2005年06月24日
大分にある「日韓」:押谷謙爾
大分の胸スポンサー決定のニュースに安心したファンも多かっただろう。先日、総合レジャー企業の「マルハン」(本社・東京、京都)との契約を結んだ。パチンコやボウリング、ゴルフ練習場、映画館などを経営し、売上高が1兆円を超える大手である。京都で創業し、幾度の困難を乗り越えて業界トップへと成長した。その歴史は地方都市で興り、4度の経営危機を乗り越えた大分トリニータの歴史にも似ていた。
創業者の韓会長は韓国出身で、大分もクラブ創設期から韓国とのパイプを持ち、現在は元韓国代表FWの皇甫監督が指揮を執る。また、大分は3年前にW杯の開催地にもなった。両社の根底には「日韓」があり、世界を目指すビジョンなど共通点が多かった。溝畑社長は「単なる広告宣伝費の理論に乗らない要素で、契約に至った」と振り返った。
多くの大手企業が本社を置く関東圏にあるクラブに比べれば、大手スポンサー獲得の条件は厳しい。「やはり企業にとってスポンサー料は広告宣伝費。大分県の121万人のマーケットで年間数億円に対し、関東だと3000万~4000万人がターゲットになる。これでは先方の会社の中で理解を得るのは難しい」(溝畑社長)。もちろん、そのハンディはクラブ創設時から覚悟の上。それだけにクラブのビジョン、理念に共感してもらえるかが、営業活動では特に重要だった。
「スポーツを通じた地域貢献、スポーツの普及」「世界に通用するクラブづくり」「夢は必ずかなう、そして夢への挑戦」。大分ははこの3つを活動理念にしている。昨年、打ち出した5カ年計画の中で、08年のJ1優勝を目標に掲げた。3年後である。メーンスポンサー不在という危機的状況を脱しはした。それでも溝畑社長は「これでホッとしていたらダメだ」と言う。夢への挑戦に、立ち止まる暇はない。
【サッカー担当 押谷謙爾】
June 24, 2005 10:10 PM 投稿者:押谷謙爾 | トラックバック (1)
2005年06月12日
ドラマを生んだ懐かしいスタジアム:押谷謙爾
大分市営陸上競技場で大分の試合を久しぶりに見た。J2時代のホームスタジアムで12日、サテライトリーグ福岡戦が行われた。99年から3年連続でJ1昇格に失敗し、多くの涙が落ちた場所である。最近は練習で使う程度だから、懐かしく感じたファンも多かったのではないだろうか。
天気も良く、屋根の下の席はほぼ満席だった。「JFLのころよりも、お客さんが入ってますね」とメーンスタンドを見上げたのは古沢総務企画部長。クラブ創設期、観衆3人という試合で太鼓をたたき声を枯らしたサポーターの1人で、現在はクラブ職員としてチームを支えている。競技場のキャパは1万6000人。ゴール裏、バック側の芝生席が牧歌的でいい。
大分のこの競技場での最多入場者記録は99年、リーグ最終戦の山形戦、1万5702人。確かバック側の国旗掲揚台にまで観客があふれていた記憶がある。
個人的には00年の第4クール浦和戦に懐かしい思い出がある。この試合も1万4639人が入り、報道陣も席の奪い合いで大変だった。大分が0-2で敗れ、「自力昇格の可能性が消滅」という原稿を書いたが、同時に石崎監督(現東京Vコーチ)の去就問題も追っていた。取材過程で「J1に上がっても、オレはやらん」というコメントを監督から取り、裏づけに動いていた矢先だ。溝畑GM(現社長)と代理人に競技場の階段裏に呼ばれ「今、そんな、記事書くのか」とすごまれた記憶がある。結果的に続投で落ち着くのだが、J1昇格にクラブ全体が執念を燃やしていた時期だった。当時の悔し涙の数々が、その後の踏み台となっていった。
時は流れ、今年も大分スタジアムにはJ1で第5位の平均2万2340人が押し寄せる。ちなみに7年前、大分トリニティの名でJFLを戦っていた98年シーズンの平均入場者が2040人。この日のサテライトリーグの観衆は2132人だった。時は流れている。
【サッカー担当 押谷謙爾】
June 12, 2005 12:44 PM 投稿者:押谷謙爾 | トラックバック (2)
2005年06月09日
「準備」の大切さ:押谷謙爾
シーズン中では珍しいハードなサーキットトレーニングに大分イレブンのあごが上がった。8日の練習。コーンを使ったフットワークやジャンプ、200メートル走(32秒以内)×4本などかなり内容は濃かった。直後のミニゲームでは単純なトラップ、パスミスが目立ち、翌9日の紅白戦も足取りは重かった。
11日にナビスコ杯予選リーグ最後の柏戦が控えることを考えると「やりすぎ」と思うが、リーグ戦をにらんだ取り組みとみている。来週からは愛媛・新居浜で5日間のキャンプ。その後も7月2日のリーグ再開に向けて追い込みをかける。ある選手は「この時期に疲れのピークを持ってきて(リーグに体調を)合わせるのじゃないですかね」と、皇甫監督の狙いを推測していた。
