2007年04月30日

初ハコ乗りの徳島往復:佐藤千晶

 29日アウエー徳島戦の遠征で初めて「ハコ乗り」を経験した。車の窓から身を乗り出した訳ではない。チームと同便で移動することを業界用語で「ハコ乗り」という。これまで、取材や原稿執筆の都合で別便移動だったのだが、福岡-徳島間の航空便は1日2往復。陸路での移動は時間がかかるため、同便を使うことにした。

 取材をしないのに、チームと同じ空間にいるのは、かえって緊張するものだ。1人だったらボサボサ頭でも、搭乗時刻ギリギリに空港に着いても良いが、チームの予定に影響しないよう早め早めの行動になる。練習場と違って、空港ロビーで選手をまじまじと見るのも失礼な気がする。結局、選手がいるレストランを避けて朝食を取り、たまたま会ったスタッフとだけ、あいさつを交わした。遠くから移動する選手の数を確認し、36人乗りの機内で誰とも目が合わずにすむ最前列の1人席に座る。徳島空港からのタクシーで1人になると、ホッとした。それも束の間、練習場に着くと「1人だけ陸路で移動した」という情報が入った。ハコ乗り取材をしたのは私だけ。なのに見逃すなんて痛恨だ。小型機嫌いのクルーク・ヘッドコーチと分かったから良かったが、移籍や負傷が関係していたら、と想像するだけで背筋が凍る。

 試合が始まると、新たな心配事が生まれた。徳島戦は後半41分まで両チーム無得点。「もしも負けたら帰りの機内は、つらいだろうなあ」。福岡の勝利を今までで一番強く願った。幸いなことに終盤のリンコンの得点で勝利。帰りの便は、そのリンコンの前の席だった。彼はポルトガル語しか使わない。日、英だけの機内アナウンスは、全く分からないだろう。今まで気づかなかったが、日、英語圏以外の人にとっては不便なことだ。2試合連続ゴールで上機嫌のブラジル人FWは、鼻歌のリズムを取っているらしく、時々、いすの背に振動を感じた。

 フライト中、新書を読もうとしたが、前夜、日本酒5合を飲んだ疲れ? が出て、半分は寝ていた。選手はハードな試合で、もっともっと疲れているはず。福岡空港では熱心なサポーターが到着を待っていた。いやな顔一つ見せず、サインや写真撮影に応じる選手たち。自分のプロ意識の甘さを感じる初ハコ乗りだった。

April 30, 2007 02:19 PM 投稿者:佐藤千晶 | トラックバック (6)

2007年04月24日

ぬるま湯に込めた“色”んな思い:村田義治

 持ち前の明るさだけは失って欲しくない。そう思わずにはいられない惨敗だった。九州で唯一のJ1大分トリニータが、22日の横浜戦で0-5と完敗。攻守ともにいいところなく、前節までの11位から16位まで転げ落ちた。

 試合前日の21日のことだった。東京への移動を控えていたが、練習を終えたばかりのピッチには笑い声が響いていた。この日、47歳の誕生日を迎えたバウミール・フィジカルコーチが標的にされ、大分恒例の祝福の儀式が行われた。クラブハウスから、ぬるま湯(水はまだ寒い)が入ったバケツを両手に持った選手が、次々とバウミールコーチ目掛けて飛び出した。それも単なる、湯でない。赤、緑、黄色…。バウミールコーチが浴びた水しぶきは、まるで打ち上げ花火のように鮮やかな色で弾け、練習場に笑顔の花も咲き乱れていた。

 その時点でチームは開幕6戦1勝。すっきりしない試合が続いていた。それだけに、山本潮マネージャーの頭には、こうよぎった。「成績がよくないときこそ、暗くなってはダメ。そうすると下を向いてしまう」。そう考えて用意したのが、何種類もの家庭用入浴剤で色付けした特製だった。

 山本マネージャーの作戦通り? にチームは沈滞ムードを吹き飛ばすように儀式が拡大。標的が次々と変わり、最後にDF三木主将にホースの水を直接、顔面に浴びせた選手が足早に走り去ると、サポーターから「試合のときより(走りが)速いんじゃない!」と、爆笑が起こり、選手もツキものが取れたようにすっきりした表情で、東京に向かっていた。

