2006年06月26日
元福岡監督が導いた「最初で最後のW杯」:押谷謙爾
福岡の元監督がW杯で指揮を執った。1次リーグで敗退したセルビア・モンテネグロのペトコビッチ監督だ。98年に在籍した。開幕9連敗など不振続きで事実上更迭された森監督に代わり、シーズン途中からヘッドコーチの肩書のまま実権を握った。相当な現実主義者だった。
「守って、負けないサッカーをやる」。こう言って降格危機の福岡を救った戦術は、W杯欧州予選6勝4分け、10試合1失点で本大会に導いたものに通じる。「ユーゴで戦争を経験している方で、国柄なのか結果にこだわる人だった。マリノスやアントラーズ相手に5バックで守るなど、結果を残すため徹底していた」(倉田前ヘッドコーチ)。
練習はひたすら走るばかり。限界に追い込んでこそ、精神的な強さが生まれるというのが持論だった。信念は揺るがず、大黒柱の大熊(現C大阪ヘッドコーチ)を迷いなくメンバーから外すなど妥協を許さなかった。
その姿勢は伝説を生んだ。98年の福岡は8勝26敗で年間18位と断トツの最下位。J1参入決定戦へ回った。負ければJ2となる初戦の川崎F戦で奇跡が起きる。1点を追う後半ロスタイム。J2行き寸前の絶体絶命のピンチから山下が同点ゴール、延長でフェルナンドがVゴールというまれにみる逆転勝ちを収めた。ドーハやジョホールバルの決戦にも似た激戦は「神を見た夜」としてファンの間で語り継がれている。福岡はこの勝利をきっかけに、参入戦で生き残る。メディアの目は元日本代表監督の森監督に向いたが、ペトコビッチコーチの存在なくして語れないドラマだった。クラブの歴史に名を刻んだ。
当時選手だった篠田コーチは「選手と彼の間にビシッと線を引いて、仲良く話した印象はない」と振り返る。感情を表に出さず、練習も静観することが多かった。今回は1次リーグでアルゼンチン、オランダ、コートジボワールと一緒の「死のC組」。8年前と同じように、ペトコビッチ監督は表情を崩さずベンチにいた。
1勝もできなかったものの、ここでも歴史に名を残した。セルビア・モンテネグロは今後、セルビアとモンテネグロと2つのチームに分離する。03年に現国家になって「最初で最後のW杯」に導いたことは、長く語られるだろう。
June 26, 2006 05:59 PM 投稿者:押谷謙爾
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