記者コラム「見た 聞いた 思った」

2005年07月31日

選択肢ある環境作り:千葉修宏

 今年の大リーグ・オールスターゲームは、7月12日に自動車の街デトロイトで行われました。米国は、かつての名選手を非常に大切にするお国柄。試合前のセレモニーには「ミスター・タイガー(ミスター・タイガース掛布さんじゃないですよ)」こと、通算3007安打の外野手アル・ケーライン氏(元タイガース)らが登場。ファンは総立ちで迎えてました。

 そんな中、会場となったコメリカパークで、懐かしい顔を見つけました。野球とフットボール、二足のわらじで活躍したボー・ジャクソン氏。バックスクリーンに、かつての球宴での活躍が映し出されると、球場は大盛り上がりでした。

 ◆ボー・ジャクソン 1962年11月30日、米アラバマ州生まれ。外野手。オーバーン大学出身。86年ドラフト4巡目でロイヤルズに指名されてプロ入り。その後、NFLレイダースでもプレーした。88年の大リーグ球宴では本塁打を含む4打数2安打2打点1盗塁でMVP。野球、フットボール両方のオールスターに出場した唯一の選手でもある。右投げ右打ち。186センチ、103キロ。

 ジャクソン氏や同じく兼業選手で有名だったディオン・サンダース(37歳の現在はNFLレーベンズでのみプレー。今年6月に1年間契約更新)のことを考えると、すごくうらやましくなるんですよね。僕なんて小学3年でスポーツ少年団の野球クラブに入部してから大学4年まで、一年中野球をやってて、フットボールをする時間なんてなかったですから。

 私事ですが、03年に子供が生まれてから、すごく教育について考えるようになりました。その中で最近、強く思うのが「子供が最善の道に進めるように、常に複数の選択肢を提示してあげたい」ということ。だって、野球、サッカー、勉強、芸術など、子供にとって何が一番能力を発揮できるかは、そんなに簡単には分からないですから。ジャクソン氏のように複数のスポーツに秀でているかもしれないし。

 米国在住の知人に聞いてみました。公立の小学校に通う彼女の8歳の息子さんは、(1)秋(9月から11月)はサッカー(2)冬(1月から3月)はバスケットボール、(3)春(4月から6月)は野球、をやるのだそうです。さらに彼は日本語学校から出される宿題もこなしながら、昨年10月から2月まではインドアサッカー(6人制)の町代表チームの選手だったそうです。

 そういう中から自分の才能を見極めていけるシステムって、すごく大切ですよね。でも残念ながら、今の日本では、いったん野球部に入部したら、辞めない限りは他の道に進みにくいのも事実。いつも汗だくでボールを追い、甲子園を目指している球児は素晴らしいけど、大人はそういった周囲の環境を改善していかなくちゃ、と思います。「オレも高校、大学と、サッカー部と掛け持ちできてたら、今ごろはセリエAだったかな」なんて、バカなことを考えながら、この原稿を書きました。

July 31, 2005 11:16 AM

2005年07月30日

常識覆す北島の偉業:荻島弘一

 北島康介という男は、本当にすごいと思う。カナダ・モントリオールで行われている水泳世界選手権、25日の100メートル平泳ぎ決勝で銀メダル。27日の50メートル決勝でも、銅メダルを獲得した。いずれも自己記録更新、つまり日本新で泳いだ。優勝こそ逃したが、確実に進化を続けている。これが自由形だったら、それほど驚かない。平泳ぎだからこそ「偉業」と言える。

 競泳競技には4つの泳法がある。自由形、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライ。クロールが主の自由形以外は特殊種目と呼ばれるが、中でも平泳ぎは最も難しいと言われる。手と足のかきは、推進力を生み出すとともに抵抗にもなる。1ストロークの中で、スピードがほとんど0になる瞬間があるため、4泳法の中で最も遅い。男子の世界記録は、日本の女子自由形の小学生記録にも負ける。

 体力よりも技術の比重が大きいからこそ、体格にハンディを負う日本人の「お家芸」になった。しかし、泳ぎの難しさが多くの日本選手(外国人選手もだが)を苦しめてきた。長くトップレベルを維持することができない。五輪の歴史を見ても、連覇は男女を通じて28年アムステルダム大会と32年ロサンゼルス大会200メートルの鶴田義行(故人)だけ。王者が勝てないのが、この種目の特徴でもある。

 乱暴な言い方だが、自由形などは練習を積めば積むほど速くなる。筋力がつけば、それがスピードにつながる。しかし、平泳ぎは違う。手と足のバランスが重要で、少しでも狂うとタイムは落ちる。筋力がアップすれば、逆に泳ぎのバランスが崩れる。精神的な影響で崩すこともある。選手たちは「平泳ぎは繊細な種目」と口をそろえる。

 92年バルセロナ五輪200メートルで金メダルを獲得した14歳の岩崎恭子は、その記録を2度と破れなかった。72年ミュンヘン五輪100メートル金メダルの田口信教も、その後4年間は自己ベストを更新できなかった。最高の泳ぎを毎年続けることが難しいのが平泳ぎだ。

 決勝レース終盤、北島に向けて「行け! 行け!」と叫ぶテレビ解説の高橋繁浩さんも、平泳ぎの元日本記録保持者。「難しい種目なんですよ」としみじみ話したことがある。高校2年生だった78年に、200メートルで同年の世界最高をマーク。「天才少年」「金メダル候補」と騒がれたが、その後水没での泳法違反(当時は常に頭が水面から出ていなければならなかった)をとられて低迷。自己記録更新は、1度した引退を撤回して臨んだ88年ソウル五輪、実に10年ぶりだった。

 02年のアジア大会で世界記録を出した後、当時の担当記者に「世界選手権は難しいな」と言った。世界選手権2冠の後は「五輪は勝てないぞ」と話した。そして今大会前には「もう記録は出せないよ」。しかし、すべて予想は裏切られた。古い水泳担当が持っていた平泳ぎの「常識」は覆された。泳ぎを変えながらも進化を続ける北島と、それを支える平井コーチ。もしかしたら、08年北京五輪での史上初の五輪連続2冠も現実になるかもしれない。

July 30, 2005 12:04 PM

2005年07月29日

言葉の暴力を許すな:桐越聡

 「『文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ』なんだそうだ。『女性が生殖能力を失っても生きてるってのは無駄で罪です』って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって…」。

 「週刊女性」01年11月6日号に「石原慎太郎都知事吠(ほ)える!」との表題で掲載された石原慎太郎東京都知事(72)の発言の抜粋だ。

 都内に住む女性131人は02年、発言撤回と謝罪広告の掲載、損害賠償を求めて提訴した。1審の東京地裁は今年2月、「不適切な表現だが、女性全般について個人的な意見を述べたもので、原告個人の名誉を傷つけたとはいえない」として原告の請求を棄却した。

 その控訴審が25日、東京高裁で始まった。1審の原告131人中113人が名を連ねた。

 原告の1人で、55歳になる「きよさん」は都内の弁当店で働いている。離婚後、調理師免許を取得して14年前、四国地方から故郷の東京へ戻った。売るのは1日60個に満たないが、1人暮らしのお年寄り、共働きの家庭、入院中の患者さん…。待ってくれている人の顔を思い浮かべながら、丁寧に手づくりしている。「地域の人とつながりながら、満足のいく仕事ができています」。

 きよさんの心は石原都知事の発言によって、深く傷つけられた。「発言が自分に向けられていると思いました」。このちょうど1年前、きよさんは都内の病院で子宮の摘出手術を受けた。ホルモンのバランスが崩れて体調が変化した。同じ病院で摘出手術を受けた4人と再会し、術後の経過を報告したり、悩みを打ち明けあっていた。「前向きに生きていこうね」。そんな話をしていた矢先だった。

 「『生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪です』って、何の権利があって言っているの? 同じ病院には子供が欲しいのに子宮を摘出しなければならなかった、若い女性がいました。私の娘は摂食障害に苦しんで長い間生理がありませんが、生殖能力は問題じゃない。生きているだけでいいと思っています。石原都知事には『どれだけ多くの女性を傷つけたか分かっているの?』と言いたい」。

 人種、国籍、地位、もちろん性別は関係なく、人はそれぞれの場所で、限りある人生を精いっぱい生きている。家族を失った人も、病気やけがに苦しむ人も、経済的に苦しい生活を余儀なくされている人も…。笑い、喜び、怒ったり、悲しんだりしながら、自分の仕事や役割をこなしている。

 そんな市民を、広く傷つけるような社会的強者の発言は許されるのだろうか? 体に傷となって残る暴力とは違って、言葉の暴力は法律の網にかかりにくいともいわれる。だからといって野放しにされたままでいいのだろうか?

 「石原発言に怒る会」の共同代表、野崎光枝さん(73)は話している。「権力者の言葉の暴力が許されるようでは、日本の未来はひどいことになります」。

July 29, 2005 10:39 AM

2005年07月28日

本気?それとも冗談:横田和幸

 人間、追い込まれたら本性が出てしまう。新日本プロレスの元IWGP王者・中邑真輔(25)。今年2月、大当たり確率約1/300のパチンコで2000回転も大当たりが引けない状態に陥った。彼は理知的な性格で有名だが、そのパチンコメーカーに問い合わせたという。


 「いやぁ、50連チャン以上も記録している機種なので、逆にそんなハマリもあるのでは…」とは担当者の弁。ちなみに機種名はアントニオ○○をモチーフにした台。燃える闘魂に、鉄拳制裁を食らった。あの人気絶大の中邑クンが、と思えばクスッとしてしまう。


 こちらは背筋がゾクッとした事件だ。先日の全日本プロレス大阪大会。第1試合でタッグを組んでいたNOSAWA(ノサワ)論外(28)とMAZADA(マサダ=30)が試合後、報道陣控室になだれ込んできた。


 「なんだ、今の試合は?」。マサダが憤慨。「そう言うなよ…」。パートナーの論外は泣きそうな顔。お笑い満載の試合展開に、マサダは悪役としての誇りが傷ついた。激しい試合がしたかったようだ。


 そこに新たな怒号が響いた。「(マスコミに見せる事ではないから)外に出てけ!」。レフェリー生活31年目、この人が裁けば泣く子も黙るという和田京平レフェリー(50)が怒った。普通の選手だと黙るはずなのに、マサダは逆ギレした。「うるせぇってんだよ、お前こそ黙ってろって!」。


 これに京平さんが逆逆ギレ。「よぉうし、表出やがれ。このヤロー!!」と叫んだ瞬間には、もう右ストレートがマサダの左顔面をとらえていた。制止に入った論外に、ア然とする武藤社長。路上で酔っぱらいのけんかは見た事あるが、仕事場で、しかもレスラーとレフェリーが殴り合うなんて。これが、2人の本性なのか。報道陣控室には凍り付いた空気が流れた。


 全試合終了後、再び京平さんがやってきた。


 「あのヤロー(マサダ)は謝りにもこないぜ。移動バスの中で刺されないように警戒しないとな。どうしたんだよ(記者の)みんな、暗い顔して」。


 あのね、京平さん、それはアナタが原因でしょ。「あんな乱闘騒ぎを起こすから」と突っ込みたかったが、私は小心者だ。


 学生時代、猪木がホーガンにアックスボンバーを浴びて、舌出し失神KOされたのを見た時、夜は怖くて眠れなかった。今回は目の前で起きた大げんか。その夜は寝付きが悪かった。


 事件の数日後、ある業界関係者から連絡がきた。


 「横田さん、あのけんか、本気だと思ってるの? 記者をビビらすための京平さん流の冗談。レスラーは一銭にもならないけんかはしません」(その人はクスッと笑う。自信ありの表情だ)。


