録選手数枠)が設けられているが、AHLの場合にはそうした制限もない。だから状況に応じてフレキシブルに選手数を抱えることができるのである。

説明が長くなってしまったが、そういう背景もあってモナークス・ヒューズコーチはこの決断を下した。この「AHL/ECHLシャトル構想」だが、実は9月のNHLキングズのトレーニングキャンプの際に、キングズGMデイブ・テイラーもその可能性をほのめかしていた。つまりキングズ首脳陣としても、それを選択肢としてキャンプ時から検討していたことだったのだ。ヒューズコーチが付け焼き刃で思いついた苦肉の策では決してない。

ヒューズコーチは続ける。

「フジ(福藤)には、レディングでのプレーで、向上すべき点を3つ告げた。リバウンドコントロールに、ゴール裏から攻撃の起点になるパックハンドリング、DFとのコミュニケーションがそれだ」

「今の段階では、ブラストの方がAHLでのプレーに即対応できると考えて開幕はマンチェスターに残したが、今後は2人を全く同等に扱うつもりだ。フジは、この私の決定を非常によく受け止めてくれた。私の話をしっかり聞いていたし、そういう彼の態度を誇りに思った。レディングではいい結果を残して、11月にはAHLに上がってくると期待している」

ヒューズコーチの説明は、福藤にとっても明瞭だった。開幕はECHLレディングというのは避けられない事実だが、それにはちゃんとした裏打ちと今後のプランがある。それだけに、この決定を受けた彼は、すぐに気持ちを切り換えることができた。

福藤の声は、いつもの明るさを取り戻していた。

「もちろんAHLに残るためにプレーはしていたけれど、(ECHLベイカーズフィールドでプレーした)昨年に比べたら、レディングに残れただけでも進歩です。気持ちは落ち込んでいません。とりあえず、今季開幕時はどこで迎えるかが決定して、落ち着きました」

昨季は同じECHLでも、キングズとは直接傘下契約は結んでいないベイカーズフィールド所属。いわば傍系のチームにいたわけで、今季は直系にあたるレディングからのスタート。それだけでも十分な進歩である。

「ブラストが最初にマンチェスター、僕が先にレディングに行き、その後は交替するという説明があった後、僕だけひとりコーチの部屋に残されたんです。そこでコーチに言われました。そして『AHLでいきなりプレーするよりも、まずはECHLで試合に出ておいた方がいいだろう。控えとなるAHLでは1試合しか出られないこともあるだろうし、最初はレディングに行った方がいい』と説明を受けたんです」

現在、福藤はレディング・ロイヤルズの練習施設「ボディゾーンスポーツ&ウエルネス」近くのホテルに滞在中だ。「ボディゾーンスポーツ&ウエルネス」は、スケートリンク2面のほか、サッカー場や他のスポーツ施設なども備えた総合スポーツ施設だという。

さて、ロイヤルズの選手構成を見てみると、福藤選手のようなキングズ支配下選手は少数派で、実際にはロイヤルズと直接契約を結んだ選手の方が多い。ECHLでは、そうしてマイナーリーグを渡り歩いたベテランの中に、チームの人気選手となる存在もちらほら見受けられる。

福藤と現在ホテルで同室となっているGK、コディ・ルドカウスキ(27歳)もそんな選手である。2000−01年からプロキャリアをスタートし、03−04年レディングに所属していい働きを見せ、地元ファンの信頼を勝ち得た。03年にはGKに故障が続いたNHLセントルイス・ブルースで、1試合だけ出場経験がある。現在では、NHL契約を持っていない点こそ福藤とは異なるが、ECHLで調子が良ければすぐにGKが足らなくなったAHLのチームに呼ばれるチャンスはある。その証拠に昨季はシーズン序盤の好調さを見込まれて、AHLプロビデンス(NHLボストンの3Aチーム)と、25試合限定のトライアウト契約で昇格していた。

今季ロイヤルズでは、まずはこのルドカウスキとの1番手争いが、福藤を待ち受ける。福藤はすでにレディングで非公式練習を実施しており、10月11日にロイヤルズのキャンプが正式にスタートする。そして15日、17日とプレシーズンゲームをこなした後、22日にECHLでのレギュラーシーズン開幕戦を迎えることになる。

