2007年07月31日
楽しみな「金のわらじ」との出会い:前田泰子
なんとなく捨てられない「お守り」がある。人差し指の先ほどの大きさの金色のわらじのマスコットだ。
これは入社2年目に初めて甲子園に取材に行ったとき、担当した小林西の選手にもらったものだ。2回3回と勝ち進み、取材を重ねていくうちに選手の顔も見知ってくる。チームに1人ぐらいはよくしゃべるお調子者もいて、そんな選手とのたわいもない話から意外と原稿に生きる話が出てきたりする。小林西で一番いろいろしゃべった選手が、負けたときに自分のバッグについていたお守りを外して私にくれたのだった。ベンチ裏通路での20分間の取材時間が終わったとき、突然「これあげます」とヒモを歯でかみ切って渡してくれた。取材のお礼なのか、仲良くなった記念なのか、どういう意図で彼がそれをくれたかはわからない。「年上の女房は金のわらじを履いて探せ」なんて言うけれど、当然、入社2年目の女性記者と球児の間に恋など芽生えることもなくそれっきり。けれどそれを見ると「彼はどうしてるのかなあ」と思い出す。
今年、地方大会の取材でもうれしい出会いがあった。鹿児島・鹿屋中央の川田浩之副部長は96年のセンバツで鹿児島実が優勝したときの一塁手だった。「川田くんでしょ」と声をかけたら「覚えててくれましたか。取材してもらいましたよね」と当時と同じ笑顔を見せてくれた。エースだった下窪陽介選手は横浜に入団。「あのときのメンバーで高校生の指導をしているのは僕1人だけなんです」と話していた。
甲子園で取材した選手の中には部長やコーチとして後輩を指導している人、野球用具メーカーで働いている人、プロ球団のスカウトとして球場にせっせと足を運んでいる人もいる。クリクリ頭で負けて涙を流していた球児たちが、今や立派な社会人やパパとなり、酒など飲みながら当時の話に花を咲かせたりすることもある。プロ野球選手として華々しく活躍する選手よりも、普通の社会人として毎日を頑張っている人を見るとうれしい。そして「自分も頑張らなきゃな~」という力がわいている。「金のわらじ」だけでなく、甲子園という短い間で触れ合ったいろいろな縁は私にとっては大事な宝だ。
今年の地方大会も沖縄から山口まで、担当地区の代表校が出そろった。8月8日に甲子園が開幕。私と佐藤千晶記者が球児に負けないぐらい汗を流して取材する。将来、どこかの球場でばったり再会し「久しぶり。頑張ってるねえ」と声をかけられるような選手と今年も出会えればいいなと思う。
July 31, 2007 04:59 PM 投稿者:前田泰子 | トラックバック (0)
2007年07月24日
ファウルで記事がかけるスーパースターはいづこに?:村田義治
高校野球の甲子園予選もいよいよ大詰め。体にムチを打って這いずり回った夏も、ゴールが見えてきました。福岡大会などが一斉に開幕した7日以降、休みが取れたのが台風がやってきた14日の1日だけ。今年も多くの感動のドラマに立ち会いました。
そんな中、ちょっぴり気になっていることが1つ。00年から8年目を迎えた高校野球取材で今夏、異変に気がつきました。00年から毎年とじ込みを欠かさない高校野球のスクラップノートを、この時期によく見返します。当時の新聞の見出しには大きく「1試合2発」とか「2戦連発」とかの文字が躍ってますが、今年はそういった「事象」の見出しが例年に比べて少なかったような気がします。今、思い浮かべても本塁打を量産した選手として記憶に残っているのが、4戦4発をマークした福岡一の橋本駿介選手(3年)ぐらい。投手ではノーヒッターが何人も出て、紙面で「プロも注目」と歌った選手もいますが、やっぱり例年以上に寂しさを感じます。
高校野球取材2年目の01年夏は、日南学園・寺原(現横浜)の取材に明け暮れました。東福岡・吉村(横浜)柳ケ浦・山口(横浜)福岡一・陽(日本ハム)ら、高校卒業後にプロの世界に飛び込んだ選手の場合、チームが勝った、負けたという視点でなく、その選手が打った、打ち取られた、投げた、打たれた、という視点だけでも原稿になります。現に、現マリナーズの城島が別府大付(現明豊)3年のとき、日刊スポーツは「130メートルファウル」という現象だけで、超高校球児の凄さを読者に伝えたこともあります。寺原が高校最速の157キロを出したときはもちろん1面。山口は初戦敗退だったのにもかかわらず、センバツ最速の151キロが原稿のテーマでした。
今夏、取材先でプロのスカウトに話を聞いたとき、こんな言葉が返ってきました。「今の高校生が野球を始めたころは、Jリーグが華々しく開幕した時期なんだよ」。Jリーグ開幕は93年。今の高校3年生が4歳ころで、何かスポーツを始めさせようと親が考え始める小学校入学の頃は、W杯初出場を目指してサッカーが盛り上がっていた時期に重なるという。