 となると、京平さんが主犯、マサダは共犯か? 確証はない。もしかして本物のけんかだった可能性は捨て切れない。しかし、不安になってきた。今後の全日本は、揺れる心境で取材をすることになりそうだ。

July 28, 2005 01:08 PM

2005年07月27日

郷愁呼びさます味:上野耕太郎

 私が担当する日本ハムの本拠地、札幌ドームは札幌市の豊平区羊ケ丘という場所にある。農業試験場だったこの場所、その名の通りかつて羊が放牧されていたようだ。

 03年から北海道グルメの1つ、ジンギスカンのブームが続いている。ブームの火付け役となったのはその年の4月に放送された情報番組だ。「食べても太らない肉」と放送し、一気にファンを拡大させた。「癖がある」といわれた羊肉も一般化し、首都圏でも専門店がオープンして人気だという。

 戦前、羊は毛をとるため軍需目的で飼育され、戦後の食糧難でジンギスカンが普及していったという背景があるようだ。62年に羊毛の輸入自由化、化学繊維の登場により飼育数が激減。冬の時代を乗り越え今や脚光を浴びている。北海道には食べ方が2種類ある。札幌周辺ではたれにつけて、北空知地方ではたれにつけ込んだものを食べる。東京では札幌周辺のたれをつけて食べるものが広まっているそうだ。

 ちなみにジンギスカン料理の名の由来と思われる、チンギスハン(漢字表記は成吉思汗)が帝国を作り上げたモンゴルでは、羊肉をゆでた物を食べる。モンゴルからやってきた食べ物ではなく、オリジナル(中国料理が発祥)という説もあるそうだが。モンゴル出身の力士が北海道にやってきて「食べたことがない。うまい」と言っていたそうなので、どうやら独自の食べ物らしい。

 宣伝みたいになったが、書きたいことはそうではない。北海道の人にとってジンギスカンって何か郷愁の漂う食べ物なんですよね。こどもの日の思い出というか…。

 わが家だけではないと思うのだけれど、とにかくジンギスカンだった。運動会が終わったその日の夕食、日曜日の食卓、花見、海水浴、キャンプ…。ジンギスカン専用の鍋がどこの家庭にもあった。一家だんらんの象徴だった。今はいない祖父と祖母、そして両親と弟と食卓を囲んだ。日曜日の夕暮れ時、食べ終わってアニメの「サザエさん」が始まると、「明日から学校だなぁ」って思ったものだ。

 僕を含めた北海道人はジンギスカンに少なからず郷愁を覚えてしまう。多分、その地方で象徴のような食べ物があるのだろう。それって幸せなことだと思う。

 人はいろいろな風景が写真のように折り重なって、記憶の中に刻まれていく。当時の味や音楽などがそのきっかけとして、その写真を頭の中に浮かび上がらせる。毎日、気ぜわしく働いていると、今の自分の「風景」ってあと数十年たつと、何だろうとって思う。そして今の子供たちにとって、どんなものが記憶されていくのだろか。

 ところが今、ジンギスカンって家で食べなくなった。外で食べるものになり、1年に数回、口にするかどかという感じだ。それだけ、食卓に人が集まることがなくなったということか。よく「食文化」という言葉を耳にするが、生活なんだよな。原稿を書いていて、記憶の底にあった部分が鮮明によみがえってきた。無性に寂しくなった。

July 27, 2005 11:58 AM

2005年07月26日

スポーツ会場に足を:永井孝昌

 世の中は、いよいよ全国的に夏休み。海へ山へ、と言いたいところだが、今年はどうも「出かけよう」、という気分に二の足を踏ませる事件・事故が多い。

 3カ月が経過した今も、生々しい記憶がよみがえる4月のJR脱線事故。本来楽しいはずのアミューズメント施設では事故が発生したり、海外ではロンドンやエジプトでテロが起こったり。そして、東京では地震。13年ぶりに都内で震度5以上の揺れを観測した23日の地震で、エレベーターに閉じこめられた人たちはしばらく、面倒でも階段を使いたい気持ちだろうし、多くの人は当分、余震に敏感にならざるを得ない日々が続く。

 かくいう私も地震の時は地下鉄の電車の中にいて、激しい揺れに動揺した。車内には「ただいま係員が徒歩で線路の安全確認をしております」というアナウンスが繰り返し流れ、全面的に運転が再開されるまで3時間以上もかかっては、「しばらく電車はいいかな」と思うのも正直なところではある。

 そんな状況で無責任なことを言うのもいかがなものか、という逡巡(しゅんじゅん)もあるのだが、せっかくの夏休み、スポーツの現場にファンの足が遠のかなければいいがなあ、という思いも強い。

 ライブに勝るものはない。実際に自分の目で見、耳で聞き、肌で感じることにこそ、スポーツのだいご味はある。相手打者によって微妙に変わる守備の位置、力士が真っ正面から激突する音、飛び込みの選手が踏み切る瞬間の緊張感。現場には、テレビの画面ではうかがい知ることのできない情報量がある。そしてスポーツ界には、足を運ぶ、見る価値のあるものもたくさんある。

 球宴を終えた野球界では、横浜クルーン投手が日本球界最速の161キロをマークしたばかり。日本では5万人しか目撃していないスピードを求めて、球場に出かけるのもいいと思う。サッカー界では、J2横浜FCにFWカズが移籍した。来季終了までの1年半契約だが、来年がある、なんて多分、カズ本人が思っていないはず。1試合1試合、一瞬一瞬に魂を込めるカズのプレーとともに、真夏のJ2は今年も熱い。J1でも、今月下旬にはRマドリード、マンチェスターU、バイエルンといった欧州の強豪が立て続けに来日して親善試合を行う。来年のW杯を前に、世界最高峰のプレーを日本で、間近に見ることができる。

 ゴルフ界では10代の選手の台頭めざましく、触発されるようにベテラン勢も素晴らしいプレーを見せている。甲子園ではもうすぐ全国高校野球選手権も開幕。ボクシング界では高校球児と同じ世代、18歳の亀田が8月21日に東洋太平洋王座に挑戦する。

 この夏も、スポーツ界には書ききれないほど多くの、魅力的な瞬間がある。不安の多い世の中だが、「テレビで見ればいいじゃん」と思う前にぜひ、会場に足を運んでほしい。そこにはきっと、夏の思い出にふさわしい発見が待っている。

July 26, 2005 12:38 PM

2005年07月25日

途中経過と信じたい:栗原弘明

 最初に見て聞いて「なんじゃあ、こりゃあ」と思った。今年行われるドラフト会議の話だ。19日にプロ野球実行委員会とオーナー会議が行われ、2年間の暫定ドラフト案が承認された。高校生と大学、社会人を分け、分離ドラフトを行う新方式だ。

 まず単純に、分かりにくい。高校ドラフトは1巡目に入札抽選制を導入した。抽選に外れた球団は、ウエーバー制で順に残りの選手を指名する。大学・社会人ドラフトでは、これまでの自由獲得枠が希望選手枠と名称が変わる。現行2枠を1枠に削減。希望選手枠を回避した球団は、高校ドラフトで入札抽選に外れた球団が指名した後に、優先的に指名できる。高校ドラフトで入札抽選を回避した場合、希望選手枠、1巡目指名後、優先的に指名できる。

 と書いてきても、文字だけでは分かりにくい。ドラフトはショーアップすべき性質のものではない。だが、昨年の球界再編騒動で、球界の密室的な体質が問題になったばかりだ。ファンの野球離れを反省した結果、構造改革に着手したはずではなかったか。ファンにとっては、今回の案は明らかに理解しづらい制度だ。指名された選手も、自分は一体球団にどれだけ評価されているのか、把握が難しくなるだろう。

 高校生の目玉選手と大学・社会人選手の目玉選手の同時獲得も可能になった。昨年の騒動で、契約金高騰と戦力均衡がキーワードになった。ドラフト改革についても「戦力均衡か競争か」が議論されたが、競争を激しくするものとしか感じられない。

 高校生ドラフトで入札抽選を回避した球団、希望選手枠を回避した球団にはウエーバー順で優先権が与えられるが、上位から漏れた選手を複数獲得できるだけだ。そのメリットが大きいとは思わない。高い待遇に頼らず、戦略的に入札抽選、希望選手枠を回避して「掘り出し物」を指名する妙味も薄れる気がする。とりあえず入札抽選に参加、希望選手枠でもとりあえず即戦力をキープ、という安易な戦略が主流になるのではないか。

 それぞれが自分たちの主張を譲らず、さまざまな思惑が交錯した結果、行き着いた妥協案と言われても仕方がないだろう。完全ウエーバーはともかく、それに付随するFA権の短縮がネックになったようだ。ウエーバー派の球団も、FA短縮には強硬に反対した結果だった。それが年俸高騰につながると恐れたからだ。

 ある球団幹部は「競争が悪いとは思わない。そこから企業努力が生まれる。だが不正をやめようと、根本から改革しようと決めたはず。それなら、それを貫くべきだ。できないなら、改革は断念しました、と言うべき。それもできずに、まとめることだけを考えた結果になってしまった」とため息をついた。

 とにかく1つにまとめることが第1の目的になっていたのだとしたら、寂しい限りだ。これが結末だとは思いたくない。構造改革の途中経過だと信じたい。

July 25, 2005 11:20 AM

2005年07月24日

バッシングはタブーか:小林千穂

 最高の栄誉を受けた日本映画が、苦難を味わっている。

 今年のカンヌ国際映画祭、世界中から集まった約1500作品の中からわずか21作品のうちの1本に選ばれ、メーンのコンペティション部門に出品された「バッシング」が、日本での公開が決まっていない。配給会社などと交渉を重ねた小林政広監督(51)は「最終的にお断りの連絡がきました。題材がリスキーだし、当たる要素がないと判断されたんでしょう」と話す。

 昨年起こったイラクでの拉致、監禁事件と人質に対する激しいバッシング騒動から作品のエッセンスを得たが、ショッキングな映像があるわけではない。劇場公開される他の多くの作品と比べても、上映に足踏みするような出来の作品ではないと思う。純愛、コメディー、アクション、ホラー…ジャンル分けが簡単で分かりやすい作品がヒットする中、確かにそそられる作品ではないかもしれない。ヒットは望めないかもしれない。しかし、スタートラインにすら立てないほどの作品だとは思えない。ちなみに海外では8カ国で公開が決まっている。日本のごく“私的”な出来事を描いた映画が、日本で見られないとは、なんて皮肉なことだろう。

 小林監督が言う「リスキー」の背景を考えてみると、直接的には実際の事件そのものが思想や政治問題を巻き込んでいたので扱いづらいという点がある。もう1つ、社会全体が、事件というよりバッシングした事実を「忘れてしまいたい」ことにしているからなのでは、と思う。

 騒動はまさしく騒動だった。「自己責任」の声はうねりになったが、結論も着地点もなく何となくうやむやにして、いつの間にかバッシングしたことにふたをしてしまった。タブーにしてしまったような気がする。そこには「騒ぎすぎたな」「たたきすぎたんじゃないか」という後ろめたさもある。私自身は当時、東京で事件の推移を取材していた。ほんの一端にいただけだったが、それでも「バッシング」のタイトルを見ると騒ぎの責任を問われているような気さえする。

 だが、仮にタブーに触れそうだとしても、カンヌにまで行った作品を公開しないなんて、もったいない。公開されない可能性が高そうなので言ってしまうが、内容はバッシングを受ける女性の生活を淡々と描いたもので、リスキーでも何でもない。

 劇場公開が難しい状況の中、小林監督はいくつかの映画祭での上映の可能性を探っている。「これからいい子に育ってくれればいい。何年か経って日の目を見る作品があってもいい」と、来月クランクインを予定しているラブストーリー「幸福」と一緒に上映できれば、という思いでもいる。

