2007年11月27日
ホンダロックの挑戦は終わらない:村田義治
JFL復帰を目指したホンダロックサッカー部の07年シーズンは、終わった。サッカーの全国地域リーグ決勝大会1次ラウンド最終戦で、J準加盟のファジアーノ岡山に敗退。決勝ラウンド進出を逃した選手、スタッフは涙を流した。
JFLで2シーズン戦った後、昨年入れ替え戦でFC岐阜に敗れ、九州リーグに陥落。チームは1年でのJFL復帰を目指し汗を流してきた。最終的に2位となった九州リーグでは、ニューウェーブ北九州やV・ファーレン長崎といったJ昇格を狙うクラブを相手にシーズン終盤まで首位を快走。元Jリーガーを擁しテクニックに勝る相手を、激しいプレスとスピーディーな攻撃で苦しめた。
元Jリーガーのように目を見張るような高い技術の選手はいない。「全選手が90分以上走り続ける」サッカーを目標に掲げ、フィジカルとメンタル面を強化。両サイドを効果的に使ったスピーディーな攻撃は、1度は壁にぶちあたったJFLで勝ち抜くために身に着けたものだったが、その効果を確かめるのは09年シーズン以降に持ち越しとなった。
ホンダロックのある宮崎の県木はフェニックス。チームエンブレムにも、不死鳥(フェニックス)が描かれている。「企業チームでもやれることを証明したい」と南光太主将(28)。「アマチュア企業スポーツ日本一」を狙うホンダロックサッカー部の挑戦は終わらることはない。
November 27, 2007 04:31 PM 投稿者:村田義治 | トラックバック (0)
2007年11月19日
白仁田、松山の対決の続きはプロで:前田泰子
19日の大学・社会人ドラフトで九州6大学野球の2人の選手がドラフト指名された。福岡大の白仁田寛和投手(22)と九州国際大の松山竜平外野手(22)だ。白仁田は1巡目で阪神に指名され、松山は4巡目で広島に指名された。
リーグを代表する2人の選手。今春のリーグ戦での2人の勝負は印象的だった。リーグ優勝の行方を決める2校の直接対決。初戦の先発は白仁田だった。最速147キロの速球で6回まで無安打に抑えていた白仁田の球を松山は打った。失策で出た走者がいたため、決勝タイムリーとなり、白仁田はシーズン初黒星を喫した。「失投ではなかった。打った相手が上」と白仁田は言っていた。完ぺきに投げた直球を松山が捕らえた。この敗戦からリーグ優勝の流れは九国大へ向かうことになる。
2人はお互いに認め合うライバルだ。「松山にはまっすぐを投げたくなるんですよね。打たれても次こそは抑えてやるって思うんです」。白仁田は松山に対しては特別闘志を燃やしていたという。対する松山も「自分のことをまっすぐで抑えたいと思って勝負してくれるのがうれしかった」と白仁田に一目置いていた。そして2人とも「対戦して自分を高めることができました」と言っていた。直球にめっぽう強い打者に大して変化球で逃げずに直球で挑む投手と、相手の最高の球を狙っていた打者。2人の勝負は見ごたえがあった。
ドラフト前に取材したとき「実は今度一緒にご飯食べに行くんですよ」と松山が教えてくれた。試合ではライバル校同士。ポジションも違うので接点はほとんどなかった。「友達になりたいと思ってるんです。白仁田っていいヤツだと思うんですよ」と松山は言っていた。マウンドと打席で白球を通して他人にはわからない2人のつながりが出来ているのかもしれない。同じ年に良いライバルに恵まれた2人はラッキーだったんじゃないかな。松山の話を聞いて思った。
2人の勝負はプロで第2ラウンドを迎える。「プロでは抑えます」と白仁田はリベンジを誓うと「プロでもお互いが成長し合ってやっていけたらいいですね。そしたらもっといい選手になっていくと思います」と松山も対戦を楽しみしていた。
甲子園で、広島市民球場で、2人の対戦が見られる日は遠くないかもしれない。プロの世界でもライバルとして友達として、2人がともに活躍してくれたらいいと思う。
November 19, 2007 09:22 PM 投稿者:前田泰子 | トラックバック (1)
2007年11月12日
ベンチにいなくとも思いは同じ:村田義治
