2006年05月29日

松田監督「ありがとう」:押谷謙爾

 アビスパの歴史に名前を刻んだ1人が福岡を去る。松田監督が成績不振を理由に解任された。マスコミ関係者による送別会には、その人間的な魅力に惹かれた担当記者が30人近く集まった。愛された人だった。「長崎へ墓参りに帰って、月末には引っ越します」と言う。寂しいが思いが込み上げてきた。

 長崎市出身。松田さんの父三郎さんは酒屋だった。「ひと月500円で子供を預かってくれるなら」。こんな理由もあって、松田少年は新設の山里スポーツ少年団に入った。仕事に忙しい父は無関心を装いながら、配達中に練習場へ足を運んだ。「グラウンドのそばに父の古いカブ(バイク)が停まっていた。『見に来る』なんてひと言も言わず、来ていた」。父の温かい愛情を感じてサッカーを続けた。

 「決してうちは裕福じゃなかったと思うのに、応援してくれた」。筑波大時代にブラジル留学を決意すると、両親は定期預金を取り崩し、毎月5万円を12カ月分、仕送りしてくれた。卒業後、ユニバーシアード代表を目指すため、東洋工業に入団(当時は大卒2年まで出場可能だった)。「教員として長崎に戻ってくると期待してたみたいでね」と両親の思惑とは異なったようだが、その後はサッカー界で頭角を現し、指導者としても評価を高めた。

 監督としてJ2福岡を率いて3年目の04年10月。三郎さんが天国に逝った。J1昇格を見せることはできなかった。だが、その後の福岡は神がかり的なチーム新記録となる8連勝を飾り、入れ替え戦まで昇格の望みをつないだ。翌05年、ついに念願をかなえた。松田さんは「今でも守ってもらっている」と三郎さんの存在を忘れたことはない。

 今年の戦いぶりも、カブに乗っていたあのころと同じように、父は天国からそっと見守っていたに違いない。長崎市で「植木の里」として知られる古賀地区に父は眠る。松田さんは墓前にどう話しかけるのだろうか。でも、父上の返事はわれわれ担当記者と同じだと思う。「お疲れさま。ありがとう」。【押谷謙爾】

May 29, 2006 02:27 PM 投稿者:押谷謙爾

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