 事件や映画について意見を交わそうなどと大層なことを言うつもりはない。ただ、語るべき材料もない状況にするほどのことだろうか。ふたをしたタブーが澱(おり)になって沈むのなら、ビンを揺するくらいの機会はあってもいいんじゃない、と思うのだ。

July 24, 2005 11:43 AM

2005年07月23日

ベルリンの○○期待:岡本学

 サッカー日本代表が、来年6月9日に開幕するW杯ドイツ大会の出場権を獲得してから40日あまりが経過した。

 過去、日本代表の歴史的な試合は、1つのフレーズとなって語り継がれてきた。後半ロスタイムにイラクに追いつかれ、94年米国大会出場を逃したときは「ドーハの悲劇」。FW岡野が延長Vゴールでイランを下して98年フランス大会出場を決めたときは「ジョホールバルの歓喜」。このほかにも96年アトランタ五輪でブラジルを破ったときには「マイアミの奇跡」。弊紙では6月8日の北朝鮮戦前に「バンコクの○○」の○○に当てはまる言葉をインターネットアンケートで募った。最も多かったのが「バンコクの必然」だったのだが、日本が北朝鮮を破って本大会出場を決めて40日以上が経過しても、フレーズとしてしっくりくるものは出てきていない。

 そんな中、日本サッカー協会の川淵三郎キャプテン(会長)から、W杯出場のお礼状をいただいた。その中に、以下のような下りがあった。

 「最終予選を通じて安心して試合を見ることが出来たのは、第5戦の北朝鮮戦で大黒選手が2点目を入れた後の3分間だけでした。その3分間を除けば、すべてがハラハラドキドキの連続でした。しかし、W杯出場が決定した瞬間は、喜びが爆発するというよりは、ホッとしたというのが正直な気持ちでした。W杯出場が当然のようになった日本サッカーの社会的認知度と影響力の大きさを考えたとき、ここまで発展してきたことを心からありがたいことだと思っています。今後とも日本サッカーのさらなる発展のため、ベストを尽くしていきます」。

 Jリーグがスタートして12年、日本サッカーに対する国民の期待は右肩上がり。日本がW杯予選を勝ち抜いたのは今回が2度目だが、ファンの期待が予選を勝ち抜くことではなく、本大会で上位に入ることに変わったことが文章からも読みとれる。川淵キャプテンが協会トップに就任してから約3年。安堵の時間はたった「3分」で、次なる目標へ再スタートしている。

 川淵キャプテンが指名したジーコ監督も、国民の期待を十分過ぎるほど感じている。W杯出場を決めた直後には「義務の一部分を果たすことができた」と話した。そして、19日に行われた東アジア選手権(31日~8月7日、韓国)のメンバー発表会見では「W杯を決めたからといって、これでいいというわけじゃない」と言った。あくまでW杯出場は通過点で「バンコクの○○」のように歴史として語り継がれるほどのものではなくなった。

 ジーコ監督は「世界をあっと言わせるパフォーマンスを見せたい」と本大会での活躍を約束。決勝は来年7月9日にベルリンで行われる。「(ワールド)カップを奪え」と選手に高い目標を持たせたジーコ監督。「ベルリンの○○」と後世に語り継がれるフレーズ誕生を、日本国民は待っている。

July 23, 2005 01:10 PM

2005年07月22日

宮下に続く女性騎手:高木一成

 18日の名古屋競馬1Rで、宮下瞳騎手(28)が女性ジョッキーの日本最多勝記録となる通算351勝を挙げた。パートナーのアジャイルスーパーの単勝支持率は75・3%。今年のダービーで歴代最高の単勝支持率を集めたディープインパクトが73・4%だから、動いた金額は別としても、そのすごさが分かる。ファンがみんな新記録達成を応援していたからこその数字だ。

 この日の名古屋競馬場の入場者数は4154人で、前年比108・3%だった。1Rでの記録達成が濃厚とあって、朝から客の出足は好調だったという。「久々に明るいニュースになりました」。ほかの地方競馬と同じく、経営的に苦戦を強いられる主催者側が喜びを語る。最近はゴルフ、バレーボールなどで、男子より女子の方が人気がある気がするが、今回の例をみても、競馬界でも女性騎手の活躍がひとつの売りになっていいはずだ。

 だが、今の中央競馬に目を移すと、女性騎手になかなか活躍の場が与えられていない。96年に牧原、細江、田村がJRA初の女性騎手としてデビューし、その後、計6人が誕生したが、現役を続けるのは牧原と西原の2人だけ。「男も女も関係ない。純粋に技術的に判断して乗り役を決めている」。多くの調教師が、そう話すように実力勝負の世界では乗り馬が増えないのは仕方がないのかもしれないが、このままでは女性騎手の存在がどんどん希薄になっていく。

 サッカー、野球、バレーボール、マラソン、水泳…。数あるスポーツの中でも、男女が同じ舞台で戦う競技はほとんどない。それはどうしようもない体力差が男女間で存在するからだ。競馬をスポーツとして考えたことのある読者の方はあまりいないだろうが、騎手は時速約60キロの馬上で瞬時の判断を行い、500キロ近いサラブレッドを制御しなければならない立派なアスリート。だとすれば、女性騎手が活躍しやすい特典があってもいいのではないか。

 例えば、北海道のばんえい競馬では、興行面でもメリットのある女性騎手の生き残りやすい環境を考え、減量の規定を男女別にしている。新人の減量は男10キロに対して、女20キロ。さらに03年度には通算80勝以上すると減量の特典が消えてしまう制度を見直し、女性騎手は何勝しても永久的に10キロ減の恩恵が得られるように変わった。導入前は「何で女だけ」という男性騎手の声もあったが、最終的にはばんえい競馬全体の繁栄のためということで納得したという。また、1キロ軽いと約半艇身有利といわれる競艇でも、レースでの最低体重は男50キロ、女47キロと差がつけられている。

 「甘すぎる」と言われてしまえばそれまでだが、少なくとも平場戦だけでも1、2キロの減量があれば女性騎手の活躍の場は増えると思う。それによってまた新たなファンが生まれることもあるはず。先日の記者会見で宮下騎手は「中央競馬では2回しか乗っていないけど、これからもチャンスがあれば乗りたい」と話していた。もしその機会があったとき、迎え撃てる女性ジョッキーが中央にいなかったら、それはちょっと寂しい気がする。

July 22, 2005 02:46 PM

2005年07月21日

野茂から勧誘された:千葉修宏

 野茂英雄投手(36)が16日(日本時間17日)、デビルレイズから戦力外通告を受けました。10日間で他球団から獲得の申し込みがなければ、デ軍とマイナー契約するか、自由契約となって他球団と交渉することになります。

 引き金は15日のブルージェイズ戦(トロント)。2回2/3を7失点で8敗目を喫しました。今季年俸は格安の80万ドル(約8400万円)とはいえ、投球回数などで出来高が発生するベテランを、優勝の可能性のない貧乏チームは必要としないのでしょうか。

 そんな状況を分かっていながら、ピネラ監督の「次は20日のボストン戦に投げさせる」という言葉をうのみにし、16日朝にはとっととトロントを離れてしまったダメな僕。「野茂が戦力外」のニュースを、次の取材先であるミルウォーキーのホテルで知ることになるとは。おまけに、18日にホワイトソックスの取材で訪れたシカゴでは、高津臣吾投手まで戦力外に。あぁ神様、僕が悪い運を運んでしまってるんでしょうか…。

 まぁ、それはさておき、これから書くのは14日の野茂投手との会話についてです。「千葉さん、どこかの会員になってますか? なってないなら、ウチの会員になってくださいよ」。そう言われた時、意味が分かりませんでした。まず、僕の名字が千葉だということを、日米通算200勝を挙げた“あの”野茂が知っていた事実。それだけで頭が混乱してしまったのです。

 僕は都市対抗野球出場を決めた「NOMOベースボールクラブ」へのコメントをもらいに、ブ軍本拠地ロジャースセンターのロッカー室にいました。登板当日の15日だと話しづらいかと思い、前日に聞いてしまおうとしたのです。野茂投手は自ら設立したクラブへエールを送ってくれた後、突然、前述の言葉を口にしました。

 アホな僕はまず困惑し、次に「野球部だった大学時代から何年もプレーしてないのに、NOMOクラブに入団してくれっていうのかな?」と心の中で、失礼極まりない勘違いをしました。そして、さらに数秒たってから「たぶんNOMOクラブって、一般に会員を募集して、活動費を募ってるんだ」と気が付きました。

 せっかく本人から勧誘されたので、クラブに問い合わせてみました。すると、同クラブは大阪府より特定非営利活動(NPO)法人の認証を受けており、試合を行うほかにも、少年野球教室や少年野球大会を開催するなど、社会貢献活動を行っているとのこと。会員は、会費を通じてそれらを支援するのだそうです。

 野茂投手が、僕のような記者にまで会員になることを勧めている事実に触れ、「この人、本気なんだ」と強く感じました。もともと同クラブの設立理由が、社会人チームの減少のため、プレーしたくてもできない若者に、その場所を提供する、というもの。野茂投手ほど日本の野球の将来を考えている現役選手も少ないのではないでしょうか。

 だからこそ、戦力外通告に負けずに、またどこかのメジャー球団で投げてほしいと思います。少年たちも、クラブの部員たちも、どんな状況でも黙々と投げ続けてきた野茂投手が目標だから、頑張れるのだから。

July 21, 2005 02:18 PM

2005年07月20日

子供が安心観戦Jを:荻島弘一

 「僕たちだけで大丈夫だよ。うん、試合が終わったら電話するから」。子供の声に振り返ると、小学校5年か6年生ぐらいの男の子が、2、3年生ぐらいの弟を連れて立っていた。17日の等々力競技場。Jリーグの川崎F対C大阪の試合前だ。子供たちだけで試合を見に来たのだろう。電話の相手は心配しているお父さんか、お母さんか。電話を切ると、川崎Fのユニホームを着た兄弟は、手をつないで飛び跳ねるように入場ゲートへ走っていった。

 スタジアムには、もうすぐ始まる夏休みを待ちきれないように、多くの少年ファンが集まった。夏休み企画として、先着2000人の小中学生を招待。シーズンパスだと1試合の入場料が100円という手軽さもあった。試合後に選手バスを待っていたのも、子供たちばかり。甲高い声で選手の名を連呼するのは、ほほえましい光景だった。

 Jリーグが発足した当初は、ブームが高騰してチケットが入手困難になった。「子供たちが見に行きたいのに、なかなかチケットが手に入らない」という声も聞いた。観戦したくてもできない。そんな状態の時もあったが、人気が落ち着いた今は容易にチケットが手に入るようになった。もちろん、営業的な面では常に超満員がいいに決まっているが、一方でスタンドに子供の姿が増えたのは素晴らしいことだ。Jリーグはまず、子供に見て欲しい。

 今では考えられないが、Jリーグ発足前の日本リーグ時代は、スタンドはチアガールが主流だった。プロ化を前に、91年に三菱自動車(現浦和)が「サポーターズクラブ」を公募。この時の目標は「本場と同じような雰囲気のスタンドを」だった。J開幕で応援の様子も一変。チアガールは消えて、無数の旗が舞った。

 「本場のように」とは思っても、絶対に真似して欲しくないものがあった。サポーターの暴力行為だ。90年代に入って、欧州や南米ではサポーターの暴徒化が問題になった。スタンドの多くは成人男性。小学生だけで試合を楽しむムードからは遠い。こういう点は真似して欲しくないし、リーグが目指すように「世界で一番安全なスタンド」であって欲しいと思う。