サッカーが人気になる前には、運動神経が一番いい子供たちが選ぶのは、文句なしに野球だったが、サッカーが盛り上がり、運動神経のいい子供たちがサッカーを選ぶようになったという。先のU-20W杯(カナダ)の一次予選を無敗で突破したU-20(20歳以下)代表の活躍や、それ以下のカテゴリーの強さにも関係がありそうな見解だ。
だが、このまま運動能力の高い子供がサッカー界に流れ続けるとは限らない。カズ(現横浜FC)らサッカーのスターの次に現れたのは、イチロー(マリナーズ)松井(ヤンキース)。メジャーリーグという新たな夢を子供たちに与えてくれた。いつになっても、どの競技でも、子供たちは「スパースター」の存在に胸を躍らす。
高校野球予選が終わると、高校総体の季節だ。そして夏の甲子園、国体をへて、国立を目指すサッカー、花園で戦うラグビー、都大路を走る駅伝ら高校生の晴れ舞台が続く。ハンカチ王子、ハニカミ王子に続く新ヒーローが、どの競技から生まれるのか、楽しみに待ちたい。
July 24, 2007 10:31 PM 投稿者:村田義治 | トラックバック (1)
2007年07月17日
それぞれの夏…球児たちは今年も熱い:前田泰子
そのチームは勝った瞬間、ナインがみんなボロボロ泣いていた。知らない人が見たら「負けたのか」と思うほど、選手もマネジャーもみんな涙を流していた。福岡のありあけ新世。1年生大会で勝って以来、勝ち星に見放されていたチームは4月に新監督を迎え「夏の1勝」を合言葉に頑張ってきた。練習時間も1時間増えた。ナインの泣き顔を見れば、その練習がどんなにつらかったかわかる。そして「1勝」を達成した喜び。「でも1人も辞めなかったんですよ」と平野哲郎主将は胸を張った。
単独チームで出るのは今年が最後という鹿児島の牧園は残念ながら初戦敗退。だけど「9回までできるなんてすごい。僕が監督になってからは公式戦で5回以上やった記憶がないです」と松下幸男監督は選手の頑張りに目を見張った。
悔し涙を流していたのは福岡講倫館の主将だ。初戦5回コールド負け。チームは1安打も打てずに夏が終わった。監督が1年ごとに変わり、部員が次々と辞めていった。8人いた3年生は4人に。9人だった2年生は2人しか残らなかった。「チームをまとめるのが大変だったね」というと「みんなと一緒に最後は戦いたかった」とポツリと言った。
「甲子園に行って、プロに行きたいんです」。その夢をかなえるために台湾から来た福岡一の郭恆孝投手は4回戦に進出している。
球児はみんな、1人、1人それぞれ目標をもって夏に挑戦している。私立、公立、進学校など、それぞれがそれぞれの置かれた環境の中で真正面から野球に向き合い、精いっぱい取り組んでいる。1回戦突破が目標のチームもある。9回まで野球をやることを目標に掲げるところもある。甲子園出場を本気で狙うチームだってたくさんある。選手に話を聞けば、目標は甲子園でも、そうでなくても球児はみんな野球に真剣に向き合って取り組んでいるのがわかる。
5月、高野連は特待生を抱える学校を処分し、該当選手の対外試合を禁止した。親元を離れ、1日の大半を野球に費やして打ち込む選手の努力を「否」と断定されたような気がしてならなかった。そしてそれは「甲子園などとんでもない」というチームの球児たちの頑張りをも否定するような行為のように思えるのだ。
処分をしたので、もう終わったこと、と片付けてはいけないだろう。夏はこれから永遠に続くのだ。全国のすべての球児たちの努力が認められるような結論を出さなければいけないと、毎日球児たちの熱い思いに接してあらためて思った。
July 17, 2007 09:01 PM 投稿者:前田泰子 | トラックバック (1)
2007年07月09日
今年も夏の思い出は「九州∞周旅行」?:村田義治
高校野球取材8年目。かつてない「熱い夏」がやってきました。開幕から降り続く雨、雨、雨…。相次ぐスケジュール変更。40歳が目前の記者にとっては、肉体的にも精神的にもキツイ毎日です。この時期、球場で出会う全国紙の大学生アルバイトに「自分も記者になりたいんです」と、よく話しかけられます。そういわれたときは決まって答えるのが「記者は体力勝負だよ」。ということで、今回はスポーツ取材でも、記者が1、2を争う重労働だと思っている高校野球取材の裏側を紹介します。
