2006年11月28日
12月2日は選手も取材側も緊張の1日:押谷謙爾
福岡が2度目の降格ピンチだ。J2へ自動降格する17位。入替戦に回る16位とは勝ち点1差で、12月2日のリーグ最終戦を迎える。
95年にJFLの藤枝ブルックスを福岡へ移転させて福岡ブルックスとなり、優勝。翌96年からJリーグに参戦した。当時の昇格は言わば「借り物」に似た感覚だった。昨年は4年間のJ2を経験してJ1に昇格。自力で上がるという、産みの苦しみを感じ、そして、その道が容易でないことを福岡の街は知った。
J1昇格を決めた当時、クラブ幹部は目標を語った。「理想を持ちつつ、現実を見ながら少しずつチームをつくる。夢見るチームでありたい。J1でどうやって勝つか? 若手を鍛え、タフさをつけ、経験を積ませて強くなる。お金がなくても優勝に絡んでいくチームになりたい」。
だが今季はなかなか勝てず、早くから残留争いに巻き込まれた。選手のJ1経験が乏しいことも苦戦した理由の1つ。監督交代や選手補強と手は打った。厳しい現実を味わい続けた1年の結末は、残留か降格どちらか。最終戦にすべてをかける。取材する側としても緊張の1日となりそうだ。
November 28, 2006 08:56 PM 投稿者:押谷謙爾 | トラックバック (2)
2006年11月20日
三束のわらじ?V長崎の塚本秀樹:村田義治
昨シーズン後に現役を引退し、今年から福岡のホームタウン推進グループのコーチを務める塚本秀樹(33)が、九州リーグ所属のV・ファーレン長崎のGKコーチ兼任で現役復帰し、24日から始まる全国地域リーグ決勝大会に臨む。
引退後は、巡回コーチとして小学校の体育の授業に出向いたり、クラブのスクールの指導に当たってきた。現役時代には控えていた晩酌も始め、ベスト体重から5キロ増の84キロに。だが、国見高時代の恩師で、V長崎の小嶺忠敏社長(61)から打診を受けた10月上旬から、ランニングやコーチ業の合間にトレーニングを敢行。現役時代の体型をすぐに取り戻したという。
「厳しいかもしれないと思ったが、やれることはやります、と返事した。地元のチームですからね」。全国屈指の高校サッカーの強豪と知られている国見高は、福祉関係にも力を注いでいるという。塚本も、福岡に入団した2年目から昨年まで「塚本シート」を開設。養護施設の子供などを、招待し続けてきた。今回も、JFL昇格をかける地元チームの一大事に、お助けマン? の本領を発揮して駆けつけた格好だ。
福岡でのコーチ業もこなしながら、時間を見つけて長崎での練習に参加してきた。長崎で夜10時まで練習し、そのまま車を運転して深夜に福岡にトンボ帰り。3、4時間ほどの睡眠の後、朝から学校訪問を行ったこともあるという。「会社(福岡)も協力してくれた。きついけど、コーチとしての仕事はおろそかにできない。やりがいというより、責任がある」。福岡と長崎を合わせ「普及コーチ兼GKコーチ兼選手」という前代未聞のGKの活躍を、楽しみにしたい。【村田義治】
November 20, 2006 07:26 PM 投稿者:村田義治 | トラックバック (0)
2006年11月13日
あれから2年3カ月、高松は変わった:押谷謙爾
今回は堂々とした出発だった。大分のFW高松大樹(25)が日本代表に初選出された。12日朝に大分から東京経由で、札幌へ向かった。大分空港でGK西川を子分のように? 従えて旅立つ姿に、03年8月、不安いっぱいの顔だった21歳の高松を思い出した。
翌年のアテネ五輪出場権をかけて戦っていたU-22(22歳以下)代表に初選出された。今では大分のエースの高松だが、意外にも日の丸はこの時が初めて。おまけに遠征先はエジプト。「知ってる人がだれもいないし、一緒に行ってくれませんか? エジプト用のコンセント持ってませんか?」。出発前の取材では心配事ばかりが口をつき、意気込みを語るどころではなかったと記憶している。
当時は自他ともに認める人見知りで、寂しさを紛らわすためのDVDソフトをカバンに詰め込んでいた。だが、そこは同世代。エジプト第2の都市、アレキサンドリアまで30時間の移動や、酷暑での戦いですっかり仲間に溶け込んだ。今回A代表でも一緒のFW佐藤寿(当時仙台)にはふりかけを、ホテルで同室だったMF児玉(当時G大阪の)からは梅干しを分けてもらったと、笑顔で話していた。ヨルダン相手のデビュー戦では出場から1分でゴールするなど結果を残した。帰国後の顔には自信の色が浮かんでいた。
翌04年夏はクラブ初の五輪戦士としてイタリア戦でゴール。存在感を示した。あれから2年3カ月。当時より筋力アップして体重は3キロ増。エースとして今季チーム最多の12点を挙げる。現在、札幌での代表合宿も好調な様子。2010年W杯南アフリカ大会に向け、今回は自信を持って踏み出したようだ。
November 13, 2006 05:39 PM 投稿者:押谷謙爾 | トラックバック (1)
2006年11月06日
高校サッカー界の新星がもたらすもの:村田義治
九州の高校サッカー界に「新戦力」が台頭した。今年、全国高校サッカー選手権の鹿児島代表を、創部5年目の神村学園が射止めた。J2鳥栖の松本監督が当時率いた地球環境(長野)の「創部8カ月で全国選手権1勝」という超スピード記録には及ばないが、価値ある全国初切符だ。
現在、サッカーだけでなく、ラグビー、駅伝など、高校の各競技予選が続々と行われているが、九州は、どの競技も伝統校が強い傾向にある。サッカーの国見(長崎)と駅伝男子の大牟田(福岡)は、21年連続出場を早々と決めた。次々名乗りを上げる代表は、なじみの学校がほとんどだ。
神村学園と同様、駅伝男子で日本文理大付(大分)が全国初出場を決めたが、今年3月まで長年、大牟田を率いた大見監督が、今年から指導に当たっている。高校野球の秋季九州大会でも大牟田(松嶋監督、元九州産)自由ケ丘(福岡=末次監督、前柳川)ら、実績を持つ指導者の「移籍」による台頭も目立った。
神村学園の竹元真樹監督(32)は、鹿児島実が初めて全国大会で決勝に進んだときの主将。「(鹿児島実総監督の)松沢先生から、何ごとでも強い意志を持って向かっていくこと」を学んだという。地元で22度の全国選手権出場を誇る母校と争う道を選び、初めて鹿児島の頂点に立った。塗木竜也主将(3年)も「子供のころから全国で活躍する鹿実のプレーを見てきたが、鹿実を倒すために神村学園を選んだ」。今大会での直接対決はなかったが「打倒・鹿実」の思いが、快進撃の原動力となった。
全国大会で好成績が続く九州勢だが、絶大なる指導者の存在が、若手指導者の成長を妨げている、という声も挙がっている。カリスマ的な指導者と、その教え子など若き指導者がツバ競り合いして、県大会切符を激しく競り合う。今後そんなシーンに、もっと出会いたいものだ。
November 6, 2006 04:13 PM 投稿者:村田義治 | トラックバック (1)