 今シーズンに入って、サポーターの暴走が相次いでいる。4月には柏で乱闘事件があったし、先日は東京ダービーでサポーターが鉄製の灰皿を投げ、負傷者が出た。これでは、親は安心して子供たちをJリーグ観戦に送り出せない。こういう事件が続けば、子供の足は確実にスタジアムから遠のいてしまう。2度と起きないように、Jリーグと各クラブは対応して欲しい。

 「日本は子供だけで試合を見に行くの? 信じられない。こっちでは子供と女性は危ないからスタジアムには行かないよ」と話したのはブラジルのエリーザ大塚通信員だった。もうすぐ夏休み、どこのスタジアムからもチビッコの大歓声が聞こえるようなJリーグであり続けて欲しい。「パパ、楽しかったよ!」。お父さんのもとに駆け寄ったのは、試合前の兄弟だった。最高の笑顔こそが、Jリーグの宝だと思う。

July 20, 2005 11:51 AM

2005年07月19日

「禁煙ビーチ」広がって:桐越聡

 今日18日は国民の祝日、海の日。暑さが増し、海へ足を延ばしたくなる季節になった。

 3週間前、今年初めて海水浴場へ行った。静岡・熱海市にある熱海サンビーチ。同市議会は3月「熱海市路上等の喫煙防止に関する条例」を可決した。広さ約2万平方メートルのビーチは、4カ所ある喫煙所以外は禁煙。違反者は罰則として氏名が公表される。

 全国でも珍しい「禁煙ビーチ」。喫煙所で一服していた人に「どう思いますか?」と聞いてみた。「不便だけど、喫煙所で気兼ねなく吸えるからいい」「会社でも家でも吸える場所は限られている。気にならない」「国がたばこを売っている(JTの株式保有率は約50%)のに、こんなのおかしい」。意見はいろいろだが、多くの人は、非喫煙者がたばこの煙を吸わされる、いわゆる受動喫煙はまずい、と受け止めていた。

 ヒ素、カドミウム化合物…たばこには約60種類の発がん性物質が含まれるという。しかも、喫煙者が直接吸い込む主流煙より、周りが吸わされる副流煙に、多くの有害物質が含まれる。家庭での受動喫煙者のガン発症リスクは、アスベスト(石綿)で汚染された立ち入り禁止の室内に暮らした場合の3倍以上。喫煙者に飼われる犬の肺がんのリスクは、非喫煙者が飼い主の犬に比べて1・6倍。受動喫煙が体に悪影響を与えるという報告は国内外に数限りなくある。

 受動喫煙の害を知り、8年前にたばこをやめた。今では、他人が吸ったたばこの煙を不快に感じる。歩きながらたばこを吸っている人と擦れ違わない日はない。JRの駅の喫煙エリア以外で、煙を吐き出している人を見かける。日刊スポーツの編集局フロアは禁煙だが、喫煙場所で灰皿があるエレベータホールから、しばしば煙が流れてくる。いろいろな場所で、たばこのにおいをかぐだけで気分がめいることがある。

 たばこの煙は喫煙者本人はもちろん、煙にさらされる家族、同僚だけでなく、路上ですれ違う人など見知らぬ人の体までむしばむ。他人を巻き込むような喫煙は「加害行為」と言ったら言い過ぎだろうか。

 03年5月施行の健康増進法は「多数の者が利用する施設を管理する者は(中略)受動喫煙を防止するために必要な措置を講ずるように努めなければならない」と定めている。しかし「措置」が講じられている施設は少ない。

 「がんにならないヘビースモーカーがいる」「禁煙のストレスは、たばこの害以上に悪い」。そんな喫煙者の言い分も分からなくはない。だが、煙に巻き込まれている非喫煙者がいる。その気持ちも分かってもらいたい。

 世界保健機関の試算によると、たばこが原因とされる日本人の死者は非喫煙者を含めて年間11万人。他人のたばこの煙を吸って、死にたくはない。

 「禁煙ビーチ」を巡回中の熱海市の担当者は「この取り組みが全国に広がってほしい」と話していた。同感だ。

July 19, 2005 01:42 PM

2005年07月18日

「人間的」野獣サップ:横田和幸

 最近は写真週刊誌でスポーツ選手、芸能人の交際相手が表面化する時代。相手が有名人であれば、なおさら情報が猛スピードで伝わっていく。

 K-1で活躍する総合格闘家のボブ・サップ(30=米国)が、公になっていない失恋話を、何と自らの口で語ってくれた。

 「恋人? いたよ。過去形だけどね。彼女は日本人で看護婦さん。すごく好きだった。でも、問題は僕のスケジュールだった。過密すぎて、年に6回しか会えなかった。彼女が、もう待つのはイヤと言ってきた。僕が振られたんだね」。

 K-1WORLD GP開幕戦(9月23日、大阪ドーム)の会見が先日、関西テレビで行われた。会見を終え、私は控室をのぞいてみた。いるではないか、野獣が。こんな機会はない。試合では聞けない、私生活のことを尋ねてみた。

 サップの知名度は、この3年で一気に上がった。総合格闘家として実績を残してきたから、テレビ番組の出演依頼が届く。愛きょう満点の笑顔と片言の日本語で笑いを誘う。10社以上のテレビCMに出演している。真のエンターテイナーになった。

 しかし、昨年1年間は地獄をみた。5月に藤田和之との総合戦で、サッカーボールキックでタップアウト負け。レイ・セフォーの右フックにも沈んだ。腰を引いた姿に、格闘家失格のらく印を押された。ハリウッド映画にも出演したが、惨敗の傷が顔に残り、映画会社からあわや契約破棄にされかけたという。彼女とも別れ、心身とも最悪の状態だった。

 それが今年は5戦全勝と完全復活している。地獄からはい上がってこられたのは、失恋を経験し、周囲の支えがあったから。

 米シアトルの自宅は、家族が留守を守ってくれている。家族といっても猫と犬。体重15キロの大型山猫「トリニティ」に、一般的な小猫「ラスカル」と「リーダー」の3匹。犬「フォクシー」は、猫たちの監視役。計4匹はサップをいやしてくれる存在なのだ。映画「ティファニーで朝食を」で、オードリー・ヘプバーンが子猫を抱く姿を連想してしまう。かわいらしい野獣ではないか。

 「僕の夢は、動物たちの施設を作ること。東京ドームの半分くらいの土地に池が1つ、そこに僕は一緒に住みたい。動物の保護地域で、彼らの楽園なんだ。すてきと思わない?」。

 ここまで率直な会話ができる野獣とは…いいヤツだ。

 8月4日にプロレス「W-1」に出場、その後はWORLD GP開幕戦の崔洪万(チェ・ホンマン)戦に備える。ボクシングの元世界王者マイク・タイソンとの歴史的一戦の実現も目指す。

 当分は恋愛の時間もなさそうだ。「でも結婚相手は日本人でもOKね。ムハハハ!」。豪快に笑ったサップは、これからもある時は失恋や敗戦を重ね、強くなっていく。わずか1メートルの距離で会話を交わし、人間サップの魅力に触れることができた。

July 18, 2005 10:14 AM

2005年07月17日

極端な欠点が特長に:上野耕太郎

 北海道に住んでいると、よく人に聞かれる。「クマがよく出てくるんでしょ」。残念ながら「生グマ」は登別のクマ牧場で見ただけ。生活の中で会うことは本当に少ない。キノコ狩りが好きな父も65年の人生で1度しかない。そんなものだ。「森の熊さん」に出会う可能性は限りなく少ない。

 北海道の秘境、知床が14日、世界遺産への登録が決まった。地元は盛り上がっている。日本の自然遺産登録は屋久島(鹿児島県)白神山地(青森、秋田県)に次いで3件目で、海洋を含んだ国内の自然遺産は、知床が初めてという。

 いったい知床半島とは。北海道の斜里町と羅臼町にまたがる地区。なかなか会えないヒグマは1平方キロに1頭いるそうで、世界的にも高密度の地区だそうだ。世界に200羽しか生息しないシマフクロウ。そのうち数十羽がこの知床にいる。それだけではない。流氷が来る。流氷のおかげでプランクトンが大発生。海の幸が増えると、トドもカラフトマスもサケもやってくる。ドラマ「北の国から」でも取り上げられた大自然だ。中学時代に習った「食物連鎖」の世界がそこにある。それを自然の楽園ともいう。

 ところで、知床はアイヌ語で「シリエトク」という。岬・地の果てという意味だそうだ。

 地の果てだよ。

 確かにそうだ。デートコースに知床って北海道の人はなかなか思わない。外から見て、その雄大さを知る。その周辺で漁業をする人も生態系を崩さないよう細心の注意をする。人が簡単に行けない場所だから、自然が残った。「地の果て」だから世界遺産になったといってもいい。

 自分のことを客観的に見る。平均的だと思う。それがいいことだとも思っていた。中学時代、ファッション雑誌を手にとって「どうすれば格好良くなれるのかな」なんて研究をしたりした。ギターなんかも練習しちゃったりして。ちょっと頑張れば届きそうな所に一生懸命、背伸びをしようと頑張った。

 そして今、気が付くこともある。自分のいいところも悪いところも捨ててしまったのではないか。自己啓発セミナーなんて、その人のとがっている部分を丸くしちゃったりするものって思ったりする。

 人の行けない秘境-。極端な欠点が1つの特長を伸ばした。ガイドブックで紹介されるような「なんちゃって秘境」であれば、すでに荒らされているのだろう。世界遺産に選出されたからって正直、知床のことを心配していない。なぜなら、そこには人が踏み入れられない強さがあるからだ。簡単に荒らされるような場所であれば、もうすでにヒグマはいない。

 欠点と長所は表裏一体なんですよね。今年、子供が生まれた。やっぱり、親になると子供がかわいいから、人から嫌われないように「丸く」育てると思う。でも、それでは「世界遺産」にはならないよなぁ。じゃあ、どっちを選ぶのと考える。それは徒労だ。それは考えてなるようなものではなく、なるべくしてなるもの。と、

 知床の「強さ」を見ながら思ったりする。

July 17, 2005 12:23 PM

2005年07月16日

「強さ」求めた破壊王:永井孝昌

 プロレスの神様は最近、どうかしてる。鶴田さんに冬木さんに、今度は橋本さんまで。天国でどんな豪華カードを組みたいのか知らないけど、頼む。もうこれ以上、残された者にやり切れない思いはさせないでくれ。

 橋本真也、というレスラーは、強さの象徴だった。卓越した技巧を持つ蝶野。天性の華に恵まれた武藤。この2人と同期入門して、強さを追い求めるのは自然の成り行きだったのかもしれない。PRIDEシリーズが生まれる7年も前の90年にトニー・ホームとの異種格闘技戦に臨んだのは必然。IWGP王座を通算20度も防衛したのは当然。初戴冠直後は人気より実力が先行していたが、ナタを振り下ろすようなチョップと巨木を倒さんばかりのキックを武器にした説得力のある試合ぶりで、ファンを味方につけていった。尊敬する織田信長を地でいった王者像は間違いなく、東京ドームに進出した90年代新日本のストロングスタイルの象徴、という十字架を背負っていた。

 だからこそ、風当たりも強かった。97年4月、小川直也のプロレスデビュー戦で裸絞めに敗れた時は、幻想を打ち砕かれたファンのば声を一身に浴びた。自宅の車に「バカ」と落書きされたこともあった。それでも1カ月後には大阪で雪辱し、ファンに「皆さん、恥ずかしい思いをさせてすいませんでした」とベルトを掲げた。だが00年4月、進退をかけて挑んだ小川との5度目の対戦に完敗。STOにリング上で大の字になり、「ダメだ…」と口を動かす姿が天井カメラに映し出されたあのシーンこそ、強さを求め、執着し、時に呪縛(じゅばく)までされたレスラーが初めて見せた弱さだった。周囲の慰留にも「プロレスラーが安っぽく見られることにボクは抵抗してきた人間ですから」と頑として首を縦に振らなかったのは、損得勘定のない、真っすぐな男がリング上で弱さを見せたことに対してつけた、あまりに不器用なけじめだったのではないか。