 だが、せっかくの「儀式」の効果も、たった45分で吹き飛んだ。まだ2点差のハーフタイムに、まるで負けを覚悟したようにうつむいたまま、控え室に戻る選手がいたことが残念だった。前半だけで退いた発熱の高松に続き、松橋章、金崎も途中交代。攻撃の核となる2トップと司令塔の3選手を総入れ替えした采配は「試合放棄」と捉えられてもおかしくないと思う。

 時間にして、ほんの10数分の儀式で文字通り泡と消える「ぬるま湯」ひとつにも、チームへの思いをこめるスタッフの存在もある。屈辱の敗戦をきっちり断ち切り、上昇ムードでチームに本物の笑顔と明るさを取り戻すのが、選手に課せられた使命だ。【村田義治】

April 24, 2007 07:45 PM 投稿者:村田義治 | トラックバック (0)

2007年04月16日

VSリティに2勝2分け4敗:佐藤千晶

 ピッチで笛が鳴る2時間前が、私にとってのキックオフだ。福岡リトバルスキー監督に対して勝手に挑んでいる「試合」は、開幕から2勝2分け4敗。現在、3連敗中である。

 試合当日の紙面に掲載する、福岡の予想メンバーイラスト。先発選手、フォーメーションともに一致していれば「勝利」、選手は一致しているがフォーメーションが違う場合は「引き分け」、それ以外は「負け」。開幕前に自分の中でルールを決めた。15日の愛媛戦では、原稿でも林とリンコンの2トップを予想したが、見事に? 外れる大惨敗だった。

 試合数日前の練習を見れば、先発がほぼ分かるチームもあるが、福岡は違う。開幕から固定されているのはGKと4バックだけ。中盤はローテーション制を敷き、FWは相手チームの戦術に対応して変更を重ねてきた。練習は、さまざまなフォーメーションで行う上に、非公開になることもある。ある選手は「試合当日に先発を伝えられるので戸惑ったけど、最近はある意味、楽しみになってきました」と話す。当人たちでさえ、予測できない先発メンバーを「的中」させるのは至難の業だ。

 予想メンバーを掲載することに対しては、直接、間接で賛否両論が聞こえてくる。読者への情報提供は当然、という声も、負傷者や戦術変更を対戦相手に漏らすな、という意見も分かる。けれども、ほぼ毎日チームを取材している私にとって、メンバーを予想するのは基本中の基本の仕事だ。福岡がどんなチームなのかを読者に知らせるために、福岡がどう戦うのかを抜きで書くことはできない。もしも私が書かなかったとしても、ほかのメディアが掲載するし、ネットにはメディア発でない情報もあふれている。J2で優勝を目指す福岡には「情報戦」の負の部分があったとしても、それに勝つくらいの強さを持ってほしいとも思う。

 試合前日、何パターンも予想フォーメーションを紙に書く。練習内容を振り返り、監督が話した言葉の表の意味、裏の意味を考え直して、1枚だけ紙を選ぶ。その1枚は、数日間の取材のすべてを集約している。勝利のために、時には報道陣を煙に巻くリトバルスキー監督に対して、勝負を挑む瞬間だ。メンバー発表まで、別のパターンにすれば良かったと考えるのは毎度のこと。新聞を読者から回収して、イラストを訂正する夢を見たこともある。

 毎回苦しむメンバー予想だが、半ば開き直って楽しむことにした。3連敗しても、3回連続でサッカーに対する考え方を、監督から教わったと思えば良い。学んだことをベースに、メンバーが発表された瞬間から、次の試合の予想を始める。J2リーグ戦は残り40試合。「勝手に師弟対決」の勝利を伸ばしたい半面、「そう来ましたか!」と驚きたい自分がいる。

April 16, 2007 09:11 PM 投稿者:佐藤千晶 | トラックバック (0)

2007年04月09日

ある鳥栖の元選手のスピリッツは今…:村田義治

 懐かしい顔に出会った。7日、大阪・長居陸上競技場で行われたJ2のC大阪-鳥栖戦。04年シーズンを最後に鳥栖を退団した矢部次郎元選手と再会した。

 00年シーズン途中に名古屋から移籍した矢部選手は、すぐにダブルボランチのレギュラーに定着。5年間で通算136試合に出場し、J2の下位に低迷していた鳥栖を支え続けた。05年にJFLのチームに所属した後、現役生活にピリオドを打っていた。