さて話はややずれるが、今季このECHLというリーグでプレーするのは、福藤だけではなさそうだ。

まず、昨季福藤が在籍したベイカーズフィールド・コンドルズには、法政大学出身の衣笠伸正(ポジションはLW)がトレーニングキャンプに参加する。またデイトン・ボンバーズには、昨季コクドでプレーした小原大輔(ポジションはセンター)が所属する予定だった。

しかし小原は、9月中旬のハバロフスク遠征で相手のシュートをブロックした際に、右足親指を骨折。ロシアでの応急手当の際に、足の親指の爪をはがす処置を受けたせいで、回復が遅れてしまった。現在はコクドとともに、ウエートトレーニングやステーショナリーバイクで調整しながら、故障個所の回復を待っている状態である。少し時間はかかりそうだが、ケガが直り次第、チームに空きがあればデイトン所属が可能になるという話も出ているそうだ。

小原は、早稲田大学4時在籍時の03−04年にもECHLに挑戦し、ピオリア、シャーロット、オーガスタと3チームを渡り歩いた経歴を持つ。元々海外志向も強い選手だけに、福藤の動向が気になって仕方ない様子だ。

負傷のショックから立ち直りつつある小原は、不敵な笑みを浮かべて言った。
「後から行くから待ってろよって、フクに伝えてくださいよ」

これを伝えると、福藤は茶目っ気たっぶりの声で返した。

「小原さんが来るころには、僕はもうレディングにはいませんよ。AHLにいますから」

気持ちはもうAHLに向いている。

October 10, 2005 05:19 PM

2005年10月06日

AHLマンチェスター残留に賭けて:

「何て言ったらいいんだろう・・・う~ん。まだシーズンが始まっていないので、何とも言えないですね」

自らの現状について、福藤豊が開いた口は重かった。

福藤の現在の居場所は、ニューハンプシャー州マンチェスター。すでに秋色深まりつつある小ぢんまりしたこの街には、福藤がドラフト指名を受けたNHLロサンゼルス・キングズの2軍にあたる、マンチェスター・モナークスというチームがある。9月21日、キングズのキャンプ放出を言い渡された福藤は、ロサンゼルスで調整後、9月24日にマンチェスター入り。26日からモナークスのキャンプに参加しているのだ。現在はモナークスの本拠地、ヴェライゾンワイアレスアリーナ近くのとあるホテルにて、チームメートとのホテル暮らしが続いている。

キングズのキャンプでは、左膝や左太もも付け根と相次ぐ故障に見舞われたが、マンチェスター入り後は調子はいいと福藤は断言する。実際、9月30日、10月1日には、2試合連続で紅白戦に出場。10月1日の試合では、19セーブ1失点と安定した出来だった。かなり厳しい状況も見事なセーブを連発したし、与えた1失点は味方の身体に当たって入ったというGKとしては仕方ないゴールのひとつであった。ここに来て、ちゃんと結果は出したという手応えがあった。

なのに現状は甘くない。まだモナークスでの仕事が確約されたわけではないのだ。10月4日、モナークスは「2005−06年オープニングロースター」と銘打ち、23人の選手を発表した。その中には福藤の名前がちゃんと含まれていたが、福藤以外に2人のGK(アダム・ハウザー、バリー・ブラスト)の名前も記されていた。

うち、ハウザーというGKは、昨季このモナークスで1シーズン通していい数字を残した実績(19勝11敗、防御率1.93、セーブ率。933、完封5)があり、今季開幕はモナークス1番手GKの座を確約されている。シーズン中にモナークスが抱えるGKは、このハウザーとその控えの2人のみ。つまり福藤とブラストの2人が、いまだこの控えの座を巡って争いを続けているという状態なのだ。

ただ、争いを続けようにも、今季モナークスはレギュラーシーズン開幕前には、1試合もプレシーズンゲームが組まれていない。福藤にとっても、ブラストにとっても、これでは実力の示しようがない。