 それから、だと思う。強くありたい、天下を取りたい、と願う裏に隠していた優しさが表に出るようになったのは。引退直後の4月14日、新日本気仙沼大会でまな弟子のようにかわいがっていた福田雅一さんが試合中に倒れると、渦中の身も忘れ、夜通し車を飛ばして病院へ駆けつけた。最期をみとり、告別式では涙がこぼれ落ちるのを必死にこらえていた。一国一城の主となったZERO-ONEでは、新興団体を守るべくインディーの選手の攻めを真っ正面から受ける一方で、ジンギスカンのテーマに乗って入場して会場を沸かせる懐の深さを見せるようになっていった。昨年8月の試合を最後に負傷のためリングを離れても、円熟味を増した破壊王の復活を誰もが願っていた。

 もう、プロレス史上に残る名テーマ曲「爆勝宣言」を聞くことはない。誰からも愛されたレスラーが人知れず息を引き取ったことへの深い悲しみとともに、ファンの中できっと、ハチマキ姿は永遠になった。今はただ、強さという十字架を背負い続けた希代のレスラーに、安らかに眠ってほしい。信じられない、信じたくない思いを胸に。合掌。

July 16, 2005 11:25 AM

2005年07月15日

五輪「空白」埋めよう:栗原弘明

 一報を聞いた時に「エッ、まさか…」と思った。国際オリンピック委員会(IOC)が2012年のロンドン夏季五輪の実施競技から、野球とソフトボールの除外を決めた。昨年、長嶋ジャパン担当としてアテネ五輪野球を取材した私としても、残念でならない。しかし、これまで08年北京大会もIOCプログラム委員会が同競技の除外を提案した経緯もある。今回の決定は驚くべきことでもなく、当然の流れとも言えたのかも知れない。しかし、最終的には大丈夫だろうという楽観的な見方が球界にはあったし「空白」をつかれた部分もあった。

 昨年、日本は史上初めてアテネ五輪にオールプロで参加した。その参加の経緯は複雑だった。当時の長嶋監督は制約なしの最強軍団結成を希望したがかなわず、結局は1球団2選手枠におさまった。五輪に対してプロ球界の足並みはそろわなかった。その姿勢に他のスポーツから見れば甘い、と思われる面もあっただろう。その中で結成された長嶋ジャパンは銅メダルに終わったが、得るものは大きかった。西武松坂が右腕に打球を受けながらも痛むそぶりも見せず、五輪で初めてキューバを破った姿には素直に感動した。代表チームはプロ野球とは違う、国際野球で勝つ難しさを学んだばかりだった。

 「空白」とは、五輪へ今後、どう取り組むかという意識だ。北京五輪もプロかアマか、両者の混合で臨むのか、方向性は示されていなかった。11日にはMLBがワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の開催要項を発表したが、日本プロ野球組織と選手会では参加の意思統一が取れていない。その中で国際大会である五輪とWBCをどう位置付けるか決まるはずも、余裕もない。位置付けが定まっていれば、WBCはプロで、五輪はアマでという参加の仕方もあったはずだ。加えて昨年、球界は再編の大騒動に揺れた。ドラフト制度も問題になった。その反省を元に、構造改革に取り組むことを決めた。その真っ最中に、飛び込んできた「除外」の一報だった。

 特にアマチュア選手への打撃は大きい。ロッテの渡辺俊介投手(28)はプロアマ混合で臨んだ00年シドニー五輪に、新日鉄君津から参加した。イタリア戦で白星を飾るなど活躍、ドラフト候補に浮上した。五輪がなかったら、現在のサブマリン旋風はなかったかも知れない。「とても残念です。五輪は年齢的にプロに入れない選手のモチベーションになっていた。また僕のようにスピードのない投手は、五輪などレベルの高い舞台で抑えるところを見せないと、プロへの道は開けない」と漏らした。

 五輪の意義を否定する野球関係者はいないと思う。12年の除外は永遠の消滅を意味するものではない。プロアマ関係は雪解けの方向に向かっている。手を組んで五輪への意識の「空白」を埋める作業をするべきだ。今まで、競技存続へプロアマが協力したIOCへのロビー活動は、十分ではなかったように感じる。簡単ではないが、構造改革の延長線上で、それは可能なことだと思う。

July 15, 2005 12:15 PM

2005年07月14日

身内でブーム阻むな:小林千穂

 いっぱいの読者を前に、初めてお目にかかります…。仕事では映画担当をしていますが、好きな落語のことを書いてみようかと思い、こんなフレーズでスタートしてみました。

 最近は「落語ブーム」とやらのようですが、いつもホントかいな? と疑問に思ってました。だって「落語って面白いよね」「友達がハマっちゃってさ~」なんて話、全然聞かないんです。寄席やホールでも若い人たちがわんさと押しかけてる状況でもなさそうですし。落語を題材にしたドラマ「タイガー&ドラゴン」(4~6月)だって、実際は視聴率11~12%の横ばいのまま終了しちゃいました。知り合いの女性(20代前半、岡田准一くんファン)は「1話見てやめちゃいました、全然分かんなかったんで」と冷たい言葉。別の男性は「落語好きにとってはたまんないよ」…って、やっぱり落語好きにしか受けてないの? と拍子抜けしました。

 ここでも落語の一ファンとして、これからだぞってな意味を込め「ブームは来てませんでした、残念ながら」と書いてみよう、と思っていたのですが、やめました。「身内(大きな意味でね)の敵は身内」みたいなこと言ってどうするんだと思わされた、ある人の意見を聞いたからです。

 春風亭昇太師匠(45)。東西、所属の壁を取っ払って落語会のイベントを仕掛ける落語家集団「六人の会」の1人で、集客力は抜群、「タイガー-」にも出演していました。昇太師匠が落語ブームに懐疑的らしいという情報をインプットしていたので、自分が感じたことや身の回りの状況を、送り手側から裏打ちしてくれるのではという、ずうずうしい考えで会いに行きました。昇太師匠は「社会現象という意味の『ブーム』ではないかもしれません」と話し始めたので「ほらね、ほらね」と思ったのですが「でも『落語ブームですね』と言われて、違いますと言うアホはいないでしょ。評判のレストランが『いやいや、うちはおいしくないんです』と言ってるようなものじゃないですか」と。しつこく「いわゆる『ブーム』って…」と話を振ると「えー何で、嫌なの?」と一言。「足を引っ張る」ようなことをしようとしてた自分が恥ずかしくなりました。

 ある落語会でこんなことがありました。高座の上での話なので、どこまでが真意で、どこまでがネタなのか測りかねますが、その落語家さん、「六人の会だけ目立って、ふざけんじゃねえ!」と言ったんです。言葉にも違和感を覚えましたが、それ以上に客席から拍手が起こったことが残念でした。もちろん、ひいきの師匠への「期待してるよ」という拍手だったのかもしれないですが、ちょっと待てい! それじゃあ、あまりにも心が狭すぎやしないかい、と思ったのです。昇太師匠にこのエピソードを話すと「すっごく小っちゃい人ですね」と悔しそうにポツリ。「落語ブーム」を阻むのが落語家、落語ファンにならないようにという、反省も込めて書いてみました。

July 14, 2005 02:50 PM

2005年07月13日

まずサポーターの声:岡本学

 日本サッカー界が究極の選択を迫られている。優先すべきはオールスター戦か、それとも日本代表戦か。

 5日から、10月9日に開催される「2005JOMOオールスターサッカー(大分ス)」のサポーター投票が始まった。W杯予選、各大陸王者などが集まったコンフェデレーションズ杯で活躍したFW大黒(G大阪)をはじめとする日本代表組のプレーに期待し、投票するサポーターも多いだろう。ただ、その投票でオールスターへ選出されることによって、日本代表での活躍を阻害される可能性をはらんでいる。

 日本サッカー協会は、その4日前から選手を代表に招集することができる国際Aマッチデーの10月8日、12日にラトビア、ウクライナとの強化試合を欧州で予定。来年のW杯本大会での上位進出へ向け、強化を図る絶好の機会となるが、9日のオールスターに日本代表組が選ばれた場合、両立するのは不可能といえる日程だ。夢の球宴と、公式戦ではないとはいえ人気の代表戦。なんで同じ時期にやる必要があるの? という疑問はもっともだが、現在の日本サッカー界は、ビッグゲームを同時期に開催しなければならないほど、過密日程に頭を痛めている。

 特に今年はW杯最終予選イヤー。ドイツ大会の出場権を得るため代表優先の日程を組み、Jリーグは平日開催を5節強いられるなど、J各クラブは収入面でも大きな痛手を被った。Jリーグ事務局の「W杯出場も決まったし、オールスターぐらいは優先してもらいたい」という主張は正当なものともいえる。Jリーグ佐々木事務局長は(日本代表側の)日本協会田嶋技術委員長と話し合った上で「投票で選ばれた(日本代表)選手にはオールスターを優先してもらう。ファンの気持ちを大事にしていきたい。(代表戦を気にせず)思い通りに投票してほしい」。同委員長も「オールスターの重要性を理解している。どんな選手が選ばれるか分からないが、(Jリーグに)協力しながらやっていく」と理解を示した。ただ、ルール上は代表戦が優先されるため、今週末再来日予定の「ジーコ監督の意向を聞いた上で」というただし書きがついた。

 だが、何か忘れていないだろうか。日本代表の選手、そして何よりサポーターの考え方だ。ウクライナ代表FWシェフチェンコ(ACミラン)とDF中沢(横浜)の対決が見たいという人がいる一方で、大黒と中沢の勝負を楽しみにしている人もいるだろう。もちろん、選手それぞれにも考えがあるはずだ。本来ならサポーター投票が始まる前に、キッチリと結論を出すべき問題だった。ただ、投票が始まってしまった以上、これを逆手にとって、日本のサッカー関係者はサポーターの声に耳を傾けてはどうだろうか。オールスターはサポーターの意思が反映される数少ない試合。球宴と代表戦がバッティングする希有(けう)なケースにいろんな議論をし、結論を出すことが、日本サッカーの発展につながるはずだ。

July 13, 2005 12:01 PM

2005年07月12日

米国民「勝者」へ憧れ:高木一成

 3日に行われた米国G1のアメリカンオークスの結果は、国内の競馬ファンにとっては大きな衝撃だった。日本のオークス馬シーザリオと福永祐一騎手(28)のコンビが、4馬身差で圧勝した。競馬の本場アメリカでの日本馬のG1勝ちは初めての快挙。皇帝シンボリルドルフもできなかったし、武豊騎手でさえもまだ達成していない。翌週の美浦トレセンは、記者仲間だけでなく調教師、騎手などもその話題で持ち切りだった。朝の一般のテレビニュースでも流れていたし、競馬を知らない人でも、何となくすごいことだと感じてくれたかもしれない。

 テレビ画面を通して、日本人関係者の喜びは十分するぎるほど伝わってきたが、一方で現地の人の称賛の声もすごかった。本紙の記事によるとアメリカの名調教師ボブ・バファートは、米国ではまったく無名の福永騎手を祝福するために、わざわざ騎手ルームを訪れたという。「どこから来た者であろうと強い者が尊敬される」のが、いかにもアメリカらしいな、とあらためて思った。