周到に準備を進めている。5月中旬、磐田遠征を終えた夜。中部国際空港のラウンジで皇甫監督は中日戦を終えたソフトバンク王監督と一緒になった。競技こそ異なるがプロチームを率いる「先輩」の貴重な話に何度もうなずいた。「勝負はほんのわずかの差で決まる。そのため、そのちょっとしたことにこだわり、準備することが大事ですね」。王監督の言葉は自分と同じ考えだった。
就任1年目。采配に迷うこともあった。試行錯誤しながら5カ月が過ぎ、周囲の目も厳しくなりだす時期だ。信念を持って突き進むしかない。正念場は7月2日からのリーグ5連戦。もちろんナビスコ杯を軽視するわけでなく、FWマグノ・アウベスや高松も復帰させる。目の前、そしてその先にある試合を、新人監督なりに考えた「準備」なのである。
夏休みの宿題を8月31日にまとめてやっていた私はいまだに準備が悪く、締め切り間際にバタついている。
【サッカー担当 押谷謙爾】
June 9, 2005 03:13 PM 投稿者:押谷謙爾 | トラックバック (3)
2005年06月07日
遠征の移動が厳しい、J大分:押谷謙爾
6月4日のアウエー千葉戦を終え、翌5日はKyuリーグ取材のため北九州市へ向かった。アジア選手権の行われたベトナムから徹夜で駆けつけ、チームの勝利に貢献したフットサル日本代表、FC琉球のMF比嘉を取材した。早く眠りたかったはずだろうが、充血した目を時折、手で押さえながら質問に答える姿に感心させられた。
取材を終え、JR小倉駅から乗り込んだ特急ソニックでは広島でサテライトリーグを戦った大分のサテライトチームと一緒になった。大分駅到着は午後10時20分ごろ。MF梅田ら千葉戦に途中出場した選手は、連日の移動でさすがに疲労の色が濃かった。
往路はホーバークラフトで大分港から大分空港へ。飛行機で羽田空港へ、その後はバスを利用する行程。そしてこの日は電車。遠征のときに「陸海空」すべての交通手段を利用するのは、Jリーグで大分だけ。
特に東北方面へは直行便がなく、山形、秋田遠征は体力的にもつらい(取材する側としては、羽田空港で時間を持て余す選手たちと話が出来るので都合がいいのだが)。関東、関西圏では近隣チームとの試合だとバス移動も多い。常に移動時間が長い大分は試合前からタフでないといけない。
来週からは四国・新居浜で短期キャンプ。皇甫監督は「もっと精神的なタフさを身につけることが必要」と予告している。今季開幕前の韓国キャンプでも、食事面でストレスを訴えた選手たちに同じ言葉をぶつけた。7月に再開するリーグ戦に備え、チームがどう変わるか。取材に出向くつもりだ。
【サッカー担当 押谷謙爾】
June 7, 2005 03:14 PM 投稿者:押谷謙爾 | トラックバック (1)
2005年06月05日
ワールドユースで注目!大分GK西川:押谷謙爾
ワールドユース選手権が10日、オランダで開幕する。20歳以下の各国代表による世界一決定戦。九州ではJ1大分からGK西川周作(18)が、J2福岡からもMF中村北斗とDF柳楽智和(ともに19)が出場する。
宇佐市の中学3年生だった西川は当時、大分ユース監督だった皇甫監督に口説かれて入団した。骨太かつバネの強い体から放たれるキックは力強く、正確だ。今年からプロ契約になったが、ユース時代から実力は突出していた。父次洋さんはふぐ職人で、西川家の食卓は魚が多かった。「僕はサバがあればご飯を何杯でもおかわりできます」。両親から与えてもらった体を豊後水道で採れる海の幸、皇甫監督の熱血指導がユース代表選手に成長させた。
ワールドユースを密着取材する東京本社の高田記者よれば「先発は間違いなし」とのこと。小学4年、体が大きかったことで「たまたま」始めたGKのポジション。「小学校の正月大会でPKを止めて、みんなから褒められた。ヒーローになるのが楽しかった」。思い出を語る西川は、昨年のアジアユース準々決勝カタール戦でPK戦を制し、日本をワールドユースへと導いている。その時も「ヒーローになれてうれしい」と笑った。
「目立つのが好き」という性格だけに、今回の国際大会はもってこいの舞台。実はFKも得意で大分ユース時代には公式戦で何点も決めている。個人的にはぜひワールドユースで蹴っていただきたいが、まあ無理か。それでも「地元産」の貴重な選手として注目している。
オランダとの初戦は日本時間11日午前3時キックオフ。
【サッカー担当 押谷謙爾】
June 5, 2005 03:15 PM 投稿者:押谷謙爾 | トラックバック (2)