今季AHLではNHL同様、試合の高得点化を狙った様々なルール改正が実施されている。モナークスのヘッドコーチに今季就任したばかりのジム・ヒューズは、敢えてプレシーズンゲームを実施せずに、チーム内練習で戦略を徹底させることで開幕に備えようと、目論んだという。

だがこの目論みは、GK評価という点について考えれば、誤算だったといっていいだろう。マンチェスター入り後の福藤とブラストを評価するにあたり、きっちりとした結果が出ているのは紅白戦の2試合のみ。モナークス首脳陣にとって、明らかに評価材料不足である。

ヒューズコーチは、現在の2人の争いについてこう説明する。

「福藤はここ1年でよく成長した。スキルが非常にアップしているし、パックハンドリングも上達している。いい経験を積んで来ているという印象がある。(2005年7月LAでの)ルーキーキャンプでも非常にハードに練習していた」

「我々としては、1番手のハウザーを補い、脅かすような控えGKが欲しいと思っているが、福藤とブラストはともにその能力がある選手。2人とも非常に僅差の争いをしている。確かに紅白戦2試合めでは、福藤の方がいいプレーをしていたとは思う。しかし福藤が反射神経と速い動きを生かしたスタイル、ブラストは恵まれたサイズでゴールネットをカバーするスタイルと、2人のスタイルが異なることで、我々の比較評価がより難しくなっていることも確かだ」

福藤とブラストという異なる2人のGKの存在が、ヒューズコーチを悩ませている。
それなら、ここで実際に2人のGKの比較をしてみたいと思う。


福藤豊
<生年月日>1982年9月17日(23歳)、北海道・釧路出身
<身長体重>185センチ、84キロ(日本出発時は86キロだったが、最新の発表では84キロ)
<ドラフト&契約>2004年キングズ全体238位指名。2005年8月9日、キングズと2年契約。
<ここ数年のキャリア>コクド(2001−02)、ECHLシンシナティ(2002−03)、コクド(2003−04)、ECHLベイカーズフィールド(2004−05)
<昨季の成績>ECHLベイカーズフィールド所属、27勝9敗5分、防御率2.48、セーブ率.919、3完封
<今季ここまで>
ルーキートーナメント@サンノゼ(9月7日~12日):9月7日試合前半出場(vsアナハイム)16セーブ2失点。9月10日vsサンノゼ戦第3ピリオド途中まで出場、33セーブ3失点(第3ピリオド5分22秒で左膝負傷退場、1アシスト)。
NHLキングズキャンプ(9月13日~):9月16日紅白戦(30分、対戦相手GKはテイラー)30分で1失点。翌日17日朝の練習で太もも付け根を痛めてプレシーズンゲームは出場機会なし。9月21日AHLマンチェスター行き通告。
AHLモナークスキャンプ(9月26日~):9月30日:1試合全部出場、32セーブ2失点(勝利)、10月1日:1試合全部出場19セーブ1失点(勝利)
<プレースタイル>優れた反射神経と横の動き、超速バタフライセーブ(*)を基本とする。(*バタフライセーブとは、下方向へのシュートに対応するため、両膝を氷に付けて合わせブロックするセービングスタイルを言う)

バリー・ブラスト
<生年月日>1983年8月8日(22歳)、カナダ・マニトバ州出身。
<身長体重>188センチ、97キロ
<ドラフト&契約>2002年ミネソタ全体87位指名。その後FAとなり2004年7月9日、キングズと3年契約。
<ここ数年のキャリア>*WHLスポケーン(2000〜03)、WHLカルガリー(2003−04)、ECHLレディング(2004−05)(*WHLとは、カナダのジュニアリーグではトップのひとつで、NHL選手も多く輩出しているリーグ)
<昨季の成績>ECHLレディング所属、27勝9敗、防御率1.96、セーブ率.928、4完封
<今季ここまで>
ルーキートーナメント@サンノゼ(9月7日~12日):9月9日試合前半出場(vsフェニックス)9セーブ2失点。9月10日vsサンノゼ戦第3ピリオド途中から福藤のリリーフとして出場、13セーブ1失点。9月11日vsアナハイム戦試合全部に出場、21セーブ4失点(負け)。
NHLキングズキャンプ(9月13日~):9月16日紅白戦(30分、対戦相手GKはラバーベラ)30分で4失点。うち2分で3失点と崩れる。その後はケガもしていたが、9月18日AHLゲームvsシャークス戦に出場し、2失点で勝利。9月21日AHLマンチェスター行き通告。
AHLモナークスキャンプ(9月26日~):9月30日は試合前半のみ出場、15セーブ1失点、10月1日は1試合通して出場し、20セーブ4失点(敗戦)。
<プレースタイル>恵まれたサイズを生かして、ゴールネットをカバーする。