 アメリカ人の「勝者」へのあこがれは「負け犬」を売りにできる日本人とは比べ物にならないぐらい強いのかもしれない。昨年のアメリカンオークスは実際に現地へ取材に行ったが、そのとき競馬場の職員に「アメリカ人には単勝馬券が一番人気があるんだよ」と教えてもらった。日本以上に馬券の種類は多いが、基本は「単勝」。実際に売り上げに占める比率は分からないが「シンプルに勝つ馬を応援したい」という意識が強いらしい。何かの本で「アメリカ人には勝つかそれ以外しかない」という言葉を見たが、それだけ勝利にこだわりがあり、勝者が特別視される国民性なのだろう。

 そういえば最初は「打っても内野安打ばかり」と一部に批判的な声もあったイチローも、打率を残すうちに一躍ヒーローとして尊敬されるようになった。メジャーリーグに行く選手にとってはおそらく「高いレベルでやりたい」というのが根本の動機なのだろうが、「勝者の優越感がどこよりも味わえる」魅力も大きいのかな、とふと思った。

 もちろん勝者に寛大な分、負けた者への批判はときとして厳しい。昨年の米オークスに話を戻すと、武豊がまたがった日本のダンスインザムードは1番人気で2着に敗れた。勝負どころの3角で外から他馬にかぶされたために仕掛けが遅れて、先に抜け出した馬に負けたのだ。翌日、現地の厩務員から「あれは武豊のミス。日本の馬が1番強かったよ。彼は日本のヒーローだから、お前らは批判できないだろうがな」と言われてハッとした。「ミスとまでは言えないですよ」と答えたが、実はレース後「乗り方次第では勝てたかも」と思ったのも事実。結局、紙面は「残念」って感じのトーンに落ち着いたが「2着で善戦」は日本人式だったかも。今回のシーザリオの快勝にスカッとした一方で、当時抱いたモヤモヤが思い返された。

July 12, 2005 12:48 PM

2005年07月11日

ウソではないけれど:千葉修宏

 今日から、このコラムに参加します! 僕は今まで外国人に自分を紹介する時「reporter=(駆け出しの)記者」と言っていたんですが、これからは「columnist=通常は新聞のコラム欄を担当するベテラン記者のこと」と偉そうに言ってもいいですかね…。すいません、やめときます。

 というわけで今回は、英語にまつわる話を書きます。皆さん、日本の新聞に「○○選手が移籍へ。××タイムズが報じた」みたいな外電記事が載っているのに気付きませんか。あれ、うのみにしないでください。(1)外国の新聞に書いてあることをそのまま載せているだけが多い。(2)翻訳の途中で都合の良い部分だけ使われている。以上が理由です。

 例として先日、ニューヨーク・タイムズが指摘した「ヤンキース松井のトレードの可能性」というニュースを考えます。日本でも伝えられ、びっくりしたファンも多いはず。でも正確に言えば、現時点まででそんな話はありません。

 日本の新聞等に取り上げられた同紙の原文はこうです。「The team could offer players like Jorge Posada Hideki Matsui and Tom Gordon in potential trades.」。直訳は「ヤ軍はポサダ、松井、ゴードンらのトレードを打診する可能性がある」です。

 ヤ軍ロヘリオ通訳に確認すると、原文の「could」は「できる」とか「可能性がある」と訳せるため「この文章だと『松井がトレード要員に』となるのも分かる」とのこと。ただ「これだけだと、誰の意見か分からない。記者か、チーム首脳が言っているのか」とも話してくれました。だから前後も要約します。

 -(略)キャッシュマンGMはこれまでトレードを画策してきた。だが高年俸で下り坂「no-trade clause(トレード拒否権=本人の了承なしにトレードされない権利)」を持つ選手の多いヤ軍では成立しにくい。でも有望な若手は出せない。ポサダや松井、ゴードンなら出す可能性がある。交換で若くてイキの良い選手を獲れるから-。

 原文から分かるのは(1)松井らの名前を球団関係者が言ったとは書いてない。(2)関係者に取材して名前が出てきたとも読み取れない。(3)3人は実力があり、かつトレード拒否権を持っていない選手(実際は松井にはトレード拒否権あり。入団時に代理人のテレム氏が明かしています。記者の勘違いと思われる)。

 ここから推測すると原文は一記者の“意見”“提案”にすぎないことが分かります。当然、それを翻訳した時に「松井がトレード要員になっている」という風にするのは、やや違う感じがします。ですから実際、トーリ監督、キャッシュマンGMを直撃してみました。監督は、そんな話があれば本人に伝えないわけがない、とばかりに「ユニホームを着ている限り選手に誠実でいる。それが私のスタンスだ」。GMは「松井はどこにも行かない。シーズン前に契約延長したかったが、オフにそうできることを望む」と話していました。

 でも正直、外国の新聞の一部分だけに注目して「ニュース」を書いてしまうことは僕もあります。“完全に”ウソということではないし。だから今回のコラムは自戒の念を込めて書きました。

July 11, 2005 12:11 PM

2005年07月10日

「永久追放」ではない:荻島弘一

 「日本スポーツ界に激震!」だそうだ。8日の国際オリンピック委員会(IOC)総会で、野球とソフトボールの2012年ロンドン五輪からの除外が決まった。日本人が大好きな五輪から、日本人が大好きな野球がなくなる。なるほど大事件のように聞こえる。

 もっとも、五輪の野球がこれほど注目されるようになったのは、長嶋さんが04年アテネ五輪の監督に就任してから。存続に努力してきた関係者には申し訳ないけれど、五輪からなくなっても野球人気が下がることはないし、競技力が落ちることはないだろう。心配はない。「プロ野球選手になりたい」という子供は大勢いるが「五輪で金メダルを取りたい」という野球少年には会ったことがない。

 では、どうして「激震」なのか。野球もソフトボールも「メダル有望競技」だからだ。昨年のアテネ大会では、ともに銅メダル。団体球技では、男女ともに唯一のメダルで、日本選手団として史上最多37個のメダル獲得に貢献した。日本オリンピック委員会の幹部の反応も「五輪のメダルが減る」というものだった。

 夜になって、IOCが新競技の採用なしと発表すると「空手が入れば、野球とソフトボールの穴を埋められたのに」というコメントも出てきた。どうして、メダルの数ばかりが話題になるのか。違和感を覚えずにはいられなかった。

 確かに、JOCにとっても、日本のスポーツ界にとっても、メダルを数多くとることは重要なことだ。世界的な競技力を上げるのは大きな目標。日本の選手たちが活躍すれば、大会そのものが盛り上がる。テレビ視聴率が上がり、スポンサーも増える。収入は、強化や普及にも回せる。好成績を上げることで、すべてがいい方向に循環する。

 アテネ五輪ではメダルラッシュに沸いた。女子レスリングなど有望競技が新規に採用されたこともあったが、施設面などJOCの地道な努力もあったと思う。しかし、強化の結果としてメダルがあるのだ。大会の2年前に勘定をしても仕方がない。結果(メダル)は後からついてくるもの。実施競技を決める段階では、ほかにやることがある。

 野球に比べて、ソフトボールは大事件だ。「スポーツ=五輪」という考えが根深い日本で、五輪競技から外れることは競技の存亡にもかかわってくる。96年アトランタ大会で採用され、常にメダル候補として注目されてきたから、そのギャップは大きいだろう。五輪の活躍を見て「金メダルを取りたい」と競技を始めた少女も多いはずだ。彼女らの夢は、どうなるのか。

 国際ソフトボール連盟や日本ソフトボール協会は五輪競技として存続するために努力をしてきた。普及のために用具提供や指導者派遣など地道な活動もしてきた。もちろん、JOCもバックアップしてきただろうが及ばなかった。しかし、このまま少女たちの夢をつぶしてほしくはない。今回の除外は「永久追放」ではない。復帰に向けての活動に早すぎることはない。少なくとも、今はメダル勘定をしている場合ではない。

July 10, 2005 12:11 PM

2005年07月09日

夢を追い続ける16歳:桐越聡

 タイ・バンコクで、ひたむきに夢に向かっている日本人少年に出会った。プロボクサーの木村隼人君。今春、神奈川県川崎市内の中学を卒業したばかりの16歳だ。日本では17歳の誕生日を迎えるまではプロデビューできないが、タイの年齢制限は厳しくない。6月、現地のリングに登場してプロデビューを果たした。

 木村君が練習していたジムはチャイナタウンの路地裏にある。薄汚れた建物の間をすり抜けると、半分雨ざらしになっているようなリングがあった。約1カ月間、30人ほどのタイ人と寝食を共にしたという。

 夕方になるとネズミが足元をはい回る。日が暮れると9人部屋の寝室の壁にはゴキブリやトカゲがへばりつく。「タイ語は分からないし、ご飯は口に合わない。夜も暑くて眠れない。最初の3日間ぐらいは日本に帰りたくてしょうがなかったですね」と苦笑いした。

 だが、言葉とは裏腹に表情は明るい。「早く世界を取って親孝行したい。お父さんにはボクシングジム、お母さんには一軒家をプレゼントしたい」。洗濯機はないから、練習着は足で踏んでから手洗いする。そんな厳しい環境に自ら望んで身を置いていた。

 日本では今、仕事や学業に対して前向きに取り組めない若者が増えているという。学校卒業後に仕事、進学などをする意思を持たないまま過ごしている15~34歳の未婚者はニートと呼ばれる。競争社会とは距離を置いていたい。成果主義や能力主義にはなじめない。何となく働きたくない。働きたいけど、いい仕事がない。居場所を失った気がする…。そんなニートの数は、厚生労働省の労働経済白書によると約52万人に達した。深刻な社会問題になりつつある。

 正社員が減ってパートやアルバイト雇用が増えているから、ニートは必然的に生み出される。景気の急激な上向きはない。しばらくはこの傾向が続いて、ニートの数は右肩上がりになっていくだろう。

 「特効薬」はまだ開発されていない。ニートと呼ばれる人の悩みが晴れない日本の将来を思ったとき、重苦しい気分になってしまうのは、僕だけではないはずだ。

 しかし、木村君のように真っすぐに、ひたむきに目標に挑戦しようとしている少年は、間違いなく、たくさんいる。そう考え直すと、少しだけホッとできる自分がいる。

 遊びたい盛りのはずの16歳。「高校に行ったほうが良かったなと思うことはない?」と聞くと「夢はずっと追い続けた方がいいと思いますから」と即答した。木村君に迷いはない。

 デビュー戦は同い年のタイ人ボクサーに判定勝ちを収めた。初めて手にしたファイトマネーは3000バーツ(約8340円)。滞在したジムへの支払いを差し引くと残ったのは1000バーツ(約2780円)だったという。一時帰国した木村君は、横浜さくらジム平野敏夫会長(57)に「僕はまだ卵から殻を破って出てきただけですから」と謙虚に話したという。プロ第2戦は9月に計画されている。来月には再び、単身でバンコクに渡る。

July 9, 2005 11:57 AM

2005年07月08日

これで日本最高峰?:横田和幸

 企業でいえば倒産寸前の状態だ。積立金も底を突いてきた。自転車操業で耐えられるのは今年限りか。だから、自分たちの看板を失うのは覚悟している。

 女子サッカーLリーグの「宝塚バニーズ」(兵庫・宝塚市)が、来年にも京都に移転する可能性が高くなった。京都府サッカー協会への移管交渉中で、スポンサー企業も探している。話がまとまれば、例えば「京都バニーズ」といった名前で再生。選手が運営資金を自己負担してきたが、今回の移管で何割かは軽減される。

 宝塚はバブルの申し子だった。ゴルフ場を経営する旭国際が90年に「旭国際バニーズ」を創部。95年には現名に変更となり、アトランタ五輪代表のエース野田に、外国人選手まで抱えていた。社員選手も競技に専念。勝てば勝利ボーナスを得られた。当時の年間運営資金は軽く1億円を超えていたという。

