2007年12月25日

1期生の再チャレンジに幸あれ:村田義治

 現場復帰を目指す元Jリーガーがいる。元日本代表監督のトルシエ氏が総監督に就任したJFL・FC琉球の、チーム創設時からの主力メンバーだったMF望月隆司(29)だ。今年11月、FC琉球から戦力外通告を受けた1期生は、23日に行われた「トルシエ琉球」のセレクションに挑戦。11人の1次合格者に名前を連ねた。

 03年に誕生したFC琉球は、その前年にチームの方向性の違いから沖縄かりゆしを集団退団したメンバーを中心に結成された。東京V退団後に沖縄に移り住み、当時から主将としてチームを取りまとめた。沖縄県リーグ、九州リーグ、JFL昇格へステップアップしてきたチームとともに歩んできたクラブの象徴ともいえる選手だ。

 望月の他にも、創設メンバー3人が解雇されたことを受け、今月上旬にはサポーター有志が4人の再契約を求める「公開要求書」を提出する事態も起こった。だが、クラブは公式HPで「彼らがFC琉球に対して特別な愛情を持っていてくれていることも、何もない中から汗と泥にまみれてつくってきたんだ、という気持ちを持っていることも当然理解しているが、上を目指すクラブである以上、正当な評価を平等にしなければ決して良いチームワークは生まれない」との理由を掲げ、解雇通告の撤回を拒否していた。

 今回、37選手が参加したトライアウトには、望月とともにもう1人、解雇された創設メンバーが参加したが、1次テストで落選。復帰の道をつないだのは望月だけとなった。来年1月、チーム練習に加わって最終テストに臨む。解雇された前所属チームへの復帰を強く臨む1期生の挑戦を、心から応援したい。

December 25, 2007 02:41 PM 投稿者:村田義治 | トラックバック (0)

2007年12月18日

天国へ旅立った人たちへ:前田泰子

 もう10年以上も取材活動をしているが、今年ほどたくさんの別れがあった1年はなかった。「死」が確実にあることを感じた1年だった。

 昨年のことになるが、昨年10月、レジャー取材でお世話になった、ばってん荒川さんが亡くなった。荒川さんには週1回、コラムのコーナーを持っていただき、私は担当として荒川さんの話をまとめた。お米ばあさんの顔とは違い、素顔は饒舌(じょうぜつ)とはほど遠かった。方言を交えてポツポツと語る姿には味があった。

 今年5月には高校野球取材でお世話になった沖縄水産の栽弘義前監督が亡くなった。栽さんには記者2年目で初めて沖縄を訪れたときからかわいがっていただいた。九州大会の前に必ず開かれる九州監督会に呼んでいただいたり、九州のスポーツ紙としては初めての女性記者だった私を、さまざまな形で引き立てくださったのだと思う。2月に沖縄に行ったとき、時間がなくてお会いできなかったのが悔やまれる。「またいらっしゃい」。最後に交わした言葉だ。

 11月には日刊スポーツ評論家の稲尾和久さんが亡くなった。プロ野球担当ではなかった私は直接の接点は数えるほどしかなかったが「神様、仏様」のイメージと違う気さくな人柄にびっくりしたものだ。

 そして、もう1人。若い命が早すぎる旅立ちをした。東福岡ラグビー部の広木選手。大学進学も決まり、花園で初優勝を目指して練習していた高校生ラガーが、列車事故で命を落とした。直接取材をしたことはなかったが、昨年から取材してきた東福岡のラグビー部員の死は、取材記者にもショックを与えた。まして、同じボールを追ってきた仲間との突然の別れは10代の高校生にとってどれほどつらい試練だろう。大会は2週間後に迫っている。「元気を出して、彼のために優勝を」なんて軽々しく言うべきではないだろう。選手が自分で乗り越えなければならないことだ。

 私事ではあるが、取材仲間が1人旅立った。一緒に仕事をしてきた仲間だった。「つらくても、悲しくても、それでも前へ進んで行かなきゃいかんとです」。彼の死に直面したとき、誰かが言った言葉だ。

 生きている限り、人は前へ進まなくてはいけない。それが、残されたものの務め。来年もしっかり足を踏みしめて前へ進まなければ。どこかで見ているあの人に笑われないように。

December 18, 2007 07:56 PM 投稿者:前田泰子 | トラックバック (0)

2007年12月11日

モリあがった元全日本対決:村田義治

 JFL昇格をかけた今年のサッカー全国地域リーグ決勝大会は、おもしろかった。2日目まで2敗(1PK負けの勝ち点1)で、4チーム中、最下位だった九州(Kyu)リーグ王者のニューウェーブ北九州は、最終日にバンディオンセ神戸に2-0で快勝。今大会初勝利(勝ち点3)で勝ち点4とし、ワンチャンスをものにして、得失点差で逆転し2位を確保、JFL自動昇格を果たした。