J1残留を争って激しくぶつかり合った大分-大宮戦。その直前、遠く離れたピッチで大分DF三木は戦っていた。居残り組メンバー6人とユースメンバーで臨んだホンダロック(九州リーグ所属)との練習試合に出場。その左腕には普段と変わらず黄色いキャプテンマークが巻かれていた。
5年前。11日にリニューアルオープンされたNACK5スタジアムのピッチでフル出場し、J1昇格に貢献。その後も、主将としてJ1大分の歴史を刻んできた。当時のメンバーで現在も在籍するのは5人。DF三木以外に昇格決定試合に出場したMF西山、FW高松の2人しかいない。「(記念の競技場だという)そんなに意識はしていないが、大分にとって今回の大宮戦は大きなポイントになる試合」。試合前、大宮戦の重要性を口にしていた三木だが、そのピッチに立つことも、ベンチに入ることも許されなかった。
今シーズンもセンターバックとして開幕スタメンを果たし、シーズン前半は17試合に先発出場した。たが「攻撃の基点にもなれる」とシャムスカ監督から高評価を受けた20歳のDF森重にレギュラーを奪われ、後半戦に出場したのは途中出場2試合で計5分間だけだ。けがをしていない。いつでも試合にでれるコンデイションを整えているが出番はやってこない。「監督が決めることだから仕方ない」と話す表情は、やはり寂しげだ。
それでもチームの戦いは続く。「自分にはキャプテンとしての仕事がある」。レギュラー奪回へライバルでもある上本や福元ら若いDF陣に、アドバイスする姿は以前と変わらない。すべてはチームのためだ。「チーム全体でJ1に残らないといけない」。キャプテン三木は、大分の残留を誰よりも願っている。
November 12, 2007 04:02 PM 投稿者:村田義治 | トラックバック (2)
2007年11月06日
伝統を破る力と守る力、どちらも大変:前田泰子
対照的な涙だった。
4日に行われた全国高校駅伝福岡県予選。男子は大牟田が22年連続28度目の優勝を決め、女子は北九州市立が初優勝を飾った。北九州市立は全国大会で3度優勝経験のある強豪・筑紫女学園を破って悲願の初優勝を挙げた。選手だけではなく、応援に来ていた保護者や卒業生もみんな、涙でほほを濡らしていた。毎年筑紫女学園に挑み、その壁にはね返されてきた。昨年も優勝候補筆頭とされながら、終盤で逆転を許し2位に甘んじた。悔し涙にくれる北九州市立(当時は戸畑商)の選手を見ながら、「名門」の伝統の底力と、それを追う新興勢力がトップに立つ難しさを改めて思い知らされたものだ。それから1年、悔しさをバネに選手は猛練習をこなしてきたという。「本当に食事が入らないぐらい練習しました。でも去年みたいなみじめな思いはしたくなかったので」と主力選手は話した。
そして、男子優勝の大牟田の赤池健監督(35)も22連覇を決めて選手よりも涙を流した。昨年、前監督から引き継ぐ形で名門大牟田の監督に就任。前監督が築き上げてきた名門校の重みと責任をずっしりとその双肩に感じていたことだろう。恩師でもある前監督の指導と自分のやりたい指導の狭間で苦悩したこともあると思う。1カ月前の駅伝大会では10位と惨敗した。それから赤池監督は自宅に選手を住まわせて選手をまとめようとした。「嫁さんや嫁さんのお母さんに選手の食事の世話もしてもらいました」。さらに県大会では「大牟田駅伝部の5年後、10年後を考えて」とインターハイで結果を出した選手以外の選手を起用して臨んだ。実績のある選手を外しての出場はかなり決断がいることだったと思う。しかも、県大会優勝が義務付けられているような名門校だ。OBでもある赤池監督にはその賭けがどれだけ勇気がいるものか、誰よりもわかっていただろう。「県大会で負けると思っていました。レースが始まれば、自分にできるのは声をかけることだけだった」。沿道で必死に選手に声をかけてきた赤池監督の、謙遜でも余裕でもなく、それが本音だったのだと思う。
伝統を破る力と、伝統を守る力。どちらが大変ということはない。奇しくも赤池監督と北九州市立の荻原知紀監督の口からは同じ言葉が出た。「ここまで励まし、支えてくれた皆さんに感謝したい」。悩み、苦しみ、周囲に励まされて優勝をつかんだこの1年間が凝縮された言葉だ。
集大成は来月の都大路。また、喜びの涙が見られることを期待している。
November 6, 2007 05:26 PM 投稿者:前田泰子 | トラックバック (0)