 それが企業の撤退で、この6年間は選手だけの自主運営に切り替えられた。同じLリーグの高槻(大阪)も松下電器が撤退したが、高槻市体育協会が支援してくれた。しかし宝塚には応援組織は現れなかった。

 最近の宝塚の運営資金は800万円と、全盛時の1割未満。関東圏への遠征に新幹線はご法度で、片道約500キロをバスに揺られて往復している。選手は遠征のたびにホテル代を含め1万円の出費。日々の練習場使用料、その交通費も自腹。これが女子の日本最高峰リーグの環境かと思えば、切なくなる。

 だから、京都への移管で究極の財政難から脱出できれば、彼女たちの競技レベル向上になる。選手が試合会場で募金活動をすることも減っていくだろう。

 昨年のアテネ五輪で、なでしこジャパンのFW荒川の本職がスーパーのレジ打ちということで話題になった。宝塚ではDF阪上は生活協同組合、FW三浦はガソリンスタンド、その他のメンバーもOLをしながら、生活費=競技費を稼いでいる。

 在籍14年目でチーム最年長の31歳、2年前に旭国際を辞めたDF田中は、現在は大阪・豊中市の仕出し店「やまいち」で働く。「故障や手術をすれば、病院代がすべて自己負担なのがきつい。それでも頑張るのは? 若い子に追い抜かれたくないから」。前向きな姿勢には感動を覚える。

 TASAKIなど恵まれた環境は、企業チームに限定される。Lリーグには何か、救済策はないのだろうか。鈴木保事務局長にぶつけた。「なでしこの知名度はあっても、Lリーグは知られていないのが現状。これを打破するために、リーグと契約してくれるスポンサーを探しています」。こちらも必死だった。

 宝塚は今季、リーグ開幕から12連敗中。残り9試合で1部残留をかける。蔵(くら)力夫代表は「2部に絶対に落ちたくはない」と力を込める。宝塚として戦う、おそらく最後のシーズン。彼女たちは、勇敢に、美しく、戦い抜くことを心に決めている。

July 8, 2005 12:10 PM

2005年07月07日

苦しい時こそ安心感:上野耕太郎

 久しぶりの仙台出張は…、最悪だった。日本ハム担当の私は楽天戦の取材のため先月30日、仙台に向かった。その日、牛タンをほおばると、奥の歯ぐきが痛い。するとリンパ節がはれ上がってきた。翌日、起きるとのどが痛く食事が飲み込めない。2日の試合中には関節が痛くなってきた。「やばいなぁ。こんなの35歳で初めての経験だ」。思わず、自分の体の異変に緊張した。

 病院が苦手だ。5年前、背中がつって、身動きが取れなくなったことがある。「ゲームでもやりすぎたかな」と思ったが、トイレにも行けず1時間後、救急車を呼んだ。ストレッチャーに横たわると救急隊員のひそひそ話が聞こえた。「これって場所的に心筋梗塞(こうそく)かも」「う~ん、可能性ありだな」。一気に動転した。低血圧だった自分が血圧180と自己最高値をマーク。心臓外科に直行した。結局は問題なく、ハートがチキンだったことだけが判明した。

 試合後に覚悟を決めて、仙台の救急センターに向かった。熱を測ると39度。「もう、ダメだね」とぐったりした。そして診察を受けた。医師は初老の男性だった。「出張中なのかい? 難儀だねぇ」と柔らかい聞き慣れた北海道弁だった。診断はリンパ節とへんとうの炎症。医師は考え込んだ。「いつ北海道に戻れるの? じゃあ、きつい薬だけど、これにしようかな」とブツブツ。何度もカルテに消したり書いたり。その「あなただけに特別な処方せんを書いているのだよ」という姿勢にホッとした。熱が下がっていく気がした。

 周りが見えるようになってきた。待合室ではやけどをした生まれて半年くらいの赤ちゃんが運ばれてきた。落ち着いた対応で慌てる母親をまず冷静にさせていた。昔から「病は気から」と言う。救急医療を見てなるほどと感じさせられた。

 日本ハムのファームによく似た現象があることに気が付いた。今季から地元北海道の球団にやってきた佐藤義則2軍投手コーチ(50)のことだ。阪急、オリックスと投げ続け、95年8月26日の近鉄戦、球界最年長記録を更新する40歳11カ月でノーヒットノーランを達成した。北海道の生んだ偉大なる鉄腕だ。98年限りで現役を引退、オリックス、阪神でコーチを務めてきた。

 右肩痛で解雇が決まったミラバルの不調など、ローテーションの維持にチームは泣かされてきた。その中で佐藤コーチは投手を1軍に送り出す。昨年まで8年間で15試合にしか1軍登板のなかった矢野の復活を手助けした。右肩痛でファームで調整したエース金村は復帰後、「佐藤コーチのおかげ」と頭を下げた。注目のルーキー、ダルビッシュの鬼教官でもあった。選手は佐藤教室に「安心感」があるという。

 そうなのだ。経験に裏打ちされた技術と実直で熱い人柄。才能を持って入団する選手たちの「気持ち」の部分をそっと後押しする。苦しいときにこそ、そういう「医師」が必要なんだなって思う。

July 7, 2005 11:54 AM

2005年07月06日

削られた栄光と歴史:永井孝昌

 そこだけ、白くなっていた。

 ベルリン五輪スタジアムの聖火台の後方には、36年ベルリン五輪の各競技の金メダリストの名前が刻まれた高さ4メートルほどの巨大な石碑が並んでいた。その下に立ち、首を後ろにそらせて探すのは、やはり「JAPAN」の文字。女子200メートル平泳ぎのところには「MAEHATA」の文字があった。男子3段跳びの横には「TAJIMA」の名も見つけた。だがその前に、いや、石碑の下に立って真っ先に目に飛び込んできたのは、この文字だった。

 MARATHONLAUF 42195m SON JAPAN

 石碑に埋め込まれた、黒い「JAPAN」の文字。その周辺だけが、不自然に白くなっていた。じっと眺めていると、取材に同行したドイツ在住の通信員が後ろから声を掛けてきた。「ガイドさんが今、『男子マラソンの優勝者の国籍の部分は昔、KOREAだった』と言ってました。日本人観光客が抗議してJAPANに変えられたそうです」。振り向くと10人ほどのドイツ人のスタジアムツアー参加客の輪が、石碑の下のオレを見ていた。その中心でガイド氏が「ヤパンなんちゃらかんちゃら」と言っている。ドイツ人の輪も、その言葉に少しだけ笑った。「今、なんて言ったの?」。通信員に聞くとこう言った。「私たちは日本人じゃないから、よく分からないですけどね、と」。

 36年8月9日、孫基禎(ソン・キジョン)氏(02年11月逝去、享年90)は男子マラソンで金メダルを獲得した。当時、朝鮮は日本の植民統治下にあり、孫氏は歴史にほんろうされるままに日本代表として出場していた。その歴史的背景を踏まえ、70年代初頭にはドイツオリンピック委員会が「JAPAN」の文字を「KOREA」に修正していたはずだった。だが現実に今、石碑に刻まれているのは、2度の修正で削られて白くなった石の上に埋め込まれた「JAPAN」の文字。69年前、孫氏はこのスタジアムに流れた君が代をどんな思いで聞いたのだろう。天国から今、この石碑の文字をどんな気持ちで見ているのだろう。石碑が物語る歴史の重みだとか、戦争の過ちなんてことを言うつもりはない。ただオレは、東西のカベがなくなったドイツで聞いたガイド氏の言葉に、猛烈な切なさとむなしさを感じていた。

 来年7月9日、ドイツW杯の決勝戦はこのスタジアムで行われる。大会のテーマは「Time to make friends」。日本人と韓国人が隣り合わせてこの石碑を見上げた時、そこに友情は生まれるのだろうか。ドイツ人が白く削られた石の本当の意味を知った時、彼らは日本人に友好の手をさしのべるのだろうか。無力感の中で、ただひとつ分かっていること。1年後、歴史が上塗りされたままの五輪スタジアムを再訪する機会があったとしても、きっとオレは石碑には近づかない。近づけない。(バイエルンのスタッフ、ケルン市局の皆さまはじめ、1カ月間の海外出張中、取材に協力してくださった各地の方々に、この場を借りてお礼申し上げます)。

July 6, 2005 10:58 AM

2005年07月05日

適性価格考え直そう:栗原弘明

 プロ野球観戦の適正価格って、いくらなのだろうか? バックネット裏の指定席で、巨人(東京ドーム)は5900円、ロッテ(千葉マリン)は5200円、広島(広島市民)は4000円。個人的には高いと感じる。ましてや、家族全員で気軽に観戦できる値段ではないだろう。たまに私の親類も千葉マリン球場で野球観戦を楽しんでいるが、2000円台の内野指定席のチケットを頼まれることが多い。バックネット裏で投手の投げるボールの生の迫力を感じたい…とは思うけど、なかなか敷居は高そうだ。

 ロッテが興味深い試みをした。6月28、29日のソフトバンク戦で全席1500円を断行した。内野自由席2300円、外野自由席1600円を下回る値段だ。28日は2万5012人、29日は2万3838人を動員した。千葉マリン球場の平日のナイターとしては驚異的な数字だ。さらにビールも600円から300円に値下げ。これも約3万杯と飛ぶように売れ、従業員を含め応対が間に合わない事態となった。球団では30分ごとの観客の移動をチェックした。やはり開門後、バックネット裏の席から埋まっていったという。当初は韓国で開催するカードだったが、諸事情により断念。そのため年間シートが適用されず、一律1500円が実現したわけだ。

 荒木重雄企画広報部長は「人をいっぱい入れて、もうけようというわけじゃない。いくつか狙いはあった。野球の適正価格の実験というのもあった。平日には何人観客が来るか。もう1つは1500円の提示で、どこからお客さんで埋まっていくかということ」と説明した。今回の試みを単純な黒字、赤字で表現することはできないが、さまざまな面で「大成功だった」と同部長は分析した。

 今まで1度もバックネット裏で観戦したことのないファンが、今後も見るきっかけにつながればいいし、そこから新たな野球の魅力を発見することに結びつけばいいと思う。外野から、ファンが一体となって応援するスタイルもある。ホームランが飛び込んでくるだいご味を味わうのもいい。内野席で守備の迫力を目の当たりにしても、感動があるだろう。だがプロ野球を気軽に観戦するきっかけは多くないように感じる。

 バックネット裏の年間シートの存在もどうだろうか。本拠地球場の開催試合で、1年間を通じてバックネット裏の指定席を売る。対象の多くは法人だ。球団営業にとっては安定収入になるだろうが、会社付き合い、接待用ではなく、ネット裏こそファンでいっぱいになるのが理想ではないだろうか。年間席が契約されていても、試合当日に無人ではスタジアムは盛り上がらない。

 荒木部長は野球というビジネスに「入場料だけで考えるのではなく、客単価で考えたい。ボールパークととらえて野球と飲食、グッズなど幅広い消費につながれば。単純にこの日は何人、という入場料のタテ軸を計算していくのではなく、ボールパークで長い間楽しむ、という時間のヨコ軸を計算したい」という見方を提示した。野球の適正価格を考え直す余地はあると思う。他のスタジアムでも再考してみてはいかがだろうか。

July 5, 2005 11:31 AM

2005年07月04日

クールビズ名付け親:中山知子

 政府が主導する夏のビジネス軽装「クールビズ」が始まって1カ月。地球温暖化を防ごうと、室温を28度に設定する代わりに暑くない服装をして欲しいという呼び掛け。基本はノーネクタイ、ノー上着だという。