西部日刊では、アマ野球担当のキャンプを筆頭に数人で高校取材班を組みますが、試合が行われている全球場を網羅するのは物理的に不可能。九州各県で行われる翌日の全試合のカードをチェックして、狙いをしぼった球場に記者が飛びます。早い球場では午前8時半にプレーボール。1日4試合の会場では、試合終了がナイターの午後9時前後になることもあります。試合記者の場合、3、4日に鹿児島にいき、休日とJリーグ取材をはさんで7日には宮崎、8日大分(Jリーグ取材も兼務)、9日長崎と九州を南から、東へ、西へと行ったり来たり。本社で午前0時近くまで準備を行った後、始発の特急に乗るために睡眠3、4時間で早朝6時すぎのJR博多駅に向かう毎日です。今年は九州を何周するのだろうとぼやいてます。
記者といっても、最近はカメラマンを兼ねた記者カメ。キャリーカバンの中にはパソコン、デジタルカメラ一式、高校野球の資料がドッサリ。試合の合間をぬってほお張るコンビニ弁当に、翌日以降の転戦に備えた数日分の着替えも用意します。さらに、今年はすでに5冊を超えた各県大会のパンフレットも。普段担当しているJリーグの急なニュースに対応するサッカー資料も入ってます。重量にして20キロオーバー。新駅舎工事のためエスカレーターが取り払われた博多駅のホームへの階段を登るときには、重さと眠気で足元はもうフラフラ。栄養ドリンクは手放せません。
重たい荷物。眠る時間が少ない毎日。過酷な移動…。今年は取材泣かせの雨空も続いています。梅雨が明けると照りつける日差しの中でスタンドを駆け回ります。毎年、高校野球取材がひと段落した後、散髪に行くと決まってこういわれます。「よく、焼けていらっしゃいますね。どちらにご旅行されたんですか、うらやましいです」。いつでも代わってあげますよ!
20キロ以上のカバンをゴロゴロ引っ張っての楽しい? 九州旅行。朝、布団から起きるのが本当につらい毎日ですが、1球にかける球児の感動ドラマに立ち会える喜びは、今年も変わりません。毎年「このシーンに立ち会えてよかった」という試合に何度も“参加”できます。年々、自らの体力の衰えを感じる夏。けれども、球児の熱いパワーをもらって、その「熱い夏」を乗り切った達成感で、ちょっぴり若返った気分になれる。これも高校野球取材の楽しみの1つになってきた。
July 9, 2007 11:50 PM 投稿者:村田義治 | トラックバック (0)
2007年07月02日
オバちゃん記者が走ります:前田泰子
今回からこのコラムに「出場」することになりました。野球をはじめ、アマチュアスポーツ全般を取材しています。野球、ラグビー、サッカー、陸上などなど…。あちこちの競技に顔を出しているので【前田泰子】というクレジットだけはあちこちに載っています。見覚えがある、という方もいらっしゃるかもしれませんね。どうぞよろしくお願いします。
アマスポーツ全般担当ですが、この季節は高校野球一色です。すでに先月16日に沖縄大会が開幕。今月1日には鹿児島大会が開幕し、毎日熱い戦いが繰り広げられています。球児の夏全開です。
入社1年目から高校野球を取材していますが、年々球児との年の差を痛感しています。そりゃ当たり前です。相手はいつも高校生ですが、こっちは年々トシをとっていくんですから。今年も早速、大会前の注目球児クン(6月30日、7月1日付)の取材でオバちゃんぶりを発揮してしまいました。ある投手の取材では生年月日を尋ねるのに「キミ、昭和何年生まれ? 」と尋ねたら「自分、平成元年生まれです」とヤンワリ訂正されました。そう、平成19年の今年、高校生はみんな平成生まれなんですね。
また、ある野手を取材したときはソフトバンクの小久保選手の話になり「小久保選手、ヤバいっすね」って言うんです。小久保選手の何がヤバいのか? どっかけがしたっけ? それとも調子を落としてるから? 話しながらグルグルと考えが頭をめぐりました。
が、そうではなかったんです。今の若者(って、この言い方がもうオバちゃんか)は「ヤバい」は「すごい」っていう肯定的な意味で使うんですね。おいしいものを食べて「これヤバい」とか普通に言うらしいです。そう、彼は小久保選手のすごさを「ヤバい」という言葉で表現していたわけです。会社で大学生のアルバイトくんたち会話を小耳にはさんで「そうだったのか~」と合点がいった次第。これはもう、立派なオバちゃんです。取材に行けば、選手の親と間違えられるし。ちょっとトホホな気分です。
7日には福岡をはじめ、九州各県が開幕します。そのまま8月の甲子園まで一気に球児と共に走り抜けます。今年はどんな選手に会えるのか? どんな言葉や出来事にめぐりあえるか楽しみです。体力が続くか心配ですが、九州を縦横無尽に駆け回ります。面白いことがあったら、またこのコラムで紹介しますね。
July 2, 2007 11:45 PM 投稿者:前田泰子 | トラックバック (6)