あくまで福藤に対するひいきめ抜きで言うが、反射神経、バタフライセーブ、リバウンドのコントロールなど、セービングスキル全般は、圧倒的に福藤に軍配が上がる。ブラストの場合、反射神経やフットスピード、バタフライセーブからのリカバリーという基礎能力において、かなり深刻な欠陥が見られており、ここ1年であまり向上も見られていない。

また、キングズやモナークスのキャンプで出場した試合では、福藤はかなり厳しい攻めも見事にセーブし、首脳陣やファンの注目を集めた。9月16日紅白戦の試合後には、キングズのヘッドコーチ、アンディ・マレーに「今日プレーした6人のGKの中で福藤が一番よかった」に言わしめた。この日、同じチームでプレーしたキングズの主力FW、クレイグ・コンロイも「彼の反射神経と俊敏性、横への動きが素晴らしいし、ハングリーな姿勢もいい。最終的にNHLに上がってくる選手だろう」と、福藤を絶賛していた。一方のブラストは、安定している日もあれば、連続失点をあっさり許したりと、ムラのある内容で評価を落としていた。

だが、ブラストにとって有利な点もある。恵まれたサイズを生かしたスタイルにより、ゴールネット前でのポジションさえ間違わなければ、相手のシュートは自分の身体のどこかに当たってくれる。日本では頭ひとつ抜け出る長身の福藤も、大型選手がひしめくキングズGK陣の中では、平均か、むしろ小さい方に位置するほどなのだ。

また福藤が、日本では少ない試合スケジュール(レギュラーシーズンは30~40試合、プレシーズン、レギュラーシーズン、ナショナルチームなどを合わせてもせいぜい40試合出場)を消化してきたのに対し、ブラストはジュニア時代からWHLでレギュラーシーズン72試合予定を3年間フルに戦ってきた実績があり、スタミナでは福藤を凌ぐものを持っている。今季ここまでも、ケガに泣かされた福藤に対し、多少のケガはあったにせよ試合数をコンスタントにこなしてきた。

ヒューズコーチによれば、今季モナークス開幕時の控えGKの名前が発表されるのは、モナークスの開幕戦(10月8日@ハートフォード)が開催される前日の10月7日昼頃とか。「開幕にどちらが残るかについては、2人のうちどちらのGKが精神的にも技術的にも準備が出来ているかという点で評価するつもり(ヒューズコーチ)」。つまり、毎日の練習が評価材料となるわけだ。

「今はチームに残れるよう、頑張るしかないです」と、福藤はあくまでも控え目だ。

一騎打ちになっているブラストとは、昨年7月のキングズ若手育成キャンプ以来ちょくちょく顔を合わせている。世代の近いGK同士ということもあり、今では軽口をたたき合うほどの仲になった。

「ライバル意識はもちろんあるけど、それを敢えて練習で出し過ぎる必要はないし、お互い表に出さないようにしています。オレが・・という気持ちも多少は必要かも知れないけど、やり過ぎると嫌な雰囲気になる。自分中心になったら相手が嫌な思いをすると、2人ともよく分かってるつもりです。今でも、ブラストとはちゃんと話はするし、特に2人の関係は変わっていません(福藤)」

かように敬意を払い合う福藤とブラスト。10月8日、ハートフォードでのシーズン開幕試合にベンチ入りを果たすのは、どちらのGKであろうか?

October 6, 2005 08:18 AM