 現在は、生まれ故郷の奈良に戻り、少年サッカーの指導を行っているという。「鳥栖の最後のころから、股関節を痛めてました。今も少年の指導ができますが、大人のサッカーはちょっと…」。それでも、子供たちへの指導を通じて、サッカーへの思いを再確認した。「できれば、県リーグでもいいんです。もう1度サッカーをやってみたい」。元Jリーガーというプライドはなく、1人のサッカー選手として、1日でも長くサッカーを楽しみたいという思いを募らせている毎日だ。

 在籍していた当時の鳥栖は、経営難のまっただ中。チームも、とにかく弱かった。それでも、自らボランティアで積極的に小学校を訪問する姿勢と献身的なプレーで、サポーターの人気を集めた記憶に残る選手だった。

 矢部元選手が観戦したこの日、鳥栖はC大阪に惨敗。守備のミスで失った開始30秒の先制点で完全に浮き足立った。松本GMは「柱になるリーダーがいないし、元気がない」と嘆き、長年、鳥栖の戦いを見守るフリーライターの1人も「勝てなかった時期も、矢部選手のようにチームを支えるリーダー的な選手が1人はいた」と振り返った。低迷期の苦境の中でいつも戦っていた矢部元選手のような頼りがいのある選手は見当たらなかった。

 開幕で大きくつまづいた岸野鳥栖。1つの失敗をズルズル引きずってしまう選手のメンタル面の弱さが気になる。「すべては導けない私の責任」。岸野監督はそう語るが、選手1人1人の責任感はどこにいったのか。今よりも厳しいクラブ運営、練習環境にも負けずに戦ってきたOBが歴史をつないだからこそ、経営難を乗り切った鳥栖は今シーズンもJリーグを戦えている。大きく若返った鳥栖イレブンには、結果を恐れず、どんなときも100%の力でぶつかる姿勢を取り戻してほしい。

April 9, 2007 11:33 PM 投稿者:村田義治 | トラックバック (1)

2007年04月03日

久永が生まれた日のニュース:佐藤千晶

 福岡MF久永と、ニッカンの共通点は?

 答えは1977年、九州生まれ。久永には地元で活躍するJ選手として、4月1日付の西部日刊スポーツ創刊30周年特集紙面に登場してもらった。

 インタビューの日、4枚の新聞コピーを雁の巣クラブハウスに持参した。久永の誕生日である77年12月23日付の1面、翌12月24日付の1面、96年1月9日付の2、3面。すべて九州、山口で発行した日刊スポーツ西部版だ。誕生日の新聞は、記念の複写を持っている人も多いだろう。新聞は前日の情報を掲載するもの。誕生日のニュースを読むため、翌日付の1面もコピーした。96年のコピーは、久永が鹿児島実3年で全国高校選手権初優勝を果たしたときの記事だ。

 会社の資料棚から過去の新聞を取り出し、コピーしていて2度、驚いた。まず「鹿実、初V」という九州のビッグニュースが1面ではなかったこと。96年1月9日付の1面は、バレーボール界の内紛だった。2、3面でワイド展開した高校選手権決勝の紙面コピーを「懐かしいなあ」と読んでいた久永。もう一つの驚きを伝えると「えっ、そうなの?」と、記者と同じように、びっくりした。

 久永の生まれた日、その翌日とも、日刊スポーツには1行もサッカーの記事が載っていなかったのだ。

 77年12月23、24日付とも、1面は福岡が本拠地だったプロ野球ライオンズ。根本監督の新体制が主なニュースだった。2、3面も野球の記事で、4面にそのほかのスポーツという構成だ。時期的には、サッカー界が全く動いていないとは考えづらいが「サ」の字もなかった。

 久永が産声を上げた日にはゼロ行だったサッカーの記事は、4月1日付では特集を含めれば4ページにも及んでいる。野球は倍の8ページ。30年後、九州のニッカンが還暦を迎えられれば、サッカーの記事量や紙面構成は、どう変わっているだろうか?

April 3, 2007 04:31 PM 投稿者:佐藤千晶 | トラックバック (0)