 2日目までPK勝ち2つだったバンディオンセ神戸は、今大会1敗ながら得失点差で最下位に転落。2敗のニューウェーブ北九州が自動昇格で、1敗のバンディオンセ神戸が4チームで唯一、JFL昇格に失敗するという、なんとも不思議な結果だが、それだけ実力伯仲の大会だったということだ。

 もう1つ、この大会を盛り上げた話題があった。ニューウェーブ北九州の与那城ジョージ監督(57)、ファジアーノ岡山の手塚聡監督(49)、FC-Mi-OびわこKusatsuの戸塚哲二監督(46)、バンディオンンセ神戸の田中真二監督(47)は、85年のメキシコW杯予選を一緒に戦うなど、80年代に日本代表(当時は全日本と呼称)に顔を連ねたメンバーだった。

 「特別な意識はなかったが、森(孝慈)全日本のOB会みたいだなと思っていた」と手塚監督。システムはいずれも4-4-2。初日の第1試合から3試合連続でPK戦に突入するなど、接戦が続いた要因の1つに、お互いの性格まで知り尽くした監督同士の存在もあった。

 大会終了後、初日から何度も顔を合わせていた与那城監督と手塚監督が、互いに手土産を交換する場に遭遇した。「個人的に好きな人たちばかりだったけど、大会中はしゃべりすぎないようにしていた」と、与那城監督は笑った。かつてのチームメートとの再会を喜ぶあまりに、戦術面で口を滑らせないよう、お互いに接触するのをできるだけ避けていたのだ。

 すべての結果が出た後で、4人の監督はようやく仲間との“再会”を果たすことができた。「これからもいい戦いをして、お互いが伸びていければいい」と与那城監督。森ジャパンの教え子たちが、来年はJFLの舞台をもっとモリあげてくれるはずだ。

December 11, 2007 02:46 PM 投稿者:村田義治 | トラックバック (0)

2007年12月03日

三者三様のJ2の九州3チーム:前田泰子

 サッカー担当ではない私だが、ここ数日、立て続けにJ2の取材に行った。2日は福岡対鳥栖の九州ダービー、3日はロッソ熊本のJ2昇格決定の取材だった。

 3チームは三様の顔を見せた。最終戦で九州ダービーを制して締めくくった鳥栖は、選手と監督、コーチ、フロントが一体となった印象を受けた。若手を生かすチームづくりのために、30代の選手は戦力外となった。最終戦の試合前に、そんなベテラン勢のために若手選手は涙を流していた。「みんなで辞める選手のために頑張ろうと、力を出そうと話したんですよ」。試合後そう話した岸野監督の目も涙で潤んでいた。「みんなが僕に点を取ってほしいと念じてくれた」。鳥栖リーグ最終戦でゴールを決めたMF吉田はチームに感謝の言葉を贈った。最終戦を終えた選手をサポーターは拍手で迎えた。スタンドからはサポーターが、観戦に来ていた井川社長に声をかけた。「社長、やりましたね」。社長は笑顔で応えた。

 対する福岡。前日16人の退団者を出し、試合前からムードは険悪だった。戦力外が告げられたある選手は最終戦でスタメンの予定だったが「試合に出る心理状態ではない」と直訴し、急きょスタメンが変更になったのだという。試合後、選手全員と社長がサポーターにあいさつしたが、スタンドからは容赦ないブーイングが浴びせられた。都筑社長には「辞めろ」コールが起こり、リトバルスキー監督にさえブーイングが向けられた。選手、フロント、サポーターの一体感は感じられなかった。

 Jリーグ参戦を果たしたときの福岡は希望に燃えていた。当時、派手な補強と、著名な監督の招へいで話題を集めた。だが、フロントと現場の一体感はそのころからなかったように思われる。鳥栖は1度、チームがつぶれた。サガン鳥栖として生まれ変わってからも何度も経営危機に見舞われたが、今では松本GMを中心にしっかりとした方針を持って着実にチームづくりを進めている。

 来季からJ2参入を果たすロッソはどうなるだろうか。強くなるには今のチームから大きく様変わりする。昇格を決めた選手たちも強くなるにしたがって、大多数がチームを去ることになるだろう。これまでとレベルの違うJ2で思うような戦いが出ないとき、必ず出てくる不満や不信をどう解決していくのか。急激な変化のなかでサポーターに愛されるチームをつくれるか。

 福岡、鳥栖、熊本。九州に根を下ろすJ2の3チームの来季の戦いぶりに注目したい。

December 3, 2007 11:21 PM 投稿者:前田泰子 | トラックバック (0)