 ただ、暑さ、寒さの感じ方は、人それぞれ違う。暑ければ脱ぐ、寒ければ着る。そんなシンプルな発想の呼び掛けでよかったのでは、と思う。新聞の全面広告にも載った「ノーネクタイ、ノー上着」というキャッチフレーズはあまりにも強かった。一歩間違えば「服装の押し付け」とも思われかねない。すぐにネクタイ業界が「売り上げが落ちる」と声を出した。日本ネクタイ連合会を取材すると温暖化防止には賛同しても、商品を否定されたようなフレーズに怒っていた。

 もし「クールビズ」という名前がなくて、ノーネクタイ、ノー上着のままでは、もっとバッシングされていたかもしれない。

 「クールビズ」は、一般のサラリーマンが作った言葉だ。公募された約3200作から選ばれた。名付け親は都内の民間企業に勤める田形英明さん(31)だ。会って話を聞くと、頭の運動をかねて(暇つぶし、という面もあるのだそうだが)、携帯電話の公募懸賞サイトに応募するのが趣味だという。通勤中の電車で、携帯でサイトを見ていた時にたまたま環境省の募集があるのを知った。深く考えず、頭に浮かんだ涼しいの「クール」と「ビジネス」を掛け合わせ、携帯に打ち込んだ。ぱっと送信するまで10分かからなかった。実は意外にあっさり、簡単に生まれた。環境省から「選ばれました」と連絡があるまで応募したことすら、忘れていたという。

 当然クールビズ姿かと思ったら、田形さんはスーツにネクタイだった。営業マンなのだ。

 「昼間からネクタイを外していると、だらしない気もする」。人に会うのが仕事の営業マンの本音だろう。「仕事柄、こちらがネクタイをとって不快に思われるかもしれないと思うと、いきなりは踏み切れない」と、戸惑いも見せていた。

 命名はしたが、実際にはノーネクタイ、ノー上着にはなかなかチェンジできない。「ネクタイを外すことが慣例化するなんて、無理な話。クールビズも来年は『死語』になっているかも」とも。サラリーマンの立場と、名付け親のはざ間で感じるジレンマ。多分、これがサラリーマンの感じるクールビズの現実でもあるのだろう。

 でも、田形さんはこの言葉を考えたころより「子供」の行く末を見守る目線も持ち始めた。名付け親としての責任感だろう。「名前より中身。クールビズという名前は使わなくてもいいから、来年以降も続けて行かなくては。そこに意味があると思うから」。

 田形さんと別れた後、街を歩いた。ネクタイ姿のサラリーマンはまだ多い。普通のサラリーマンが「軽装OK」で仕事ができるようになるには、時間もかかるだろう。

 来年の今ごろ、世のサラリーマン、そして田形さんの服装に変化は表れているだろうか。

July 4, 2005 11:01 AM

2005年07月03日

常に本音でしゃべる:盧載鎭

 日本代表DF中沢佑二(27)が、横浜残留を決めた。1年後のW杯でベストパフォーマンスを見せるため、悩みに悩んだ末の結論だという。最も悩んだのは、当然中沢本人だろう。だが、横浜を指揮する岡田武史監督(48)も相当神経を使ったはずだ。リーグ戦再開が迫っているのに、主力DFの心が揺れている。メンバー構成も、残るか移籍かで当然、大きく違ってくる。他のメンバーの士気にも影響する。

 指揮官としては当然、使える駒は多ければ多いほどいい。それでも同監督は「クラブの都合で選手をクビにすることだってあるのだから、選手が自分の夢のために海外を目指すのはいいんじゃない。オレに引き留める資格はないし、だからオレは深く考えないようにしている」。

 監督は、マスコミの前で常に冷静を装っていた。「本音を隠している-」。取材をしていた僕は、そう感じていた。

 中沢は、残留を決めた前日(6月27日)に、監督室で同監督に相談を持ち掛けた。

 「監督はドイツでコーチ修行もしているし、僕はやはり行った方がいいんですかね。でもチームには迷惑ですよね」。「お前がいなくなれば、お前抜きの戦い方を考えればいい。オレはお前を止めない。自分で決めなさい。残ったところで、お前をレギュラーでつかう保証はないからな」。残留へ、気持ちが傾いていた中沢としては、止めて欲しかったという。しかし、岡田監督から「残って欲しい」の言葉はなかった。

 後にクラブ幹部が明かした。「山瀬の時も、今野の時も岡田監督は本人と会った時、積極的に加入を勧めなかった」。J2札幌からMF今野獲得を目指した時、同監督は本人と会った席で「レギュラーは保証しない。すべてはお前次第だ」と伝えた。

 結局、今野は横浜の誘いを断って東京行きを決めた。今季、浦和からMF山瀬を獲得した時も、同じ言葉を口にしたという。

 02年のシーズン途中、横浜は司令塔・中村俊輔をレジーナへ移籍させた。当然、横浜としては出したくない。移籍話が出始めたころ、悩んでいた横浜の幹部が横浜市内のバーで飲んでいたら、偶然、当時サッカー解説者だった岡田氏もその店にいた。大学の後輩でもある岡田氏に「何で難しい顔をして飲んでるんですか」と声を掛けられた。「実は俊輔の移籍の件で…」。

 「水が流れるように、チームも変化しないといけないんですよ。プロのクラブは水と一緒で、ためておくと腐ってしまう。優勝メンバーで翌年戦ったとしてもまた優勝できる保証はないし、発展もないんです。また違うチームで挑戦すればいいんじゃないですか」。岡田氏の言葉が、中村の欧州移籍を後押しした結果となった。

 岡田監督は、中沢の一件で、本音を隠していたわけではなかった。常に本音でしゃべっていたのだ。久々に「器の大きい人」と話ができ、僕はうれしくなった。

July 3, 2005 12:19 PM

2005年07月02日

さらば愛しの巨人軍:松田秀彦

 巨人戦を見なくなった。今年に入って、東京ドームに行こうと思った瞬間すらない。テレビ中継も全く見ていない。結果も気にならない。

 物心ついた時から、巨人ファンだった。小学校時代は毎日、日が暮れるまで野球をした。あこがれは巨人の4番打者王貞治。母親が作った弁当を手に、片道1時間半をかけ、友だちと後楽園球場に何度も行った。バッティング練習で、軽々とボールを飛ばす姿がとにかく格好良かった。あこがれのヒーローだった。

 大学を卒業して、この会社に入った。3年目に写真部から文化社会部に移った。映画担当になった。思わぬ機会が訪れた。米映画「バットマン&ロビン Mrフリーズの逆襲」のPRで、アーノルド・シュワルツェネッガーが来日した。飛行機を使って東京、大阪、福岡を1日で回るキャンペーンの同行取材。福岡ドームで、シュワちゃんとダイエー王監督が対面する企画があった。簡単なセレモニーと2人の歓談を取材した。試合開始前だったのに「せっかくですから、ぜひ」と、王監督は控室に私たちを呼んでくれた。短い時間だったが、映画キャンペーンとは全く関係ないどんな質問も、真摯(しんし)な態度で答えてくれた。

 その後も映画を通して、長嶋茂雄さん、松井秀喜選手の取材機会があった。野球記者ならともかく、普段接することのない芸能記者に対しても、とても気さくに、そして真剣に対応する姿が印象的だった。

 新聞社に入って「勝つため」とはいえ、企業としての「読売巨人軍」のやり方を知っていけばいくほど、好きにはなれなくなった。それでも王さん、長嶋さん、松井選手との取材機会を通じて、個々の魅力、大きさを感じることで、自分と巨人とのつながりは保つことができた。

 そのつながりも、自分の中で今年、切れた。正月にハワイを訪れる芸能人の取材を終えて帰国した後輩記者から「巨人のある選手に名刺を引きちぎられ、目の前で捨てられました」との話を聞いた。その選手は、元アナウンサーでタレント活動もしている妻と焼き肉店で食事をしていた。2人に少しだけ話を聞こうと店の外で待った。食事を終え、出てきた2人はファンに囲まれ、写真撮影に応じていた。ひとしきり終わったところで、取材を申し込もうと名刺を差し出したら、いきなり破られて地面にたたきつけられたという。「オフなんだから取材するなよ!」。にらみつけてきた。去り際に「もう1枚名刺よこせ。巨人担当の記者に『こんな失礼なやつがいた』と言っておくぞ」とすごんだという。

 休暇を楽しんでいる時に突然取材を申し込まれて困るのは当然かもしれない。しかし記者は、無断で写真をいきなり撮ったわけでもなく、名刺を差し出し、丁寧にお願いしただけだ。断られれば、食い下がる気持ちなど毛頭なかった。

 記者じゃなければ、こんな場面には遭遇しないかもしれない。ただ、社会人として普通のやりとりもできない選手が、先輩面してベンチにいる。王さんも長嶋さんも松井選手のような人もいない。そう思うだけで、個人的なつながりは切れた。そんなことも、巨人の人気低迷の遠因かもしれない。

July 2, 2005 12:56 PM

2005年07月01日

「一期一会」を大切に:鹿野芳博

 「カメラマンにとって何が一番重要ですか?」。

 写真部の先輩が数年前、他部署の上司に聞かれた。その先輩はしばらく悩んだ末、こう答えたという。

 「運じゃないでしょうか」。

 当時、私はその話を聞いて「運が重要? 運に頼っていたら、いい写真は撮れないですよ」と反論した。今より若かったこともあり「やる気」や「気合」といった自分からの直接的な要因の方が重要と考えていた。先輩の気持ちや考えを理解する余裕はなかった。

 2年前、ヤンキースの松井秀喜外野手とニューヨークで「運」について話したことがある。松井はこう言った。

 「僕は野球で運に頼ったことはないけど、運というものはあると思うし、自分は運が悪いとも思わない」。

 正直、驚いた。松井の口から「運」という言葉が出るとは思わなかった。松井は持ち前の才能と努力により活躍しているわけで「運」というもの自体、否定していると思った。

 松井が野球に出会ったこと。巨人に入団し、ニューヨークに渡ったこと。そしてヤンキースで試合に出続けていること。これらすべてが松井の人生だが、それは、運もあるというなら悪い運ではなかったといえる。

 「一期一会」。

 私のとても好きな言葉だ。「生涯にただ1度まみえること。一生に1度限りであること」。

 カメラマンの「運」も「一期一会」ではないかと思う。運とはある意味「チャンス」で、希少なその被写体(決定的瞬間)に出会わなければ、当然、写真にすることはできない。

 昨年夏、アテネ五輪取材の出発前夜、写真部のデスク(次長)2人と東京・築地のすし店に行った。

 デスクA「鹿野、アテネではテロに気を付けてな」。

 デスクB「そんないいかげんなことを言うのはやめてくれ。おれが鹿野を派遣すると決めた。安易に気を付けろなどと言わないで欲しい。テロがあったら取材しなければならないし、死と隣り合わせになる危険性だってある。それらすべてを考え、それでも行ってもらうことにした」。

 アテネ五輪はテロに狙われるという報道が多々あった。デスクもその危険性から、部員の派遣を悩み、それでも当然、アテネに行かせることを決断した。

 私も実際、テロに遭遇したら、自分がどうするか分からない。ただ、少なくとも言えるのが、持っていたカメラを、何か被写体となるものに向けるということだ。シャッターを押し、その後、逃げるかもしれない。それでも、写真という何かを残す自信はある。

 テロに遭遇するのも1つの「運」ではないだろうか。いい事ばかりが運ではないのだ。これから先、どんな被写体に出会うか分からないが、その「一期一会」を大切にしていきたい。そして、その被写体に平常心で向き合えるよう努めていきたいと思う。

 カメラマンは一瞬に生きなければならない。

 ※1年間担当したこのコラムも今回が最終回です。

July 1, 2005 10:57 AM